馬車の中
馬車に乗り込み、二人とも座席に腰を落ち着けたことを確認すると、クラウスが御者に出発するよう伝えた。
馬車に乗り込む前には、見送りに出てくれたノアと抱き合い、ひとしきり別れを惜しんだ。(ただ学園に向かうだけなのに)
クラウスは爽やかな笑顔を向けたままだったので、もう慣れてくれたのかもしれない。「私の中でクラウスが一番ではない」アピールは成功したと思われる。
馬車が出発したところで、私は機先を制するがごとく声をかけた。
「クラウス、迎えに来てくれてありがとう。とても心強いわ」
にっこりと愛想笑いもつけた。
それに気を良くしたのか、クラウスは笑顔をさらに深め、甘い言葉を吐いた。
「当然だよ。愛する婚約者のためだからね。リリーが許してくれるなら、これから毎日でも迎えにくるよ」
キラキラした笑顔つき。
以前の私なら見惚れていたと思うが、今の私には全てが嘘くさく見える。
――信頼を失うとはこういうことなのね。今までの視点が180度ひっくり返ってしまったみたい。私も大切な人からの信頼を失わないように気をつけないといけないわね。
今までは他の女性と話しているときの彼には近づかないようにしていた。醜く嫉妬する姿を見られたら、クラウスに嫌われてしまうに違いないと思っていたからだ。
けれど、彼に対する信頼がなくなった今は疑問に思うのだ。私に言ってくれていたような甘い言葉を、私以外の女性にも言っているのではないか? と――。
「……ありがとう。でも、そういった気遣いは、今後は遠慮するわね」
「リリアーヌ、それは……どういうこと?」
「私はクラウスの婚約者として、何もかも足りていないじゃない? 外見ばっかり磨いて……中身の伴わない「ハリボテ令嬢」って呼ばれてるのは誰もが知っているもの。学園への入学を機に、私はより一層勉学に励もうと思っているの。だから、これからはクラウスと過ごす時間を優先できなくなると思うの」
これは、半分嘘で半分本当のこと。
彼のためにというわけでは決してないが、私の
以前の私は、お世辞にも勉強ができる子とはいえなかった。最低限の努力はしたが、本当に最低限。要領が悪かったからか、元々の頭の作りがそれなりだったからか、普通に勉強するだけでは最低限の成績しか保てなかった。
だからきっと、満足する成果を挙げたいのなら、私は人の何倍も努力しなければならないのだと思う。
当時の私は、何倍もの努力をして成績を上げることと、外見を磨いてクラウスの隣に相応しい自分を創り上げることとを天秤にかけ、最終的には後者に最大限の比重を置くことに決めた。だから、「ハリボテ令嬢」と言われるのも仕方ないと諦めていた。
けれど、今の私はクラウスの婚約者として相応しくある必要などない。むしろ婚約は解消されるよう努力する予定なのだから、彼とは距離を置きつつ、自分のための勉強にすべての時間と労力を注ぎ込む所存である。
最低限の知識は既に手に入れているのだから、これからの時間を全て費やせばなんとかなる気がしている。
私が未来への希望と「なんとかなる気がする」という根拠のない自信に満ち溢れた思考に没頭している間、目の前にいるクラウスは顎に手を置きなにやら思案顔をしていた。
急に態度が変わったから不信感を抱かせてしまっただろうか? ……仕方ない。媚びるのは苦手だし、クラウス相手に機嫌を伺うようなことをしたくはないけれど、そんな些細なことを気にしている余裕はない。
「クラウスのために頑張りたいの。だめ……?」
――自然にしなをつくって上目遣い。できれば少しだけ瞳を潤ませる。そしてさりげないボディタッチができれば完璧。
私は友人から習った秘技『潤み目で上目遣い〜できればボディタッチを添えて〜』の手順を思い出しながら実践した。ボディタッチは初心者にはちょっとハードルが高かったけれど、クラウスは
「わかったよ。私のために頑張ってくれるのは嬉しいが、無理はしないようにね?」
ため息とともに紡がれた言葉に、私は満面の笑みで答えた。
「うん。もちろんよ。私、頑張るからね!」
――あなたのためではなく、私のためにね!
以前、学園でとても人気があった令嬢の真似は効果抜群だったようだ。私はウキウキした気分で馬車の窓から晴れ渡った青空を眺める。
彼女とは同じクラスになったことがきっかけで割と仲良くさせてもらい、男性を
そう。彼女は男性の前で猫をかぶる技術を
女性たちは彼女が自分本来の性格を隠さなかったため、彼女が男ウケを狙って猫をかぶっていることを知っていたが、男性たちは一人残らず見事に騙されていた。
「私の演技に騙されない人と結婚したいの」と言っていた彼女と、これからまた出会えるのが楽しみである。欲をいえば以前以上に仲良くなりたい。
リリアーヌは自らの望む未来のために早速一仕事終えたことに安心し、解放感に鼻歌でも歌い始めそうな勢いで浮かれていた。
クラウスはそんなリリアーヌの姿をさりげなくじっと見つめていたのだが、その視線にリリアーヌが気づくことはなかった。
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