第30話 伝説


 自宅に戻り、喪服を着替えて、デルファンの街へ急いだ。


 下町にあるその小さな図書館は、民家に本棚を並べただけの簡易なもので、貴族や王族が利用するような私設図書館とは違い、蔵書の数も少なかった。その上、盗難防止のために本は穴を開けられ、鎖で本棚に結びつけられているから本棚から離れた場所では読めないようになっている。しかし、身分に関係なく誰でも無料で利用できる、おそらく島で唯一の図書館だ。

 たしか20年ぐらい前に、デルファンに住む貴族が庶民の子どもたちのために空き家を買い取って図書館にしたという話だった。スウミも子供の頃はよく通ったものだ。


 中に入ると、司書の女性が子供たちに絵本の読み聞かせをしていた。その穏やかな声を聞きながら、本棚の合間を縫うように歩いた。


「伝説野菜……野菜なら植物の本棚かな。それとも農業?」

 両方を確認したが、それらしき本は見つからなかった。続いて健康、医療の棚も調べたが見当たらない。ならば魔法、呪術はどうだろうかと思ったが、そっちも空振りだった。


(ほかには……)


 館内を見回していたら、郷土のコーナーというのが入り口付近に設置されているのに気づいた。

 なんとなく引かれるものを感じて、そちらを見てみることにした。


 背の低い本棚には、『デルファンの歴史』『東西に長いセラージュ島』『デルファン昔話』などの小さな本が並んでいた。昔は紙が貴重で、本は小さくて薄かったという。その名残だろうか。どの本もとても古そうだ。


 背表紙を一つずつ読んでいって、『伝説野菜』という本を見つけた。そのものずばりのタイトルに、嘘でしょと自分の目を疑った。だが、何度見ても間違いなく『伝説野菜』と書いてある。スウミはその本を書架から取りだし、ページをめくった。



『伝説野菜とは、ドラゴンが育てた野菜のことである。

この野菜を食べれば、どんな病気も怪我も一瞬にして完治し、さらに体力増強、生命力の強化、寿命の延長効果などが得られる。


野菜の種類については、ニンジンやナス、カブなど、いろいろな伝説野菜がある。過去にサクランボを栽培したことも伝承として残っていることから、野菜でなくとも良いのかもしれない。


なぜドラゴンは伝説野菜を育てるのか。一説によると、千年もの寿命を持つドラゴンが、おのれが愛した人間を長く生かし、ずっと自分のそばに置いておくために伝説野菜を作るとも言われているが、真偽は不明である。』



 この本によると、ドラゴンが作った野菜、それが伝説野菜のようだ。


(私はそんなものを食べたのか!)


 ドラゴン、それは大きなトカゲに羽が生えたものであると学習所で習った。昔はこの島に生息していたのだが、いつの間にかいなくなってしまったらしい。


 ドラゴンについても調べてみようと思い、本を書架に戻したとき、『伝説野菜』の隣に『セラージュのドラゴン』という本があることに気づいた。こんなに都合良くドラゴンの本が隣にあるなんて。ミシゲさんが並べたのだろうか。

 それは児童向けの歴史本のようだった。



『昔々、セラージュ島は人も魔物もいない楽園でした。島に住んでいるのはドラゴンだけでした。


ランガジルや霜ノ国の人々は、魔物に苦しめられていたため、セラージュへ移住しようとしましたが、ドラゴンはブレスを吐いて、彼らの船を沈めてしまい、決して上陸を許さないのでした。

人々は魔法や呪術で戦いましたが、ドラゴンにはまるで通じませんでした。



ある日、奴隷たちが船に乗って霜ノ国から逃げ出しました。

彼らは生まれつき魔力や呪力がないせいで、奴隷にされてしまったのです。奴隷たちはコンパスも海図もなく、海鳥の導くままに船を走らせるしかありませんでした。


船はセラージュ島に流れ着きました。

ドラゴンは奴隷たちを気の毒に思いました。


「奴隷たちよ、身分の差で苦しめられるようなことがもう二度とないように、この島で仲良く暮らすといい」


人間が住んだことが一度もない島には、人間のための食べ物はありません。奴隷たちはこのままでは飢え死にしてしまいます。そこでドラゴンは穀物や野菜やフルーツを祝福の力で生み出し、人間に与えました。そこからセラージュの農業の歴史はスタートしました。


花の咲き乱れる平和な島で、人々は子供を育て、人口を増やしていきました。そうして、はじまりの街ケブルが生まれ、シトやデルファンなどたくさんの街が生まれました。


やがて社会が生まれ、貧富の差、身分の差が生まれ、貴族や王族が生まれました。

これを悲しんだドラゴンは、「もうおまえたち人間と一緒に暮らすことはできない」と言って、セラージュから去ってしまいました。


守ってくれるドラゴンがいなくなったので、ランガジルや霜ノ国が侵略してくるのをセラージュ人は自力で防がなくてはいけなくなりました。



いつか島のみんなが平等に暮らせる世の中になったら、ドラゴンは帰ってきてくれることでしょう。


でも、私は思うのです。

人間がドラゴンに頼って暮らすのは、本当に良いことなのでしょうか。


ランガジルや霜ノ國と仲良くすることはできないのでしょうか。

私たちセラージュ人はどう生きるべきなのか、皆さんもぜひ考えてみてください。


おしまい。』



 この本は、ドラゴンの伝説だけでなく、このセラージュ島に人が住むことになった歴史を子供に教えるために書かれたもののようだ。


 セラージュの王家は、海鳥を紋章としている。それは彼らが海鳥に導かれてこの島にやってきた奴隷の子孫だからだ。おおっぴらには言う人はいないが、このことは一応公式にも認められている。奴隷にされた理由が魔力や呪力がないせいだというのは自分は初耳だけれど。


(だから私たちセラージュ人は魔法も呪術も使えないのかな……?)


 それに、ドラゴンがこういう理由で島から去ってしまったというのも初めて知った。

 スウミは絶望的な気持ちになった。絶滅したにせよ、人間に呆れて去っていったにせよ、どちらにせよドラゴンはもういない。伝説野菜は手に入らないのだ。

 そこで、はたと気づいた。


(じゃあ、どうして伝説野菜がグジ子爵のお屋敷にあったんだろう?)


 それ以上のことは図書館で調べてもわかるはずもなく、伝説野菜の入手方法は不明なままだ。


(振り出しに戻った気分)


 スウミは肩を落して、図書館を出た。




 その夜おそく。

 久しぶりにデルファンの屋敷の自室で眠ることになったスウミは、ふと目を覚ました。館内はしんと静まりかえっていて、父もマノやビビカも夢の中だろう。

 遠くで、馬の蹄の鳴る音が聞こえた気がした。

 窓に近寄り、外を見ていると、屋敷の敷地外に一頭の馬が佇んでいるのに気づいた。その背には騎乗した人物もいる。深夜な上に、遠すぎて相手の顔は見えないのに、目が合ったような感覚がして、胸の奥が締め付けられるような思いがした。


 その人物はやがて向きを変えて、馬を走らせて去っていった。月明かりを受けて、腰にはいた剣が光を弾くのが見えた。きっと巨大ナメクジを倒したのと同じ剣だろう。

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