陥落
私は授業が終わったあと、いつも通りルイ様たちの待つ図書館に向かうところだった。
――それが、なぜこんなことに……?
目の前には片膝をつき、なにかを乞うように一心に私を見つめる
「お願いだ。リリアーヌ。なんでもする。お願いだから私と結婚してほしい。私はきみでないとだめなんだ」
私は細くため息をつくことしかできなかった。同じやりとりをもう何度も繰り返していて、結果は
婚約破棄前までは公衆の面前でこのように愛を囁いて私にも同じ気持ちを返すよう強要していたが、婚約が破棄されると周りの目を気にするようになったのか、今のように強制的に空き部屋に連れて来られるようになった。
「ベリサリオ様。もう何度も申し上げていますが、私の気持ちは変わりません。お断りいたします」
「……でも、私と結婚したらリリアーヌの悪評は収まるだろう? 私のせいで傷つけてしまって本当に申し訳なかったと思っているんだ。もう二度としないと誓う。この大きすぎる罪をきみの隣で一生涯、誠心誠意償わせてほしい。だから……」
「ベリサリオ様、もう私たちは元の関係には戻れません。あなたのことを好きだった私はいなくなったのです。どうか、私を自由にしてください」
「リリアーヌ、どうして……お願いだから……」
縋り付くクラウスと断る私。もはや見慣れた光景だ。この堂々巡りの応酬も。
これ以上どうしろというのか。私は心底困り果て、心の安寧を求めるように「早くルイ様に会いに行きたい……!」と強く心の中で呟いた。
「こんなところにいたのか。私の最愛の婚約者殿。迎えにきたよ」
「ルイ様……!」
「婚約者……?」
会いたいと思っていた瞬間にその人本人が現れたので、私は感激してルイ様の元へ駆け寄ってしまった。
その光景を目にしたクラウスには二人の関係が「本物」らしく見えたのかもしれない。
「婚約者」という単語に過敏なほど反応しているように見えたクラウスは、非常に不機嫌そうな顔で「そういうことか」と呟いた。
「殿下。私のリリアーヌがほしいなら正面から私に挑んでほしかったですよ。こんな卑怯な手を使うなんて……」
――何を言っているのだか。
私はクラウスが発したそのセリフを耳にした途端、猛烈な怒りが胸の内に渦巻くのを感じた。
だって、私たちの婚約を破棄することになったのは、間違いなくクラウスの責だ。なぜ私の味方になって助けてくれたルイ様が「卑怯」などと侮辱されなければならないのか。
「ベリサリオ様。聞き捨てなりません。誰よりも素敵な
「リリアーヌ! 私だって聞き捨てならない。
クラウスがすごい剣幕で迫ってきたけれど、負けていられないと思った。私はもうクラウスの婚約者ではない。それなのにいつまでも彼の所有物扱いされることは我慢ならない。
そうだ。ルイ様は私の婚約者となるのだから、もうクラウスに煩わされることもないのだ。
貴族社会では婚約者を持つ異性に近づくことは忌避されるから――。クラウスを遠ざける大義名分にもなるということだ。こんな素敵な解決策を授けてくれたルイ様には感謝しかない。
「私はルイ様の婚約者となる身です。ですから、今後は私に近づくことはお控えください」
「な……! リリアーヌ、殿下に手を貸してもらって私の術を暴いたんだろう? それがなければ私たちはうまくいっていた! 私はリリアーヌを愛する気持ちに正直になれたし、リリアーヌは愛する私と結婚できたのに……!」
「違います。ベリサリオ様」
私は首を横に振った。
クラウスの主張は根本から間違っている。
「私は、元々どうすればあなたと婚約解消できるか考えていました。そんな時にあなたと女性の逢瀬を偶然目撃してしまったのです。そして、ルイ様もその場に偶然居合わせたのですよ。その縁で力を貸していただいていただけです。言ってみれば、あなたのおかげで私たちの縁が結ばれたともいえますね?」
ルイ様は控えめに私の背中に手を添え、「触れてもいい?」と目で語りかけてくれた。私は彼の意を汲み取り、笑顔で了承の合図を送る。彼はこうしていつも私に最大限配慮してくれるのが嬉しい。
私が頷いたことを確認したあと、私の肩を抱いたルイ様はクラウスに向き合った。
私の説明を聞き、この一連の無言のやりとりを見て、クラウスが絶望の底に落ちていたことに、このときの私は全く気づかなかった。
「リリーはもう私の婚約者になることが決まっているから、きみの求婚は受けられない立場なんだ。わかってくれるだろうか? 彼女のことは私が大事に守って必ず幸せにするから安心してほしい」
ルイ様の隣にいて、肩を抱かれて体温を感じていると、こんな状況なのに心から安らげて驚いた。
私より頭一つ高い位置から太陽のように温かな視線が降り注ぐ。
ルイ様の笑顔は大輪の薔薇が綻ぶように優しく華やかで美しい。それでいて、瞬く瞳は夜空に輝く星のように煌めいている。昼と夜の全ての自然美を閉じ込めたような魅惑的な笑顔は、否応なく私の心臓を高鳴らせる。
「私と彼女の縁を結んでくれたことは感謝する。だが、もう彼女のことを呼び捨てになどしないことだ」
最後は片目を瞑りながら牽制までしてくれた。そんなキザな仕草もルイ様がすると洗練されていて見惚れてしまった。
そして、「私が嫉妬してしまうからね」と私を愛おしそうに見つめながら言ってくれた。目線だけで甘やかされた気分だ。これでキュンを抑えろというのは無茶な要求だと思うのだ。
思い出すと、クラウスの隣では不安、嫉妬、劣等感、妬み嫉み……負の感情を持つことが圧倒的に多かったように感じる。
対して、ルイ様と一緒にいると温かな瞳に柔らかな笑み、優しい言葉、安心、穏やか、安らぎ……ぽかぽかする気持ちでいっぱいになる自分に気づいた。
――こんなの、好きにならないなんて無理じゃない。
いつからかなんてわからない。
私は、自分でも気づかないうちにルイ様に陥落していた。
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