第20話 お金だけじゃなく


 まだ薄暗い早朝、馬を飛ばして家に帰った。


 厩で馬の世話をしていたら、父がすっ飛んできた。まだ寝ている時間だと思ったから、起こしてはいけないと思い、屋敷に声を掛けなかったのに。


「昨夜は帰ってこなかったから心配したんだよ」

「お父様、もしかして寝てないの……? ごめんなさい、私のために」

「それより一体何があったんだい」

 スウミは汚れた藁を片付けながら、昨晩のことを説明した。

「そうか、騙されてしまったのか」

「うん。本当に悔しい。仕事をもらえるのかもって期待してたから、余計にがっくりきちゃった。時間も無駄にしてしまったし」

「そういうこともあるさ。無事に帰ってこられただけでも上等だ」

 父にそう言ってもらっただけで、気持ちが慰められる。


「新規の商談のときは、これからは誰かと一緒に行くようにしたほうが良いだろうね」

「そのときはお父様がついてきてくれる?」

「うーん」

 頭をかいて、父は唸った。

「ついていってあげたいけど、スウミはもっとほかの人を頼るようにしたほうがいいんじゃないかな。いつまでも私が助けてあげられるわけじゃないからね」

「え……」

 なんだかひっかかる言い方だ。

「いつまでも助けてあげられないって、どういう意味……?」

 急に不安な気持ちになってきて、スウミは手を止めた。

「そのままの意味さ。親ってのは、ずっと子供を助けてはやれないからね。子供がひとりで生きていけるよう社会に送り出してやるのが親の務めなんだよ」

「そういうことか……。つまり、私は自立すべきということね」

 父に甘えている自覚のあるスウミには耳の痛い話だった。

「そうだね。でも勘違いしないで欲しいのは、なんでもかんでも自分だけでどうにかしようとすることだけが自立じゃないってことだよ。友達や恋人や近所の人なんかと助け合って生きていくのも自立なんだよ」

「そうなの?」

「いろんな考えがあるけどね。スウミは以前から人付き合いを避けてきただろう。仕事先でも学習所でも。出自を気にしているせいかもしれないけれど……。でもスウミには、いろんな人と支え合って生きてほしいな。べたべたと誰かに頼るという意味ではなくて、他人とかかわりを持つという意味さ。そういう意味においても、私はスウミが社長をやるのを応援しているんだよ。社長は一人でできるものじゃないからね」

「……うん」

 

(いろんな人と支え合って生きていく。本当にそんなことができたら素敵だろうな。でも、私にできるのかな……)




 厩での作業が終わった後、軽く朝食をすませてから仕事の準備をした。清掃道具を荷車に詰め込んだり、ごみの処理について業者に連絡したりした。

 今日の午後、清掃依頼が2件入っていて、スウミは新人の女性二人とチームを組むことになっていた。父、マノ、ビビカは別チームとして稼働する予定だ。


 ちなみに清掃服は今いるメンバー全員分がようやく縫い終わったところだ。それぞれ好みの古着でつくった清掃服を着ている。父はグレー、マノは黄色、ビビカは白だ。


 縫うのはスウミが担当したのだが、ビビカが真っ白なシャツを持ってきて「これでつくって」と言ってきたときは、「本当に白でいいの」と念を押した。

「もちろんよ!」と、にっこにこで答える彼女に、

「白は汚れが目立つし、下着が透けやすいよ。ほかの色にしたほうが良くない?」と、余計なお世話かなと思いつつ忠告してみた。

 しかし、「私は汚れないし、下着もないから、白で大丈夫」とのことであった。

 おかしなことを言われた気がするが、そこまで強く希望するのならばと作ってみた純白の清掃服は、彼女の銀髪によく似合っていた。その上、どういうわけか汚れもしないし透けもしないのだった。



 よく晴れた午後、清掃服を着て出発したスウミチームが到着した屋敷は、小ぢんまりとした建物で、ようするに庶民の民家だった。豪邸の依頼ばかり受けてきたスウミには新鮮だ。


 その民家の庭には雑草が生い茂り、人の腰ほどの高さにまでなっていた。玄関脇には片方の靴が転がっており、その近くに置かれた水瓶中ではバッタが死んでいた。家主は長らく手入れをしていないのは明らかだった。


「これは……よく見つけましたね」

 スウミがそう声をかけると、新人の姉のほう、濃いブルーの清掃服のマルヤが、「チラシ配りをしていたとき、たまたまこのお屋敷が見えて」と言い、妹のほう、薄いブルーの清掃服のタイリルが、「思い切って飛び込み営業をかけてみたら、ぜひ頼みたいって言ってもらえたんです」と続けた。


 3人でドアの前に並び、ドアベルを鳴らしてみたが応答がない。スウミはそっとドアを開けてみた。途端にむっとする臭いが室内から押し寄せてきた。玄関近くの床部分には衣類や果物の皮、ブラシに桶にドライフラワーのささった花瓶など多種多様なものが散乱していて、足の踏み場もない。


「こんにちは。清掃にまいりました」

 ドアから首だけ入れて声を張り上げてみたところ、部屋の奥のほうから「はぁい」という女性の声が聞こえた。

「良かった、ご在宅みたい」

 床に散らばる荷物を踏まないよう、そろそろと奥へ進むと、衣類が散乱した部屋があり、その真ん中に置かれたベッドにおばあさんが寝間着姿で仰向けに寝ていた。


 おばあさんはスウミたちに向かって緩慢な動きで片手を上げて、すぐに手をおろした。

「ふう、こんな格好のままでごめんなさいね。なんだか動く気になれなくて」

 暗く、だるそうな声だった。

「お気になさらないで。どうぞそのままでいらっしゃってください。では、これから清掃を始めますけれど、ご依頼は1階部分だけでしたよね?」

「ええ、そう。本当は2階や庭も頼めたらいいんだけれど、そんなにお金もないし」

 スウミとしても全部綺麗にしてさしあげたいところだけれど、仕事だからそうもいかない。


「では、ただいまより取りかかります」

 3人は事前に打ち合わせしていたとおり、おのおのの作業に入った。マルヤがキッチン、タイリルがお風呂、廊下、玄関で、スウミがこの寝室とリビングだ。


「これは時間がかかるわねえ」

「大丈夫よ、手際よくやれば夜には終わるわ」

「それより物を捨てるときはきちんとお客様の確認をとるのよ」

「わかってるわよ」


 聞えてくる姉妹の会話が頼もしい。彼女らはメイド経験があるので、細かく指示しなくてもいいから助かる。


 スウミも自分の仕事に取りかかることにした。

 部屋には大量の衣類が散乱していたので、ひとまず全部たらいに突っ込んでおき、捨てるものと捨てないものを奥様に分別してもらうことにした。

 その間にカーテンを取り外して洗濯し、庭に干した。それから天井についた埃と蜘蛛の巣を払い、壁と窓を拭き、窓のさんにたまった泥をかきだした。その後、床にたまった多種多様なゴミを取り除き、シミをとった。家具を拭いて、蝋がたまって使えなくなっていた燭台も洗浄した。ゴミはひとまず庭に出しておいて、あとで回収することにする。


 あたりが暗くなってきた頃、カーテンを取り込んで窓につけ、燭台に火をともすと、家の中はぴかぴかとまではいかないまでも、清掃前に比べたら見違えるように綺麗になっていた。


「こんな感じですが、いかがでしょう」

 3人で並んで最終確認を頼むと、おばあさんはベッドから立ち上がり、

「まあ信じられない、うちがこんなに綺麗になるなんて何カ月ぶりかしら!」と、新しい家に引っ越してきたみたいに、あっちこっちのドアを開けたり閉めたりしながら歓声を上げた。

 家の中の淀んだ空気を追い出したら、おばあさんの表情まで生き生きしてきたものだから、見ていてスウミも嬉しくなった。


「あと、これがお風呂場にあったのですが、大事なものではないですか?」

 タイリルが差し出した本を見て、おばあさんは息をのんだ。そして、そっと受け取ると、胸に抱きしめた。

「ああ、良かった、どこに行ってしまったかわからなくなっていたのよ。この本は亡くなった夫が大事にしていた本なの」

「あの、カビが……少しだけですけど、ついてしまっていましたから、拭いて陰干ししました。でもまだにおいが残っているので、これからも陰干しなさったらいいと思います」と、タイリルに言われて、おばあさんは何度も頷いた。

「そうね、明日からはきっとそうするわ。本当にありがとう。夫が亡くなってからなんだか気力がなくて、家も荒れ放題で。でも、あなたたちが訪ねてきてくれて、こんなに綺麗にしてくれて、気持ちがしゃんとした気がするわ。2階はまだ手つかずなのよね。でも、きっと自分でなんとかできるわ。明日からやるべきことがあって、かえって良いぐらいよ。本当にありがとう」

 スウミたちは顔を見合わせて、頬を真っ赤にして笑い合ったあと、「掃除をしてお客様のお役に立てたら、私たちも嬉しいです」と言って、今度は4人で笑みを交わした。


 借金返済のために始めた清掃会社ではあるけれど、スウミは清掃の仕事が好きだと改めて思った。

 基本的に清掃の依頼というのは「何かの前」にされる。これからパーティーを開くとか、人が泊まる予定があるとか、そういう何かの前。たとえ特別な予定がなくても、これからも生活を続けていくという未来があるからこそ、人は掃除をするのだ。

 明日のことなんて考えたくもないという気持ちのときは、誰だって掃除なんかしたくないだろう。逆に言うと、家を掃除をしたくなるというのは、明日のことを考えることができているという証拠なのだとスウミは思う。


 今回のお客さんも、気力を失ってしまったせいで家が荒れていたけれど、清掃を頼んだ時点ですでに気持ちは前を向く準備ができていたのに違いない。スウミたちはそのお手伝いをしたのだ。


(それって、とっても素敵なことだよね)



 仕事を終えたスウミたちが、清掃道具を抱えて屋敷に戻っているときのことだった。


 立派な身なりの紳士が声をかけてきた。

「掃除のおばちゃんたちに感謝だな! こういう底辺の仕事を頑張ってくれている人たちのことを忘れちゃいけないね」

 連れの女が、大きな宝石のついた耳飾りを揺らして男に微笑みかけた。

「どんな人にも感謝できるあなたって素敵よ」

「誰もやりたくないような汚い仕事をやってくれてるんだから、感謝するのは当然のことさ」

 どうやらスウミたちを褒めているようだが、スウミの顔から笑顔が消えた。

 清掃員を見下しているからこそ褒める、そういう人がスウミは好きではなかった。マルヤ姉妹と目で合図しあうと、足早にその場を立ち去った。


「何だよ、せっかく褒めてやったのに。礼も言えないのかよ」

「しょうがないわよ、しょせん掃除のおばちゃんだもの」

 背中に向かってそんな言葉を投げつけられて、スウミはげんなりした。


「あの人たち、社長が貴族だって知らないから、あんなことを言うんですよ」と、マルヤが言った。

「貴族とか関係ないです。清掃員を馬鹿にする人、私大嫌いです」

 スウミがむすっと答えると、マルヤとタイリルはおかしそうに笑った。



 帰り道で不愉快な思いはしたものの、それでも久々の達成感を噛みしめながら帰宅すると、スウミに手紙が届いていた。

 手紙には、一羽で飛ぶ海鳥の印が押してあった。第一王子の印だ。

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