第23話 こんなのは恥ずかしい


「あれ、スウミ様、何かお持ちですね?」

「ふふ、今日は賄賂を持ってきているんです。どうぞお納めください」


 いつか渡そうと思ってデルファンから持ってきていた飴がけナッツの入った小瓶を差し出した。有名な菓子職人の店のものだが、それほど高価なものでもない。商業都市デルファンは菓子店も多く、それだけ競争も激しいため、少しでも売上を伸ばそうと、庶民でもちょっと無理をすれば手を出せる価格のものをどこの店も置いていた。この飴がけナッツもそうした商品だった。


「わ、嫌だなあ、賄賂は冗談のつもりだったのになあ。でも受け取らないと悪いですよね、せっかく持ってきてくださったんですもんね、ありがとうございますスウミ様! これシトでは見かけないやつですね、デルファンのお菓子屋さんのですか」

「そうですよ」

「やった!」

 素直に喜んでもらえて、買ってきたかいがあったというものだ。

「ところでエルド王子は?」

「お部屋にいらっしゃいますよ、どうぞお通りください。あ、あと無理はさせないようにお願いしますね」


 入ってすぐの執務室は無人だった。奥のほうのドアが開いたままになっているので、そちらをのぞき込むと、目の前に大きなベッドがあり、王子に無理させないようにと言われた意味がわかった。ベッドに横たわっているエルド王子は顔が赤かった。熱があるのだろう。


「スウミ」

 名を呼ばれて、ベッドの近くに寄った。

「いただいたお手紙を読み、参内しました。ご用件は何でしょうか」

 まさかこの状態でお茶会めぐりをして腹痛係をやらされるとは思えない。王子の言葉を待つが、返事がない。じっとこちらを見上げてくるばかりだ。


「あの? もしかしてご気分でも悪いのですか。もしや熱が高いとか……」

「いや、そういうわけではない。これでも数日前に比べたらかなり回復してきたほうだ」

「なら良いのですが……。何か掛けていないとお体が冷えませんか?」

 王子は寝間着らしき薄い布の上下を着ているだけで、掛け布団のたぐいはベッドの端によけてあった。

「少し暑いと思っていたところだ。このままでいい。それより……」

 王子は眉をひそめた。

「その服はどういうわけだ。なぜ乗馬服を着ていない。まさかまたスカート姿で馬に乗ったのではないだろうな。やはり足を見せたがっている変態なのか……」

「変なことを言わないでください! ここへは徒歩で来たんです。実は最近、王都に引っ越してきました」

「デルファンの支配者の血族が王都に? なぜだ」

「なぜと言われましても。話すと長くなりますが」

「構わない。話してくれ」


 スウミはこれまでのことをかいつまんで説明した。

 父の借金のこと、来年の春までに2000万ギル返済しないといけないこと、返済のために清掃の会社を始めたこと。新規顧客開拓のため王都支店をつくり、今は王都に住んでいること……。全て話すのはかなり勇気が要った。清掃のことを馬鹿にされるのも辛いが、憐れまれたりしたらきっと王子のことを嫌いになるだろうから。


「貴族令嬢、それもデルファンの支配者が清掃の仕事をしているというのか」

 王子はかなり驚いたようだったが、そこに憐れみも蔑みもなかった。信じられない思いで、スウミは問いかけた。

「あの、どう思いますか……?」

「貧乏なのは知っていたが、借金まであるとは思わなかった」

「そっちじゃなくて……、清掃をやっていることのほう、です」

「清掃? よくわからんが、それがおまえは得意なのだろう」

 スウミは頷く。

「ならいいのではないか。向き不向きを見きわめて仕事に就くのは当然のことだし、何もせずぶらぶらしている令嬢より立派だと思う」


 思わず胸を押さえた。そんなふうに言ってもらえるなんて思ってもみなかったのだ。街のメイドでさえ馬鹿にする仕事を、国の王子が馬鹿にしないなんて誰が想像できただろう。


「それより借金は返せそうなのか」

 スウミの感動も知らずに、エルド王子は現実的な問題に言及した。

「きっと返してみせます。今はそれしか言えません」


 王子は少し考えるような顔をしたが、すぐに真剣な眼差しをスウミに向けた。

「俺が2000万ギル立て替えてやろう」

「それは大変ありがたいのですが、お断りします」

「……なぜだ」

 今度の驚きの顔には、いらだちの色がにじんでいた。

「第一王子が、第一王子派の貴族にお金を貸す。それって政治腐敗の始まりなのではないでしょうか?」

「あくまで個人的な貸し借りだ」

「なら余計に問題になりませんか?」

 正直なところ嬉しくないといえば嘘になる。だが、ダメなものはダメなのだ。

「王子が個人的に特定の貴族を特別扱いしてお金を貸すなんて、税をおさめている国民が聞いたらどう思うでしょう? 私は自分の都合のために国を危うくすることはしたくありません。自分のことだけを考える人間になるのは、私にとっては誇りを捨てて生きるようなもので、愛人になるのと大差ないのです」

「おまえの考え方は潔癖すぎると思うが……、だが、そうか……。以前から思っていたが、おまえは貴族に向いていないようだ」

「あはは、ですよね」

 自分でもそう思う。清掃の仕事をしている、それも楽しいと思っている時点でだいぶ貴族から離れている。

「おまえに向いているのは……きっと……国の中枢の……」

 エルド王子は目を閉じて、それきり何も言わなくなった。自分の考え事に沈み込んでいるようだ。



 結局、何の用で呼ばれたのか不明なままだ。王子に尋ねようかどうしようかと考えていたときだった。


「エルド王子に会いたいのですが」と、ドアの向こうから女性の声がした。

「残念ですが無理ですね」と、リオンの声。

「どうしてですか。お部屋にいらっしゃるのはわかっているんですのよ」と、さっきとは別の女性が言った。

「そうよ、会わせてよ」と、また別の女性の声だ。

「王子は恋人との熱烈な逢瀬の最中ですので、どなたとも会えないのです」


 エルド王子が目を開き、眉間に皺を寄せた。

「何を言っているんだ、あいつは」

 ドアの向こうにいるのは、おそらく貴族令嬢だろう。声から察するに4、5人はいるようだ。

「私たちは知っているんですのよ。その恋人って偽物の恋人でしょう」

「そうよ、私たちとの縁談を断るための口実にすぎないのですわ」

 何か誤解があるようだ。本当は体が弱いことを隠すための口実なのだが。

「らちが明かないわね。ここは通させてもらうわ」

「だめですって!」

 ドアがみしみしいっている。きっと揉み合っているのだろう。


「これは強行突破されるのも時間の問題だろうな。スウミ、出番だ」

「はあ」

 出番と言われても、何をどうすればいいのかさっぱりだ。

「服を脱いで俺にまたがれ」

「何言ってるんですか!? 気は確かですか?」

 ドアノブが動く音がした。

「ああ、もう!」

 しょうがないので、服はそのままで王子の上にまたがった。この顔が赤い王子を見られたら、熱を出して寝込んでいるのは一目瞭然なのだ。どうにかして誤魔化さないと。


 どういうわけかエルド王子は目を見開いて、驚愕の表情を浮かべて固まってしまった。

「な、なんでそんな顔なんですか。自分からやれと言っておいて」

「いや、本当にやるとは思わなかった」


 ドアノブはガチャガチャいっているわりに、なかなか開かない。リオンが健闘しているようだ。


 エルド王子が両手を下からすくうようにして握ってきて、そのまま指を絡ませてきた。いきなりそんなことをされて心臓が止まるかと思った。


「スウミは俺のことが好きだろう」

「はい?」

「好きでもない男にまたがったりはしないはずだ」

「な、なんですか、そんな、私は命令されたからやっているだけです! ご自分が王子様で、大変な権力を持っていることをお忘れですか」

「それならイスレイに命令されたら同じようにやるのか。やらないだろう」

 勝ち誇ったような顔で言われて、反論できなかった。なぜならそのとおりだからだ。


 王子は妙に嬉しそうに笑っている。何か反論したいと思うのに、言葉が何も出てこない。心の中ではたくさんの感情が溢れんばかりなのに。


 エルド王子に対しては命の恩人だから感謝しているとか、体が弱くて同情しているとか、自分より国を優先して考えているところを尊敬したりとか、手紙をもらったこともあったりとか、王子の体が思いのほかがっしりしているとか、手のひらから伝わってくる体温がとても熱いこととか、清掃のことを打ち明けても馬鹿にしなかったこととか、冷たそうに見えるけれど性格はそう冷たくもないとか、いろいろ考えていたら頬が痛いくらい熱くなってきた。


「違いますから、絶対に違いますから! もう何なんですか! あと恥ずかしいので手を離してください!」

「恥ずかしい? なにを今さら。足を見られて喜ぶ変態とは思えない反応だな」

「だから! 変態じゃないですって!」


 その時、どがんと大きな音を立ててドアがあき、令嬢たちが寝室に駆け込んできた。

「……」

「……」

 令嬢たちと目が合い、気まずい沈黙が流れたが、令嬢たちは何かを察したような顔をしてすぐさま無言で出ていった。


 リオンがそろりと部屋に入ってきて、王子に一礼した。

「まことに遺憾ながらドアを突破されてしまいました。本当に申しわけありません。言い訳するつもりはないのですが、令嬢の方々があまりにもパワフルで怖かったので太刀打ちできなかったのです。では、僕は自分の部屋で耳栓をして本でも読んでおりますから、続きをどうぞ」

 ドアの閉まる音と同時に、スウミはベッドから飛び降りて、咳払いをした。

「う、ごほん、それで、本日お呼びになったご用件はなんでしょうか」

「用件などない」

「……はい?」

「ずっと寝込んでいて退屈だったから呼んだだけだ」

「な……、なんですか、もう! 私は仕事で忙しいのに! じゃあ、用は済んだみたいだから私は帰りますからね!」


 大股で部屋を横切り、ドアを開けたところで、

「リオン、スウミを送っていけ」と、エルド王子が声をかけた。

 耳栓なんかしてないし、読書もしていないリオンがドアのすぐ前に立っており、「承知しました」と言って、王子に一礼した。


「結構です。子供のリオン君に送ってもらったら、リオン君が王城に戻るときにまた送ってあげなくてはいけなくなるじゃないですか」

 もう日は落ちている。治安のいい王都とはいえ、こんな時間に子供を一人で歩かせるわけにはいかない。

「それもそうか」

「なんですかお二人とも失礼な! 僕を子供扱いしないでください! 行きますよ、スウミ様!」


 意地になったリオンに手をひっぱられて家まで送ってもらうことになってしまった。こっそり王城の兵士が護衛のために尾行していることにスウミは気づいたが、リオンは気づいていないようだった。



★★★


 一方その頃、デルファトル家の屋敷に一人の来客があった。


「あの~。どなたかいらっしゃいませんか~」

 赤い髪をゆるく三つ編みにしたメイド服姿のパルナエは、開け放たれた正面のドアから室内に向かって叫んでみた。しばらく待ってみたが返事はない。


「困りましたね。お留守なのでしょうか」

 どこかに使用人がいるはずだろうと思い、パルナエは屋敷のまわりを回ってみたが、どこにも人の気配はなかった。


 一旦屋敷の敷地を出て、どうしたものかと考え込んでいたら、デルファンのほうから1台の馬車がやってきて、パルナエの前で止まった。


 御者席に座った粗末な身なりの中年の男が声をかけてきた。

「あんた、どうかしたのかい」

「こちらのお屋敷にお住まいの女性に会いに来たのですが、ご不在のようなのです」

「女性? ああ、わけあり令嬢か」


「ご令嬢は引っ越したって聞いたよ」と、男の隣に座った中年女性が訳知り顔で言った。

「そうだったのですね。どこにお引っ越しされたかご存じですか」

「さあ、そこまでは知らないねえ」

「そんな……」

 パルナエは計画が頓挫して、困り果ててしまった。


 イスレイ王子から追い出されてしまったパルナエは、ひとまず王城を出ることにした。今のイスレイはとりつくしまもない。しばらく時間を置いたほうがいいと思ったのだ。

 そこで、深夜にパンケーキを一緒に食べたあのお腹の弱い方に「呪われてますよ」と忠告しにいくことにした。やはり見て見ぬ振りはできない。その後に王城に戻り、イスレイ王子に謝って、またそばに置いてもらおうという計画であった。


「困りました。他にどこを探せばいいのでしょう……私、一体どうしたら……」

 パルナエは涙がじんわりとこみ上げてきた。


「そんなことで泣かなくったっていいだろうに。そうだ、私たちはこれからミルンの港町に帰るところなんだけど、よかったら乗っていくかい? そろそろ夏だし、令嬢はミルンで海水浴でもするつもりかもしれないよ」


 希望の光が見えた気がして、パルナエの涙は引っ込んでしまった。


 そういうわけで、パルナエは親切な行商人の馬車に乗せてもらい、王都のある北ではなく南へと向かったのだった。


 馬車の荷台で、行商人の夫婦の子供たちからあやとりを習ったり、一緒に歌をうたったりして、楽しい旅路となった。

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