第31話


「ただいま」


 イコは、なんの遠慮もなくアデルの家に入る。その間にも、スタークは道中での発見について驚愕していた。森の奥深くにあるはずの家、そんな危険を伴う場所まで移動している間、一切の魔物に出くわさなかった。何が原因なのかと思案すれば、イコが目的地に近づくにつれて、本能的に避けたくなるような魔素の反応が膨れ上がっていった。一介の人間ごときが、龍種に匹敵するような魔素量を所持していれば、魔物もこの場所が住処に適していないことを悟るのだろう。ほとんど魔素のないイコとは、対極に立つような人物である、とスタークは結論付けた。一見なんの変哲もない、この二階建ての簡素な木造建築が、なぜ居住区にないのかという論点については、もはや推論する意味もなかった。家主の性格上の理由よりも、これほどの魔素量の所持者が近くにいれば、永遠に演奏会を続ける楽団が近所にいるようなものだろう。


「おかえり」


 アデルは、盲目ながらも音を辿りイコへ顔を向けた。家に入れば直ぐにリビングが待ち構え、中心の机が来訪者を迎える。三人以上を迎えたことのない四脚の椅子とともに。その一席にアデルは腰かけており、イコもその対面に座った。この場所に来ると、不合格通知が頭をよぎる。あの日からアデルとの関係性は、少しだけ形を変えており、それはイコにとって都合のいい形状ではなかった。この椅子と同じく、買い替えた日から、ずっと尻の位置が合わずにいる。


「やぁ、君も一緒かね。挨拶くらいしたらどうかな?人間社会に馴染めないよ?」


 と、アデルがスタークに視線を向けると、ブルンッと頭上で身震いしたのか、イコの髪が静かに揺れた。


「すまない。イコ殿の師ともなれば、吾輩も尊敬すべき人物であるというのに、礼節をかいてしまった。我が名は、アレイスター・クロウリー、縮めてスタークである。ぶしつけだが、その威嚇するような魔素の圧を少し納めてくれると、もう少し良心的に話ができるようになると交渉したい次第だ」

「これは丁寧にどうも。私はアデル・チャリティー。イコの育ての親だ。それと、師というのは適切ではないよ。イコは、ほぼ独学で魔導を極めてしまったから、僕の手なんてほとんど入ってない。彼に魔導を教えたのは、彼自身だ」


 紹介分のビックトピックのせいで、スタークはイコの頭上から落下し、机の上に転がってしまった。まず一点目が、育ての親という部分。いびつな二人の関係性が、スタークにも垣間見えた気がした。次に二点目が、イコの独学という点である。もはや、あれほどの魔導知識が独学によるものだとは、聞いた後でも信じられなかった。学問とは、後続に引き継がれながら、少しずつ茎を伸ばしていく植物のようなものだ。あるいは、風に流れるタンポポの綿毛のように、どこかへ自由に根を張る想像力を持つ者もいる。しかし、その中で花を咲かせるのは、ごく一部の種だけだ。厳選せず地に落りたつ綿毛は、そこが不毛の地だと後からしか気づけないからだ。つまり、イコはマイノリティの中でも、より稀有な存在なのかもしれなかった。


「それで、今日はどうしたのかな?」


 アデルは、机上の小さな本から魔導を一つ起動した。魔導陣が本から浮かび上がると、クルクルと魔導式を回転させ始めた。スタークは、それを夢中になって観察していた。平面駆動魔導陣は、スタークも何度か開発したことがある。しかし、これほど美しく動き、無駄のない一級品を見たことはなかった。陶芸家の作る椀に、その者の味が滲み出るように、アデルの魔導陣もまた、彼の精緻さをくまなく表現しているようだった。魔導陣から半透明な膝丈くらいの人型が現れると、人間のように茶を入れ始めた。


「肉体のない…ゴーレム…なのか?」

「正解。父さんは、「空白の人造人間(ゼロ・ホムンクルス)」って名付けた。情報

量を減らし、魔導陣を軽くするために、肝心な肉体情報を消して作られたゴーレムだ。父さんの代表作の一つだな。容量を軽くして、処理速度を向上させる代わりに、消費魔素量が飛躍的に増大しているから、開発者以外には起動すら困難を極める」


 もはやスタークは唖然としていた。簡単に説明するイコにも、超技術を秘匿すらしないアデルにも。


「バルから、いつものやつをってな」


 イコは、アデルに例の手紙を渡した。三枚を手に取ると、アデルは微笑んだ。


「三か月に一度、バルは私に魔導陣を送ってくる。森で暇をしている老害に、脳トレをさせようとしているのかもしれないね。いっつも評価を返すけど、それ以降の連絡がないから、彼女の真意が未だに分からないよ。まぁでも、今回のメインコンテンツは、おそらくこれだろうけどね」


 特殊インク仕様のエキスポへの招待状を、アデルはペラペラと振るった。イコの不合格以降、アデルの現代魔導への興味は薄れる一方で、こうしてバルは定期的に興味を引こうとしている。そんな彼女の真意に、イコはすでに気づいているものの、わざわざ説明する気にはなれなかった。彼が魔導社会を離れて以降、目を見張るような発展もない。主要な歯車の一つが欠けてしまい、ぎこちなく機能するだけの魔導社会のために、アデルをもう一度組み込むようなことはしたくなかった。自分のせいで、また苦しむ彼をイコは見たくなかったのだ。


「さてと、この無価値な紙切れは置いておいて、こっちの魔導陣を見てみようか」


 アデルが魔導陣を机に広げると、ゼロ・ホムンクルスがお茶を三つ机に並べた。役目を果たし、ゼロ・ホムンクルスは机に沈みこむように消えてしまう。そんな見慣れた光景には頓着せず、アデルは魔導陣に夢中になっている。


「ふむ、これは立体駆動魔導陣だね。平面情報から立体情報に切り替わるように構築されているみたいだ。起動してみて、それからが本番かな」


 そっと人差し指で魔導陣に触れると、魔素を流し込み始める。アデルの魔素に反応して魔導陣の色が変わると、ふわっと球体が浮き上がった。全員がそれを目で追いかける。これほどの魔素の輝きならば、特殊インク性の魔導陣よりも、アデルには美しく見えているはず。情報量が多ければ多いほどに、アデルの魔素のみを捉える視界は、輝きにあふれ景観を飛躍的に向上させていくことになる。


「ほぅ、実に美しい」

「ふ、深いな」と、スタークもつぶやく。


 大体1メートルほどの球体にアデルは手を伸ばした。立体駆動魔導陣は、基本的に正常動作しているだけでも評価されるような代物である。完璧に動作する優れた作品に、思わず一同は唾を飲み込んだ。見惚れながらも、同様に観察していたイコは、魔導陣になじみ深い既視感を覚えていた。


「これって…」

「だね。これはFBに違いないだろう。単純な構造の魔導陣を、劇的に進化させたというわけだ。とはいえ、世の中には単純さにこそ価値が見いだされる場合も多い。FBを複雑化した正当性が、この新たな形状にあるのか楽しみだ」


 クルクルと、指先で魔導陣を回転させながらアデルは観察を始めた。不意に、イコがアデルを見れば、彼の持ち上がった口角が、この時間を楽しんでいることを解説している。


「可変性のFBか。…イコ、魔術と魔導の差を簡単に説明してくれ」

「あぁ、自由度の差だろ。魔導陣を用いれば、発動に掛かる時間を大幅に短縮できるが、発動後は魔導式に描かれた事しか起きない。魔術は、詠唱に時間を要する代わりに、発動後も可変的に動かせる。FBを例にあげるなら、あらかじめ決められた軌道を描く魔導と後から軌道を変えられる魔術って感じだな」

「正解。バルのFBは、可変的な魔導のFBというジャンルだ」


 嬉しそうに、アデルは指先で魔導陣を操作し始めた。


「どれ、試しにFBを撃とう。スターク君、君は防御魔導を起動したまえ」

「わ、吾輩が!?」

「イコには出来ないんだから、君がやるしかない」


 自分で二役やればいいのでは?という言葉をスタークは飲み込んだ。


「承知した」


 何となく同情したイコは、サッと紙に書いた魔導陣をアデルに渡した。速攻で開発した防御魔導陣である。


「お、おぉ!?」


 その魔導陣が全く新しいアプローチによる防御魔導であり、目をひん剥いてスタークは注目していた。しかし、盲目なアデルは黙々と準備を始めており、直ぐに分析している時間はなくなってしまった。余りにも既存の品と異なる防御魔導に、多少の不安を抱きつつも、イコならばと彼は魔導陣に乗った。


「…さてと、速度を限界まで落として……よし、調整はこんなものか。後は放ってから変えようじゃないか」


 と、宣言した瞬間にアデルはFBを放った。起動済みの魔導陣から、後だしで火球が放たれるのは、おそらく人類初の試みである。輝く魔導式の集合体から、カメの歩行速度に劣るほどの勢いで、火球がノロノロと進んでいく。威力も抑えられているようで、大体親指の先くらいの大きさだった。机上を進み、三十センチほど離れた場所にいるスタークへと進んでいく。この時、スタークはFBを目で追いながらも、悠々と防御魔導を起動していた。彼の数センチ手前に、半透明な紫色の正方形が出現する。取り合えず問題なく起動したことに、スタークはホッと一息落とす。そんな安堵しているスタークの眼前で、ノロノロとFBが軌道を変え始めてしまった。ほぼ直角に右折、そのまま進み、防御魔導を迂回するように左折、その後スタークの真横で右折した。ギョッとしたスタークは、右に迫る火球を眺めた。すると、防御魔導も火球へと動き、二つはぶつかり合って小さな爆発を起こした。スタークは、発射から細かく軌道を変えた火球と、突然位置を変えた防御魔導の両方に驚愕していた。


「ほぅ、やはりイコは天才だね。十秒で開発した魔導陣がそれかい」

「…普通なら、開発済みの魔導陣を書いたと思わないか?」

「魔素の少ないイコが、戦闘くらいでしか活躍せず、自分では起動できない防御魔導を開発してる可能性は低いだろう。それに、私には見えないインクで書いている時は、ほとんどその場で開発した魔導陣だったはずだよ」

「…正解」


 イコは、誤魔化しきれずに苦笑するしかなかった。長年生活を共にしてきたアデルに対しては、些細な隠し事さえも許されないらしい。昔から、隠れて開発した魔導が見つかっては、それに関して説明を求められた。その時間を開発に使いたかったイコは、次第にアデルへの説明を避けるために、その場で開発できるような簡単な魔導には、特殊インクを用いなくなっていった。


「で、通常なら座標指定されているはずの防御魔導が、どうしてその場から動いたのか教えてくれるよね?」


 前のめりに、どこを辿るとも解らない視線がイコに向けられた。


「バルのFBは、立体魔導駆動陣を操作することによって、可変的な動きを可能にしているだろ?パッと見それが解ったけど…非効率的だなと思ったんだ。もっと直感的に動かせた方が良いなと思って、視線と座標指定を連動させた。そうすれば、あえて複雑な立体駆動魔導陣を用いなくても、術式容量は平面魔導陣で完結する」


 首を左右に振ると、アデルはため息をついた。


「…愕然としている自分がいる。イコは天才過ぎるな。時代を置き去りにしかねない」

「ふ、深すぎるな。流石深淵をさすらう者」


 アデルとスタークは、もはや呆れてしまっていた。


「そうか?今回のFBも、用途によりけりだと思うがな。俺は、より戦闘向きに改造しただけだ。バルのFBは、壁の向こう側から操作できるかもしれんが、俺のは視線に連動しているから、壁の向こう側では無力だ。あくまでも改良ではないと思う」

「妹弟子を立てるところも素晴らしいじゃないか」


 何に満足したのか、アデルは微笑んでいた。それから茶を口に含むと、少しずつ飲み込んでいく。家具や食器には特殊インクが塗られており、不自由なく扱うことができる。そうして立ち上がると、アデルは見えない視界の中から、魔素を辿って一枚の紙と一冊の本を手に取って机に戻ってきた。…あぁ、バルへの返信か、とイコは思った。


「触れる度に思うが、やはり魔導は素晴らしい。同時に、近年の魔導を緊縛するかのような政府のやり方は好かないよ。もっと魔導は自由であるべきなんだ。資本主義思想のもとで、魔導が堕落していく様を見ているのは辛いよ」


 進んでいく筆は、彼の魔導に対する誠実さを表しているのに、口から溢れるのは不満ばかり。イコは、そんなアデルに対して責任を感じていた。アデルの下へ通わなくなった理由も、そうした小さな確執がアデルとの関係を穢すからだった。


「全ての人間が、平等に魔導を扱えるべきなんだ。今の法律では弱者を救えない。道の隅で飢餓に苦しむ子供は、増えるばかりだ」


 しかし、この思想に関しては、イコにも思うところがあった。飢餓増加の原因は、法律ではない。むしろ、前時代的な貨幣の動きでは、一個人が多くの資産を所持することが多く、それが飢餓を増やしていた。企業が資産を持つようになり、飢餓を減少させる為の取り組みも数多く発起されている。国家全体が豊かになったために肥大化していく人口に、法律や制度がついてこれなくなっているのだ。人口の増加と経済の好転は連動しており、どちらも否定することはできない。増大していく人口を、どのように魔導によって解決するのだろうか。魔導は万能ではなく、神の御業でもないのだ。増大していく人口に立ち向かうには、更なる制度と経済規模の拡大が必要不可欠である。つまり、企業の発展が飢餓を消す近道になるはずなのだ。イコの不合格から、アデルは前時代的な思想に取り付かれてしまっている。


「これを渡しておくよ。これは、最新の魔導に関する学術書だ。私の著書ではないが、古い知り合いに帯を頼まれてね。イコも読んでおくといいよ」

「…あぁ、ありがとう」


 タイトルには「魔導新章」と書かれていた。少なくとも、イコは知らない著者だった。


「それと、これをバルに」


 その場でFBの評価を書き終え、それをイコに託した。ペンの背で机を三回たたくと、バルは笑顔を取り戻す。思考をリセットするルーティーンを設けているようだった。


「悪いが、この後予定があるんだ。また今度ゆっくりと話そう」

「了解、父さん。…無理しないようにな」

「…もちろんさ。全ては可能だよ、魔導があればね」


 どことなくぎこちのない、素人が描いた婦人画のような笑顔で、アデルはイコとスタークを送り出した。彼の瞳に宿る黒い光は、イコの脳裏に焼き付いていた。

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