第22話 呪い


「許せないわ!」


 王都シトにあるとある貴族のお屋敷で、その女性は自分のベッドの足を蹴りつけた。鈍い音がして、思わずスウミは首をすくめた。


「はやく盗んだものを返しなさい!」


 怒り狂う貴婦人を前にして、スウミは途方に暮れていた。一体どうしてこんなことになってしまったのだろう。


「あなたって愛人の子なんですってね。そんな人に頼むんじゃなかった!」

 スウミはぐにゃりと世界が回転するようなめまいに襲われてしまい、何も言い返せなかった。倒れないよう踏ん張るので精いっぱいだった。




 事の起こりは、スウミが王都支店を計画したところから始まる。


 前回アリージャの屋敷を訪れたとき、王都東部を歩いてみて、手入れが行き届いていない屋敷が多いことに気づいたのだ。門や柵の錆びつきは放置され、未剪定の庭木は虫食いだらけ。見栄っ張りの貴族らしからぬ有様だった。来客の目につく範囲だけでも見栄えよく装うのが貴族だろうに、外がこれなら人から見えない内部がどうなっているかは容易に想像がつく。厨房や浴室などは想像を絶するような状態になっているに違いない。


 デルファンでは、スウミの会社とメイドギルドが仕事の奪い合いをしている状態で、顧客をこれ以上増やすのは難しい。ならば、王都で勝負しようとスウミは考えた。


 都市の規模としてはデルファンが上だが、お金持ちの多さは王都が勝る。その上、王都にはメイドギルドがない。手入れが行き届いていない屋敷が多いのは、王都シトには清掃を外部委託できるサービスがないからだろう。ならば、うちが市場を独占してやろうと意気込んでの進出だった。


 父たちはデルファンにとどまり、既存客の清掃を引き続きやってもらうことにした。王都支店はスウミと新規社員だけで回していく。


 無謀とも思える挑戦だが、夏までに社員20人、一日の依頼数5件以上を達成するためにはやるしかない。夏はもう目前だ。近ごろは軽い散歩でも汗ばむような日差しになってきていた。



 はじめはうまくいっていたのだ。


 事務所兼スウミの住宅となる一軒家も、市場に近いところを借りられたし、社員もすぐに10人ほど集まった。みなデルファンでの評判を聞いて応募してきた人たちで、清掃で稼ぐことに意欲的かつメイド経験者が多かった。かなり良い人材を集めることができたと思う。


(それから新規オープンのチラシを配ってまわって、そのあたりから雲行きが怪しくなった気がする……)


 たしか王都南東部の市場でチラシを配っていたときのことだ。

 買い出しに来ているメイドにターゲットを絞って声を掛け、清掃の外部委託サービスの説明をしていたら、見知らぬ女性から話しかけられたのだ。


「私にもその紙をいただけますか」


 30代前半ぐらいだろうか、儚げな印象の女性だった。髪の一部を複雑に結い上げて、残りを肩におろした風変わりな姿をしており、メイドには見えなかった。かといって貴族の奥様にも見えない。こんな人がどうして清掃のチラシなんて欲しいのだろうかと疑問に思ったが、断る理由もないのでスウミはチラシを手渡した。


「ありがとうございます」

 そのとき、すっと背中を撫でられ、全身が痺れたような、ぞくりと寒気を感じるような奇妙な感覚に襲われた。そのことが強く記憶に残っている。妙に嫌な感じだったのだ。


 彼女は、さっとチラシに目を走らせて、

「まあ、貴女はお掃除をしてくださるのですね。それも無料だなんて宗教か何かの奉仕活動なのでしょうか」と、おかしなことを言った。


「え、無料って?」

 よく意味がわからずチラシを確認すると、どういうわけか「無料で」と大きな文字で書かれていた。全身から一瞬で血の気が引いて、目の前が暗くなった。

「やだ、これ何かの間違いです! 嘘でしょ、このチラシを配ってまわっちゃったのに……」

 自分の目が信じられず、何度も何度も読み返したが、間違いなく無料でと書いてある。現実が受け入れがたく、チラシを裏返してみた。裏は真っ白だ。だからなんだというの。指先が震え出した。何の意味もないことをしている自分も含めて、何もかも信じられない。

 頭を抱えているスウミのところに、社員が駆けつけてきた。

「しゃ、社長、大変です! 無料で仕事を頼みたいという依頼が殺到していて……!」

 スウミは足をもつれさせながら事務所に向かって駈け出した。



 走りながらスウミは考えた。これから難しい選択を迫られることになるだろう。「無料」の言葉につられてやってきた客に対し、チラシの書き間違いでしたと説明するか、無料で引き受けるかを社長として決断しなくてはいけない。つまり金をとってイメージを悪くするか、損して評判をとるかということだ。


(どっちが会社のためになるのだろう)


 来年の春までに2000万ギル稼ぐなら、果たしてどっちを選ぶべきなのか。お客様はすでに事務所へ来ているのなら、悠長に考えている時間はない。


 脇目も振らず王都を走り抜け、事務所の前まで戻ると、スウミは足を止めた。荒い呼吸を整えながら、つばを飲み込む。

 王都支店の前にできた人だかりを見て、心を決めた。


(無料で引き受けよう)


 客の数は想像以上に多かった。これだけの人数から悪評を受けるのは避けたかった。ただし、チラシを持ってきた人だけ1回限りにする。この決断は正しいのか間違いなのか。どちらを選んでも痛みは避けられなかった。春からデルファンで稼いだ利益分が、この騒動によって消えてしまうかもしれない。



 その日から、スウミは「自分は間違った選択をしてしまったかもしれない」と後悔し、自分を責めるようになった。たまに「これで良かったのではないか」と思うこともあったが、すぐに後悔が首をもたげた。どうしてチラシにあんなミスをしてしまったのか。なぜ配る前によく確認しなかったのだろう。


 スウミは1ギルにもならない仕事をこなし続けた。



 そして、事件が起きた。

 とある貴族のお屋敷の清掃に入ったところ、奥様が「指輪がなくなっている。清掃員が盗んだに違いない」と言い出したのだ。その屋敷にはスウミと清掃員2名の計3名で行ったのだが、もちろんスウミには盗んだ覚えはない。となると、清掃員2名が盗んだか、あるいは奥様の勘違いか、そのどちらかということになる。


「愛人の子だから盗みだって平気なのね」

 嫌味っぽく言われて、スウミは自分の唇が小刻みに震えているのを感じた。感情に任せて怒りをぶつけたり、泣いて逃げだしたり。それが今までの自分だったけれど。


 ――社長なんだから、もっと強くならなければ。

 ――仕事を始めてから、さんざんな目に遭ってばかりだけど、でも逃げるわけにはいかない。


「奥様」

 自分の声が遠くから聞える。感情を抑えて、冷静にと自分に言い聞かせた。

「愛人の子だからといって盗んだと決めつけるのはおかしいと思います」

 そこで一度息を吐く。吸う。意識しないと呼吸もできない。

「それに私どもは盗みなどしていません。きっと何かの間違いです」

 ちゃんと言えた! 内心こみ上げるものがあるスウミだったが、

「間違いなもんですか!」

 奥様はいっそう声を張り上げただけだった。

「早く私の指輪を返して! あなたたちが盗んだに決まっているんだから」


「そこまでおっしゃるのでしたら……」

 スウミは仕方なく自分たちの身体検査を申し出た。服を着たままではあるが、奥様に触ってもらって、指輪をポケットなどに隠していないか調べてもらったのだ。

 調査の結果、指輪は見つからなかった。


 それでも奥様は、「きっと何か別の手を使って指輪を隠したのに違いないわ。だって清掃員なんて信用ならないもの」と主張して譲らなかった。


 清掃員は清掃員で、「社長は自分たちを信じてくれると思ったのに、泥棒だと疑われて身体検査をされるなんて屈辱です。もうここでは働けません」と言って、辞めていってしまった。


 真相はわからないまま、後味の悪さだけが残った。


 さらに不運は続く。このことが噂として広まってしまったのだ。「あの清掃会社とやらは、無料で掃除を引き受けて、盗みを行うのだ」と。偽りの内容であるにもかかわらず説得力があったようで、噂はあっという間に王都中に広まっていった。その結果、一部の社員が「盗みの片棒を担がされるのはごめんだ」と辞めていった。


 スウミは自分を責めた。きっと自分は対応を間違えてしまったのだ。後悔と自責の念で心が押しつぶされそうだった。

 食欲もなく、好物のカブのスープでさえ胃もたれするほどで、夜もほとんど眠れない日々が続いた。




 ある晴れた夕方のことだった。タダ働きばかりして、社員も5人にまで減ってしまい、どこか寂れた空気のただよう王都支店に一通の手紙が届いた。

 それはデルファンの家から送られたもので、送り主はエルド王子だった。つまりエルド王子がスウミの実家に手紙を送り、それを父が転送してくれたということだ。


(そういえばエルド王子は、私が王都に住んでいることをまだ知らなかったっけ)


 手紙の封は切られていなかった。そのことに安堵した。父に見られたら、なんだか……。別にいいのだけれど、なんだか……。


 手紙は、ただ一言「会いに来い」とだけ書いてあった。王子の筆跡だ。何のために会う必要があるのかは書かれていない。相変わらず真意を隠した文面だ。

 正直なところ、いまは仕事のことで頭がいっぱいで、王子のところに行っている余裕はない。しかし、うちは第一王子派の貴族だし、命の恩人からの呼び出しでもあるから無視するわけにもいかない。何か大事な用件があるのかもしれないのだから。


 スウミはいったん気持ちを切りかえ、今だけは仕事のことは頭の外においやることにして、白いワンピースに着替えると、事務所を出て王城へと向かうことにした。どうか父の元妻のガロワ様に会いませんようにと願いながら。


 夕焼け空の下、馬を連れず一人で王城へ向かうのはなんだか心許ない感じがした。デルファトル家の馬はさっぱりとした性格でべたべたした付き合いを好まず、命令に淡々と従っているだけという感じなのだけれど、王都を歩くときにあの子が一緒にいてくれるだけで実は結構心強かったんだなと、スウミは今さら気づいた。


 こちらに越してきたとき、馬も一緒に連れてきたが、近ごろはあまり乗っていない。きょうも王都支店の裏手にある小さな馬小屋でうたた寝していることだろう。定期的に運動に連れ出してやらなければいけないのだが、仕事が忙しいのを言い訳にして、短時間の散歩で済ませてしまっている。


 今度、馬を思い切り走れる所に連れていってやろう、どこがいいだろうかと考えながら歩いていたら、あっという間に王城の門に到着した。


 慇懃無礼な兵士たちは、スウミが訪問の用件を言おうとする前に、道をあけて門を通してくれた。

「ご令嬢に失礼のないようにとエルド王子から言いつかっております」

 無表情で言われても……。相変わらずのとっつきにくさだが、こうして馴れ合わないことがきっと門を守る兵として必要なことなのだろう。


(清掃の会社を始めてから、働いている人への印象が変わったかも)


 城の中に入り、前回来たときの記憶を頼りに階段を上がったりおりたり、広間を抜けたり庭園を通ったりして、迷子になった。スウミが方向音痴なわけではない。王城が広くて複雑すぎるのだ。


 どこからか肉を煮込んだような良い匂いがしてきた。もう夕食時なのかもしれない。匂いのするほうへ向かうと、ちょうど料理を運んでいるメイド達と遭遇したので、エルド王子の部屋を教えてもらった。


 どうにかこうにかたどり着いた大きな漆黒の扉の前で、兵士に名を告げていたら、すぐさま扉が開いて、少年が元気よく飛び出してきた。

「スウミ様、お待ちしておりました」

「リオン君!」

 無理にでも笑顔をつくろうと思っていたけれど、屈託のない笑顔でまっすぐ向かってくる彼を見たら自然と笑みがこぼれていた。

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