第21話 雨の降る夜
海鳥の印の横には王子本人の署名もあった。リオンの代筆ではなく、王子みずからペンを取ったのだろう。手紙とともに、贈り物に見せかけた報酬も届いた。食料と、王子が数日宿泊したお礼としては多すぎる現金、それとなぜか食器類もあった。大皿やスープ皿はまだわかるが、ティーセットなど何に使えというのだろうか。よくわからないが、高価そうな陶器製だし、来客用としてありがたく頂戴しておくことにした。以前あったものは売ってしまったから助かるといえば助かる。
あと、小さな木箱いっぱいのロウソクもあった。薄いピンク色をした珍しいロウソクだ。ランガジルからの輸入品だろうか。あるいはスウミが知らないだけで、王都ではこういうロウソクが流行っているのかもしれない。
スウミは贈り物は父に任せ、ロウソクを一つと手紙を持って自室へ戻ると、まずロウソクに火をつけてみた。日が落ちて室内はかなり暗くなっていたからちょうどよい。しばらくすると、セルビナの香りがふんわりと漂った。香りロウソクだったようだ。セルビナは薬草の一種で、疲労回復や安眠効果があるらしい。以前、豪邸を清掃後、屋敷の奥様からセルビナ茶を飲ませてもらったことがある。優しい自然な香りが女性たちに人気で、スウミも好きだった。
ちらちらと揺れるロウソクの明かりを頬に受けながら、スウミは手紙を開封した。
やはり王子直筆の手紙で間違いなかった。内容は、先日デルファンに滞在したときのお礼と、王子が鹿狩りに行ったこと、見事鹿を射止めたこと、あと最近は体調が良いということが書かれていた。それと王子に飲ませたカブのスープを誉めるようなことも書かれてあった。
スウミは考え込んでしまった。お礼以外の部分の意味がよくわからない。これは何かの暗号なのだろうか。鹿、体長、カブ……。どんな関連が? 誰かに見られたときに、真意が見抜かれないよう遠回しな言い方をしている? わからない。父に見てもらえばはっきりするだろうが、なぜだか躊躇われて、ひとまず自室の机の引き出しにしまっておくことにした。返事は書かないつもりだ。そもそも礼状に返事を書くのも変だし、それに手紙の意図も掴めないので返事の書きようがない。
手紙に同封されていた、鹿狩りに行ったときに見つけたという小さな水晶も、どういう意味を持つのか判断がつかなかった。
水晶は、王家にとって特別な意味を持つものだと父から聞いたことがある。魔法や呪術を使える者かどうかを調べる王家の秘宝<クリスタル>が水晶製だからなのかもしれない。また、沿岸に配置されている船にも水晶壁という防具が取りつけられており、それがあるから魔法使いのいる国とも戦えるのだという。具体的にどういうものなのかは知らないけれど、そういった防具の開発や改良を研究機関にやらせているのも王家だ。
玉座も石英製だし、たしか王妃の装身具も水晶ではなかったか。エルド王子がつけている銀の指輪にも水晶がはまっていた。イスレイ王子は……どうだったかよく覚えていない。
スウミは氷のような石を指先でつまみ、月にかざして眺めようとしたが、いつの間にか空は黒い雲に覆われ、雨が降り出していた。
手のひらに、ころんと水晶を握り込んで、そのひんやりとした感触を楽しんでから、手紙と一緒に引き出しにしまった。
★★★
水の匂いに混じって、花が香る夜。
一人の女が、イスレイ王子の部屋の窓辺から、雨に包まれた王都を眺めていた。
女の座る長椅子にはクッションが幾重にも積み重なるようにして置かれており、彼女はその表面に施された刺繍細工を指先で撫でながら、ため息をついた。
「何かご不満でも?」
少し離れた位置の長椅子に座るイスレイが声を掛けた。すぐ側に立つパルナエは、心配そうに主を見つめている。
「いいえ、不満などありません。強いて言うなら、それが不満なのだと思います」
小さく柔らかな声だった。大きな青い瞳と少し厚みのある唇が、小さな顔の中で存在感を放っている。
「サキ様は難しいことを言うね」
イスレイが苦笑すると、サキはまたため息をついた。
「私の気持ちなんて、きっとセラージュの王子様にはおわかりにはならないでしょう」
湿った風が窓から入り込み、サキの栗色の長い髪を揺らした。髪の半分ほどを複雑に編み込み、残りの髪は背中に流している。着ている服はセラージュ風のドレスだが、髪型だけがランガジルの空気をいまだ保っていた。
「サキ様は呪術師なんだよね? もちろん僕としては呪術師を注文したんだし、いまさら違うと言われても困るけど」
「私は呪術師です」
「だけど、この島国には呪術を使う者がいない。サキ様が本物の呪術師なのか確かめる術がないんだよね」
サキは気だるそうにイスレイのほうへ顔を向けた。
「間違いなく呪術師であると証明しろとおっしゃるのですね」
「そうだよ。たとえば……」
そこまで言って、イスレイは一旦言葉をとめた。
「たとえば……ためしに死者を生き返らせてみるとか」
「それは無理です」
サキは即答した。
「呪術とは人にだけ作用する奇跡。ですが、いくら呪術でも死者を生き返らせることはできません」
イスレイは無言で杯を手にとり、一気にあおった。
しばらく誰も口をきかなかった。ぬるく湿った風が部屋の中を通り過ぎていく。
ややあって、イスレイがぽつりと呟いた。
「もうすぐ夏が来るね」
「……」
「兄が気にかけている女がいるんだ。スウミ・デルファトル。知り合いから聞いた話では、その女は清掃会社を営んでいるんだとか」
「それが何か?」
「その女の評判を落すような、商売を邪魔するような、そういう呪いをかけてよ。もしできたなら、そのときこそ本当のことをお話しすると約束する。期限は夏まで。やれる?」
サキは陶然としたような顔で微笑んだ。
「そんなの簡単すぎてあくびが出そう。おまかせください。その方を不幸のどん底に突き落としてさしあげましょう」
「……あなたは、僕の大事な人とよく似ている。だけど、性格は正反対だ」
苦悩に顔を歪めるイスレイを見て、サキはころころと笑った。
「イ、イスレイ様……」
泣きそうな顔のパルナエが話に割って入った。
「私、その女性にお世話になったことがあるのです。どうかその方に呪いをかけるのは考え直していただけないでしょうか」
イスレイは床を踏み鳴らして立ち上がると、パルナエのあごをつかんで上向かせた。指が肌に食い込み、パルナエの顔が歪む。
「僕のやることに文句があるのなら、出ていけば?」
「……人を呪うのは……良くないです……」
「まだ言うのか、うるさいな。大体おまえは兄上付きのメイドなんだから、僕のところに来ているのがおかしいんだよ。さっさと兄上のところに戻れよ」
「わ、私は……イスレイ様のおそばに……いたいです……」
「鬱陶しい」
吐き捨てるように言われて、パルナエの目に涙が浮かぶ。
「でしたら、処分なさったらいいのに」
サキがおのれの爪先を眺めながら、口を挟んだ。
「はあ?」
「その女性が鬱陶しいのでしょう。ならば殺してしまえばよいのです」
イスレイは鼻を鳴らしてパルナエから手を離すと、再び長椅子にどさりと腰掛けて、自分の杯に酒を注いだ。
「ねえ、あなた」
「は、はい? 何でしょうか」
パルナエは涙をぬぐってサキに向き合った。
「この王子様のそばにいたら、いつか殺されてしまいますよ。いまのうちにどこかへお逃げなさい」
「いいえ、私、どこへも行きません。イスレイ様は私を殺したりしませんから」
「まあ。そんなにも愛されている自信がおありなのですね」
女の声には皮肉がひそんでいたが、パルナエは気づかずに続けた。
「そういうことではありません。イスレイ様は本当は誰よりも優しい方なのです。ですから人を殺したりはなさらないのです。今は荒れていらっしゃいますが、恋人と別れてしまう前まではとてもお優しくて……」
がしゃん、と音を立てて、イスレイの投げたガラスの杯が、パルナエの近くの壁に当たって砕けた。
「出ていけ。もう二度と僕の前にあらわれるな」
蒼白となったイスレイに睨み付けられて、パルナエは震え上がりながらも首を横に振った。
「嫌です。私はイスレイ様のおそばに……」
「いいかげんにしろよ!」
イスレイが吠えた。
「もうおまえにはうんざりなんだよ! 嫌いなんだ。わかるか。僕はおまえが大嫌いだ。わかったなら出ていけ」
見開いた目にみるみる涙が溢れた。これまでさんざん暴言を吐かれてきたパルナエだったが、嫌いだと言われたのはこれが初めてだったのだ。
パルナエは声もなく静かに泣きながら、よろよろと部屋を出て行った。床には涙のあとが点々と残った。
「本当にお優しいのですね」
「はあ?」
「あの娘をこれから起こることから遠ざけてあげたのでしょう?」
「そんなんじゃない」
サキは嘲るように口元を歪めて笑った。
★★★
ビビカはノックもなく兄の部屋に入った。
大量の花に囲まれたマノは、床に座り込み、花びらをちぎっては壺に投入していた。
「ねえ、マノ。感じる?」
「何を?」
「どこかでパルナエが泣いているような気配がするんだけど」
パルナエはビビカの姉で、マノにとっては妹だ。
「ん?」
マノは手を止め、何かを探るような顔をして、かぶりをふった。
「僕は何も感じない」
「そっか」
ビビカはマノの隣に座り込んで、花を手にとった。庭に咲いている花を摘んできたものだ。色はさまざまだが、形はどれも五つの花弁を持った星形をしている。この花は、マノが屋敷周辺の土地に祝福の力を与え、その影響で発生したものだ。
「じゃあ、私の気のせいかもね」
「いや、どうかな。ビビカが感じたんだったら、本当にどこかでパルナエが泣いているのかも。パルナエは今どこにいるのかわかる? 会いに行ってみたほうがいいかも」
「うーん、それが、どこにいるのかよくわからないのよね。なんで泣いてるのかも伝わってこないし」
「じゃあ、きっとそんなに切羽詰まっていないんだろう」と、マノは結論を出した。
「本当に助けが必要なときは、僕でも感知できるぐらいの声を届けてくるよ。それより、薬を早く完成させないと。社長が行ってしまう前に渡したい」
マノが壺を持ち上げて左右に振ると、ぽちゃぽちゃと音がした。ビビカと二人で開発中のこの薬は、まだ思ったような効果が出ていなかった。
「社長、本当にやる気なのかな? 止めたほうがよくない?」
「なぜ」
「だって、王都支店をつくるだなんて言って、社長一人で王都に行っちゃうわけでしょ。大丈夫かなあ?」
「心配しすぎだよ。僕としては王都支店を応援してあげたいけどな」
ビビカはむむむと唸った。
「社長はマノの大事な人だから、私だって応援したいよ。でもなんか嫌な予感がするの」
「それは気にしすぎじゃない?」
「そう、かな」
ビビカは浮かない顔で花びらを一枚ちぎって飲み込んだ。ほんのりと甘くて、食べると気持ちが落ち着くのだ。だが、今夜はマノの花を食べても不安な気持ちは消えてくれなかった。
「きっと大丈夫だよ。社長はちょっと心配なところもあるけれど、パルナエほどぽんこつじゃないし」
ビビカは花から口を離して、兄を睨みつけた。
「は? 今なんて? マノはパルナエのことを言えた立場だっけ? 力の使いすぎで<卵>に戻って、私に助けてもらった誰かさんが何て?」
「す、すみませんでした」
不穏な気配を察知して震える兄のことを無視して、ビビカは立ち上がり、窓辺に立った。雨に濡れたガラスにおでこをくっつけて、目を閉じる。神経を研ぎ澄まして外の気配を探ってみても、この島のどこにも心配の種は見当たらない。それなのに胸騒ぎがするのだ。
「心配だな。パルナエも社長も」
★★★
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