第4話 伝説野菜


 迷いに迷ったが、どうにか王城を脱出できた。


 城のある王都から馬を南に走らせること約2時間。

 スウミがデルファンに着いたころにはすっかり夜も更け、丸い月が高く昇っていた。


 商業都市デルファンの町外れ、その東側には丘状の荒れ地が広がっている。黒土の荒れ地にぽつんと建つ黒っぽい屋敷は、遠くから見ると焦げたケーキの上に乗った干しブドウみたいに小さくちっぽけに見える。だが近づくにつれ本当の大きさがわかってくる。屋敷は王城ほどではないが、一般的な貴族の屋敷よりもずっと大きかった。


 スウミは門の前で馬をおりて、自宅の敷地内に入った。あたりはしんと静まりかえっていて、時々かがり火がぱちっとはぜる音が響いていた。ふだんは火など焚かない。今夜はスウミが遅くに帰宅することを見越して、父が特別に用意してくれていたのに違いない。


 スウミが真っ先に向かったのはうまやだ。腕の擦り傷の手当もしたかったが、まず馬を休ませてやるのが先だと思ったのだ。がらんとした広い厩で使われている馬房は一つだけ。そこに馬を連れていき、馬具を外して湯気の出ている体を拭いてやった。汗のついたまま夜を越させたら風邪を引いてしまいかねないから、丁寧に拭いてやった。本来なら厩番がやる仕事だけれど、スウミの家には使用人なんて一人もいないから自分でやらないといけない。


「夜遅くまで働かせてごめんね」

 首を撫でてやると、馬は眠たそうに息を吐いた。


 厩を出ると、スウミは玄関ではなく勝手口に向かった。玄関のほうは扉があまりに大きくて開け閉めが大変だから、もう何年も閉鎖したままとなっているのだ。


 屋敷の裏手にある小さな木製のドアから中に入る。そこは厨房だ。料理人が何人も働けるよう広く設計された厨房の片隅に、粗末な木のテーブルと椅子が置かれ、父はそこで頬杖をついていた。スウミと同じ金髪だが、もさもさの娘と違って父の髪はさらさらだ。そのさらさらの髪が、顔を上げた動きに合わせて揺れた。


「スウミ! おかえり。おそかったね」

「ただいま、お父様」

 隣の椅子に腰掛けると、父はスウミの手をとった。そして、いつも穏やかな微笑みを浮かべている顔を曇らせてしまった。

「どうしたんだい? 傷だらけじゃないか」

「パーティーでちょっとあって。実はお父様に報告しないといけないことがあるの」

 王城で起こったことを全て伝えると、父は唸った。

「第一王子に借りができたというわけだね」

「うん。ごめんなさい、こんなことになってしまって」

「スウミは何も悪くないさ」

 もう何回言われたかわからない言葉だ。

「元を辿れば、すべて私が悪い。スウミには苦労をかけるね」

「違うよ! 私のせいでお父様に迷惑を掛けているの」

 父の骨張った手が荒れているのを見て、スウミは心が痛んだ。

「私が生まれなければお父様だって離婚せずにすんだし、貧乏にならずにすんだのに」

 申しわけなくて、下唇をかんだ。


 今から20年ほど前のことだ。この島国でも有数の大都市デルファンを領地に持つ大貴族であったコルド・デルファトル公爵は、王族の女性リフ・ガロワと結婚して、その権力と財力をさらに強大なものにした。


 貴族としては珍しいことに政略結婚ではなく恋愛結婚であった二人は、とても仲むつまじい夫婦となった。


 ところが5年も経たないうちに、公爵の浮気が発覚した。それも愛人が子供を生んだその日に。

 愛人はお産で亡くなり、生まれたばかりの赤ん坊が残された。それがスウミだ。

 この時点では、ガロワ様はまだ離婚するつもりはなかったらしい。赤ん坊をどこかへやってしまって、このことをなかったことにしようとした。彼女は夫婦関係を修復しようとしたのだ。


 けれども、父は赤ん坊を育てたいと言い出した。


 ガロワ様は激怒して二人は離婚。財産は王の裁定によりしかるべき割合で分けられ、つまり父は領土と財産のほとんどを取り上げられ、残ったのはこの大きな屋敷と娘だけだった。


 それから20年が経ち、ガロワ様はいまも独り身で、王城のどこかで暮らしているのだという。スウミはガロワ様とは一度も会ったことがない。会う機会がなかったというのもあるし、会うのが怖いから逃げているというのもある。


 ――私が生まれたせいで幸せを奪われた人と、一体どんな顔をして会えばいいのかわからない。


「おまえをこの世に誕生させたのも、この手で育てることにしたのも私だからね。スウミは何も悪くないんだよ」


 いつもそう言って、父は慰めてくれる。


 ガロワ様と離婚後、父は再婚はせず、スウミの知る限りでは恋人もつくらずに「父」として生きてくれた。そんな父から、きょうのパーティーに出てくれと頼まれては断れなかった。だが、自分のせいでかえって父の足を引っ張ることになってしまったのではないかと心配だった。


「これまでお父様はどちらの王子の味方もせず、中立だったよね」

 父は頷く。

「王家に仕えるのが我々の使命なのだから、本来であればどちらの王子を贔屓ひいきするかなんて選ぶ必要はないんだよ。どちらも大事な王子なのだから等しくお仕えしないとね。ただ、あのお二人は仲が悪くてね……。貴族を巻き込んだ対立関係が出来上がっていることはスウミも知っているね」

「うん。有名だもの」

 おそらく国中の人間が知っているのではなかろうか。

「貴族としては、今のうちにどちらかの王子にしておけば、王子たちがそれなりの地位を手に入れた後、要職につくという御褒美をいただける可能性があるというだけの話で、うちはどちらについたところで重用されるはずもない。むしろうちなんて陣営入りを断られるだろう。なんせ没落貴族だしね」

 没落……。まあ、そうなのだけれど、そうはっきり言われると悲しいものがある。

 しかし父は嬉しそうにあごを撫でた。

「だから、これまではどっちにつくかなんて考える必要はなかったわけだけれど、大事な娘の命を救っていただいたのだから、喜んで第一王子を贔屓しようじゃないか。もちろん王のお許しになる範囲内でだけどね」

「お父様……」


 父は自分の両膝をぽんと叩いた。

「そうだ、礼状も書いておかないと。感謝の気持ちをお伝えしたいから当屋敷でもてなしたいと書いて送るよ」

「えっ、やめたほうがよくない? だってうちには使用人が一人もいないし、ちゃんとおもてなしできないよ」


 料理人がいないので、スウミたち親子の手料理を振る舞うことになってしまう。来客用の銀食器だって全部売ってしまった。父に恥をかかせたくなくてスウミが慌てて制止すると、父はおかしそうに笑った。


「大丈夫だって。招待しても王子がうちなんかに来るわけないさ。ただの社交辞令だからね。王子だってそのへんはよくおわかりだろう。いや、そんなことより早くスウミの傷の手当をしよう。実は良い物があるんだ」


 父はそう言うと、戸棚から素焼きの皿に載ったサンドイッチを取り出した。具はシンプルにキュウリのみのようだ。


――傷の手当とキュウリのサンドイッチに何の関係が……?


 首を傾げているスウミに、「召し上がれ」と言う。


「よくわからないけど、食べたらいいのね?」

 こんな深夜にサンドイッチなんて食べたら太りそうだけれど、せっかく父が用意してくれたのだから食べないと悪いと思い、サンドイッチにかぶりついた。


 もぐもぐと咀嚼していると、だんだん体が熱いような力が漲るような、不思議な感覚に襲われた。それによく見たら自分の体が発光している。


「お、お父様、これって……?」

「大丈夫だから、最後まで食べなさい」

「う、うん……」

 父が自分を傷つけるようなことをするはずがない。スウミはそう信じてサンドイッチを頬張った。食べれば食べるほど体の疲れは癒え、傷やナメクジの粘液によるただれが急激に癒えていった。


 食べ終えたころには、すべての傷がすっかり消えてしまっていた。

「お父様、このサンドイッチは何なの!?」

「伝説野菜で作ったサンドイッチだよ」

 いきなり伝説野菜なんて言われても何のことだかわからない。あまりにもとっぴな言葉だった。


「私は今日も清掃の手伝いに行ったんだけどね。そこで伝説野菜をもらったんだ」

 悲しいかなスウミたち親子は清掃の仕事で食いつないでいるのだ。とても貴族とは思えないが、お金がないのだからしかたがない。


 スウミは幼いころからこの大きな屋敷を掃除しており、いつしか掃除が得意になった。スウミの家は家庭教師を雇えないので、町の貧しい子供たちが通う無料の学習所に通っていたのだが、その帰りに清掃の手伝いをして賃金をもらっていたら、父もやってみたいと言い出して、その結果、いまでは二人で清掃に精を出しているのだった。


「伝説野菜がなんなのか、実は私もよく知らないんだけどね。なんでも伝説野菜を食べたらどんな怪我も病気も治ってしまうし、健康な人が食べたらさらに健康になるらしいんだ」

「そんなすごいものを私に!? 私、お父様に食べてほしかったな」

 父の髪はよく見たら白いものが混じっている。父には健康で長生きしてほしかった。

「いやいや、私はスウミに元気になってほしくてね。だって清掃でかなり疲労が溜まっていただろう? しかもモンスターに襲われて怪我もしたんだから」

「うん……、でも、どうしてそんなすごい野菜をもらえたの?」

 普通に考えたら、伝説野菜なんてすごいものが簡単に手に入るとは思えない。


 そのとき、玄関――滅多に開けない大扉のほうをがんがんと叩く音が屋敷内に響き渡った。


「おい、いるんだろ! 貸した金を返してもらおうか!」

 聞いたことのない男の声だった。貸した金だなんて、すごく恐ろしいことを言っている。


 ショックですくんでしまったスウミを置いて、父は勝手口から外に出ていった。大扉は閉鎖されていて開けられないから、外から訪問者に会いにいったのだ。スウミもすぐにショック状態を抜けだし、慌ててあとを追った。

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