第15話


 申請が終わると、二人は地下一階へ移動した。地下一階は、フロア全体がガラスによって細かく仕切られている。透明な仕切りは、内側のプライベートを監視のために破壊している。労働基準法が見直され、カーテンで上部が隠せるようになったのは最近の話だ。足が労働を証明するかと言えば「否」だろう。上半身と机がキスしていても、カーテンが労働者の罪を隠してしまう。とはいえ、地下一階を占領する「魔導開発部門:デバック課」では、少しでもサボってしまえば、仕事がデニッシュ生地のように積み重なるだけだ。いくらバターを挟んでも、歯触りが滑らかになることも、クリッキーになることもない。


 ガラスの仕切りは、中心に通路を設けており、フロアの最も奥に進むと目的地に着く。少し視点を持ち上げれば、「第零部隊」というプレートが貼られている。イコは、見慣れた「田」の字状に四つ配置された机の奥の角に座った。彼の隣がラナ、前がミーム、ミームの隣がチェリアとなる。席に着くと「おはよございます」、と対面のミームから挨拶をされた。イコも「おはよう」と返す。ここまでがルーティーンとも言えるほど凝り固まった朝の流れである。しかし、未だに部隊には二人しかいない。


「…黒いスカル・スライム?珍しいですね」

「あぁ、こいつか。ほら、最近は何かと物騒だから、俺も自衛のために使い魔を…な」

「へぇ…でもイコさんの魔素量で主従契約できるんですか?」


 嫌味のようにも聞こえるが、これは彼女の純粋な疑問である。


「…いや、つまりその…買ったんだよな。そこの店主にやってもらった」

「…他人にですか、そんなこともできるんですね」


 そこまで聞くと、彼女は書類の整理を再開してしまった。普段から口数が少なく、最短ラリーで目的の情報を獲ると、それに満足して会話を止める。彼女は職場が談話の場でないことを理解しており、TPOをわきまえ、承認欲求を排除することができる。人に嫌われたくないからと、無理に場を繋ごうとはしないタイプだった。彼女に習い、イコもスライムをデスクに下ろして書類の確認を始める。そんなタイミングで、ようやくラナがイコの隣に座った。


「ふぅ、お疲れ様ぁ」

「お疲れ様です」

「ん、何かしら?そのスライム、ナメクジみたいでキモいわね」


 ラナの言葉を聞くと、ぶるんっとスタークが震えた。所謂「怒りに震える」をスライムが行うと、謎のいやらしさがある――と、イコは考えていた。


「え?可愛いのに…」


 と、ミームの呟きのような声が聞こえると、スタークの震えが止まった。現金な奴だなと、イコは軽くスタークを突いて揺らすも、彼は口元を緩ませたままだった。


「もしかして、所謂キモカワってやつ?若い感性って羨ましいわね」


 ラナは気まずそうにジトーっとスライムを眺めてから書類の整理に励んだ。三人が出勤時のノルマをこなしていると、ようやくチェリアがミームの隣に座る。出勤時間の一分前到着であり、いつも通りデバック課で最も遅い出社だった。


「あ、スライム!美味そうです」


 じゅるりと音を鳴らすと、チェリアはスライムの代わりにパンを口に詰め込む。食べかけの最後の一かけだったようで、時間のない朝の食事をしながらの出勤だと、音を発せずにモグモグと動く口が説明していた。ミームは、そんないつも通りのチェリアをチラ見すると、改めて「美味しそう」という発言に首を傾げる。スライムの可食部位は、未だに発見されていないのだ。つまり、経験による想定ではなく、未知に対する期待として、彼女はスライムに味覚を反応させたのだ。ミームの感性では、それはあり得ないことだった。普段から会話を交わす明るい同僚も、たまに理解の外側の反応を垣間見せる。未だに親交を深められないのは、そうした一面が歯止めなっているせいだった。


 朝の不可解な会話を済ませ、チェリア以外が書類に目を通し終わると、ラナのデスクへと一羽の赤い鳩が飛んできた。伝書鳩の「タナカ」だ。鷹のように足で書類を掴んで飛んでくる姿は、社内の日常の一部であり、大抵は仕事を輸送している。体の色合いごとに仕事の種類が分けられており「赤」は外注業務となる。


「タナカさん、今日もありがとう」

「クルッ」


 ラナのお礼を聞くと、直ぐにタナカは飛び去って行った。


 A4サイズが裕に入る大きな茶封筒の封を、ラナは手元のペーパーナイフで中身を傷つけないように丁寧に開いた。開けて直ぐに、書類に「最重要発注書」と書いてあるのがラナの目に映った。


「あらあら、穏やかじゃないわねぇ」


 そう言いつつも、少しだけラナの口角が持ち上がった。彼女は、昇進に貪欲なところがあり、仕事が舞い降りる瞬間を素晴らしき活躍の機会だと捉えている。


「それ、何だったんですか?」


 と、イコは質問した。


「えっと…あぁ、他社からの大口発注よ。我々第零部隊の実力を見込んで、デバックを依頼してきたみたいねぇ」


 一般的には、他社へのデバック依頼など情報漏洩に等しい――が、既に特許取得済みの魔導陣ならば、他社へデバック依頼を回すこともある。魔導としての成立時点での特許取得が可能であり、それを製品化しようと手を加えた際にバグが生じることは頻繁にある。また、バヘイラの特許権は幅広く、一つの商品から類似商品を開発すれば、必ずと言っていいほどに裁判で負けてしまう。会社間の信用問題にも繋がるので、よほどの商品でなければそうした事態は発生しない。


「これ、読んでみてくれない?」

「了解です」


 イコは、ラナから依頼書を受け取って目を通し始めた。題目は「仮想空間建築魔導」である。魔導によって簡易的な仮想空間を生み出し、その中に用意された操作パネルを用いて、実物大での建築シミュレーションが可能になるらしい。完成すれば魔導名「バーチャルリアリティ・ドレッシングルーム」の頭文字を取って「VRD(バード)」と名付けられると記載されている。


「だいたい概要は理解したんで、直ぐにデバックに取り掛かりたいです」

「かまわないわ。……………期限は二日間よ」


 上司の同意を得ると、早速イコは仕様書を熟読し始めた。ちょうど彼が誰の声も聞こえなくなった頃に、もう一羽の赤い鳩がラナの下に飛んできた。二羽目を見た瞬間、チェリアは苦い顔を作り、ミームは少しだけ頭をかいた。仕事が重なることはよくあるが、赤い鳩が二羽もくると、実数の二倍ほどの負担があるのだ。ストレスを溜める二人をよそに、ラナはウキウキ顔で茶封筒を開いていた。


「イコ、悪いけど手を止めてもらってもいいかしら?」

「……………………………………………………………」


 上司を無視、これもまたイコの日常だった。何度目かのリプレイに、もはや怒りも消え失せ、何も言うことなくイコの肩を激しく揺さぶった。それを三秒ほど続けると、ようやくイコが面倒くさそうにラナを見た。


「やっと見てくれたのね。別の仕事が入ったからイコは私についてきて。チェリアとラナは、引き続き大口発注をお願い。こちらの対応は、そんなに時間がかからないから、戻ってきた時の為に、仕様書をポイントごとに整理しておいてくれると嬉しいわ」

「了解です!」


 チーム間では、砕けた口調が許可されている。開けた現場というのが、ラナの最初に決めたチームルールである。チェリア達に仕様書を託して二人は次の現場へと向かった。

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