偉大都市レベルの戦闘ってわけだ




 生き急いでいる、と称される仕事ぶりであることを、ベレンスキーたちは知っていた。

 殺人代行、抗争加担、工作要員……そうした血腥い仕事をする人間たちの多くは、最適な機を見計らうといっては二の足を踏む。だが、かれらは無駄な緩急を好いてはいなかった。

 いざ動くべきフェーズになると、だれよりも素早く行動して終わらせる。


 それは、この日このときもかわらなかった。ホテル・ライズアサクラの正面ドアから、三人はロビーへと入った。レセプションへ向かい、マスクと同じく、奪い取ったばかりのメーン一派の身分証明をみせる。素顔をみせろ、と言われた際の対処法はとくに考えていなかった。

 しかし、問題がないことはわかっていた。ヘクトル・メーンは、大切な都市外の客を迎えるときは、いつもこのホテルを利用していたという。そしてかれの手先は、ちょうど今ベレンスキーたちがマスクを被っているSSの有名な賭場の所属だ。

 もしこれがルーチンワークだったのだとしたら、顔パスならぬマスクパスの状況のはずだ。

 コンシェルジュが笑顔で告げた。


「シュエインさまはいつもの客室にご案内済みですわ」

「最上階のスイートだな?」

「ええ」


 ベレンスキーは返事もせずにエレベーターへと向かった。


「ひゅう」エレベーターのなかで、カリヨンが下手な口笛を吹いた。「こんな都市外の居留地だってのに、豪勢なホテルだなぁ。おれも泊まりてぇよ」

「無駄口はよしなって、カリヨン」

「べつにいいだろ。それより親分、どうしておれたちがわざわざ迎えに行かなきゃならねぇんだ? 電話でもして向こうにこさせりゃよかったじゃないか」

「必要なことだ。この街に不慣れなターゲットと、かならず合流する必要がある。それになにより、ヘクトル・メーンは直接使いをよこすと向こうに連絡していたという。土壇場で約束を違えて、連中に不信感を抱かせるわけにはいかない」


 ヘクトル・メーンの殺害を中央連盟がどうみるか、ベレンスキーには判然としなかった。

 ヘクトルは、自分の表稼業と裏稼業を厳密にわけている。

 そして、こうした接待は裏のおこないだ。連中にヘクトルの死の真相を追いかける強い動機がなければ、なかなかここまではたどり着けないだろうというのが雇い主の推測であり、ベレンスキーもまた、おおむねその見方には同意していた。

 エレベーターが到着した。

 ロイヤルと冠されるスイートは一室しかないようだった。ベレンスキーは、迷いなく目的地へと向かった。


 計画はシンプルだった。

 これから、ターゲットであるアーノルド・シュエインをべつの場所に案内する。

 問題は、当然かれが連れてきたであろう護衛たちだった。かれらをどうするかは、ベレンスキーの判断に任されていた。

 どこかのタイミングで、護衛たちは始末しなければならない。だが、この場所で荒事を起こすのはまずかった。アーノルド・シュエインにはなんの問題も起きずに偉大都市の移住に成功したことにしなくてはならなかったからだ。

 角部屋の扉の前に立つと、ベレンスキーはベルを鳴らした。


「ミスター・Mの使いの者です。シュエイン氏を迎えにきました」


 すぐの返事はなかった。しばらくして、ようやく声が返ってきた。


「使いの者?」

「ええ、そのようにお話がいっていたと思いますが」


 奇妙な沈黙が流れた。ベレンスキーは左右の部下に目線を配るも、ふたりとも首をわずかに傾げるばかりだった。

 ようやく扉が開かれた。

 出迎えたのは、鷹のペイントがされたマスクの男だった。その服装は、あきらかに荒野を往くキャラバンの人間然としていた。これがアーノルド・シュエインの連れてきた護衛キャラバンの人間に違いない、とベレンスキーは考えた。


「このたびは長旅、ご苦労さまでした。シュエインさまはどちらに――」


 入室と同時、ベレンスキーは違和感に気がついた。

 少量の砂塵が流れている。そして左右には、銃を構えた男たちがいる。


「下手な芝居はやめろ」と、隊長格の男が言った。

「……これは、どういったご了見で」


 両腕をあげながら、ベレンスキーはたずねた。


「要人護衛の職人を甘くみるなよ」と相手は答えた。「こちらには、嘘を見抜く砂塵能力者がいる。お前の発言には、たしかな矛盾があった。それになにより、マスクをつけたまま出迎えに来るような無礼な使者は、この都市にはなかなかいないだろう」

(……なるほど)


 これはたしかに、油断していたようだ。過酷な都市外で生き延びてきたアーノルドには、どうやら護衛を選ぶ審美眼があったらしい。

 さてどうしたものか――マスクの下で無表情を保ちながら、ベレンスキーは方策を考える。


「そのままの姿勢でいろ、インジェクターを解除する。まずは事情を話してもらおうか」

「とんだ勘違いですよ。わたしどもは敵対者などではありません。警戒心が強いのはご立派ですが、どうかその銃を……」


 嘯きながら、ベレンスキーは徐々に手の位置を下げていった。

 わずかな隙をみて、インジェクターを起動する。


「――貴様!」ベレンスキーの砂塵粒子が密度をあげる前に、すぐさま敵の銃口が火を噴いた。弾丸が身体に埋まり、ベレンスキーが倒れる。

 すぐさま、かれらは残ったふたりの男女に銃口を向けた。


「ありゃりゃ、しょうがないね」


 姉弟の姉のほう――ネーデルが、芝色の砂塵粒子を放出した。密度がまだ高まりきっていない、薄い砂塵が敵のほうに流れると、その銃口を覆った。


「なッ……!」


 三人の相手がおどろいたのは、それぞれの銃口をジェル状のものが塞いでいたからだった。


「正体がバレんのはいいけど、あんまりここでうるさくされたら困るんだよね」


 相手の発砲を防ぐと、ネーデルはさらなる粒子を放出した。新たなジェルが敵のマスクを覆い、呼吸口をまるごと塞いだ。


「ひゃははっ、なんだ、おもしろくなってきたじゃん!」


 使い物にならなくなった銃を捨て、サーベルを抜いた相手に、カリヨンが迫った。

 その身体からは姉と同じ芝色の粒子が、そして掌からは、正体のわからぬ白い得物が伸びていた。

 強烈なサーベルのひと振りが、カリヨンの白い得物を叩き斬った。間髪入れずに、返しの刃がカリヨンを襲う。

 だが、カリヨンが斬られることはなかった。斬られたはずの白い得物が、なぜだか先ほどよりもずっと伸びて、先に相手の首に突き刺さっていたからだ。


「カリヨン、無駄な流血は避ける!」とネーデルが叱責した。

「おっと、そうだった――」


 カリヨンは相手のサーベルを奪い取ると、それで自分の得物を叩き斬った。


「そんなら、こうだな!」


 敵の首を掻き切るのではなく、刺さったままにした白い得物を、ぐいと力任せに捻った。

 奇妙な方向に首が曲がり、ごふっ、と相手がマスクのなかで血を吐いた。

 絶命する間際に、相手はようやく、カリヨンの白い得物の正体がわかったようだった。

 骨だ。

 一本の太い骨が、皮膚を貫いてカリヨンの掌から伸びていた。

 ネーデルのジェルによって視界を奪われていた相手が、マスクを取り払った。だが、まともに応戦する暇は与えられなかった。ネーデルは相手の身体に蛇のように絡みつくと、太い褐色の脚を思いきりねじり、首の骨を折ってソファに叩きつけた。


「やるね、姉貴」

 と、残りのひとりを始末したカリヨンが言う。

「だから、無駄口を叩くなって言っているだろ」


〝二枚刃〟の姉弟。

 粘膜ジェルの砂塵能力者ネーデルと、ボーンの砂塵能力者カリヨンが、即座の惨殺を終えて、唯一生き残った隊長格に目をやった。


「――動くな」


 みるからに動揺しながら、それでいて相手は強気に言った。

 かれは、まだ息のあるベレンスキーを人質にしていた。その胸元にコンバットナイフを突きつけて、こちらへ来るなと主張している。


「こいつが、お前らの首領なのだろう。取引だ――ミスター・シュエインの身柄は渡す。そのかわりに、そこの道をあけろ」


 彼の発言に、エイテ傭兵団のふたりは、声をあげて笑い出した。

「あはははは」

「ばかだな、こいつ」


「な、なんだ、こいつら」相手はうろたえながらも、怒りをあらわにした。「冗談だとでも思っているのか? 俺はやれるぞ」


 ベレンスキーの胸元に、ナイフをわずか埋める。スーツに血が滲んでいくさまをみせつけても、姉弟は笑いをとめなかった。

 突如、「そんなものか」と声がした。

 言ったのは、ベレンスキーだった。

 合計で四発の弾をその身に食らっていながら、ベレンスキーは相手がナイフを持つ手に、その手を重ねた。


「そんなものでは、俺はなにも感じない。もっとだ。もっと、ためしてみろ」


 ぐぐぐ、とベレンスキーはみずからの身体に刃をうずめた。皮膚と繊維が裂けていき、みるみるうちにナイフが呑まれていく。


「どういうことだ。な、なぜ平気でいられる……」

「俺だけではないぞ。お前もためしてみろ」


 ベレンスキーはナイフを抜き取ると、すばやく刃の方向をかえた。相手が反応するよりもさきに、やや肥えた腹部へと刃を埋めこむ。


「――‼」マスク越しに衝撃が伝わった。

 が、相手のおどろきは、刺されたことそれ自体ではなかった。

 刺されたにもかかわらず、悲鳴はおろか、苦悶の声を出すことさえなかった。


「な、なぜだ。なぜ、なんともない……」

「なんともない、わけではない。身体には危険が迫っている。だが、少なくとも痛みはない。なぜなら、今この空間には、ありとあらゆる痛みが存在しないのだからな」


 周囲には、ベレンスキーの放つ白色の砂塵粒子が漂っていた。ざわざわと擦れあい、薄く引き伸ばされて室内を満たしている。


「――痛覚の砂塵能力。それが俺の力だ」そう、ベレンスキーは明かした。「俺は、ありとあらゆる痛みを自在に操ることができる。だがそれでいて、俺の無痛症は能力とは無関係だ。この身が焼かれたときから、なにをしようとも、俺の感覚は動かない。この感情さえもな」


 異様な口調で語るベレンスキーに、相手は脅威を覚えたようだった。


「待て。さっきも言っただろう、シュエインの身柄は渡す。かれの財産が欲しいなら、奪い取るための協力もしよう。だから――」


「悪いが、お前の頼みを聞いてやることはできない。アーノルド・シュエインを知る者は生かしておくなというのが、クライアントの頼みだからだ。それよりも」


 ベレンスキーが相手のマスクを剥ぎ取った。汗にまみれた相手の顔を拝むと、ベレンスキーはみずからの手の甲を差し出し、相手の口に滑りこませた。


「それよりも、お前、俺にみせてくれないか。俺には感じることのできない、本物の苦痛というものを」


 次の瞬間、ベレンスキーはその砂塵能力の真価を発揮した。

 無痛の逆。

 まともな人間には耐えかねる激甚な痛みを、砂塵粒子を通じて相手に与えた。


 瞠目した相手が、大口を開けた。悲鳴が漏れないように、ベレンスキーは手の甲をさらに押しこむ。すると今度は、すさまじい勢いで歯が閉じられた。


「ンーーーーーーーーーー、ンンンヌゥーーーーーーーーッッッッ」


 声にならない絶叫が、長く続いた。

 その姿を、ベレンスキーは間近でじっと、眺めていた。まるでそうすれば、相手の痛みが自分に伝わるとでも信じているかのように。

 しばらくすると、きゅうに沈黙がおとずれた。

 激痛にともなう心因性のショックが、かれの生体機能を停めていた。

 ヘクトル・メーンのときと同じ殺害方法だ。

 ベレンスキーが手の甲を抜き取ると、そこにはおぞましい歯型がついていた。言葉通りの死ぬほどの痛みを与えられて、肉に歯を残すほど噛み抜いていたのだった。

 その傷を、かれは無感動に眺めた。もちろん、なにも感じるものはなかった。


「うっへぇ、あいかわらずえげつねー……」


 壮絶な死に際をまのあたりにして、カリヨンが渇いた笑いを漏らした。弟がなにかを言うたびにつっかかる姉も、このときばかりは汗をひと筋垂らすのみだった。

 ベレンスキーはこと切れた身体を捨てるように放ると、あらためて室内をみた。


「部屋を汚すのは不本意だったな。はじめの銃声もだ。うまくごまかす必要がある」

「まあ、それはどうとでもなると思いますけど」とネーデルが答えた。「それより、親分、さすがにけっこう傷が深いんじゃ」

「安心しろ、防弾着に受けている。この胸の傷も、増血剤を打ちさえすれば問題はない」

「親分、まだインジェクター切らないでくださいよ」


 カリヨンが掌をみせながら言った。徐々に骨が縮んでいく最中だった。


「これ、まだ戻りきっていないんで。親分の能力がないと痛くてかなわねえんだ」

「ああ、このままにしておこう」


 それよりも、ベレンスキーにはまずたしかめるべきことがあった。

 この先の部屋。さきほどから物音が聞こえる空間へ、歩を進める。ベレンスキーはドアノブに触れた。さいわい、内鍵はなかった。ただでさえこの場を正常に戻さなくてはならないのに、扉まで破壊はしたくなかった。

 扉を開けると、豪勢なベッドルームの向こう側、二重窓のバルコニーに背を張りつけている男がいた。よほど焦っているのか、ドレスマスクさえ装着していなかった。

 その手には護身用の拳銃が握ってある。いちおうこちらに照準しているが、銃口は数センチ単位でがたがたと震え倒していた。


「ひっ」とアーノルド・シュエインがあからさまに怯えた。「だ、だれだ、おまえらは。なぜ俺を……ボ、ボークレーのやつは……」

「しー……静かにしろ」


 ベレンスキーはゆっくりと近づいた。震える指先が今にもトリガーを引きそうだったが、それでも歩みは止めなかった。この相手が撃てないことはわかっていたし、かりに撃たれたとして、弾が明後日の方向に飛んでいくことがあきらかだったからだ。


「あッ……や、やめろっ……」


 銃口を掴むと、ベレンスキーはもういちど、静かにしろと告げた。相手の震えをおさめてやろうと、その肩に手を乗せる。


「怯えるな。よく深呼吸をしろ……感情や感覚など、幻視のようなものなのだから」


 そのとき、ベレンスキーは自分が笑っていることに気がついた。感情に大きく揺れ動く者をみるとき、ベレンスキーは自然と口角をあげてしまうのだった。

 ベレンスキーは、それがなによりもふしぎだった。嬉しいと思えないのに、俺はなぜ笑うのか。


「お、俺をどうするつもりだ」

「ああ、お前には聞こえなかったか。言っただろう、迎えに来たと。……安心しろ、おとなしくついてくれば殺しはしないと約束する」


 アーノルドの瞳に、わずかに希望の光が宿った。


「ほ、ほんとうか?」

「ああ、ほんとうだ。だから暴れないでくれ。なぜなら、暴れたら約束が嘘になるかもしれないからだ」


 もちろん、その発言は嘘だった。

 しかし、ベレンスキーにはもう、同情心を感じ取る心さえもなかった。

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