最後の足掻き

「……それは、確かなことなのか?」


 ベリサリオ公爵は、クラウスを視界にも入れず、真っ直ぐに私を見つめて聞いた。

 それは、間違いは決して許さないとでも言うかのように厳しい顔つきだった。


「はい。今から詳細をお話しますので、この場に公証人の方を呼んでもよろしいでしょうか?」

「ああ。こちらとしてもありがたい。公式に記録を残してもらわねば」

「ありがとうございます」


 父と私は揃って頭を下げた。

 ベリサリオ公爵は突然の話に混乱しているだろうに、冷静に対応していた。対するクラウスは表面上は繕いながらも、顔を真っ青にさせていた。


 公証人の方がゲストルームに入室した。自己紹介ののち、彼が席に座るのを見届けてから、私は先ほどの発言の続きを話し始めた。

 

「私は、確かにクラウス様の浮気現場を目撃しました。一ヵ月前、ミディール学園の図書館でのことでした。クラウス様、覚えていらっしゃいますよね?」

「……」

「クラウス、どうなんだ」

「……」


 ベリサリオ公爵は少し焦っているようだった。明らかにクラウスの顔色は悪いし、彼は項垂れるように顔を俯けて無言を貫いているのだから。クラウスにはもちろん心当たりがあるだろう。


 何も答えない息子に焦れた様子のベリサリオ公爵は、質問する矛先ほこさきをリリアーヌに変えた。


「証拠は、あるのだろうか? リリアーヌのことを疑うわけではないが、クラウスはリリアーヌを非常に大切にしていた。その息子がそんなを犯すだなんて、私には到底信じられないのだ」


 そうでしょうとも。私は内心大いに納得した。

 クラウスは品行方正で成績優秀、入学当初からずっと奨学生の座を守り続けている、学生の鑑とも呼ばれる存在である。ベリサリオ公爵としては非の打ち所がない自慢の息子。素行については何も心配していなかっただろう。

 私とて、『死んでくれればいいのに』なんて言葉が彼の口から発せられる前は、彼の表の顔を信じきって疑いすらしなかったのだから。

 

 でも、ベリサリオ公爵にも目を覚ましていただく時が来たのだ。お相手のご令嬢たちのために、何より私の自由獲得のために、クラウスの罪は暴かれなければならない。

 

「もちろんあります。私も自分で見たものが信じられなくて、その日は気が動転していましたから。その後、ちゃんと調査をして事実を明らかにしなければいけないと思ったのです」


 私は、精一杯傷ついた表情をして、悲嘆に暮れる雰囲気をかもし出す。

 ベリサリオ公爵と父は痛ましそうな視線を私に向けるので、私は自信を持って悲劇のヒロインを演じることができた。


「まずはこちらをご覧ください。三週間の調査結果をまとめてあります」


 父と母にも見せた資料をベリサリオ公爵とクラウスに差し出す。公証人の方にも同じものを提出している。


「これは……」


 書類には詳細な追跡結果が記されている。日付、時間、場所、相手、どのような会話がなされていたか……おまけに決定的な場面の写真つきだ。もちろん女性側の尊厳は守られるように加工してある。

 もっと確実な証拠を、と言われた時のために映像も記録してあるが、両者の表情を見る限り、どうやらそれが必要になることはなさそうだ。


 ベリサリオ公爵は全ての感情を削ぎ落とされたかのように愕然がくぜんとした表情で、勢いよく頭を下げた。


「うちの愚息が、大変な不義理を犯してしまい、申し訳ございません」


 クラウスのほうには一切視線を向けずに、呆然としている彼の後頭部を掴んで床にむけて力いっぱい押し下げ、強制的に頭を下げさせた。


「クラウス……お前も謝るんだ」


 怒りを精一杯抑え込んでいるような、声量は小さくとも低く、全ての人を無意識のうちに従わせるような威厳のある声色だった。


「申し訳……ありませんでした……」


 クラウスは父親に頭を押さえつけられながらはらはらと涙を流していた。

 

 冗談じゃない。

 なぜあなたが涙しているのか――。

 泣きたいのは被害者である私のほうだ。


「クラウス様……泣きたいのは私のほうです……」

 

 怒り狂う気持ちを抑え込み、両手を重ねて胸を押さえ、心から傷ついたことをアピールをする。

 

 私の声を聞き、クラウスは俯けたままになっていた顔を上げる。

 

 父とベリサリオ公爵は私に同情した表情を向け、クラウスには非難するように厳しい目を向けている。


 ただ、二人が向ける非難の質は根本的には異なっているだろう。

 

 父は私の気持ちを最大限おもんばかってくれているだろうけれど、ベリサリオ公爵にとってクラウスは優秀で可愛いひとり息子だ。

 唯一の後継でもあるので、本当の意味で私の気持ちを優先させることはないだろう。

 この場を去れば浮気程度で息子の未来を潰すのは惜しいと、更生は促しても厳しい処罰は下さない可能性は高い。「この場をうまく収めてみせろ」とでも思っていそうだ。


「こんなことするんじゃなかった……。心から後悔している。婚約を破棄することだけは許してほしい。リリー。愛しているんだ。結婚するならリリーじゃないと嫌なんだ。お願いだから……」


 クラウスはすがるような目をして私を見た。


「私との将来を考えてくれていたのなら、どうして浮気をしたのですか? あなたが浮気さえしなければ、私はあなたと結婚したはずです」

 

――『以前の私ならば』という言葉は胸に留め置く。話を複雑にしてしまいそうな言葉は言わないに限る。

 

「……」

「私と結婚する未来を、私たち二人の関係を断ち切ったのはあなた自身です」

「違うんだ……」

「何が違うのですか? お相手の令嬢たちは三名ともベリサリオ家に逆らえない家柄でした。口止めも完璧でしたでしょう? そこまで徹底した人選をして、尾行対策もしっかりして、そうまでしてなぜ浮気をしたのですか?」


 私は、一番疑問に思っていたことをぶつけた。

 この際だ。言い訳もしっかり聞かせてもらおう。


「私という存在を肯定してほしくて……でも、彼女たちと一緒にいても、心は満たされなかった。なぜなら、私が愛しているのはリリーだけだからだ」


――「自分を肯定してほしかった」? 私が何年も毎日「好きだ」と伝えていたことは「肯定」に値しなかったということ?


 私はため息をつきたくなった。

 

 結局、クラウスは浮気をしたことが悪いとは思っていないのだ。

 そうでなければこんな支離滅裂な言葉が出てくるはずがないし、都合の悪いことは隠したいのだ。

 

「私と比べたかったから、浮気をしたと」

「そうじゃない」


 やっぱり浮気した人間の言い訳なんてろくなものじゃない。言い訳にすらなっていないのだから。

 

「浮気をして、それで私が一番だとわかったところで、私が喜ぶとでも思いました?」

「違う。リリーは他の誰と比べたとしても……そもそも比べなくとも、私の中で一番なのは変わりないんだ……」


 今回の件に対してお互いの認識が合致しないので、すれ違ったまま会話が進んでいく。

 

「バレなければ何をしても許されるとでも思っていたのですか?」

「……」


 あ。ここでは認識が一致したらしい。

 

 なるほど。クラウス的には浮気ではないけれど、バレなければいいと思ってしていたことだったと。

 

「法律にのっとり、婚約破棄とさせていただいてよろしいですよね?」

「……わかった。私が何と言おうと、リリーが浮気だと言うなら受け入れる。でも、一つだけ条件を飲んでほしい。それさえ叶えてもらえれば、素直に婚約破棄を受け入れると約束する。最後のお願いだから……」


 今まで私とクラウスのやりとりを静かに眺めていたベリサリオ公爵は、愛する息子が必死に縋る様子に我慢できなくなったのか、重ねて頭を下げた。


「愚息の罪深さは理解しているが、最後の願いだけ聞き入れてもらえないだろうか。この私に免じて、よろしくお願いします」


 クラウスの願いが何かも聞いていないのに、ずるくはないだろうか。これでは私が悪者みたいだ。

 はぁ、と私はこっそりため息をついた。


「まず条件をお聞かせ願います」

「半年……、いや、三カ月でいい。最後にもう一度だけリリーに考え直してもらう期間を設けてほしい」

「何をされても、何を言われても、私の気持ちは絶対に変わらないと断言できますけれど、それでもいいのですか?」

「……気持ちが変わらなかったら、いさぎよく諦めると誓う」

 

――うーん。仕方ない。なんだかクラウスもベリサリオ公爵も折れてくれそうにないし、私の気持ちは絶対に変わらないし……この条件さえ飲めばすんなりと婚約破棄できるのだとしたら……婚約破棄したくないとごねられて裁判にもつれ込むよりはいいのかもしれない。

 

 私はそう考え、提案を受け入れることにした。

 隣の父も「リリーが好きなようにすればいい」と強く頷いてくれた。


「わかりました。条件を受け入れます。ですので、三カ月後にはクラウス様も必ず約束を守ってください」

「了解した」

「リリアーヌ、愚息が本当に申し訳なかった。最後の頼みを聞いてくれて心から感謝する。ジェセニア伯爵も、ありがとうございます」


 静かに頷いている父を見ながら、こうしてベリサリオ公爵にも恩が売れたなら、いい選択だったかもしれないと私は思った。

 

 争わず、穏便に婚約破棄することが一番の目的だったのだから、結果は上々だといえる。

 クラウスが何を考えて三カ月の猶予を欲しがったのか、その真意はわからなかったが……。

 私が意志を曲げなければそれで済む問題なのだから、何も問題はないと思った。

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