全員アホだろ




 同じスペシャル・セツルメントの、べつの場所で。


「あーあ、なんだよ、この恰好。かったるいったらありゃしないな」


 エイテ傭兵団の部下、カリヨン・チラーの愚痴を聞き流しながら、ベレンスキー・レクトは黙ってナイフを研いでいた。

 ほとんどの傭兵はナイフを装備しているが、砥ぎ石まで携行している者は少ないはずだ。

 だが、ベレンスキーはそうしている。いつだってそうしている。暇さえあれば、まるでナイフそのものを消そうとでもしているかのように刃を擦りつけている。

 なぜなら、ベレンスキーは、自分には凶器のかかわる生き方しかできないと知っているからだ。

 そして、いつかはこれによって死ぬということも。


「今回の仕事は大外れだな。みたかよ、あのニーガルタスとかいう雇い主の間抜けな顔! あのお屋敷での独演なんて笑っちゃったな。あんな恥ずかしいことよく言えたもんだよ」

「黙んなよ、カリヨン。あんま雇い主の悪口ばっか言うのはよくないよ。ねえ、親分」


 カリヨンの実姉、ネーデル・チラーがこちらの様子を窺いながら言った。


「べつにかまわない。雇い主がいないときは、雇い主の文句を言っても問題はない。なぜなら、雇い主が聞いていないからだ」

「だってよ、姉貴」


 にやにや顔を浮かべるカリヨンに対して、ネーデルは不満げな表情になった。


「なにさ、あたしは間違ったことは言っていないよ! そういうのはプロっぽくなくて好きじゃないね、あたしは」

「姉貴の好き嫌いなんかどうでもいいんだよ。だいたい、そのプロっぽさっていうのも、べつに興味ないな。おれはそんなものはどうでもいい。ただスリルがあればそれでいいさ」

「バカだねあんたは。そのスリルを長く味わうためにも、ちゃんとプロでないといけないんだよ。親分をみなよ、ちゃんとしているから長くやっていけているんじゃないか」


 ふたりはそのまま、ぎゃあぎゃあと言い合いを続けた。

 勤務態度などなんでもいいが、とベレンスキーは思う。それでも、仕事ちゅうは可能なら静かにしてもらいたいものだ。

 姉弟はそれぞれ、自分たちのマスクをはずしていた。理由は、着替えているからだった。いつものアーミースーツから、窮屈なフォーマルスーツ姿へ。着慣れていないせいもあるが、ふたりともまったく似合ってはいなかった。

 だが、べつに正装が似合っていなくても構わない。最後にやることをやりさえすれば、それで構わない。

 実際、この〝二枚刃〟と称される姉弟は、最後にはやるべきことをやる。

 本質は俺とかわらない、とベレンスキーは思う。骨の髄まで暴力世界に囚われてしまっている。そして、そこから抜け出そうという意志がない。


「個人的な意見を言うなら」とベレンスキーは言った。「俺は、ニーガルタス・アルヘンはクライアントとして気に入っている」


 姉弟はぴたりと言い合いをやめた。そっくりのそばかす面を、揃ってベレンスキーに向ける。


「い、意外だね。親分が雇い主を褒めるなんて」

「そうでもない。今までも好感を抱く顧客はいたが、わざわざ口にしなかっただけだ。理由は、言っても言わなくてもかわらないからだ」


 すべてのナイフを研ぎ終えると、ベレンスキーは立ち上がった。

 明るい事務所のなか。

 かれらの周囲には、計十四人の死体が転がっている。

 SSにおけるヘクトル・メーンの私兵たちだ。砂塵戦闘が起きた関係上、室内の空中砂塵濃度はわずかに上昇していたが、エイテ傭兵団の面々は軽度の砂塵は気にしていなかった。


「あの男は、自分の性質をよくわかっている。どれだけ下卑た欲望であったとしても、それが自己であることを認め、真正面から向き合っている。それは、俺と似ている性質だ。そしてなによりも、お前たちとも似た性質だ」


 カリヨンとネーデルは、それぞれに怪訝そうな表情を浮かべた。

 それでもいい、とベレンスキーは思う。抽象的な会話になるとさっぱりわからなくなるのは、暴力社会に根差す人間の持つ標準的な脳みそだ。

 最低でも荒事に有用であるなら、それでまったくかまわない。


「俺もお前たちも、ハナから終わっている。血と興奮だけを求めて、こんな無駄をやっている。まったく、根からの破滅主義者だ」

「それ、褒めてんのか? 親分」

「ああ、褒めている」


 本心だった。プロの傭兵としてはともかく、みずからに誠実な人間としては一流のつもりだった。


「へへ、ならいいや」


 カリヨンは子どものように笑った。実際、かれはまだ成人したばかりだった。

 ふたりの準備が済んだとみえると、ベレンスキーは仮面を被った。ひどいやけどに爛れた皮膚が、奪い取ったメーン一派のファミリーマスクの下に隠れる。

 さかのぼること九年前、とある粛清官に焼かれた痕だ。

 ベレンスキーは、黒晶器官に宿る力は完全に先天的なものではないと信じている。たとえ科学的には否定されているとしても、砂塵能力というものは獲得形質的に変異するものであると信じている。

 ほんとうの意味では、非砂塵能力者など存在しないのだと信じている。


 あの時代、ベレンスキーは能力を持たない一介の兵士にすぎなかった。身体を焼かれ、地獄のような苦しみを味わったあとで、この異質な砂塵能力に目覚めたのだ。

 焼死体の海のなかで、盛る劫火のなかで、ベレンスキーは生まれ直したのだ。

 だが、大半の物事がそうであるように、再誕には代償が必要なようだった。その証拠に、ベレンスキーは燃える胎のなかに大切なものを置いてきた。

 それはおおよそ、ベレンスキーにとってのすべてといってよかった。


 だから、今のかれには、なにも残されてはいなかった。


「行くぞ」ベレンスキーが先導して、部屋を出て行く。

 エイテ傭兵団の面々が、次なる工程へと移行する。

 もう、今回の仕事も終わりが近かった。

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