Extra Time: Don't Leave Your Bat

あー、ムカつく




 もともとたいした私物はなかったから、荷づくりはすぐに済んだ。

 新居に送るような物もほとんどない。備え付けのシンプルな棚がじみに気に入っていたからもらっていいかと聞いたら、普通にだめだと言われてしまった。

 念のため忘れ物がないか、部屋の中央に立ってエノチカは眺める。

 半年の生活を送った寮の一室。ほとんど寝に帰っていたようなものなので、来たときのままとなにもかわらない。染みのひとつたりとも、新しく増えてはいない。

 ひょっとしたらなにかしら感慨深いものを感じるかと思ったが、まったくそんなことはなかった。

 だったら急ぐか、とバットケースとリュックを持ち上げたとき、エノチカはとんでもない忘れ物に気がついた。


 台所の上。

 よく洗っておいた皿のとなりに、粛清官手帳が無造作に置いてあった。


 連盟のロゴが入った、合成革の手帳だ。

 末尾をみると、仏頂面をした自分の顔写真と、登録マスクが写っている。

 いくら笑顔が苦手だからってこんな顔をしなくてもいいだろうにと、自分で笑う。

 忘れかけていた手帳をぞんざいにポケットにしまうと、最後に自分の鍵と、キャナリアが勝手に複製していた合鍵のふたつを置いて、エノチカは部屋を出た。

 向かう先は、十番街。偉大都市のウォーターフロントだった。







 エノチカ・フラベルとキャナリア・クィベルの粛清案件は、ぶじに幕を閉じた。

 院が下した判定は「優」にさらに色をつけたものだった。


「即日で解決まで漕ぎつける候補生は、とてもめずらしいそうですよ。私の記憶でも、あまり多くはいません。とても優秀なようですね、ふたりとも」


 一週間の入院を経てエノチカが本部に帰ったあと、自分たちにアサインをしてくれたリィリン・チェチェリィ警壱級はそう言っていた。

 後日知ったことだったが、かのじょのほうこそ、あのあと第二等に区分される凶悪な犯罪者を粛清して帰ってきたらしく、若いパートナーともども本部で話題になっていたようだった。


「とくにニーガルタス・アルヘンを生け捕りにしてくれたのは助かりました。行動を制限されていたかれがどうやってエイテ傭兵団と手を組むことができたのか、可能ならば知りたいと思っていたので。どうやら犯罪者同士を結びつける斡旋を影でおこなう組織があるらしく、新しく調査に入っているのです」

「それはそれは、ご要望にお応えできたようでなによりですわ、警壱級」

「……っす」


 まるですべて自分の功績かのように鼻高々のキャナリアとは違い、エノチカには覇気がなかった。

 その理由は、けがのせいではなかった。もうほとんど傷は癒えている。

 ひょっとすれば、ある種の目的をうしなったせいかもしれなかった。


 エノチカは、自分が復讐に燃えている人間というわけではないことはわかっていた。

 祖母を間接的に殺したニーガルタスを憎く思い、個人的に動向を調べて追跡し、どうにかしてやろうと思っていたのはたしかだったが、その目的を達したからといって抜け殻になるようなものではないと思っていた。

 それでも、ここには大きな区切りがあった。そしてその区切りは、はいそうですかと受け止めて簡単に次にいけるようなものではなかった。


「……いちおう、この段階でもまだ辞退はできますよ」


 エノチカを心配そうにみつめて、リィリンが言った。


「連盟としても優秀な候補生を逃すのは惜しいですが、当人に意志がなければどうしようもありませんから。心配はいりませんよ。もしもリングボルド警壱級を気にしてのことなら、私のほうからうまく話しておきます」

「……いや、大丈夫です。このまま、次のフェーズに進んでください」

「ほんとうですか?」

「はい。いや、まだちょっと疲れているだけですから、まじで、問題ないです」


 本心だった。

 人生はなるようにしかならない。もしあの男との約束がなかったとしても、ここまできてしまったのだったら、あとは流れに身を任せるだけだと思った。


「わかりました。それなら、このまま最終面接の手配をしましょう。担当する現役の粛清官はランダムになりますが、どの指揮に所属の者でも公平な判断を下すようになっていますので、ご心配なく」

「よろしくお願いいたしますわ」


 キャナリアが席を立ち、うやうやしく頭を下げた。


「あ、そうでした」部屋を出る前に、リィリンがぽんと手を叩いた。「いけない、伝え忘れるところでした。おふたりの口座に、事件に巻き込まれた移住者のアーノルド・シュエイン氏から、御礼が振りこまれているそうです。よければあとで確認してみてください」


 エノチカとキャナリアは目を見合わせた。

 アーノルド・シュエイン。ニーガルタスになりかわりの対象として狙われていた、あわれな被害者だ。

 ベレンスキーの手にかかって拷問を受けたかれは、エノチカが交戦していたビルの三階に縛りつけられており、階下の騒音を聞いて震えていたという。

 正直なことをいうと、エノチカはニーガルタスの身柄を連盟職員に渡すそのときまでアーノルドの存在は忘れていたのだが、そんなことは露知らず、アーノルドは命の恩人である粛清官二名に対する感謝の念を口にし、そればかりか、こうして礼金まで渡してきたようだ。


「返されても困りますので、ボーナスとして受け取っておいてくださいね。それでは、就任式で会えることを楽しみにしています」


 最後に可憐な笑みを残して、その蒼白色の肌をした伝説の粛清官は去っていった。

 実績キャリアはさることながら、あの人柄で、あの見た目。本部内でも圧倒的な支持を得ている理由が、エノチカにはよくわかったような気がした。


「それにしても、御礼と言われても困りますわね。あまりよく知らないかたにはした金をもらいたくもありませんし」

「はした金かどうかは確認しなきゃわかんねーだろぉ。ってか、いらないならアタシにくれよ」

「かまいませんわよ?」


 うぐ、とエノチカは言葉に詰まった。


「冗談に決まってんだろ。だりぃこと言ってねぇで、せっかくもらったんだからなんにでも使えばいいじゃんかよ」

「そうですわね。ドレスの新調にでもあてますわ」


 ドレスねぇ、とエノチカは横目で相手の服装を眺めた。

 こんな動きづらそうな服を着ておいて、現場でもけっきょく、キャナリアはふたりの能力者を相手に無傷で粛清を終えてしまった。

 変わり者の女であるのは間違いないが、粛清官としてやっていく実力はたしかだといってやってもいい。


「あーあ。粛清官になるにしても、お前と組むのは大変そうだわ」

「? なにを言っていますの?」

「そのまんまだって。でもまあ、贅沢は言っていられねーもんなぁ。お前もアタシにムカつくことはあるかもしんねぇけど、まあ、互いにある程度はがまんしていこうぜ」


 エノチカからすれば、それは最大限に譲歩した挨拶だった。

 が、依然としてキャナリアはふしぎそうに首を傾げたままだった。


「いや、なんで伝わんねーんだよぉ。だからアタシが言ってんのは……なんだ、これからヨロシクっつーか……」

「なにをおっしゃっているのかよくわかりませんけど、あたくし、あなたとパートナーにはなりませんわよ?」

「…………は?」


 エノチカは耳を疑った。


「あなたは、あくまで院が決めた仮パートナーですもの。でも、あたくしに言わせればうまい采配とは言いがたかったですわね。あなたの推理はなかなかのものでしたし、砂塵能力も悪くないにせよ、あたくしとはとくにシナジーがありませんもの」


 ごく当然のことを語るかのように、キャナリアはぺらぺらと続けた。


「シナジーがあるといえば、同期のウィリッツ・アルマをご存じですわよね? あのとても無口な、最年少のかたですわ。かれの能力が、まさしくあたくしとすばらしく完璧な相性ですの! じつは、もう向こうには話をつけて了承をもらっているのですわ。実際の任官のときは当人たちの意向が最重要視されますから、ほとんど決まりですわね……って、あら? どうかなさいました?」


 キャナリアがきょとんとした顔になる。

 怒りにぷるぷると震えていたエノチカは、もうあとほんの少しのところでバットを振り回すところだった。ぎりぎりで衝動を抑えられたのは、自分でも意外だった。


 ――ともあれ。

 仮パートナーとの疑似粛清案件は、そうして後味の悪い終わり方をした。


「こちらはまだ未確定ですけど、あたくしも第一指揮から連絡がきましたの。もしも配属先がいっしょでしたら、またよろしくお願いしますわね」


 それでは実家で就任の前祝いがありますのでまた、と言い残して、キャナリアはさっさと消えていった。

 きっとああいう面の皮が厚いやつが出世していくのだろうなと、離れていく背中を眺めながら、エノチカはなんとなく思った。

 いずれにせよ、そうならそうでこちらにも好都合だ。就任と同時に知らない人間と組まされるのかと考えると億劫だったが、あんな変な女とずっと仕事をするよりはましに決まっている。


 十番街に向かいながら、エノチカはあのときのことを思い出して、またむかっ腹が立ってきた。

 やっぱり一発殴っておけばよかったと思うが、後悔は先に立たない。


 けっきょく、キャナリア・クィベルという、その後名を馳せることになる粛清官とは配属後に腐れ縁となる運命を、このときのエノチカは露にも知らない。

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