唯一の存在① side イアン

 私はイアン・アラスター。十八年前にアラスター侯爵家の次男として生を受けた。

 三つ歳上の兄が非常に優秀な男だったため、いつも彼と比べられた私は、いつしか自分に自信が持てない卑屈な人間に育っていた。

 いくら努力をしてもどうせ兄には敵わない……。頭にこびりついたその意識を一八〇度変えてくれたのがルイナルド・スヴェロフ王太子殿下だった。

 

 殿下は誰と比べるでもなく、アラスター侯爵家の次男という看板も一切加味せず、純粋に私という人間を評価してくれた。

 それがどれほど嬉しかったか、友人となったルイナルド殿下に言葉を尽くして語ったら、殿下は優しく微笑んでこう言った。

 

「イアン以上に優秀な人間はいない。できれば、僕の側近として働いてほしいのだが、受け入れてくれないだろうか」

 

 と――。

 もちろん、喜んで申し出を受けた。恐れ多くてなかなか自分から「近くで仕えさせてほしい」とはお願いできなかったから。


 それ以来、私はルイナルド殿下に絶対の忠誠を誓っている。


 

 ルイナルド殿下は幼少の頃より多方面に比類ない才能を発揮する俊傑しゅんけつであり、未来の君主として戴くにふさわしいお方である。

 そんなすばらしい主君なのだが、一人の人が関わると途端にポンコツとなることがわかっている。

 

 ルイナルド殿下を唯一狂わせることができるその方のお名前は、リリアーヌ・ジェセニア様。

 将来、ルイナルド殿下が必ず妻に迎えたいと切望してやまない女性だ。


 私は数年前から殿下に「早く婚約者を選定してほしい」旨を進言していた。理由は、早く選んでしまわないと適切な人材が売約済みになるから。

 しかし、ルイナルド殿下は一向に首を縦に振らず、「もう選定済み」だと答えるのみだった。

 

 選定済みなら早く婚約を結んでしまいたいから相手を教えてほしいと催促しても、絶対にその名を口にすることはなかった。


 その答えがわかったのは今年に入ってミディール学園に新入生が登校してきてからのことだった。

 

 殿下は急にそわそわとし始め、はっと何かに気づいたかと思えば、特別目が悪いというわけでもないのに眼鏡を作ると言い始めた。

 それから、卒業資格を持ちながらもなぜか卒業せず、それなのに今まで全く通ってこなかった学園にも毎日通うようになった。

 

 今までなかった奇行が目立つようになって一ヵ月たった頃。私に「何があっても絶対に手を出すな」と強く厳命したあと、殿下自らぶつかりに行った女性を目にして、私はやっと長年の疑問から解放されたのだ。

 ルイナルド殿下の想い人は彼女だ――と。



 ルイナルド殿下が妻にと熱望しているのだから、私に否やはないし、殿下の人を見る目も信頼している。だが万一のこともあるし、念のため必要だろうと一通りリリアーヌ様の素性を調査することにした。

 

 ハリボテ令嬢――。調べてみると、それがリリアーヌ様の社交界での呼び名だった。

 

 しかし、それは彼女の婚約者である男性が原因で呼ばれ始めた名のようだった。

 彼女自身にはなんの瑕疵かしもないことで批判にさらされている現状を、なぜ婚約者の男性は放置しているのか――? 理解に苦しんだが、調べを進めるとその男性自身、高慢で自尊心の高い性格だとわかった。学業面では優秀だが、私ほどではない。プライドが邪魔して能力を発揮しきれていないタイプなのかもしれない。

 それ自体は決して悪いことではないが、そのせいで一方的に搾取されているリリアーヌ様には同情をせざるを得なかった。

 そして、私のように少し調べただけのような人間から見てもそういうふうに判断されることが問題なのだ。もっと言えば婚約者の男のリリアーヌ様に対する態度が問題なのである。それをわかっていないのは致命的だ。

 いくら勉強ができても、周りがよく見えていない人間には政治の中枢に関わってほしくない。クラウス・ベリサリオをルイナルド殿下の側近に考えたことがあったが、結局候補から外すことになったのは同じような理由からだった。

 

 とにかく、クラウス・ベリサリオという人間の中ではリリアーヌ様の優しさが当然のものとして消費されている。リリアーヌ様の献身は彼とっては特別でもなく、感覚が麻痺しているのかもしれないと推測できた。

 

 一方、ルイナルド殿下が慕うだけあってリリアーヌ様というお方は素晴らしい方だと思えた。

 親に定められた婚約者に無償の愛を注ぎ、彼のために苦手な勉強もしているし、成績がうまく振るわなくなったらそちらへの努力を据え置きにして他の部分により注力する――。

 リリアーヌ様はその努力の甲斐もあるのか、大変美しい方だ。ご本人は普通かそれ以外だと思っている様子だが、異性にさして興味のない私でさえすれ違うと振り返ってしまいそうなほどに美しい。

 

 婚約者へと一途に愛を捧げる姿も美しいの一言である。ルイナルド殿下の女性の趣味が正常で安心した。同時に、努力家で心根が優しく、だが芯はしっかりしていて強い部分は王妃として戴くに相応しいといえる。さすが尊敬する我が主君が選ぶ女性である。


 そんな素晴らしい女性を婚約者として迎え入れておきながら、クラウス・ベリサリオという男はどこまでもクズだった。リリアーヌ様という得難い婚約者がいる身でありながら浮気を、しかも複数の女性としていたのである。

 

 この事実さえ証明できればルイナルド殿下ならすぐにでもリリアーヌ様を手に入れられるのに、私のほうで手続きを進めようとすれば止められた。

 そうして私を「私的な従者」などというわけの分からない立場に置き、リリアーヌ様が婚約破棄を進めるための手助けをするよう命じられた。


「だって、リリーと仲良くなりたかったから、咄嗟に友人はいないって言ってしまったんだ。それなのに、イアンのことを『友人兼従者』なんて紹介できないじゃないか。イアンは僕の唯一無二の親友だ。だから、今日から僕の『私的な従者』になってくれるよね? 僕の幸せのために!」

「まあ、呼び名などなんでも構わないですけど……」


 ルイナルド殿下はポンコツになってしまった。彼女が関わるとこんな些細なことでも辻褄を合わせようと全力を出してくる。

 このときの私の心のつぶやきはもちろんこうである。


――そんなのどっちでもいいです。


 リリアーヌ様もそんな細かいところまで気にするとは思えない。

 頭がおかしくなってしまったのかと憂慮したが、彼女が介入しない部分ではいつも通りだったので安心した。安心なのかどうかはよく分からないが……。

 ただ、機械のように正確に完璧に生きていたルイナルド殿下が、リリアーヌ様が現れて初めて普通の男に見えるようになった。リリアーヌ様は絶対に殿下にとって必要な存在なのだと自然と理解していた。

  

 だから、殿下がしきりに「彼女の意志を尊重する」と言って私の行動を制限するのに苛立ち、「万が一があったらどうするのか」と私のほうが焦ってしまった。

 

 調査の過程でリリアーヌ様に情が移りすぎてしまったこともあるかもしれない。リリアーヌ様はどんなにショックなことがあろうとひたむきに前を向いて道を切り拓こうとする、とにかく応援したくなる女性だったから。

 

 同時に、ルイナルド殿下がこんなにも執着しているのだから、伴侶となってもらえなかったら殿下は壊れてしまうかもしれない、という懸念も大きく無視できなかった。何より、ルイナルド殿下が最愛を失う姿だけは見たくなかった。


 正攻法で攻める、つまり彼女やその家族に婚約破棄の対応を任せることは、ルイナルド殿下が直接介入するより遥かに時間がかかるし面倒だ。その当時は回りくどいなと思ったものだが、結果的には待つことが最善であったことを思い知った。

 その過程を経たことでリリアーヌ様はルイナルド殿下に対する信頼を深めていたし、クラウス・ベリサリオに対する気持ちも整理できたようだったから。

 やはり殿下の言うことには間違いがない。

 気持ちというものは本人ですら制御不可能なこと、急に切り替えられるものではなく、時間が必要なこと、そして自分を信頼してもらうにはまず相手を信頼することが必要だとよくわかっていらっしゃるのだ。

 

 リリアーヌ様に任せるとは決めていたものの、やはり心配だったのか、婚約破棄の話し合いの場にわざわざ「公証人」に扮して立ち会ったのにはさすがに舌を巻いたが。それも今さらな話だ。

 殿下はリリアーヌ様が行っていた浮気調査にも姿を隠してついて行っていたのだから。


 私が同行するから大丈夫だと説得したが、全く聞く耳を持ってもらえなかった。

 だったら姿を見せて堂々と協力すればいいのにと進言したら、ため息とともに返ってきた答えがこれである。

 

「一緒に行けば調査のほうに気を取られてしまうじゃないか。そっちはイアンに任せる。僕は何にも気をとられず、リリーを愛でることだけに集中したいんだ」


 仕える人を間違えたかと初めて自分の判断を疑ったのはこのときだ。悩んだ末の私の結論は「リリアーヌ様さえそばにいてくれればこの国は安泰」

 何が何でもリリアーヌ様を王太子妃に据えてみせると私が強く決意したのもこのときだった。

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