第28話 運命が動き出す


 その日のうちにマノとビビカはデルファンに戻ってしまったけれど、スウミはすっかり気持ちが明るくなっていた。呪いを解いてもらったこともあるが、王都とデルファン、離れていても一緒に頑張ってくれて、そして支えてくれる人がいるということが本当に嬉しくて励まされたのだ。


 デルファン本店で働いてくれているマルヤとタイリル姉妹も、王都支店のことを心配してくれていると聞いた。ありがたい気持ちが半分、これ以上心配かけたくない気持ちが半分だ。


(社員のためにも頑張ろう!)


 スウミは、やる気に満ちあふれていた。




 翌日、状況が一変した。


 以前に無料で申し込んできた人たちが、清掃の依頼を継続したいと申し込んできたのだ。もちろん今度は有料だ。


 スウミたちに窃盗の疑いをかけてきた貴婦人は、指輪を自分のバッグの中から発見したと風の噂で聞いた。「彼女は恥ずかしくってもう二度と指輪は身につけないと言っている。かわりにネックレスを買ったってさ」と、人々は笑い話にした。


 悪評が去ったおかげで求人にも応募があり、あっという間に王都支店だけで社員数は20人を超えた。といってもほとんどが未経験者だから、まだフル稼働はできない。けれど、これから育てていけば、きっと秋頃には戦力となってくれることだろう。


 さらに嬉しいことがあった。マノとビビカが開発した虫除けが、かなりの評判を呼んでいるのだ。ちょうど虫で困る季節、日々侵入してくる大量の虫とそれを目当にした蜘蛛の巣にうんざりしていた貴族やお金持ちの間で噂となった。おかげで仕事の依頼は途切れることがなく、万事順調に進んだ。


(全部うまくいっている。それもこれも社員のみんなのおかげだ。みんなが頑張ってくれなければ、どんなに営業をしたって、いい薬を開発したって、意味がないのだから。毎日当たり前のように出社してくれる社員のことを、私がどれだけありがたく思っているか、きっとみんなは知らないだろう)


 夏の次には、秋冬シーズンが来る。

 寒い季節になれば害虫も減るし、貴族達のパーティーもこぢんまりとしてくるから、依頼の数は減るだろう。呪われていた時期に作った赤字の補填もある。2000万ギルを春までに返済すると考えた場合、決して楽観はできない状況だけれど、気持ちは前を向けるようになっていた。


 ただ、一つだけ気がかりなことがあった。エルド王子からの呼び出しがあれ以降ないのだ。


(王子は一体どういうつもりなんだろう)


 呼ばれたら呼ばれたで文句を言うくせに、呼ばれないなら呼ばれないで不安になるという自分の身勝手さは自覚している。


(もしかして嫌われてしまったのだろうか)


 そう考えただけで胸が苦しい。


(でも今は仕事優先にすべきなのだから、呼び出しがないのは良いことだ)


 遊んでいる暇はないのだから。

 頭はわかっていても、心が納得してくれない。夜に自室で水晶の欠片を眺めて、ため息をつくこともあった。氷みたいに透明な石は、一点の曇りもなく、美しかった。




 うだるような暑さを冷まそうとするように大粒の雨が降った日のことだった。

 王城の使者が王都支店にやってきた。びしょ濡れのコートの下から取り出した海鳥の印の手紙は濡れていなかったけれど、湿気を吸ってくたりとしていた。今度はその場で読むよう急かされなかったので、雨雲のせいで薄暗い部屋に駆け込んで、ひとりで読んだ。


「このたびは私の至らなさから貴女を深夜に呼びつけ、大変不愉快な行為をさせてしまい、申しわけなく思う。思いもかけない事態に、謝罪が遅れたことも重ねておわび申し上げる。

貴女の忙しいお体、貴重な時間をまったく無益に消費させたことは、いかに頭を下げようとも取り返しがつかない。また、言ってしまった暴言をなかったことにもできない。なかったことにできればどんなにか良いだろう。忸怩たる思いだ。

貴女の気持ちをはっきりと聞かせてもらえて良かった。これまでの非礼を改めて謝罪したい。もし謝罪を受け入れてくれるならどうか城を訪ねてほしい。いつでも構わない。手紙でもいい。お待ちしている」


 読み終わると、心がざわついた。目を閉じて息を吐いて、もう一度読んでみた。


(貴女の気持ちか……。やはり私が深夜に話したことは覚えていないのだろう)


 きっと返事を書くべきなのだ。そうしなければ、二人の間でつながり始めたものが切れてしまう。

 けれど、それでいいのではないかとも思った。今最優先にしなければいけないのは清掃の仕事だ。借金のことだけじゃない。自分は社員の生活を背負っているのだ。


(エルド王子のことは忘れよう。今の私には仕事以外のことを考える余裕はないのだから)


 クローゼットに飾った鏡にうつった自分は泣きそうな顔をしていて、だから自分の両頬を叩いて、鏡に向かって無理やり笑ってみた。なんだか変な顔になっただけだった。

 笑うのを諦めて、ベッドの上で膝を抱えて横になり、雨が地面を叩く音をしばらく聞いていた。また食欲がなくなって、カブのスープで胃もたれしてしまうのかもしれないなと思いながら。



 そうして、夏が終わり、王都の桜が落葉し始めた頃。


 

 町中に弔旗が掲揚され、人々は喪に服すことになった。

 王と王妃が急逝したのだ。

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