第34話 どうして?


「社長」

「マノ君……。どうしたの?」


 いつの間にかマノが部屋の入り口に立って、スウミを見ていた。マノも黒い服を着ている。急きょほかの社員から借りた喪服だ。


「お話をしたいのですが、よろしいでしょうか」

 頷き、固いソファに並んで腰掛けた。


「社長、済みませんでした。僕がついていながら病に気づけず……」

 泣きそうな声だった。

「マノ君は何も悪くないよ。気に病まないでね。それより手紙をケブルまで送ってくれてありがとう」

「……社長は僕を責めないんですね」

「だって責める理由がないよ。マノ君がうちに来てくれて本当に良かったって思ってるんだよ」

 唇を噛んで俯いたまま顔を上げようとしないマノは、いつもの穏やかで落ち着いた空気が消え、痛々しさすら漂っていた。


「デルファトル公爵はどうして伝説野菜を食べなかったのでしょうか」

「え?」

 なぜマノが伝説野菜のことを知っているのだろうと疑問に思ったが、デルファン本店を一緒に切り盛りしているうちに、父が話したのかもしれないと思い直した。


「それは、自分が死ぬことで、私にお金を残してあげようとしたからなのかな?」

「つまりお金のために死を選んだのですか」

「そう言われると、ちょっと違うかも。うーん、多分だけど、お父様は運命を受け入れようと思ったのかも」

 病気であること。それがお医者さんには治せないこと。それらを受け入れたのだろうと思うのだ。


「どうして……。生きることができたのに、どうして死ぬ運命を受け入れるのですか」

「疲れちゃったのかもしれないね」

 マノは顔を上げて、

「どういうことでしょう」と、苦しげに尋ねてきた。

「ん、私もよくわからないけど。でも、なんとなくね、そう思ったの」

 20年にもわたる貧しい生活は、じわじわと父の生きる気力をそいでいったのかもしれない。

「そうですか……」

 マノはまた俯いてしまった。膝の上に置いた手は強く握りすぎて白くなっている。


「僕の知っている人も、まだ生きられたのに延命を拒絶したのです」

 再びスウミを見つめてきたマノは、痛みをこらえるような顔をしていた。

「どうしてだかわかりますか。僕にはわかりません」

「ごめんね、私もわからないよ……」

 きっと理由ならいくらでも挙げることができる。悩みがあるとか辛い境遇に置かれているとか。だけど他人が幾ら考えたって、本当のことは本人にしかわからないのだろう。


「でも、マノ君がとても悲しんでいるってことはわかるよ。その人が亡くなって辛かったんだね」

「辛い? 僕がですか」

 スウミは頷いた。

「好きな人だったのかな?」

「いいえ」

 マノはかぶりを振った。

「僕はただ、その人に幸せになって欲しかっただけです」

 どこかで誰かも同じようなことを言って泣いていたなと思った。


「ただ笑って欲しかっただけです」


 両手で顔を覆ったマノを、そっと抱き寄せた。スウミの肩に顔を当てて、マノはすすり泣いた。肩が熱いのは、涙と吐息のせいだろう。こんなにも熱いのは、思いの強さの証拠みたいに思えた。

 スウミには、震えるマノの背中を撫でてあげることしかできなかった。




 翌日、王城の騎士たちがやってきた。

 スウミが前日の警護のお礼を言って、用件を尋ねると、「正面玄関を閉めるよう、エルド王子から言いつかった」とのことであった。

 言われてスウミは思い出したが、屋敷の玄関は半年ほど開けっ放しのままなのだった。このご時世に物騒だから閉めろということらしい。


 ここを開けたのは父だ。父が亡くなったから閉めるというのも当然のような気がした。スウミは騎士たちに手伝ってもらい、大きなドアを押して閉めて、重くて長いかんぬきをかけた。


 今後は勝手口から出入りすることになるだろう。以前のように。でも、父はもう厨房で待っていてはくれないのだ。そう思うと、また少し涙が出た。


 戸締まりが済んで、スウミは騎士たちと一緒に王城へ向かうことにした。父が遺書に書いていた見舞金のことを問い合わせるつもりだ。正直なところ借金は自分で稼いで返したいという気持ちはある。だけど、父が遺してくれたお金だ。きちんと受け取りたい。


 屋敷を出るとき、タイリルから「思ったよりお元気そうで良かった」と声を掛けられた。人からはそう見えるのだろうか。


「きっとタイリルさんたちが私を支えてくれているおかげですよ」と答えてから、自分でも本当にそうなのだろうなと思った。昔の自分だったら何カ月も泣いて過ごしていたかもしれない。今はやるべきことのために、悲しみを胸の奥にしまっておくことができる。



 王城に無事到着し、騎士たちと別れてから、門を守る兵士にどこに行けば良いのか尋ねると、出納すいとう係という役職の人がいる部屋へ行けと言われた。お金に関する申請はこちらで出すらしい。


 出納係の部屋は、謁見の間のすぐ隣にあって、室内には飾り気のない机が並び、係の人たちが書類をめくったり、何かを書き込んだりしていた。


 入り口近くに座った眼鏡をかけた男性に用件を聞かれたので、見舞金のことを尋ねると、何やら分厚い帳簿を出してきて、

「デルファトル公爵のお見舞い金その他支援金は、既に支給済みです」と事務的に告げた。

「支給済みって、そんなはずはないです。私はまだ受け取っていません。何かの間違いじゃないですか」


 しかし、出納係は帳簿を指でなぞりながら「受取人のサインがここにあります。ほら」と見せてきた。

 そこに書かれていたサインは、「リフ・ガロワ」だった。


「お父様の……別れた奧さん……」

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