タコ助ってなんだよ
官林院の寮、通称〝カステール〟は広大な中央連盟本部の土地にある。
一番街の白い巨塔である本部の裏手にあるエデンの仮園は、偉大都市においてほとんど唯一といえる丘のうえにあるが、院とカステールは、その丘において仮園を仕切る外壁の、ちょうど外側に建っていた。
官林院に通う粛清官候補生は、多くがカステールに一時的に居を移す。
規則的には講義にさえ通えるならば外に住んでもよいのだが、利便性を考慮すると、寮を借りない手はなかった。
最大の利点は、ここが無料であることだ。エノチカのような金欠は、家賃がタダなうえに食堂を使い放題という環境はありがたいというほかなかった。
反面、このキャナリアという女は金が有り余っているらしく、そのせいかはわからないが、せっかくの権利を使わずに、ハイソな二番街にある実家から通っているようだった。
「あーあ、朝っぱらから気分わりぃな……。てかお前も、わざわざカステールまで寄って奇行をみせるって、ずいぶんとご苦労なこってよ」
「たいした労力ではありませんわ。どうせ目的地の本部から近いのですもの」
「そういやお前、なんでカステールに住んでねぇの?」
「両親が心配しますの」
あっさりとキャナリアは答えた。
「毎日あたくしのぶじな姿をみなければ安心して眠れないのですって。まったく、いつまで経っても子離れができなくて困ったひとたちですわ」
キャナリアは、偉大都市最大の酒造業であるクィベル酒造の子女なのだという。かの連盟企業である食品メーカーのバフォメ社と互いの株を持ち合っている大企業だ。
「……いい話じゃねぇか、心配してくれる親がいるなんてよ」
反射的にそう言ってしまってから、エノチカは後悔した。羨んでいるのが見え見えの発言は望ましくなかった。
が、そもそも言外の意味を理解しない相手だからか、言っても問題がなかった。
「あたくしに言わせれば良し悪しですわね。育ての恩はありますけど、いざ子どもが成人したなら、あとはもうすっぱり放任すべきですわ。……まあ、と言いつつも従っているのは、いわば最後の孝行ですわね。どう構われようともあたくしはかならず粛清官になるのだから」
自発的に粛清官になりたがるというのも、エノチカには理解できない話だった。
この時期まで残っている候補生というのは、キャナリアに限らず意識の高い者が多い。
それもそのはずだ。半年のタームでおこなわれる選考は、もう終わりが間近だからだ。
それはつまり、ふたりがほとんど粛清官と相違ないことを意味している。あまりにもハードな詰め込み講義と過密スケジュールの各試験をクリアし、今回、卒業可能な人材として選出された四組八名の候補生に含まれている時点で、実力の足りない者はいない。
それでも、まだ最後のふるいは残されていた。
「しかしまだかよ。やっぱはやく来すぎたんだって」
エノチカは連盟本部の待合室のなかでため息をついた。
キャナリアはほんとうに一切の寄り道を許さずに本部へと直行して、まるで自分の家であるかのように堂々と、総務局の養成課へと猛進していった。
事務の職員は、キャナリアのなんともいえないオーラにどぎまぎしながらも、べつの階にある会議室へと案内してくれた。
担当の粛清官がいらっしゃるまでお待ちくださいと、やけに慇懃に頭を下げられて、エノチカはなんだか奇妙な感じがした。未来の粛清官になるかもしれない相手である以上、へりくだっておいて損はないという態度だった。
なんだかな、とエノチカは思う。そういう部分で人間は決まらねぇだろ、という主張は、口にするのは恥ずかしいが、かといえ素直に呑みこむのも嫌だった。
手持ち無沙汰で、エノチカはバットケースに手を伸ばした。
「? なにを棒なんか取り出していますの、エノチカさん」
「いや、ひまだから素振りでもしていようかと思って」
「ダメに決まっていますでしょう。ここにいらっしゃるのは現役の粛清官ですのよ? あなたがそんなことをしているのをみられたら、あたくしまで落ち着きのないタコ助さんだと思われるかもしれないじゃないの!」
「べつに思われねぇって」
不満はあったが、あまり怒られたくはないのでおとなしくバットをしまいなおす。
そのとき、エノチカは自分の手がわずかに震えていることに気がついた。
(……緊張、してんだよな。やっぱ)
――もし、あの約束がほんとうであったなら。
きょうの疑似粛清案件は、エノチカが予想しているとおりの内容となる。
「あら、かわいいところがあるではないですの」
と、からかうようにキャナリアが言った。
「あぁ?」
「緊張しておいでなのね。でも、ご安心なさい。あたくしと行動するならなにも心配いりませんわ。敵はすべてあたくしが片づけて差し上げますから、ぜひ後方でみていてくださいませ」
どうやらみられていたらしい。さすがにイラッときて、エノチカは吼えた。
「そんなんじゃねぇっての! お前な、順当に任務をこなしたいんならあんまり余計なこと言ってアタシを苛立たせるんじゃねぇぞ? 現場で手が滑ってお前の頭をカチ割るかもしれねぇからなぁ」
「まっ、なんって問題発言でしょう! ああ、こんな粗暴なかたと組まされてかわいそうなキャナリア。でも、これも試験の範ちゅうですわね。望ましくないパートナーと組んでもクリアしなくてはならないというのは」
「お前、っとにいい性格しているよなぁ……!」
「? どうもありがとうですわ?」
詰め寄って胸倉を掴んでも、相手はまったく平然としていた。
どう言ってやったら意味が通じるかとエノチカが考えていると、
「あの、もうよろしいでしょうか」
と、細い声がした。
ふたりが同時に目をやる。
すると、そこには異質な見た目の人物が立っていた。
ほんの小さな背丈。夜半遊郭でみるような和服とも違う、いっぷう変わった装束に身を包んで、紫色の艶やかな髪を団子状にまとめた、どっからどうみても、年端のいかぬ少女がいた。
が、その中身が少女とはかけ離れていることは、粛清官事情に疎いエノチカでさえも知っていた。
「チ、チェチェリィ警壱級……⁉」
ずばばばっ、とものすごい勢いでキャナリアが姿勢を直し、起立した。思わず、エノチカも倣ってしまう。
――リィリン・チェチェリィ警壱級粛清官。
〝蒼白天使〟の異名で知られる、生ける伝説のような粛清官だ。まさか彼女のような大物がやってくるとは露にも思っておらず、エノチカはおどろきが隠せなかった。
「た、た、大変お見苦しいところをおみせいたしましたわ」
さしものキャナリアも恐縮している様子で、おそるおそる頭を下げた。
「いえいえ。軽くノックだけして入ってしまったこちらが悪いのですから、お気になさらずに。むしろ若い子たちの仲のいい場面がみられて嬉しかったくらいですよ。なんだか若返ったような気がしました」
頬に手を当ててころころと笑う相手に、その背後の人物が話しかけた。
「いや、リィリンさんが若返ったら赤ん坊になるじゃないですか。ただでさえ子連れ狼みたいだってのに、勘弁してほしいですよ」
扉に肘を当てて室内を覗きこむようにしているのは、スーツのうえにだぼりとしたコートを羽織る青年だった。サングラスを下に傾けてエノチカたちの姿を一瞥する仕草は、優男風の見た目とは異なり、どこか野生の獣じみた雰囲気を放っている。
(ウォール・ガレット警肆級……)
こちらもこちらで、今やよく噂を聞く粛清官だ。
リィリン・チェチェリィのパートナーにして、二年連続で最優秀粛清官の称号をもらった、連盟の若き英雄と呼ばれる男だ。
「あら、ウォール。あなたは下で待っているのではなかったのですか?」
「へへ。いやぁ、それがお目当ての受付嬢がきょうは休みを取っていたらしくて。さびしい独身者とのディナーに新人の子たちが付き合ってくれやしないかな、と思って見にきました」
「まったく、あなたというひとは……だめですよ? 私の目が黒いうちは、そういう風紀の乱れは許しませんからね。おとなしくそこで待っていなさい」
リィリンが人差し指を立てると、ウォールはひょいと肩を竦ませて壁に背を預けた。
なんとなく、エノチカはこの男が軽口を叩いているだけで、ほんとうにそうした動機でやってきたのではないことがわかった。
その証拠に、かれはエノチカたちを女としてはみていない。
連盟に加わる新たなる戦力として、鋭く観察している。
「ごめんなさい、なんだかまごつかせましたね。とにかく……ええと、エノチカ・フラベル候補生と、キャナリア・クィベル候補生、でしたね? 私が、本日あなたがたに粛清案件をアサインする、リィリン・チェチェリィ警壱級です。よろしくお願いしますね?」
「よ、よろしくお願いします」
にっこりと笑うリィリンとは対照的に、ふたりの候補生は緊張を隠せないまま返事をした。
着席を促されたので従うと、リィリンは持ってきたファイルを手渡してきた。
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