ま、でも悪くなかったかな
快晴だった。
海沿いの区画、十番街の端にある公園地帯は、まばゆいほどに太陽が輝いている。
スナダカドリのぎゃあぎゃあ騒ぐ声に混じって、カキンとボールを打つ音と、歓声が聴こえてきた。
あまりベースボールに適した環境とはいえなかった。海が近いせいで風が強く、ボールの軌道はどうしても乱れる。
意外なことに、観客は少なくなかった。
いや、むしろ多いと言ってよかった。脚立で作られた簡易的な客席は、ほとんどが埋まっていた。贔屓のチームすらあるらしく、看板を掲げて大声を出している応援客さえいた。
勝負は緊迫しているようだった。
エノチカのよく知るユニフォームを着たチームメイトは、食い入るように試合の展開をみつめている。どうやら、今は攻撃側のようだ。相手のエラーがあって、歓声があがった。
熱中するあまり、かれらはベンチに近づいてきたエノチカの姿に気づくのに遅れた。
「……エノチカ?」
いちばんはじめに気づいたのは、ユニフォームを土で汚しているレッツだった。
「よ、レッツ。言われたとおり、遊びに来てやったぜ」
ちらりとだけマスクをはずして、エノチカは挨拶した。
マスク越しだが、相手の顔に笑顔が浮かんだのが伝わってきた。
「おい、みんな! いったんストップ、タイムをもらってくれ! エノチカだ、エノチカ・フラベルが帰ってきた!」
レッツのよく通る声を聞いて、チームメンバーが集まってきた。
どれもこれも、よく知っている風体だった。おそらく背番号もレギュラーも、ほとんどかわってはいない。かつてアナスタシアがデザインしたチームロゴも、そのまま残っている。
「ほんとうにエノちゃんなのか?」
「立派に成長してまあ。身長も高いなぁ! アナさん譲りだ」
「なつかしいなぁ。元気にしていたかい? みんな、とても心配していたんだよ」
「レッツから聞いたが、まさかほんとうに来てくれるなんて! 今までどこにいたんだい」
きゅうに人混みに囲われて、エノチカは当惑した。
みなが喜んでくれているというのが、エノチカは素直に嬉しかった。それと同時に、かつて黙って去ってしまったことを申し訳なく思った。
「みんな、待て」
口々に感想を言うチームメイトを止めたのは、レッツの父親だった。長年の土木業で鍛えた大柄な身体はそのままだが、昔よりも下っ腹が出ていた。
「エノちゃん、いきなりで悪いんだが、頼まれてくれないか。エノちゃんがこのタイミングで来てくれたのは、ほんとうに助かるんだ」
「な、なんだよ」
「あれをみてくれ」
レッツの父親がスコアボードを指した。
九回裏だ。三点差で、向こうが勝っている。
「ツーアウト満塁。崖っぷちなんだ」
冗談だろ、と思う。打てたら勝ち、はずしたら負けじゃないか。
「頼む、エノチカ!」と、レッツがマスクの前で両手を合わせた。「向こうのライバル会社のチーム、俺たちと同じくらい本気でさ、猛特訓して仕上げてきやがったんだよ! あの投手のストレート、能力でも使ってんのかってくらい速くてさ。頼みの親父にも打順がまわってこねーし、絶体絶命なんだよ!」
「んだよ。アタシ、観客として来たんですけどぉ?」
「お願いだ、エノちゃん! 代打をやってくれ!」
みんなが頭を下げてきて、エノチカは閉口した。
こうなったら、ことわれるはずがなかった。
「……ったく、しょうがねぇなぁ」
ため息まじりに答えて、リュックを下ろす。
「やったぁ、さすがエノちゃん!」
「すかっても文句いわないでくれよぉ。まじのコートに立つの、数年ぶりなんだから」
「いやいや、エノちゃんは当てるよ。だってエノちゃん、十四のときからだれよりも飛ばしていたじゃないか! アナさん以上の打者だよ、きみは!」
そういうのがプレッシャーになるんだって、と思いながらエノチカはバットを受け取った。
土壇場の選手交代を、相手のチームは快く認めてくれた。
どうやらよほど自信があるらしい。重圧を背負っているはずのピッチャーにも、まったく緊張はみられなかった。
エノチカはポジションに立つ。
波風を掻き消すほどの歓声が、熱いコートを包んでいる。
試合が再開して、相手選手が投球のフォームに入る。
マスクの下、エノチカは歯を剥き出しにして笑っている。
ジャストミート。
かろやかに吹っ飛んだ打球が、フェンスの向こう、偉大都市の遠景に落ちていった。
楽園殺し外典: The Walk-off Game 呂暇 郁夫 @iquo_loka
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