……ずっと振ってたな




 休みの日だろうが、そうでなかろうが、かならずバットを振った。

 素振りの回数は二五〇と決めていた。

 自分で決めた数字ではなかった。祖母のアナスタシアが、そうしていたからだ。


「なんだい、エノチカ。素振りなんかして、なんの意味があるのかって?」


 まだかのじょが生きていたころ――エノチカが十に満たない子どもだったころに、祖母にそんな質問をした。祖母はこう答えた。


「あんまりないね。というのも、よく球を飛ばしたいなら、ちゃんとした専用のトレーニングがあるんだよ。素振りも大事だけどね、こればっかりやっているんでもしかたないんだ」

「じゃあどうしてやってるんだよ、ばあちゃん」


 スタジアムの隅っこ。試合をやっておらず、だれも入っていない客席に向けて素振りを続けながら、アナスタシアは答えた。


「祈りだね」

「え、なに?」

「祈りだよ。砂塵ダスト教の連中が、砂塵粒子をみたら祈るのと同じだ。あたしはバットを振りながら、ベースボールに祈っているんだよ」


 ブン、ブン! とアナスタシアは軽快にバットを振り続けた。その背中。老婆とは思えない、筋肉質で大きな背中。ユニフォームの4。

 チームメンバーのあかしとしてのマスク。それらを眺めながら、エノチカは首を傾げた。

 祈り。祈り?


「ああ、こんなにおもしろいスポーツだってのに、どうしてこう集客が悪いのかね。みんな、どうして機械のレースだの、残忍な殴り合いの観戦だののほうが好きだってのかね! ベースボールよりも熱狂するスポーツは、ほかにないってのに!」


 なんだ、とエノチカは思った。つまり、いつもの話か。

 この偉大都市にも、スポーツ興行はある。

 いや、あるいは偉大都市だからこそ、そうした興行は盛況といえた。文化に土着するかたちで発展した昔ながらの賭博スポーツも、都市の大企業が先導して作り上げた、理知的でルール支配的なスポーツも、そのどちらも人気だ。

 前者の有名どころでいえば、いちばんは十六番街の<賭博サーキット>だ。祖母は、自分の出身地区にあるにもかかわらず、その場所を嫌っていた。

 日夜死者の出る危険なレーススポーツ。ほかにも砂塵能力を使ったボクシング観戦や、人間と砂塵共生生物を戦わせるコロシアムなど、中央連盟もおいそれとは手を出せない違法スポーツが常態化しているのだという。


 一方、後者はずっと清潔だ。こちらは旧文明時代に考案されたスポーツに着想を得て、一部ルールを変えつつも、おおよそそのままのかたちで執り行われている。砂塵能力は使用ありの場合となしの場合があり、意外にも、能力を使わない純粋な競技にも一定の人気があった。

 もちろん、そのなかでも人気になったものと、そうではないものがあった。

 そしてエノチカの祖母が大好きだったベースボールは、人気がないほうだった。

 そのベースボールをおこなうためのスタジアムを、この十六番街のはずれに作ったのが、まさしくエノチカの祖母であるアナスタシアだった。


 エノチカが聞くところによると、祖母はずっと前に、とあるジャンクショップでベースボールのルールブックを発見したそうだ。必要なのは、合計で最低十八人のプレイヤー。使用する道具は、基本的にはボールと木の棒、それとグローブとのことで、アナスタシアは自分の経営していた零細の建設業社の社員たちを集合させて、チームを作らせた。

 物は試しにとプレイしてみて以来、かのじょはすっかりこのかわったスポーツに魅了されてしまったのだという。従業員たちもこのスポーツのおもしろさに気づいて、肉体労働の合間や、たまの休日には、みなで集まってベースボールに興じるのが日常となった。

 アナスタシアとその従業員たちは、多くの企業の下請けとして使い倒されながら、口に糊するのも大変だというのに、少額ずつの貯金をやめなかった。

 かのじょたちには夢があったからだ。いつか、かならずスタジアムを作るという夢が。


 そしてエノチカが生まれたときには、その夢はかなっていた。

 かかった年数は、なんと二十年だという。

 そのすごさにエノチカが気づいたのは、物心がついてずっと経ってからだった。ほうぼうに借金をしたかもしれないが、じゅうぶんな広さの空き地をどうにか購入して、多少お粗末かもしれなくとも、客席のある球場を自分たちで建てるというのは、並大抵の努力ではできない。

 それを可能にさせるくらい、ベースボールというスポーツは魅力的のようだった。


 アナスタシアの次なる夢は、このスポーツを偉大都市でいちばん人気の興行にすることだった。が、そこからはあまり物事はうまく進まなかった。アナスタシアたちは週末には決まって試合を開催し、どうにかして同業者たちにもチームを作らせ、なんとか広告を打ち、チケットを売り始めたが、客足はけして芳しいとはいえなかった。

 ぎりぎりで赤字にはならないくらいの自転車操業が、ここでもはじまった。それでもアナスタシアは笑みを絶やさなかった。素振りの練習もやめなかった。

 いつかこのスタジアムを満員にするという夢が、かのじょを衝き動かしていたからだった。


「まあ、ほんとうにいいもんが浸透するのには時間がかかるってことかね。こうなってくると、あとはもう天に祈るのみさ!」


 ブン、とバットを振り抜いて、アナスタシアは言った。


「それよりも、エノチカ! んなとこでみてないで、あんたもあたしのとなりで振りな」

「えぇ……いやだよぅ、ばあちゃん。それやると背中とか腕とか痛くなるんだもん」

「それでいいんだよ。心も身体も、痛みとともに成長していくもんなんだから。それにあたしの見立てでは、あんたは光るもんを持っているよ。きっと最高のバッターになる。このあたしを超えるような、一流の打者にね」


 ほらほら急ぎな、と催促されて、エノチカは自分の丈にあったサイズのバットを構えた。試合のない日のスタジアムのはずれ、だれもいない球場で、祖母とバットを振った。

 正直なことを言うなら、このときのエノチカにはまだ、ベースボールの魅力というものがよくわかっていなかった。祖母たちの試合の応援に行っても、おとなたちがどうしてそんなにも興奮しているのかはわからなかった。

 それでも、アナスタシアがチョコレートをかじったときにはかならずヒットを飛ばす姿は格好いいと思っていたし、なによりも、こうしていっしょに素振りをするのは楽しかった。


 いつか、ばあちゃんの夢がかなうといいな、と思っていた。


 そのスタジアムは、今はもう、ない。

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