今でもあんまり好きじゃねぇ
SSのメインストリートで、エノチカ・フラベルは焦燥感を抱いていた。
推測が確定にかわるまでの時間が、ただもどかしかった。
仮の相棒を待ちながら、いてもたってもいられず、道の端っこで素振りをする。近くを通る人々が、いったいなんの動作かと不審そうにマスク越しの視線をくれるが、エノチカは気にしなかった。
(一八二、一八三……)
念仏でも唱えるかのように、素振りの回数をかぞえる。
そうしている最中だった。
「ひとさまの趣味にとやかく言うつもりはありませんけど」
と、呆れ声で話しかけられた。
「そういうのは、時と場所を選んだほうがよろしいのではなくて? もしも一般人に当たってけがをさせたら不祥事もいいところですわよ」
みると、キャナリアが折り畳み式のベルズをしまっているところだった。
「まちがってもあてねーよ」とエノチカは答えた。「スイングにかんすることじゃ、アタシはぜったいにまちがえない。自信があるんだ、これだけは」
「それ、なにかのスポーツで使うものですわよね」
「なんだ、知ってんのかよ。ベースボール」
「知っているというほどではありませんわ。ただ、なにかでみた覚えがあるだけですわよ。そういう名前でしたのね、あの競技。いちどに弾をたくさん打てるとよいのでしたっけ」
エノチカは詳しく解説してやりたくなった。が、そんな場合ではなかった。
「どうだった?」とエノチカは端的にたずねる。「管理局からは、アタシが見込んだ返事があったか」
ヘクトル・メーンの私邸を出たあと、エノチカたちがいちばんはじめにやったことは、中央連盟の都市管理局にとある情報の照会を頼むことだった。
管理局とは、おもに偉大都市の市民情報を管理する部署だ。市民の出生や死亡届の受理や、市民権の発行、登記情報などを管理しており、都市外からの移住申請も受け付けている。
ちょうどSSに着いたタイミングで、管理局から折り返しの連絡があったのを、キャナリアが受けたのだった。
「ええ、ビンゴでしたわよ。あなたの言ったとおり、本日付けで移住申請がきている四四三人のなかに、事前に書類の届け出があったうえで、偉大都市の上流階級に属せると見込める人間が五名」
キャナリアがメモ書きを渡してきた。エノチカはひったくるようにして受け取ると(キャナリアが「失礼ですわね!」と怒った)、筆記体で書かれた情報を読んだ。
複数人のプロフィールが簡略的に記されていた。
そのうちの一名には、印がつけてある。
「そのうえで、ニーガルタス・アルヘンと年齢や風体が近しかったのは、ひとりだけ。そのアーノルド・シュエインという、新都レギオンからの移住者だけですわ」
「そいつの砂塵能力は?」
「それがなんと、非砂塵能力者だそうですわよ」
「……それって、やっぱりめずらしい話なんだよな」
「きっとそうなのではなくて? なんの能力も持たずに財を成すなんて、よほど頭の使い方がうまくなければむずかしいですわ。きっとたいした種銭もお持ちでなかったでしょうに」
だとすれば、とエノチカは考える。このアーノルドという男は、ニーガルタスからすれば千載一遇のチャンスだ。
「ニーガルタスは、自分の求める条件に合致する人間があらわれるのを待っていたんだ。そして今回、ようやく待ちに待ったときがきた。あとはもう、ヘクトルを殺して連盟や界隈から追われることになろうとも関係ねぇってわけだ」
「とすると、あたくしたちの仕事の事情にも障りますわね。あたくしたちが早期解決しなければ、犠牲者が出ることが確定しますもの」
エノチカはうなずいた。自分の推測が正しければ、アーノルドやかれの仲間の命が危険だ。
「しかし、問題は肝心のアーノルドの場所だな……」ぽりぽりと首筋を掻いて、エノチカは言った。「SSといっても広いが、まあ、捜索する場所の候補は限られるか」
「そうですわね。もしヘクトル・メーンが上客としてアーノルド・シュエインを迎えるつもりだったのなら、それなりの宿を取るはずですもの」
「そういうときはどこがいいんだ? キャナリア。ここめちゃくちゃあるだろ、宿泊施設は」
「そんなの、決まっていますでしょう」
キャナリアが先導して歩き出した。
「〝
すでに日が傾きかけていた。
人通りのわずかに目減りしたメインストリートを、ふたりは足早に進んだ。
ホテル・ライズアサクラは、みるからに金のかかった作りをしていた。
鏡を張ったような表面のデザインは、陽が出ているときはきれいに全面で反射をする作りになっているようだったが、今はもう、雲の出てきた空を映しだしているだけだった。
「あら、そういえばあなた、これをつけていませんのね」
キャナリアが自分の胸元に光る緑色のエムブレムを指した。中央連盟のロゴが描かれたブローチのようなそれは、この都市でもっとも畏れられる身分証明、粛清官位を示すものだ。
「ああ、そういや忘れていたなぁ」
「あなたもおつけなさいな、そのほうがスムーズだから。でも、なくしてはいけませんわよ。昔、せっかく粛清案件を完遂したのに、この徽章をなくしたせいで合格を取り消された候補生がいたそうですわよ」
「ん? あれ、どこやったっけなぁ」
「ちょっと、冗談ですわよね⁉」
もちろん冗談だった。ごそごそとポケットを漁っていたエノチカはエムブレムを取り出すと、掌のうえでしばらくみつめた。
これを欲しがる人間が、ごまんといる。それは知っているが、それほどまでに価値のあるものには思えなかった。
この期に及んでも、エノチカには粛清官になりたいという欲求はほとんどなかった。
スラム生まれのエノチカは、中央街の人間に対する根からの不信感があった。同期の候補生たちにも、エノチカは内心で冷めたものを感じていた。自分とは根本から違う生き物であるように感じてならなかった。
だが、今はもう自分もそちら側に片足を突っ込んでいる。つけようとしないのは、子どもの駄々のようなものだともわかっていた。
「ユニフォームにゃ合わないだろうけど、まぁ、つけるだけつけるか」
おとなしくエムブレムを装着すると、エノチカは真正面からホテルに入った。
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