なっげぇ話
ふたりは現場の応接セットに対面のかたちで座ると、資料を読みこんだ。
ブレインストーミング、通称ブレストは官林院における犯罪捜査の基礎学で候補生たちが教わる、情報の洗い出しの手法だ。
犯罪者にかんするあらゆるデータが追跡のための一助となるという理念に従い、見方によってはノイズまで記されていることの多い捜査資料から、粛清案件の完遂のために必要な要素をくり抜くための実践的な手段として推奨されている。
「そもそもの話だ」とエノチカは言った。「今のニーガルタスは、いったいなにが目的なんだ? まず、それが仮定できていないのが問題だ」
「定義をはっきりしてほしいですわね」とキャナリアが返す。「目的の射程は? 小目的だとすれば、それは中央連盟から逃げおおせることに決まっているでしょう?」
「だとすれば、こんな大がかりな殺しはやらねぇだろ?」
「それとこれとはべつのお話なのではなくて? 捜査の手からは逃れなければならない。そうしながらも、かれにも生活があるでしょう。ヘクトル・メーンの殺害は、ニーガルタス・アルヘンの活動のために必要なおこないだったのではなくて?」
エノチカは少し時間をもらい、思案した。
そのあいだに相手の手元をみると、キャナリアはヘクトルの稼業や人間関係、自身の活動するシマなどをまとめた項目に目を通していた。
「そんなら、質問をかえる。ニーガルタスは黒手帳に名前が載って、ぜったいに捕まりたくはない。かりにヘクトルがなにかしらのうまい儲け話を持っていたり、資金調達のための障害であったりするとして、やつを殺すか?」
「……その質問は、たとえばヘクトルがニーガルタスの窮地を知っていて、かれの情報を連盟に漏らすと脅そうとしていた、などの場合を例外として答えても?」
「ああ、例外でいい」
答えながら、エノチカはたしかにそのケースもあることに気がついた。
が、それも可能性は高くなさそうだ。そうなってくると、こんどはヘクトルのほうに旨味がない。すでに経済的な成功者であるし、連盟に追われるような犯罪者を恐喝するだけのメリットはなさそうだ。
「それなら、殺さないですわね。理由は、あなたもさっき述べたとおりですわ。割りにあわないですもの」
「だよな。ヘクトルの殺害は、やつにとってぜったいに必要なことだったんだ。中央連盟から逃れるために、必要不可欠なことだったんだ」
ここまではすでにエノチカが考えていたこととかわらなかった。
問題はこの先だ。
「キャナリア。お前がもしニーガルタスだとして、連盟の捜査の手から逃れたかったら、まずはなにをする?」
「プロファイリングですわね。いいですわ、そちらの資料を貸してもらえますこと?」
エノチカから捜査資料を受け取ると、キャナリアはニーガルタスのこれまでの動向をまとめた項目を速読した。
この工程では、キャナリアには疑似的にニーガルタスの役になってもらい、エノチカが逐次、捜査において詰まっている部分を質問することで行動を推測することを目的としている。
「……ずいぶんと、派手と贅沢が好きなかたですわね。まあ、わかりますわ。お金なんて使ってなんぼですもの。限られた一生のなかで、可能な限り楽しもうとする。俗ではありますが、修行僧なんかよりはよほど理解できますわ」
キャナリアは目を瞑って考えると、続けた。
「さきほどの質問に答えますわね。あたくしが粛清対象だとして、捜査の手から逃れるためにおこなう可能性があるのは、みっつ。ひとつは、偉大都市の外に逃れることですわ」
「順に潰していこう。まず、その線はない。やつに偉大都市を出るつもりはなかった。なぜなら、もしそうならとっくにやっていたからだ」
偉大都市は、入るのはともかく出るのは簡単だ。黒手帳に載るような犯罪者の場合、周辺にある偉大都市の最寄りのコミュニティに敷かれた関門で調査は入るが、それでもいくらでも抜け道はある。都合の悪い人間を外に逃がさせる夜逃げ屋の業者は数が多く、いくら大々的に動けないニーガルタスでも容易に依頼できていたはずだ。
「お前は、どうして偉大都市を出なかったんだ?」
「それは……この街が好きだからですわ。この大陸、いえ、きっと世界のどこを探しても偉大都市よりもすばらしい共同体はありませんもの。この街で生まれ育ったなら、よほど特殊な思想でもないかぎりは出たくありませんわ」
「ほんとうにそうか?」とエノチカはたしかめた。「捕まったら殺されるか、工獄にぶちこまれて一生出られねぇんだぜ。それでも街を出たくないってのかよ」
「……家族はいないのですものね。少なくとも、記録上は」
キャナリアは苦い顔になった。
「でしたら、こう答えますわ。かまいません、と。いえ、もちろん殺されるのはまっぴらごめんですけど、そのリスクを背負ってもいいくらいに偉大都市の生活が好きなのですもの」
こんどはエノチカが考える。
殺されるリスクがあっても、なおも偉大都市に固執する。
それはやつが骨の髄まで俗物だからか? ――そうかもしれない。
エノチカは、過去にいちどだけみたニーガルタスの姿を思い浮かべた。ぎらぎらに光る腕時計と、下品なデザインの高級そうなマスク。
そうだ、やつは贅沢の病に罹ったクソ野郎だ。
キャナリアが回答を続ける。
「手段のふたつめは、ずばり地下に潜ることですわね」
「ああ、もちろんあるよな。零番街に消える――はるか昔から、偉大都市の犯罪者がやってきた最終手段だ。だが、ニーガルタスはそれもどうやら採用していない。なぜだ?」
「答えはおなじですわ。地下に逃れても、なにも楽しくなんてありませんもの。お金もろくに稼げませんし、稼ぐにせよ、けっきょくは地上とかかわらざるを得ませんわ。そんなリスクを冒すくらいなら、はじめから地上でどうにかしていきたいですわ」
「そうだよな。これまでを踏まえるなら、アタシもそう答える」
これで、ふたつの選択肢はひとつの行動動機で消えている。
実際、ここまでは一般的な例でいってもありえることで、そこまで突飛というわけでもなかった。
勝ち組になるために犯罪に手をつけたというのに、いざ中央連盟に狙われたからというだけで、これまでの生活を捨てられない犯罪者はけして少なくない。
「最後、みっつめは? キャナリア」
「顔をかえて別人に成り代わる――これですわ」
キャナリアは自信満々に答えた。
「偉大都市から離れなくてもいいですし、うまくいけばこそこそ逃げ回る必要がなくなりますもの」
そうだ、とエノチカは思う。そのとおりだ。顔をかえる――どの時代の犯罪者もおこなってきただろう、潜伏の基本だ。
「だが、実際にはニーガルタスはそれもやっちゃいない。どうしてだ?」
難題が振りかかって、キャナリアは片方の頬をぷくりと膨らませて思案した。
「自分の顔が大好きなのですわ!」と、思いつきを言う。
「ぜったいにないわけじゃないが、少なくとも現状から読み取れる情報じゃねぇなぁ」
「……なら、資金がまだ足りていない、とか」
キャナリアは自分の言った言葉を、あとから考えて言った。
「そもそも、今のニーガルタスの資金力はどれほどのものなのかしら」
「もともとは、少なくない量を貯めこんでいやがったはずだ。ただし、黒手帳行きになった瞬間に、やつのディオスバンクの口座は凍結されている。複数の名義でリスクを分散させていたにせよ、無駄に使えるだけの金は残っていなかっただろうな」
「であれば、精度の高い塵工整形業者に依頼して、かれらに口封じのための袖の下をじゅうぶんに渡して、さらには別名義の市民権を新しく購入して、別人として生きるための生活基盤に財を投じて……という一連の出費には、二の足を踏むわけですわね」
「どうだろうな。それくらいのことができるだけの金はあったかもしれない。いや、できたと仮定しよう。だが、お前はそれもしなかった。理由は?」
微妙な問いかけになってきた、とエノチカは思う。
仮定が増えすぎたプロファイリングには、あまり信頼性がなくなる。それでも、なにかしらの答えは導くべきだった。
「……ひょっとして、これもおなじ答えかしら。つまり別人になったとしても、だからといって質素な、いうならば小市民的な生活は送りたくなかった、ということ?」
「そうだな、そう考えたほうが一貫性はある」
エノチカはうなずいた。
「一般論でいうと、犯罪人が顔をかえて生きるっていうのは、あまり安全な策とはいえない。けっきょく馬脚をあらわすケースが多いからだ。新しく市民権を購入しようと、その人間がぽっと出であらわれたやつなのかどうかは、中央連盟があとから確認しようと思えば容易にできる。なにより、砂塵能力の問題もあるしな」
「……そうですわね。姿をかえても、砂塵能力を使うのはやめられませんわ。この能力があってこそ、あたくしはこれまで贅沢ができたのですもの。この先もぜひ頼りたいですわ」
実際のところ、顔をかえることのむずかしさはそこにあるといって差し支えない。
そう、最後には砂塵能力に頼らざるをえない人間は、顔だけをかえても足がつくことが多い。中央連盟は、一般人が聞いたらおどろくほどに市民たちの砂塵能力のファイリングに力を注いでいる。ニーガルタスの場合は、能力が割れている状態でその身を追われているのだからなおのことだ。
つまり、もしニーガルタスが失踪しても、そこからしばらくして、とある市民がかれと同じ能力を使用しているという報告があった場合、もちろん捜査の手は入るわけだ。そしてひとたび目をつけられれば、白を切ることはほとんどできない。また逃げる羽目になるのがオチだ。
「第一、顔はかえられても、背格好まではかえられないことが多い。そのレベルで人間のかたちにメスを入れられる施術師は数がかぎられているし、費用も莫大になる……ここまでで仮定しているやつの思考回路からして、別人になるというのは旨味がないんだろうな」
いよいよ難問になってきた。キャナリアは待てのポーズを取ると、「待ってくださいまし。よっつめの選択肢を考えますわ」と言った。
「……あたくしは、捕まりたくない。でも、かといって偉大都市を出たくない。ただ偉大都市で生きるだけではなく、以前と同じ贅沢を楽しみたい。別人になりたい。それでも、完全な別人にはなれない。ぽっと出の人間になりかわると、連盟に正体がバレる可能性が高いから。とすると、ええと……たとえ別人になっても、連盟から疑われないことが理想ですわね。でも、そんなケースはほとんどないですわ。すでに市民権を持つ別人になりかわろうとしても、まずまちがいなく周囲に疑われてボロが出ますし……」
ぶつぶつとひとりごとを繰り返していたキャナリアは、しばらくすると大きく息を吐き出した。降参するかのように、力なく首を振る。
「だめですわね。こんなことを言うのは恥ずかしいですけど、今のあたくしにはほかの手段は思いつきませんわ。このブレストは、これで限界かもしれませんわ」
どうやらほんとうに恥ずかしいらしく、キャナリアは目をあわせようとしなかった。
エノチカがなにも言わないのを不審に思ってか、少しして顔を上げる。
そのとき、エノチカの目は虚空を向いていた。キャナリアをみるわけでなく、捜査資料を読むわけでもなく、ただひたすらに考えこんでいる。
頭のなかでは、キャナリアの言葉がこだましていた。
たとえ別人になっても、連盟から疑われない……
そんな手段があれば、ニーガルタスからしたら満点だ。いや、ニーガルタス以外の多くの隠遁者からしても理想の解決策といえる。だが、もちろん大半の人間にはそれができない。
それを受けての、今回のこの殺人。
ほかの犯罪者とニーガルタスの違い。それはヘクトル・メーンという人脈だ。
ニーガルタスは、普通に考えたら殺すべきではない人間を殺した。そしてやつは、どうにか自分の理想をかなえようとしている。
つまり、その手段をほかならぬヘクトルが持っていたということになる?
「――!」
ふいに、エノチカの脳に電流が走った。
急いで捜査資料を開いて、ヘクトルの稼業を確認する。
ニーガルタスが、かねてよりヘクトルと連絡を取り合っていたはずがない。ずっとかかわりのある従兄弟なのだったら、ヘクトル側だって警戒して出迎えたりはしない。
つまり、お互いがお互いをよく知らなかったはずだ。少なくとも、近況などはまったく。にもかかわらず、ニーガルタスがかれを利用しようとしたならば、ニーガルタスも知っていた時代のヘクトルの、その起源となる稼業がキーとなるはずだ。
投資家ヘクトルの主要な資金源はいくつかある。
そのなかでももっとも古いものを探す。
そこにみつけたワードを目にしたとき、エノチカの頭のなかに、自然とひとつの仮定が構築されていった。
これは、突飛な推理か? そうかもしれない。
だが、やつにはこれしかなかったんじゃないか?
「……キャナリア。とりま、サンキュな」顔を伏せたまま、エノチカは口にした。「いったんここまででいいわ。おかげで、ひとりよりもずっと考えはまとまった」
エノチカは立ち上がった。向かうべき場所は、みつかった。
「ど、どうしましたの。突然」
「ひとつ、これじゃないかって考えはできた。つまり、ニーガルタスの行き先がわかったかもしれねぇ」
「ほんとうですの?」とキャナリアがおどろいた。「自信のほどは?」
「ぶっちゃけそれほどでもねぇなぁ」
エノチカは正直に答えた。それでも自分の勘を信じるなら、試してみてもいいといえる仮説だった。
「どうするよ? 二手に分かれて、お前はここで鑑識を待つ、アタシはそこに向かうってんでもいいけどぉ」
キャナリアがむっとした表情になった。
「うそですわね。実際にあなたがどう思っているかはわからないですけど、そのにやけた表情は、根底では自信がある証拠ですわ」
「え、まじぃ?」
エノチカは自分の頬に触れてたしかめた。
「いいから、はやく答えてくださいまし! どこに向かって、なにをするつもりですの? あなたの秘密主義、本格的にムカムカしてきましたわ!」
「ここから遠くはねぇよ」
自分でも気持ち悪いと思う笑みを浮かべて、エノチカは答えた。
「向かうのは、六番街の真上、十四番街。あそこの、例の特別地区だ」
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