第17話


「対応している術式容量は?」


 事前説明による手助けで、イコの無礼な態度に不快感を示すこともなく、ヘイムは冷静に言葉を選んでいた。内心を明かせば快くはないだろう。しかし、ここで度量の大きさを見せることで、少しでも印象をよくする意味合いもあった。


「1キロバイト程度であれば、問題なく機能します。弊社といたしましては、年間契約であれば…実装数×金貨二枚を想定しております」


 ディスイズ営業スマイルと同時に、大理石顔負けの純白の歯をちらつかせるヘイム。自慢の自社製品に対する自信は、彼の表情からにじみ出ていた。既に契約料金を話すあたり契約成立の絵が頭の中に描かれているのだろう。そんな成功を確信したヘイムを、イコは無表情で見つめていた。


「我が社で取り扱う魔導陣のほとんどは、1メガバイト以上です」


 イコは、端的に事実のみを伝えた。するとヘイムの表情は、一気に青みを増し、先ほどまでの営業スマイルは崩壊してしまっていた。完成寸前の絵画に絵の具を零した画家も、苦痛と憤怒と悲哀をごちゃ混ぜにした彼のような表情を浮かべるはずだ。


「ご、御冗談を。それは中級魔導に匹敵する術式容量じゃないですか。弊社のデータでは民間普及率の最も高い魔導等級は「素級~初級」だと出ております。NO1シェアを誇るマイクロスクロール社様は、その二つの等級を数多く取り扱っているはずです」


 よく回る口は、更に回転力を上げる代わりに、ヘイムが最初から有していた説得力を著しく低下させていた。イコは、そんな焦りを見せるヘイムに、自分の粗暴な口調で話しかければ、これからの会社関係にひびを入れてしまうのではないかと、ラナに託すように視線を向けた。イコの救助要請に気付いたラナは、間を空けずに会話を引き継いでくれた。


「えぇ、おっしゃる通りです。我が社では「素級~初級」の魔導陣を最も多く開発しております。ですが、我が社のほとんどの魔導陣には「消費魔素量軽減・安定化・緊急停止措置、並びに術者登録術式」が組みこまれておりまして、どれほど安い術式容量の魔導陣でも、中級ほどの領域に踏み入ってしまうのです。どれだけ術式容量を増やしても、困るのは企業側だけですから、丁寧さをモットーに取り組んでおります」

「そ、そんな…馬鹿な。干渉だってするはずなのに…相性だってあるはず」


 暫くブツブツと小声で呟いてから、ヘイムは首を左右に振るって俯いた。そんな彼の様相を見ると、これ以上の堅実な取引は難しそうだと、ラナは最終的な結論を申し入れた。


「申し訳ありませんが、今回は見送らせて頂きます」


 死刑宣告よろしく、ラナの宣言はヘイムの心の奥深くに突き刺さったのか、ハッとした表情を作って彼女の顔を見上げた。数舜の間があいた後、彼は何かを言おうと口を開いた――が、何故か突然イコの下半身がとても熱くなった。


「キャッ!?ご、ごめんなさい」


 どうにも、ユメリルがお茶を零してしまったようで、彼女は多少の崩れた口調と共に、直ぐにイコへと駆け寄った。それからハンカチを取り出すと、おもむろにイコの下半身を拭い始めてしまった。股の間を重点的に拭う彼女の手から逃れようと、イコは体をずらすように少しだけ動かした。すると視線の入射角が変わり、開いた彼女の胸元にフォーカスが合ってしまった。しかし、桃色の景色に脳を支配される前に、そこに何らかのマークが見えた気がした。ホクロにしてはやけに大きく、人差し指と親指で作る丸のような大きさだった。…羽か?とイコが結論付けようとしたタイミングで、ラナがオッホンと大きな咳ばらいをした。その意味を理解したイコは、ようやく手を動かしてユメリルの激しく動く手を抑えて止めた。


「大丈夫ですよ、魔導を使えば直ぐに乾きますから」

「ほ、本当にごめんなさいっ!」


 ユメリルが深めに頭を下げると、それに連動してヘイムも頭を下げた。


「部下が申し訳ありません。…こちらを」


 と、色を付けて銅貨を三枚ほどイコに差し出してきた。これはクリーニング代ということになるが、実際の料金は銅貨1枚ほどで、染み抜きから乾燥まで発注できてしまう。部下の不手際というところで、ハムサン社の外聞の為にも受けって欲しいはず、と考えていたイコの横から手を伸して、何故かラナが銅貨を受け取ってしまった。え?という表情を前面に出し、イコはラナを見るも、その時には既にどこ吹く風という感じだった。ハムサン社員は、二人とも丁寧に頭を下げたままで、一連の流れは透明となった。肝心な瞬間を見逃した二人に、ラナはようやく声をかけた。


「もう大丈夫ですよ、部下も困ってますから」


 ラナの一言で、ようやく二人は顔を上げてくれた。それから少しだけ気まずそうな顔をした後で、ヘイムは会話の軌道を既に回答を得ている商談に戻した。


「…あの、気が変わりましたら、滞在しているホテルにご一報ください」


 そういえば、ハムサン社は外国の企業だった、とイコは印象を付け足していた。母国に吉報を持ち帰れず、さぞ気まずい帰国になることだろう。やや暗い表情のハムサン社員は立ち上がると、ヘイムだけは手を差し出してラナに握手を求めた。ラナも快く握手を返すと、二人は哀愁を漂わせつつも、少しだけ足取りを軽くして部屋を後にした。そんな様子を見送ると、もう一度ラナはソファに腰を落として紅茶を口に含んだ。


「…イケメンだったわねぇ」


 と、口惜しそうにつぶやくラナに、呆れたイコは溜息を落とした。


「…はぁ、発情期ですか?」

「股間を濡らしてるイコにだけは言われたくないけど」

「ぐっ…まぁいいです。それより、あの魔導陣を見てどう思いました?」


 イコは、どこかへ行った銅貨三枚の言及をしてやろうかと考えていたが、普段から自由にさせて貰っている恩が歯止めになって、話を変える道を選択した。


「ん?そうねぇ…少しだけ乱雑に見えちゃったわね」

「実は俺もそう思ってました。音が鳴るだけって…違和感しかなかったです。エラーを判定できるのなら、該当箇所の色を変えたりできるはずなのに…。言ってしまえば、浅かったような気がします」

「言いたいことはわかるけれど、バヘイラが他国から秀でた魔導文明を有することを忘れちゃダメよ。何が優れているかなんて、国境を越えれば簡単に変わるんだから」

「くしゅんッ…そういうもんですかねぇ」

「そういうものなのッ!」


 ラナは、腕時計を回して魔導陣を起動した。直径十センチほどの魔導陣が浮かび上がると、イコのパンツにクリーニングと乾燥が施された。


「さ、戻りましょぅ。大口発注が待ってるわよ」

「そうでしたね。そっちの方が面白そうです」


 国境という知識の隔たりを前に、二人は疑問の追及を諦めてしまった。

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