結局どういう体質だったんだ?




 かれはサングラスを取ると、その下にあった黄色い眼でふたりに視線を注いだ。


「紹介が遅れたな。俺はウォール・ガレット、階級は警肆級だ。二年前から、リィリンさんと組んでやらせてもらっている。よろしくな」

「ガレット警肆級。お噂は、院のほうでもかねがね耳に挟んでおりますわ。〝厄追い〟デュラムの粛清で、今期の勲章授与はまちがいなのだとか」

「なんだ、そんなことまで知られてんのか。院の連中も耳が早いな」


 ウォールは意外そうに目を丸めた。


「デュラムの件は、たしかにうまくいった。だがな、俺はまだまだ新人だ。謙遜じゃなく、ほんとうにそう思っている。リィリンさんがいなきゃ死んでいたなって場面が、少なく見積もって二回はあるしな」

「……ありましたっけ? そんな場面」とリィリンが聞いた。

「あったんですよ。リィリンさんが気づいていないだけだ」ウォールは人懐っこい動物のように苦笑すると、一転、まじめな顔に戻った。「とにかく、だからこそ俺は、べつにここでお前たちに先輩面してなにかを忠告したいってわけじゃない。俺の言うことは、たんに俺の感想として聞いてくれ」


 ウォールはファイルを手に取った。対象のマスクと素顔が載ったページを一瞥すると、


「リィリンさんとは違って、俺はこのベレンスキーって男のほうを危険視している。もしも俺が真正面からやって負けるようなことがあるとしたら、それはこいつみたいな砂塵能力者だろうと思う。っても、これは相性の問題であって、単純な武芸者としての強弱の話じゃないが、それでも、こいつが第四等止まりってのは、現場を知らねぇ情報局の、いつもの画一的な評価と言わざるをえないな」

「ウォール。あまり脅すようなことは」

「脅しているわけじゃありませんよ。ただ、こっち側で持ちうる情報はすべて共有しておいたほうがいいでしょう。この候補生たちは今から、自分たちだけで狩りをやらなきゃいけないんだ。気合いこそいれど、油断だけはすべきではない。それと、……」


 そこでウォールは、意味深に言葉を区切った。

 リィリンはパートナーに目をやると、まるで許可するようにいちどだけゆっくりと瞬いた。


「この粛清案件は、本来なら俺たち第二指揮で担当するはずだったんだ」そう、ウォールは続けた。「それは、ただこいつらが危険だからってだけじゃない。そもそも、この件はうちの所属の粛清官が現場で持ち帰ってきた情報をもとにして認可されたケースだからだ。通例、そういう場合は暗黙の了解で、もともとの指揮に振り分けられるからな。だが、今回は違った」


 ウォールの口ぶりからは、わずかだか憤りが窺えた。

 連盟内部の細かな手続きを知らなければ確信の持てないことだったが、どうやら、かれは自分たちの仕事を横取りされたように感じているようだった。


「このケースを委任されたのは、第一指揮だ。そしてそれにとどまらず、第一の連中はこの案件をわざわざ院の候補生たちにあてがった。つまり、ここにはなにかしらの意図が絡んでいる。それも俺が思うに、リングボルド警壱級の意図が、だ」

「えぇっ」と、キャナリアが声を上げておどろいた。「そ、それはほんとうですの? かの無限牢が、あたくしたちにわざわざ?」

「ああ。俺たちが知らないあいだに第一の恨みを買っていたってわけじゃないなら、当然、理由はお前らのほうになるよな? だからこそ真意を探るために、こうしてアサインだけは第二のほうでやらせてもらうと進言したわけだが」


 このとき、エノチカは遅れて自分の悪手に気がついた。

 本来ならば、自分もキャナリアといっしょにおどろかなくてはならなかったからだ。

 だが、さらにそのすぐあとに、エノチカは演技の必要がなかったことに気がついた。

 ウォール・ガレットが、すんと鼻を鳴らした。まるで荒野を生きる肉食獣のようなオーラが、一瞬、その引き締まった肉体に宿ったようだった。


「――お前のほうか?」ウォールがエノチカをねめつけた。「いや、取り繕わなくていいぜ。ちょっとした塵工体質でな、俺はにおいで相手の腹の内がわかるんだ。お前、なにを隠している? 言ってみろよ」


 エノチカは、黙ってウォールと向き合った。

 気づけば、首筋にじっとりと汗を掻いていた。なにも悪いことはしていないはずなのに、なにかを自白してしまいそうになる。これが本職の粛清官の放つ圧か、と思った。


「……いや、あ、その」


 ほんとうは黙っていたかったが、そうは許さないウォールの態度とプレッシャーに、エノチカは思わず、この場ですべてを明かしてしまいそうになる。

 そのときだった。


「ウォール!」そう、リィリンがぴしゃりと言った。「!」

「え?」と、ウォールが素っ頓狂な声を出した。「いや、リィリンさん。俺は」

「いいから、ここにお座りなさい。はやくしないと無理やりさせますよ?」


 リィリンが膝のうえに置いていたマスクを持ち上げた。前面に札の張られたマスクをいざリィリンが被ろうとすると、「わかった、わかりましたよ」とあきらめたように言って、ウォールはパートナーのとなりにおとなしく腰をかけた。


「ウォール。今の態度はあまり褒められたものではありませんね」

「勘弁してくださいよ、リィリンさん。なにも俺は叱責していたわけじゃ」

「言い訳は無用です。あなたがどう思っていようと、さっきのは新人の子をいじめていたようにしかみえませんでしたよ。もう、あなたはどうしてそう自分の強さがわからないのですか? あなたのようなひとが見下ろして一方的に話すと、どうしたって高圧的に映るのですよ」


 上官のお叱りに、ウォールは二、三秒反論しようと口をぱくぱくさせたが、すぐに首を振った。エノチカのほうに視線を戻すと、ぺこりと頭を下げる。


「悪かった。そういうつもりじゃなかったんだ。ただ俺は、事情を知りたかっただけだ」

「ちゃんと謝れていい子ですね」うんうんとうなずくと、リィリンは身を乗り出してウォールの頭を撫でた。「だからやめてくださいってば、それ」と払いのけるウォールを無視して、

「この子もこう言っていますので、許してあげてくださいね?」と、エノチカに向けて言う。

「え? あ、はい。いや、許すもなにも、ぜんぜん怒ってはいない、んですけどぉ……」

「ど、どういうことですの……?」


 キャナリアがずっと頭のうえにクエスチョンマークを浮かべていた。

 ウォールが手の甲を頬に当てた。よほど恥ずかしかったのか、わずかに赤くなっている皮膚を冷やすと、またもや一転して、まじめな表情に戻った。


「お前。フラベルって言ったか」

「はい」

「少なくとも、お前はただの粛清官候補生に過ぎず、きょうは卒業試験として粛清案件を請け負うためにここに来た。そうだな?」

「はい」

「なら、それでいい。ただ、さっきのにおいで勘づいちまったことがあるから、これだけは言わせてくれ。もしも粛清対象に対して特別な感情を抱いているんだとしたら、それは気をつけろ。いつだって足元を掬うのは、余計な感傷だ。冷静さを捨てちまったら、うまい狩りはできないぜ」


 まっすぐみつめてくる目線に、エノチカはうなずいた。

 たしかにこの男は、ただ心配して自分にものを伝えているようだった。そうわかると同時に、エノチカは内心でおどろきを隠すことができなかった。

 いったいどういう慧眼をしているというのか――すっかり、見抜かれてしまっている。


「ふふふ」とリィリンが笑った。あどけない少女そのもののような笑い方だった。「先輩面して忠告はしたくない、なーんて言っていたくせに、思いっきり忠告ですね? ウォール。あなたも偉くなったものですねぇ」

「ちょっ、リィリンさん! そういうわけじゃ……いや、たしかにそうなっちまったな。うわ、クソ……」

「なにを悔しがっているのですか? 私は喜んでいるし、褒めているのですよ? やっぱり、あなたは後進教育に向いているタイプですね。もっと実績がついたら、ぜひ養成課の仕事もやるべきだと私は思いますよ」

「くっ……俺、やっぱり先に行っています! リィリンさんも、はやく来てくださいよ! 遅れたら先に現場に向かいますから!」


 ウォールはコートの内側からマスク――まるで人心のない野獣のようなおぞましい面だ――を取り出すと、そそくさと装着して立ち上がった。

 部屋を出て行く前に、ウォールは振り向いた。「お前ら、ぶじに帰ってこいよ。そしたら飲みにでも連れて行ってやる」とだけ残し、足早に消えて行く。


「……ああ、あんなかわいい子、ほかのどこを探してもみつかりませんね……」


 しみじみと口にして、リィリンはひとつ息を吐いた。

 それから、ふたりのほうに向き直す。


「さて、なにか質問はありますか?」

「ひとつよろしいでしょうか?」キャナリアが手を挙げた。「誠に恥ずかしい限りなのですが、あたくし、よく事情がわからず……」

「そうかもしれませんね。私もそうです。なので、そうした質問はパートナーのほうにしてみてはどうでしょうか」


 その丸投げは、エノチカからしてもまったく責められたものではなかった。

 なぜなら、リィリンも巻き込まれただけで、事情を知らないというのは真実であると思われたからだ。むしろ、自分のせいで迷惑をかけたということになる。

 だからといって、自分になにができた? アタシだって巻き込まれただけだ――そうエノチカは考える。が、すぐにその考えをあらためた。

 それは違うだろう。自分は、望んでこのチャンスに向き合っているんだ。


「ほかにないようでしたら、私もこれで失礼しますね」リィリンは立ち上がった。「不安かもしれませんが、がんばってください。この疑似的な粛清案件は、あなたがたが実際に粛清官になったときと同じシチュエーションでおこなわれます。つまり、つねに万全な説明があるわけではないのです。それでも必要な情報はすべて共有しましたし、詳しいことはそのファイルにもおさめられています。あと私にできることは、あなたがたの無事と、粛清の完遂を祈るばかりです」


 なぜだか最後にふたりに飴を手渡して、リィリンもまたパートナーの跡を追うように部屋を出て行った。

 残されたふたりは、しばらく黙ったままでいた。


「……さて、と」エノチカは動き出した。「そんじゃ行くとするかぁ。はやくしねぇと状況が変わっちまうかもしれねぇしな」

「お待ちなさいな、エノチカさん」

「第一、迅速に解決するってのも査定には大切なことだもんなぁ。いやー、急がねぇとなぁ」

「待ちなさいと言っているでしょうに!」


 ユニフォームを引っ張られて、エノチカは足を止められる。


「どういうことですの? あたくしなにもわからなかったですわ! それにあたくしだけわからなかったせいで、あたくしだけタコ助さんみたいにみえてしまっていたじゃないですの!」

「いや、それは実際にお前の察しが悪いってだけだろぉ……」

「そんなわけありませんわ。あたくしは院のペーパーテストも問題なく通過していますもの! 問題はあなたの説明不足ですわ。さあ、なにを隠していらっしゃいますの」

「あんな飾りみてぇなテストで粋がんなよぉ、あれで落ちるやつなんてほとんどいねぇんだから。てか、それにかんしてはアタシのほうがダブルスコアで点数が上だったし」

「と・に・か・く、すべてを明かすまではこの手を放しませんことよ!」

「お前に話すことはなにもねぇっつーの。いいからとっとと行こうぜ、めんどくせぇ」


 ああ、想定外なことになってしまった――そう思いながら、エノチカはどうにかこうにかキャナリアの手を離し、バットを持って部屋を出て行った。

 急いで向かうべきだというのは本心だった。


 絶対に、逃したくはない相手だ。

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