第三章 偽装婚約?

険しい道のり

 無事、クラウスとの婚約破棄は成立した。

 

 最後に何かしてくるかと警戒を怠らないようにしていたけれど、結局は終始変わらず一生懸命に愛を囁くばかりで、それ以上のことは何も起こらなかった。

 

 婚約破棄できて私はやっとしがらみから抜け出せた解放感でいっぱいだったが、予想通り悪女と謗られる声はその後さらに大きくなった。

 けれど、私は何も悪いことはしていないのだから、決めていた通りに堂々としていることにした。

 だって、私のことを何も知らない人に言われたことで傷つくなんて悔しいではないか。

 私は自分に恥じることなど何一つしていない。

 ただ、私を愛し、守ってくれる家族に対しても印象が悪くなってしまったことは申し訳ないと思う。もっと上手な対応の仕方があったのかもしれないと悔やまれる。


 これからもっと勉強をして、社交界での戦い方も学んでいこう。できないことを嘆いているばかりでは前には進めない。今はコツコツとできる努力を続け、その結果を積み上げていくしかないのだ。

 

 気持ちも新たに、まずは奨学生となる道を突き進もうと目の前の課題に取り組んだ。

 

 奨学生の制度は、ミディール学園独自の制度で、学生に「名誉」を与えるために始まったものだ。

 歴代の奨学生には歴史に名を残す有名人ばかりが名を連ねるため、これに選ばれると「箔」がつくのだ。

 また、奨学生に選ばれると学費が二割程度免除されることに加え、奨学生だけのために建てられた寮に入ることができる。ここには王宮に仕える使用人が派遣されており、快適な環境で勉強に打ち込めるよう配慮されている。

 さらに、奨学生のみが着用を許される紫紺色の制服を身に纏うことができ、王宮図書館へのフリーパスが与えられる。

 裕福な貴族にとっては学費に関してはあまりメリットは感じられないが、貴族は何より名誉を重視する人種なので、この「奨学生」は学園のほとんどの学生が目指しているといっても過言ではない、憧れの象徴であった。また、与えられる特権の性質により、勉強に打ち込みたい学生にとっても魅力的な制度だった。


 何としてでも生き残りたい私にとっても、なによりも魅力的な条件が一つある。


――王宮図書館へのフリーパス! 絶対に手に入れてみせるわ!


 私は俄然燃えていた。王宮図書館にはこのミディール学園にもない、貴重な蔵書がたくさん保管されている。

 今は勉強して知識をつけることに全力を注いでいるが、それが落ち着いたら本格的に私の命を奪った病気について調べるつもりだ。そのときに王宮図書館のフリーパスがあれば大活躍間違いなしだ。

 

 そのために、まずは目の前の中間考査で学年の上位に食い込むのが目標だ。考査のあとに奨学生の選定があるので、ここでの成績が重要なのだ。

 正直、勉強に打ち込みすぎていて、周りの騒音は既に意識の外に追いやられていた。だから気を抜きすぎていたのかもしれない。


✳︎✳︎✳︎

 

「あら、あなたは『悪女』で有名なリリアーヌ・ジェセニア嬢ですわよね?」


 図書館で勉強に集中していたとき、突然声をかけられて驚いた。顔を上げて相手を確認すると、私の目の前にはカトレア・スカーレット公爵令嬢がいた。

 彼女は時を遡る前、私の親友とも呼べた友人の一人だ。彼女と出会うのはまだ先のはずだったが、こうして声をかけてくれたのはとても嬉しい。


「お初にお目にかかります。カトレア・スカーレット公爵令嬢。私はジェセニア伯爵家の長女リリアーヌと申します」

「あら。挨拶などいいのですよ」


 カトリーは公爵令嬢という高位貴族でありながら、とても物腰柔らかで、いつも上品に慈愛の笑みを浮かべていた。その美貌と魅力、話術が多くの人を惹きつけ、社交界の華と呼ばれていた。

 名実ともに貴族社会においてトップに君臨する彼女は、「ハリボテ令嬢」と嘲笑される底辺令嬢の私と仲良くしてくれるのが信じられないほど雲の上に存在しているはずの、とても素敵な女性だった。

 私が悪く言われていると、決まってそばにやってきて私を守ってくれた。そんなカトリーのことが、私は大好きだったのだ。

 優しく慈悲深い彼女のことだから、私が悪女と呼ばれているのを不憫に思ってわざわざ声をかけてくれたのかもしれないと想像した。

 今回もそんな心優しい彼女と是非友人になりたい! と目を輝かせながら言葉を紡ごうとしたところ、微笑んでいたカトリーはスッと目を伏せ、表情を一変させた。

 

「……私は今後一切あなたと親しくすることはないでしょうから」


 バサっと手に持っていた扇子を開き、口元を隠した彼女の鋭い視線に射抜かれた。その視線の冷たさと、敵対心溢れる一言に背筋が凍るようだった。


「それはなぜなのか……理由をお伺いしても……?」


 見たことも、想像したことすらない彼女の態度に、信じられない思いで震える唇を懸命に動かして質問した。

 発した声も震えてしまっていたかもしれない。

 そんな私に対してカトリーは容赦なく言った。


「そんなのわかりきっているでしょう。あなたが『悪女』だからです。あんなにも真剣に愛を伝えてくれる人を弄んで捨ててしまうなんて……常識を持つ淑女レディがすることとは思えませんもの。そのような方と親しくしようなんて誰も思いませんわ」


 私は完全に凍りついてしまった。関係ない人に『悪女』と言われても傷つかない自信があったが、それをまさか、心から憧れていた人に言われるなんて……。


「え……と……」


 言葉を続けようとするも、衝撃が大きすぎて口が上手く動いてくれなかった。その上、頭も働いていないようで、返すべき言葉も見つからない。


「会話が成立しないところをみると、『ハリボテ令嬢』という呼び名もただの噂ではなさそうですわね。今日から二度と私の視界に入らないでくださいませ。伝えたかったのはそれだけです。それでは」


 カトリーが去ったあと、抜け出ていた意識を取り戻した私は、必死で彼女を追いかけた。

 彼女との友情を諦めきれなくて、追い縋って話を聞いてほしいと懇願したのだけれど……。視界の端にも私の姿を入れるのが嫌な様子で、どんな表情をしているのかすら見せてもらえないまま、彼女の護衛に行く手を阻まれた。護衛の方にも軽蔑したような目を向けられ、これが世間から見る私の評価なのだと再認識した。

 悪いことなどしていないのだから堂々としていよう、なんて甘い考えだったのかもしれない。

 

 ここまでの悪印象を覆すためには、ただ奨学生になるだけでは難しい気がする。彼女を「カトリー」と呼ぶことは現時点では絶望的だ。彼女をそう呼べるようになりたいなら「悪女」の印象を払拭しなければならない。


 それでも、今私がやるべきことは変わらない。まずは奨学生になって王宮図書館のフリーパスを手に入れること。そして何としてでも生き残る方法を見つけること。できることから始めていくしかないのだ。

 私は気を取り直して目標を明確にすることで自分に喝を入れながら、それでもやはり落ち込む気持ちを制御できないまま帰途に着くこととなった。


 だから、その後ろ姿を陰ながら見送る姿があったことには気づかなかった――。

 

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