第25話 すれ違う感情と言葉
正午ごろ、海鳥の印のついた手紙が届いた。
手紙を持ってきたのはいつもの配達ギルド員ではなく、王城からの使者だった。手紙をその場で読むよう求められたので、スウミは使者の前で封を切って読んだ。エルド王子の字だ。「急用だ。大至急城へ来い」としか書いていない。
タイミングの悪いことに、ちょうど午後から清掃の依頼が入っている。しかも、無料チラシのものではない。珍しく有料の本物のお客様からの依頼だ。絶対にご満足いただける仕事をしなければと意気込んでいた矢先に手紙が届いたのだ。
――どうしよう
――仕事に行きたい
でも、急用だと書いてある。何かあったのだろうか。熱を出して寝込むエルド王子の姿と、イスレイ王子の嫌味な顔が思い浮かんで、スウミは覚悟を決めた。
使者とともに馬車に乗りこみ、王城へ向かった。
「はい? 服を脱ぐんですか?」
王城に到着すると、兵士の案内で小さな部屋に通された。そこには色とりどりの生地や巻き尺を持った女性集団がいて、スウミを待ち構えていた。
「あったりまえじゃありませんか。服を着たままでは採寸できません」
リーダー格らしき眉間の皺の深い白髪の女性は、ぶつくさ言いながら強引にスウミの服を脱がすと、あっちこっちに巻き尺を当て始めた。
「あら、あなたって思ってたより筋肉がついてる。貴族令嬢っていうから、もっとぶよぶよしているかと思い込んでたけど。いいわね、インスピレーションが刺激されるわ」
その女性は、ほかの女性たちに何やら指示しながら、採寸の手を動かし続けた。その手は荒れていて、スウミは親近感を抱いた。手仕事に打ち込む人の手というのは大体こういうものなのだ。無意識に自分のがさがさする指先を撫でた。
体中あっちこっちを採寸されたと思ったら、次はさまざまな生地を胸元に当てられた。そして色がどうの、柄がどうのとこれまた騒々しく喋りながら、彼女は指示を出していった。
「はい、これでオシマイ。お疲れさん。商品の引き渡しは冬頃ってとこね」
部屋に連れ込まれた時と同じ強引さで、部屋の外へと追い出された。ドアの向こうから、女性たちの「デザインは……」とか「あの娘のイメージだと……」とかいう声が聞こえる。
これはきっとドレス作りの採寸だとスウミは確信した。そんなの人生で初めてだけど間違いないだろう。一体どういうことなのか。
兵士に案内されて、今度はエルド王子の部屋にやってきた。今日はリオンが不在のようで、スウミはまっすぐ王子の部屋へ入っていった。
王子は奥の寝室ではなく、手前の執務室のほうにいて、書類を読んでいるところだった。
スウミが入っていくと、書類から目だけ上げて、「ドレスの採寸は済んだのか」と聞いてきた。
「これは一体どういうことでしょうか。私は急用だと伺っていたのですが」
「ああ、急用だ。この国一番の仕立て屋が王城に来ているのだぞ。彼女らが依頼を受けるのは年に一度だけだ。今日を逃すと、次は来年になる」
「……つまり、私はドレスをつくるために王城に呼ばれたと、そういう理解でよろしいですか」
ふつふつと怒りがわいてくる。大事な仕事を放り出して駆けつけて、ドレスとは。
エルド王子は眉をひそめた。
「随分と機嫌が悪いな」
「だって、ドレスだなんて! そんなの私には必要ありません」
「いや、必要だ」
「必要ないです」
「俺が必要だと言うのだから、必要だ」
「……では、百歩譲ってドレスが必要だとして、国一番の仕立て屋でなくてもいいと思います」
普通の仕立て屋に頼むのであれば、こんなふうに急用だといって呼び出される必要もなかっただろうし、そうであれば仕事にだって行けのだ。
「大体ドレスなんて仕立てても私には代金を払えません。それも国一番だなんて……」
「支払いはもう済ませてあるから気にするな」
「気にするなって言われましても気にしますし、そもそもそういうことではないのです」
エルド王子は立ち上がると、スウミの目の前まで歩いてきて、不機嫌そうに見下ろしてきた。王子は背が高いから、すぐ側に立たれると妙な圧迫感がある。だが、気持ちで負けてはいけない。今日こそちゃんと言わなくては。
「一体何が不満だ」
「正直にお話ししますが……、私は今、仕事のほうで苦境に立たされています」
「そうなのか?」
自分の情けないところを晒してしまうのがみじめで、思わず視線を逸らして、唇を噛む。
「私が忙しいことは以前から王子にもお伝えしていますよね。それなのに、こう頻繁に呼び出されて……。少しひどいのではありませんか」
王子は険しい目つきになった。
「忙しい時は、俺の呼び出しを断ればいいだけのことだ。それを……」
「断れないのです。私は貴族ですから王家の召集に応じる義務があります。王子もご存じでしょう」
これを言うのは卑怯ではないか? 自分が断れないからといって何もかもを王子のせいにしようとしていないか? スウミは言ったそばから後悔していた。王子と会うことも、ドレスを作ってくれることも、嬉しくないわけではないのに。なぜ言い合いになっているのだろう。
王子は黙り込んだ。お互いに視線を逸らし、沈黙がおりた。
先に口を開いたのは、エルド王子のほうだった。
「……やめてしまえばいい」
「え……?」
「仕事を辞めろ。そうすれば喜んで俺の呼び出しに応じるのだろう? 俺は、どうしてもおまえに会いたくなるのだ」
どこか遠くを見たまま、ささやくような声だった。
「清掃の仕事は辞めません」
王子は天を仰いでため息をついた。
「自分で借金を返したいという、おまえの誇りは尊重する。それならば清掃よりもっと時間に融通の利く仕事を紹介してやる。それなら構わないな」
「いいえ、私は清掃で借金を返済します。私は社長です。会社に責任があります。うちで働いてくれている人たちは、うちの仕事で生活しているんです。一緒に頑張ってくれている仲間なんです。途中で投げ出すわけにはいきません。もし仕事がうまくいかなくても、借金が返せなくても、社員が一人でも残っているかぎり私は辞めません」
たとえ愛人になるしかなくなったとしても、今いる社員を中途半端に放り出すようなことだけは嫌だ。
この気持ちは、エルド王子ならわかってくれると思った。なぜなら王家はこの国で暮らす全ての人の生活を背負っているのだから。規模は違えど社長も同じなのだ。他人の人生を背負う重さを知っている人なら、わかってくれるだろうと……。
「清掃会社の社長なんて、すぐかわりが見つかるのではないか。スウミでなければならないわけじゃない。誰でもできる仕事だろう」
体の芯がすっと冷えた。
王子はスウミの手を取って、優しく撫でた。
「随分と荒れている。こんなになってまでやるような仕事じゃない」
「やめて」
手を振り払うと、二の腕を掴まれてしまった。
「スウミ」
「いや」
それも振り払って、王子を睨み付けた。涙で視界がぼやけている。
「エルド王子は清掃のことを馬鹿にしないでくれたから、だから……。それなのに、そういうことを言うんだったら、もう……もう好きじゃない……!」
前がよく見えなくて、エルド王子がどんな顔をしているのかわからなかった。踵を返し、涙をぬぐいながら足早に部屋を出た。後ろは振り返らなかった。
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