証拠

 ――その翌日。

 

「リリー。本当に寮へ戻るの?」


 ルイ様が捨てられた子犬のような表情で私を見る。今にもルイ様の頭の上にぺたんとしおれた三角の耳が見えてきそうだ。

 

――うっ……。だめだめ! 私は自分にできることは全てするって決めたんだから、貫き通すのよ!


 ルイ様は危険だからこれからは王宮に滞在すればいいと提案してくれた。けれど、私は自分だけ安全な場所から事件が解決するのを見届けるだけになるのが嫌で、ありがたいことながら首を横に振った。


「ルイ様。何度考えても私が動いたほうが犯人の尻尾を掴みやすいです」

「でも、そうしなくても解決する方法はあるし……」

「私が動いたほうが速いです」

「でも……」

「ルイ様。私もデューイ様から呪術で人を殺す方法を聞いて、思い当たることがあったと伝えたはずです。ルイ様も私の考えを支持してくださいました」


 デューイ様は「薬草に魔術を込めてその性質を致死性の毒を持つものに変える」と言っていた。私に使われたのが本当にその呪術だとしたら、犯人ではないかと思い当たる人物は一人しかいない。

 

「そうだけど……。僕はリリーに自ら危険に飛び込むようなことをしてほしくない」


――私、ルイ様に愛されてるんだなぁ。


 私は一人感慨に耽っていた。まだ片思いをしていた期間のほうが長いので、愛されていると実感できるととても嬉しい。想いに応えたくなる。


――これは私が対峙しなければならない問題だから譲れない。けれど、ルイ様のことは安心させたい。


「ルイ様。私はルイ様と結婚して、王太子妃になる予定です。ルイ様の隣に並び立てる強い王太子妃に……!」


――自分の運命は自分で切り開くものだから。


「こんなところで負けてしまうようなやわな精神はしておりません。その上ルイ様とデューイ様の助けも得るのですから、負ける気がしません」


 私の強い意志を感じ取ってくれたのか、ルイ様は眉尻を下げて引き下がってくれた。


「そうだった。僕が好きになったのはリリーのそういうところだった。リリーには思う通りに生きてほしい。それが僕の願いだ」

「ありがとうございます。ルイ様、大好きです!」

「僕も。愛してる。誰よりも」

 

 ルイ様にぎゅうっと力強く抱きしめられ、私は王宮から奨学生寮に戻った。



✳︎✳︎✳︎



 季節は初夏。もうすぐ学園に入学して一年を迎えようとしている。

 私の時間が逆行してまだ一年とも言える。逆行前はクラウスを追いかけることに夢中で、こんなに濃い学園生活は送れていなかった。


 必死で生きてきた昨日までのできごとを考えながら、私は支度を終えて部屋を出た。


「おはようございます、リリアーヌお嬢様」

「おはよう、シエンナ」


 リビングのような広間の中心に置いてあるソファーへと座ると、シエンナがいつもの紅茶を準備してくれた。

 私はティーカップを手に取り、香りを楽しみながら茶色の液体を口に含む。


「少し香りが変わった?」

「わかりますか? 茶葉をより新鮮なものに変えたのです」

「そう。これもおいしいわ。落ち着くいい香り」


 私は朝食の準備をしているシエンナを眺める。彼女は私の専属侍女として、幼い頃からずっと親身に世話をしてくれていた。

 

 ……と、思っていた。


「シエンナ。そういえばこれって、どこから仕入れている茶葉だったかしら? おいしいからぜひルイ様にも飲んでいただきたいの」

「これは、私が独自にブレンドしているものなので、市場には出回っていないのですよ」

「そう……。じゃあ、少しだけ分けてもらえる? ルイ様に差し上げたいの」

「そんな……! ルイナルド殿下に献上するなんて……」

「難しいかしら?」

「……光栄です。少しだけでしたら……」

「ありがとう」


 私はシエンナから分けてもらった茶葉を持って席を立った。

 

「あら……? もう行かれるのですか? 授業が始まるまでまだ時間がありますけれど……」

「うん。授業の前にルイ様と会う約束をしているから。もう行かなきゃ」


 シエンナの制止を振り切るようにして扉へと向かった。

 

「お気をつけていってらっしゃいませ」

「シエンナ……。ありがとう」

 

 私は顔に貼り付けたような笑いを浮かべてお礼を言い、扉の外へと出た。

 

 話しながらシエンナが準備してくれた朝食は、「食欲がない」と言って一切手をつけなかった。

 

 シエンナが少しだけ分けてくれた「いつもの紅茶」の茶葉を持ってある場所へ向かう。その足取りは鉛のおもりをつけているように重かった。



✳︎✳︎✳︎



 昨日。ルイ様は私を抱きしめたまま、最後にとても大切な話が残っている、と切り出した。

 

「実は、犯人については予想がついているんだ」


 ルイ様はそう言って抱きしめていた腕を緩め、気遣わし気に私を見つめた。吸い込まれそうなほど綺麗なアレキサンドライトの瞳は、私を映して心配そうに揺れている。

 

――そうか! なんで気づかなかったんだろう! 逆行前、私が死んで一番都合が良かったのはクラウスの恋人だわ……! ルイ様は私の死に際にあの場にいたのだから……


「逆行前に、クラウスと噂になっていた方……」

「そう。でも、まだ証拠が掴めていないから……」

「デューイ様を頼るのですね」

「うん……。悔しいが、呪術に関してはあいつ以上に詳しい者を僕は知らない」

「ふふ。信頼していらっしゃるのですね」

「呪術や闇魔法に関してだけはな」


――こんなにルイ様が信頼なさっている方だもの。デューイ様の助けはとても心強いわ。


「私が証拠を持ち出します。それをデューイ様に見てもらえばいいのですよね」


 デューイ様は闇の魔力の残滓を見ることができる。デューイ様の前では人に宿っているものも、物に宿っているものも等しく同じ魔力として可視化されるのだそうだ。


――私の予想が合っていれば……すごく悲しくて辛いけど、私自身の手ではっきりさせたい。


「とても心配だけど……。リリーは自分で証拠を手に入れたいんだよね?」

「はい。自分のことですから、自分で責任を持ちます」

「わかったよ。じゃあ、持ち出せたらまっすぐに僕のところへ来て」

「はい。必ず」


 

✳︎✳︎✳︎



 ルイ様との話の内容を思い出しながら奨学生寮の廊下を歩いた。茶葉を持ってくるようにと指定された場所は、私が入寮した日にロザリア様に招かれた温室だった。


 今日もいつものピアノの音が聞こえる。ここ最近は毎日だ。このピアノは誰が弾いているのか、聞いたことがあっただろうか。この温室の雰囲気とピアノの曲が調和しすぎていて、疑問を抱いたこともなかったかもしれない。

 温室の奥に進むと、ルイ様とデューイ様が既に席について待ってくれていた。

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