最終話 返済期限の春


 鉄格子越しに空を見上げた。オレンジ色の空に藍色が忍び寄り、その境目で星が煌めいていた。


「もうすぐエルド王子が来る……」


 スウミは視線を落とし、ドアのほうに目を向けた。鍵がかかっており、内側からは開けることのできないドアを。



 謁見の間での事件から数日が経った。それ以来、スウミは城の一室に監禁されていた。


 もっとも監禁というにはあまりに広く豪華な部屋だった。


 部屋はエルド王子の部屋に負けないぐらいの広さがある。家具も部屋の面積に見合うサイズだ。ベッドは詰めれば5人は寝られそうだし、クローゼットには一家族分の衣装が入りそうなほどだ。大きなテーブルには燭台が二つ、椅子は6脚もある。

 それ以外にも、螺鈿細工の鏡台、繊細な透かし彫りの衝立、陶製のティーセットの置かれた小テーブル等々、たくさんの家具が並べられ、それでもまだ部屋には余裕があるのだ。


 この部屋は城の中でもかなり上位の人々、おそらく王家クラスの人物ために用意された特別な部屋なのだろう。


(ただ、ドアは一つしかなくて、人が出入りできるような大きな窓もないから、外からドアを施錠されてしまうと、豪華な監禁部屋になってしまうのだけれど)


 スウミは続き部屋の浴室に向かうと、鏡の前に立ち、くせで跳ねる髪に櫛を通した。髪をとかしたところで見た目には何の変化もない気もするが、エルド王子が来る前に、一応身だしなみは整えておきたかった。

 髪の手入れが終わると、今度はベッドのある部屋に戻り、鏡台の螺鈿細工の扉をあけて、その前に立ってみた。

 ドレスを着た自分が映り、思わず苦笑してしまう。


 今スウミが着ている淡いイエローのドレスは、胸元に同色の糸で手のこんだ刺繍がたっぷり施されていた。手触りは滑らかで、裾をつまんで落とせば、とろんと揺れる。腰元にはドレープが多くあしらわれ、生地のたわんだ部分が窓から差し込む夕日を受けて輝いていた。


「これが普段着だっていうんだもの……」


 スウミが着ていた白いワンピースと比べても、かなり上等である。クローゼットにはこういったドレスが何着もしまわれており、自由に着ていいと言われていた。どれも「普段着だ」ということであったが、「これのどこが?」というのがスウミの素直な感想だった。


 サイズがぴったり合うということは、以前採寸されたときの寸法でエルド王子が職人につくらせたのだろう。こういった贈り物をスウミが拒否するだろうと見越して、渡せないまま眠っていたのに違いない。



 遠くから足音が響いてきた。だんだん近づいてくる。やがてドアの前に立ち止まると、ノックの音が部屋に響いた。


「スウミ、入るぞ」

「はい」


 エルド王子は部屋に入ってくるなりスウミをきつく抱きしめた。しかし、すぐに体を離し、スウミの全身をまじまじと見つめる。

 スウミも見つめ返す。いつもの執務服――黒いシャツとズボン姿だが、海鳥のマントを肩に掛けている。今日は会議か何かに顔を出したのかもしれない。


 エルド王子は、ほっと溜息をついた。

「無事だな。今日は何もなかったか?」

「はい」

「そうか……」

 再び抱きしめられる。今度はそっと包むように。壊れものを扱うみたいに。

「そんなに心配しなくても、もう大丈夫ですよ」

 そっと背中に手を回し、説得するような気持ちでそう伝えたが、

「だめだ。何があるかわからない。サキは自殺したが、呪術師がほかにも島に入り込んでいるかもしれない」

 かえって深く抱き込まれる結果となっただけだった。


 あの日、謁見の間であったこと全てを、エルド王子は話してくれた。スウミがエルド王子に剣で刺されて仮死状態になり、息を吹き返すまでの間にあったこと……イスレイのこと……マノとビビカのこと……サキのこと。

 呪術師サキは、スウミが意識を取り戻した後、城の塔から身を投げて死んでしまったそうだ。なぜ自死を選んだのか。スウミには理由がわからなかった。

 またミルン沖にランガジルの船が攻めてきたとのことであったが、それもいつものようにセラージュの人々が戦って退けたという。

 サキにしろランガジル戦にしろ、スウミには詳細がまるでわからない。スウミは王家の人間ではないし、貴族としてもつまはじきだから、独自に調べる手段がない。貴族なのに密偵の一人も雇っていない自分はどうしてもこういう話題には疎くなってしまうのだ。それに謁見の間の事件以来、昏い瞳をするようになってしまったエルド王子に、この事件について深く聞き出すのもはばかられた。それが少し情けない気がした。自分にも何かできることがあったかもしれないのに。

 すべての話が終わると、エルド王子はスウミをこの部屋に閉じ込めた。スウミを守るために。


「もう二度と傷つけない……誰にも手出しさせない」


 南部の港町ミルンでは、怪我をした海鳥を保護する人々がいるらしい。羽を傷つけないよう柔らかな網で絡め取って、籠に入れるのだと聞いたことがある。鳥はどんなに暴れても決して傷つくことはないが、逃げることもできず、人が開放してくれるのをただ待つことしかできない。力強い腕がスウミの体を優しく拘束するたび、スウミはこの話を思い出してしまう。


 スウミには仕事があった。借金を返済しなければならないのだ。王城にいつまでもこもっているわけにはいかない。しかしエルド王子の淡い瞳が壊れそうに揺れているの見ると、スウミは何も言い出せないのだった。




 すぐに夕食が運ばれてきた。食器や料理を運ぶ数人のメイドにまじってリオンも来ている。リオンは書類を手にしていた。

 給仕の邪魔にならないようエルド王子はスウミを抱えて寝室に移動すると、ベッドに腰掛けた。スウミは膝の上に座らされた格好だ。とっさに離れようとしたが、もちろん許されるはずもない。スウミの後頭部を撫でるような仕草でそっと、でも抗えない強さで胸に押し付けるようにされて引き戻されてしまった。正直恥ずかしくてたまらないスウミだったが、強く拒絶するのもはばかられて、おとなしく抱かれたまま小さく溜息を落とした。

「今日はこのドレスにしたのか」

 黄色いドレスの表面をさらりと撫でた。

「よく似合っている。思っていた以上の可愛いさだ」

「うう……」

 メイドやリオンにも聞かれているのではないかと気になってしまって、スウミは固まってしまう。ときめく気持ちよりも恥ずかしさが勝っていた。もともとこういうことを言う人ではなかったと思うのだが、謁見の間での一件以来、すっかりたがが外れてしまったようだった。


 リオンが寝室にやってきて、書類を目の高さに持つと、両足をそろえて立った。主君の膝の上に座らされたスウミを見ても、眉一つ動かさず、毅然とした態度で「ご報告もうしあげます」と、告げた。


「さきほどミルンから伝令報告官が到着し、交戦詳報を受け取りました。簡略版を読み上げます」

 エルド王子が頷くのを確認して、リオンは続けた。


「先日我が国が勝利をおさめたミルン沖での戦闘ですが、ランガジルの船は沖合にて全滅、ひとりの上陸も許しませんでした。現在ランガジルに動きはありません」


 一旦そこで切ってから、リオンは再び口を開いた。


「続きまして、我が国の被害状況です。公爵所有の巡視船の一部が損傷し、地元漁師の漁船も複数沈没しましたが、人的被害は出ておりません。港の施設も無傷です。王国軍の被害についても軽微です」

「わかった。損害の補償についてはヴェンナ公爵と話し合うことにする。公爵に面会の要請を出してくれ。ほかには」

「ええと……」

 そこで初めてリオンは複雑そうな表情を見せた。

「どうした?」

「僕としては、喜べばいいのか悔しがればいいのか複雑なのですが、敵船を撃破したのはイスレイ王子だそうです。おひとりで全て撃破されたとか」


「イスレイ王子がミルン沖で敵を撃破……?」

 スウミは思わず声を上げてしまった。


「ランガジルが攻めてきた日、イスレイ王子はこの城にいましたよね。それがどうしてミルンで戦えるんでしょうか。ミルンまで馬で何日もかかるのに……」

 それなのですが、と、リオンは声を落とした。


「イスレイ王子はあの日、城内で呪術師を追いかけましたが、呪術師は飛び降り自殺をしたため捕まえることができませんでした。そのとき、ミルン沖での戦闘について報告を受け、単身ミルンへと向かわれようとされたそうです。兵士たちに向かって、自分が前線で戦うとおっしゃられたとか。するとメイドの女性、パルナエという方が真っ赤なドラゴンに変身し、イスレイ王子を背に乗せて、ミルンに向けて飛び立った。そういう報告を受けております」


 ドラゴン!

 スウミは息を飲んだ。

 数日前、謁見の間で息を吹き返したスウミは、マノとビビカがドラゴンであることを知った。でもまさかパルナエまでドラゴンだったとは。確かに彼女らはどこか似た雰囲気ではあったが……。


「イスレイ王子はその日のうちにミルン沖に到着し、ドラゴンが吐き出す炎で敵船を撃沈したとのことです」


 まるでおとぎ話のようだと思った。ドラゴンがその強大な力で島を守ってくれたというのか。いや、パルナエのことだから、ただイスレイ王子の役に立ちたかっただけなのかもしれない。


「いまイスレイ王子とドラゴンは王都はずれの森の中で待機しているとのことです。入城を許可されますか」

 黙って話を聞いていたエルド王子の顔から表情が消えていた。感情を押し殺しているのだろう。そういえばイスレイの話題になってからエルド王子は一言も言葉を発していない。

 スウミが手を伸ばして冷たくなった指先を握ると、エルド王子は握り返してきたが、すぐに離して立ち上がった。


「……まずはその伝令報告官に会おう。戦場から王都に帰還したのだから労ってやらねば。交戦詳報にも目を通したい。イスレイのことはそのあとだ。スウミ」

「は、はい」

「済まないが、夕食はひとりで済ませてくれ」


 王子とリオンが部屋から出ていき、ドアに鍵がかけられた。重々しい金属音が、スウミ一人きりの室内に響いた。部屋を出ていくエルド王子に何か声を掛けたいとも思ったが、感情を消した顔があまりに冷たく、遠く感じられて、何も言えずに送り出してしまったことを悔やんだ。


 テーブルの上に用意された二人前の料理からは湯気が立ち上っており、それが余計に寂しく思えた。



 かすかにベッドが沈む気配を感じ、目が覚めた。室内は暗く、香り蝋燭の揺れる明かりが壁をぼんやりと照らしている。


 布団の中の空気が動き、エルド王子が隣に滑り込んできた。

「ん……。おかえりなさい……」

「悪い、起こしたか」

 腕が首の下に潜り込んでくる。

 スウミは目を開け、エルド王子のほうを向いた。あたたなか炎のあかりに照らされた顔は穏やかで、スウミはほっとした。イスレイ王子の話を聞いて冷たくこわばってしまった表情はもう消えている。優しい、愛おしいげな瞳でスウミを見つめてくる。

 安堵の微笑みを返したスウミだったが、しかし、手で目隠しされてしまった。

「起きなくていい。眠れ」

「そう言われても……」

 同じベッドに、それもすぐ隣に思いを寄せる相手がいて、しかも腕枕をされているのだ。意識せずにいられるわけがない。当然目は冴えてしまう。腕に触れる頬の熱さでそれをエルド王子も知っているだろうに、どうして無茶を言うのだろうか。


 それに視線も感じる。寝顔を見られながら眠りにつくのは至難の業だった。

「眠れ……」

 髪を撫でられた。やめてほしい、そんなことされたらますます眠れないのに。

「……ううん……」

 スウミはすっかり弱ってしまった。


 この部屋に監禁されて数日経つが、毎晩こうなのだった。


 腕枕をされて、見守られながら寝なくてはならない。スウミとしては気恥ずかしくて眠るどころではなかった。せめて王子も寝てくれるならいいのだが、どうも一晩中起きているようなのだ。


「眠れ」

「あの、エルド王子も寝てくれませんか」

「俺は寝なくても平気だ。伝説野菜で体は強化されている」

 そうなのだ。謁見の間の事件で、スウミが意識をなくしている間に、マノが伝説野菜を与えたようだ。おかげですっかり丈夫になったエルド王子は熱を出して寝込むこともなくなり、徹夜でスウミの寝顔を見守ることも可能となってしまったのだった。


――そういう目的で伝説野菜を食べてほしかったわけじゃないんだけどな……。


 非常に困ってしまう。口からよだれを流している姿などを万が一見られてしまったらどうするのだ。うっかり寝言だって言うかもしれない。

「一緒に寝てほしいです」

 目隠しされたまま訴える。

「俺のこといいから、眠れ。スウミの寝顔を見るのを楽しみにして、昼は仕事を片付けているのだぞ」

「そんなこと言われても……」

 スウミは体の向きを変えた。エルド王子と向かい合う形になって、目隠ししようと追ってくる手を捕らえて、王子を説得にかかった。

「エルド王子。寝ましょう。私はたまにお昼寝してますからいいですけど、王子はまったく寝ていないでしょう?」

「スウミだけ眠れば良い。寝顔を見せてくれ」

「だから見られていたら寝れな……」

 口づけされた。唇をついばむような軽いキスだ。それだけでも顔が熱くなる。

「やっぱりそうか」

「はい?」

「こうすれば瞳を閉じるから、ずっとしていればいつか寝るかもしれん。毎晩こうして寝かしつければいいんだな」

 さらにキス。今度は長い口づけとなった。寝るどころか、唇は熱いし、顔に血が集まって、胸はドキドキする。完全に逆効果だ。


 スウミは両手で王子の胸を押すようにして距離を取った。

「私は! エルド王子にも寝てほしいです。いくら野菜で強化されてるからって、何日もずっと寝ないなんて心配で……」

 片手でスウミの手首をまとめられてしまい、またキスされる。舌を絡める動きが、だんだん熱を帯びてくる。


「寝てくれ、頼む」

「で……ですから、王子も寝てください」

 湿った音を立てて唇が離れたが、顔は寄せたままエルド王子が小さくつぶやいた。

「不安なんだ。もし眠っている間に、俺がスウミを傷つけるようなことになったら……」

 昏い瞳の告白が痛々しかった。その淡々とした声には苦しみが滲んでいるのがスウミにはわかる。もう大丈夫だと何度言っても、エルド王子は納得しようとはしない。

「じゃあ、隣の部屋で眠るというのはどうでしょう」

「それだと、何かあったときにすぐスウミを助けられない」

 話をしながらも、キスはとまらない。時折せつなげな熱い吐息が頬に当たる。

「頼むから……。寝てくれないと、これ以上は我慢できなくなる」

「だから、寝てくれたらいいのに」

 お互い同じことを言い合っている。


 腕枕が取れた、と思ったら、エルド王子がのしかかってきた。一瞬、イスレイにされたことを思い出して、恐怖と嫌悪で背中がすっと冷えた。だが、優しくキスされて、体のこわばりが取れた。あのときのとは全く別の行為だと体が認識したみたいだった。ほっとしてゆるんだ体に、引き締まったエルド王子の体がぴたりと合わさる感覚に、心の奥までかっと熱くなる。


 キスを繰り返しながら、エルド王子が切なげにささやいた。

「寝ないのが悪い」

 服の上から腿を撫でられて、恥ずかしさと奇妙な興奮で震えた。

「だ、だめ、それ以上は……」

「やめてほしかったら寝ろ」

 スウミはたまらず叫んだ。

「寝ます、寝ますから、エルド王子も寝ましょう!」


「……」

「……」


 しばらく二人の乱れた呼吸音だけが室内に響いた。


「なんで寝ないんだ……」

 指が強めに肌に食い込む。首の奥がぞくりと震えた。

「スウミは初夜は結婚後がいいのだろうなと思って我慢していたが、いいのか? 俺は今夜でも構わないが……」

 下着に手がかかる。

「わかりました! 寝ます! おやすみなさい!」

 スウミが降参してぎゅっと目を閉じると、エルド王子は深々と溜息をついた。


(今夜も絶対眠れない!)





 数日が経過した。

 あいかわらず部屋の外には出してもらえない。そろそろ仕事のほうも心配になってくる。社員たちには事情を知るビビカが説明してくれているだろうから、社長が失踪したなどという誤解は生まれないだろうが、春の返済計画もある。新年にはケブル支店立ち上げも予定しているのだ。なるべく早くエルド王子を説得して、戻らなければならない。


 そう考えてはいるのだが、エルド王子はかたくなだ。毎晩キスで寝かしつけてきては、早朝には部屋を出ていってしまう。



 どうしたものかと策を練っていた、ある日のことだった。

 いつもより控えめなドアをノックする音に、スウミは身構えた。


「ど、どちらさまでしょうか……」

「僕だよ、イスレイだ」

 そのとき胸に沸き上がった感情は怒りや嫌悪より恐怖が勝った。

「入ってこないで!」

 考えるより先にそう口にしていた。

「入らないよ。わかってる。ここで話をさせてもらいたいだけ」

 ドア越しに聞こえる声は、少しくぐもって聞きづらかったが、それでもドアに近づく気にもならなかった。

「……」

 迷うような沈黙。

「僕は謝りたい。でも許してもらおうと思っているわけじゃないから、あなたは何も言わなくていい。ただ聞いてくれるだけでいい」


 衣擦れと足踏みするような音がした。

「済まなかった」

 おそらく扉の前に跪いているのだろう。低い位置から届く謝罪の言葉をスウミは黙って受け止めた。


「あなたをモンスターに襲わせたこと、あなたに乱暴したこと、その上、口にはできないようなことも……。それだけでなく、あなたの商売を邪魔しようと呪いを掛けさせたこともあった。パルナエから聞いたよ、呪いは解呪できたんだってね。本当に良かったと思う」

 その声は少しも飾ったところがない、素直な気持ちがあらわれているようにスウミには感じられた。以前のイスレイ王子の人を小馬鹿にしたような声音とはまるで別人だ。


(それでもこの人がしたことは酷いことだし、私の恐怖心が薄れるわけではないけれど)


「全て僕が愚かだったせいだ。それが彼女を弔う復讐になると……。そう思い込んで、大変な罪を犯してしまった」

 再び衣擦れがした。

「罪は償わなくっちゃいけないよね」

「どうするつもりなんですか」

 スウミは思わず尋ねていた。

「サキは……あの呪術師は城の塔から飛び降りて死んでしまったのは知ってる?」

「ええ。でも詳しいことは知りません」

 事件後すぐにここに閉じ込められてしまったスウミには、その後、何が起こったのかまるでわからないのだ。


「あいつは兄上に呪いをかけて、この島をめちゃくちゃにしようとした。呪いを解けるのは呪術師だけ。でも、この島には呪術師なんていない。死んでみせることで呪いを永遠にし、あいつの復讐は完成するはずだった」


 しかし、ビビカがいた。ドラゴンであるビビカが助けてくれたから、エルド王子は正気に返ることができたのだ。


「僕も復讐を企てた者として、あいつと同じ最期を迎えるべきだと思う」

 つまり自死を選ぶとイスレイ王子は言っているのだ。


「死ぬのが本当に償いなんでしょうか。それってちょっと勝手じゃないですか?」

 スウミは思わずきつい声音で言い返していた。言い返さずにはいられなかった。婚約者を殺されたという話はお気の毒だと思うけれど、だからといって後始末は兄にまかせて逃げ出すなんて、腹が立つのだ。エルド王子に対してあまりにもひどい。


「イスレイ王子は第二王子でしょう。死んで終わりにするなんて無責任すぎます。国のために、もっとほかにできることがあるはずです。逃げないでください」

 どこか投げやりな笑い声がしたが、すぐに声は力をなくして吐息に変わった。


「あなたの言うとおりかもしれないね。でも僕はもう……」

 重く響く足音がゆっくりと遠ざかっていく。


 スウミはドアに駆け寄った。

「パルナエさんを泣かせないで」

 一瞬、足音がとまったが、すぐに歩き出し、やがて足音は聞こえなくなった。



 その夜もエルド王子がやってきたが、イスレイ王子が部屋の前に来て謝罪したことをスウミは言わなかった。言ってしまったら、エルド王子の瞳を浸食している闇がますます濃くなってしまう気がしたのだ。





 さらに数日が経った。

 昼食の支度にメイドがやってくるとき、リオンが一通の手紙を持って同行してきた。


「スウミ様宛の手紙です。ビビカさんからですよ」


 すぐに中を確認した。仕事で何かあったのかと危惧したのだが取り越し苦労だった。

 それは呪術師に関する手紙だった。

 島中を調べてみたけど、呪術師はいなかった、そう書いてあった。スウミが監禁されている間に、ビビカはスウミのために動いてくれていたのだ。目頭が熱くなった。さらに、もし新たに呪術師が島にやってくるようなことがあれば、ビビカが責任を持って対処する、だからセラージュ島はもう安全だとまで書いてあった。きっとエルド王子に監禁されているスウミを手助けするために、こういう文面を書いてくれたのに違いない。


 その夜、スウミは興奮状態でエルド王子に手紙を見せたが「そうか。ひとまず安心だな」と言われただけで、監禁をやめる気はないようだった。


(さすがにドラゴンの言うことなら聞くかと思ったのに)



 がっくりしたスウミであったが、ここであきらめてなるものかと、さらに数日かけて説得した。


「結婚の約束をするなら解放してもいい」

「監禁の目的が当初と変わってませんか」

「そうでもない。いや、むしろそっちが本題だ」


 冗談を言えるぐらいにはエルド王子の心の傷も回復してきたようで、スウミは嬉しかった。



 連日の交渉の結果、どうにかこうにか解放してもらうことができた。ケブル支店に行くと伝えたのがかえって良かったようだ。ケブルは北方の街だ。ランガジル大陸がある南方からは地理的に離れているし、人口もそれほど多くないから、王都に比べるとよそ者が紛れ込むのも難しい。



(ただ、騎士たちの護衛付きにはなっちゃったけど)

 それが解放の条件と言われてしまっては、受け入れるしかなかった。



(さあ、借金返済もいよいよラストスパートだ。ケブル支店を立ち上げて、ばりばり稼ぐぞ!)



 王都近くを流れる川の水はまだ冷いけれど、桜は満開のころを過ぎ、既に散り始めていた。


 やわらかな風の吹く午後。スウミは王の執務室の窓際に立っていた。


「なんだか納得いかないなあ」

「何がだ」

 書類仕事をしているエルドは、顔を上げずに答えた。


「だって、あれ聞えるでしょう?」

 窓の外から聞える、国民の大合唱。

「イスレイ様、万歳!」

「イスレイ様はこの国の英雄だ!」

 きょうは朝からずっとこれなのだ。


 謁見の間での事件の後、呪術師を追いかけていたイスレイは、ランガジルが攻めてきたという知らせを受け取った。すぐさまドラゴンに乗ってミルン沖に駆けつけ、炎のブレスで敵を一掃した。その活躍はすぐに国内に広まり、何も知らない国民はイスレイこそ英雄だと持ち上げるようになった。


 一方、エルドは開戦の知らせを受けてからの行動がおそかったと批判を受けた。エルドが指揮を執り始めたのはスウミが仮死状態から復活してからだったし、確かに遅かったのだ。その批判は免れないとはいえ……。


「イスレイが英雄って」

 どう考えてもおかしい。そこだけがおかしい。


「ドラゴンに乗ってランガジルを退けた。英雄だろう」

 何でもないことのように言いながら、エルドはペンを走らせている。


「国民が誤解していること、エルドは腹が立たないの?」

「別に。もちろん、あいつがおまえにしたことについては許す気はないがな。だが、それは腹が立つというのとは違う。そんな軽いものではない」

「エルド……」

「だが、ランガジルを退けたことは評価する。それに……」

 エルドは窓の外に顔を向けた。

「国民が騒ぐのも今日までだろう」


 イスレイは今日、セラージュ島を出ていく。


 昔、イスレイはランガジルとの停戦交渉の場で出会った女性と恋に落ちた。だがセラージュを良く思わない姉サキにとって、それは裏切りでしかなかった。サキは妹を殺害すると、それをセラージュ王家の仕業だとする偽りの手紙をイスレイに送った。イスレイは両親と兄への復讐を誓い、手紙の主に呪術師の手配を頼んだ。その相手が誰なのかも知らずに。


 サキは船に乗り、亡命者のふりをやってきた。エルドがイスレイの騎士たちと調査に向かい、騎士が<クリスタル>で魔法と呪術の検査をしたが、<クリスタル>は反応しなかったとエルドには嘘の報告した。こうして呪術師はセラージュに入り込むこととなり、両陛下暗殺、謁見の間での事件という事態にまで発展したのだ。


 スウミが納得いかないのは、これらのイスレイの罪は王家だけが閲覧できる文書にひっそりと記録されただけで、世間に対しては非公表となっていることだ。


「個人的な感情はともかく、俺が信用を落した分、イスレイが人気を上げた。それで王家への信頼を取り戻せたのは事実だ。ランガジルも霜ノ国もいつ攻めてくるかわからん状況だ。王家の信用をなくすことはしたくない」

「そうかもしれないけど……」


 エルドが言うには、イスレイ王子は何度も自殺未遂を繰り返すものだから、しばらく城の一室に軟禁して監視下に置いていたという。自殺しようとしなくなったと思ったら今度は国外へ行きたいと言い出したので、エルドは了承した。


「イスレイもイスレイなりに罪を償う方法を考えたのだろう。このまま国に残れば、今の俺のやり方に不満を持つ貴族たちの旗頭にまつり上げられるのは必至だ。国が二分してしまう。イスレイが国外に行けば、そういう事態は避けられる」


 エルドはペンを置いた。

「俺が責めるべきは自分だ。自分のしたことが許せない。おまえを傷つけたことも、ランガジル侵攻の知らせを受けながら職務を放棄したことも」


 スウミはエルドに近づき、肩にそっと触れた。こわばった肩が少しゆるんだように思えた。


「失った信頼はこれからの行動で取り戻したい。何をやっても取り戻すことはできないのかもしれんが、努力はしてみるべきだろう。伝説野菜のおかげで健康になったことだしな」


 王の執務室の片隅に置かれた松ぼっくりに目をやった。海鳥の旗や王家の剣なんかと一緒に立派な棚に飾られている<卵>は、ビビカの話では最低でも10年はこのままの姿らしい。今は力を失っている状態なのだという。ビビカが力を分け与えれば、マノは人間の姿になれるけれど、「あんまり甘やかすと頼るクセがつくから」という理由で、このままにしておくつもりだそうだ。ちなみにビビカは今もデルファン本店で働いてくれている。


 ドラゴンといえば、以前ケブルの研究所に依頼していた調査結果がエルドのところに届いていた。

 伝説野菜のことは調べてもわからなかったらしい。伝説野菜を生むドラゴンについては、剣も魔法も効かず、千年もの寿命があり、おだてに弱い。倒せないが懐柔はできるとのことであった。


 スウミたちセラージュ人の祖先は、もしかしたらマノを褒めちぎって、この島に住ませてもらうことにしたのだろうか。そんなまさかと思ったが、でも、彼らドラゴンを間近で見ていると、十分にありそうだという気もした。


「では、行くか」

 エルドが立ち上がり、スウミの手をとった。

「うん!」

 さあ、いよいよだ。





 王城の東部、お金持ちの住宅が連なる一角、アリージャの屋敷の庭にスウミとエルド、そしてゼオが揃った。

「アリージャさんは?」

「買い物に行った。こんなのつまんねえから俺に任せるんだと」


 アリージャの庭は相変わらず美しく、池の周りに蝶が飛び、魚がゆったりと泳いでいた。


 スウミは現金の入った麻袋を台車ごとゼオに引き渡した。

「ああ。良くやったな。これで借金は完済だ」

「えっ、2000万ギルあるかどうか調べなくていいの?」

 ゼオは袋の入り口すら開けていない。

「調べる必要なんてねえよ。おまえはそういうところで嘘をつける女じゃねえことぐらい、俺ぐらいの人間になればわかるんだ。ほら」


 ゼオは借用書を返してくれた。スウミはじっくりと眺めてから、一気に破り捨てた。

 いろいろな気持ちが胸に溢れて、言葉にできない。だけど自然に口角は上がり、じっとしてなんかいられないほどの衝動が全身を駆け巡った。スウミは意味不明な言葉を叫びながらその場で何度か飛び跳ねた後、エルドに体当たりするみたいに飛びついた。


「……や……やったー!」


 髪をくしゃくしゃに撫でられて、目がじんわり熱くなった。


 スウミは仮死状態から復活した後、ケブル支店を立ち上げ、漁港や船、市場の清掃を請け負い、どうにかこうにか満額用意できたのだ。冬の海風に晒されながらブラシがけをするのは、凍傷で指先がちぎれるんじゃないかと心配になるぐらい過酷だったが、絶対に借金を返すんだと自分に言い聞かせて頑張った。


 ――お父様、私やったよ!

 ――それもこれも、一緒に働いてくれるみんなのおかげだ


 これまで感じたことがないほど大きな達成感に、感極まって涙が出てきた。エルドの腕の中で涙をぬぐっていたら、「これでやっと王妃になるな」と耳元でささやかれた。

「えっと、私は清掃の仕事を辞めるつもりはないから、当分はケブル支店にいることになるんだけど……」

「結婚の約束をしたはずだ」

「……時期は決めてないよね?」

「そういうことなら、また監禁してもいいんだぞ。今度は寝顔を見るだけでは済まないが」

「な、な……!」

 スウミが慌てると、エルドは愉快そうに笑った。


「あーあ」

 ゼオがあくびまじりの声をあげた。

「俺も起業してみるかな。でもなあ、俺のは額が大きすぎるし、どうすっかな……。お、おい、あれ!」

 ゼオが驚いたような表情を浮かべ、空を指さしている。スウミたちは体を離し、空を見上げた。


 うすい水色の春の空。そこに羽の生えた巨大な赤いトカゲ――ドラゴンがゆうゆうと飛んでいた。イスレイを乗せたパルナエだろう。きっと今、王都中の人間が空を見上げているに違いない。


――あれがドラゴン……。なんて美しいんだろう


 しばらく見上げていたら肩を抱かれたので、スウミもエルドの背中に手をやった。


「この1年ってあっという間だったな。私、清掃の会社をやって良かった。いろんな経験をして、たくさんの人と知り合えて……」

 マルヤとタイリルとは今も手紙でやりとりをしている。マノとビビカのことは信頼しているし、ほかの社員とも今後もいい関係を築けるよう努力したい。ガロワ様とはうまくいかなかったけれど、それでも会って話ができたことは良かったと思うのだ。


 そして……。


「エルドと会えて良かった」


 肩を抱く腕に力が込められた。このぬくもりとともに生きていこうと思う。



 パルナエはゆるやかに王都上空を旋回したあと、西へと向きを変えて、そのまままっすぐに飛んでいった。




<本編 終わり> 



後日譚 


「マノ、起きて!」

 妹の呼び声とともに全身に力が注がれるのを感じた。


 輝く生命の力が四肢に行き届くのにしたがって、体の感覚も戻ってくる。本能のまま身体がドラゴンへと戻りそうになるのを意思の力で抑え、人の姿をとるよう意識した。体の中心に力を集めて、やがて開放する。それは大地に花を咲かせるときの感覚によく似ていた。


 王の執務室の床に倒れたままマノが琥珀色の目を開けると、身をかがめて覗き込んでいたビビカが背をまっすぐにした。


「まったくもう、手のかかる兄だなあ。きょうは大事な日だよ。わかってるよね。なんで自力で起きてこないかなあ」

「大事な日なのはわかっているけど、パワー不足なんだから自力で<卵>から起きるのは無理だよ」

 マノがよろよろと立ち上がると、妹は手を伸ばして兄を支えた。


「きょうは社長の結婚式だよ」

「うん、知ってる。<卵>になってからも意識はあったし」


 王の執務室に置物みたいに飾られていたマノは、二人が目の前でいちゃついたり結婚の日取りを相談したりしていたのを全部聞いていたのだ。<卵>なので発言できなかったが、かなり機嫌の悪い日々を過ごしていた。


 しかし、それも今日までの話である。

 マノが満面の笑みを浮かべた。

「それじゃ、結婚式をぶちこわしに行こうか」

「はあっ?」

 ビビカは素っ頓狂な声を上げた。

「なんで壊すのよ」

「え? そのために僕を起こしてくれたんじゃないの?」

 マノは首をかしげる。

「違うよ、結婚式に出るために起こしたの!」

「えっ、ビビカは結婚に賛成なの?」

「まあ、社長が決めたことだしね」

「嫌だな。僕、とても嫌だ」

「そんなこと言ってもさあ……」

 マノは険しい顔つきになった。

「だって、エルド王だよ? どの面さげて社長と結婚するんだ。僕はそんなの認めない」

「まあ、確かに社長を殺した前科はあるけど……」

 ビビカは迷うような顔になった。

「でも、社長はあいつと結婚したいみたいだよ?」

「うーん」

 マノは腕を組んで唸った。

「だとしても、どうも納得できないんだ。あんな男に社長を奪われるなんてあり得ない。せめて僕に一言あっても良くないかな。お嬢さんを幸せにします、もし泣かせたらドラゴンに食い殺されても文句は言いませんとか何とか、そんなことを僕らに誓うべきなんだよ」

「……言われてみれば確かにそんな気もしてきた」


 マノは力強く頷いた。


「行こう、ビビカ。王の返答次第では……」

「結婚は取りやめだよね!」


 二人は執務室を飛び出した。





 ★



 酒場の亭主に頼み込んで、演奏の許可をもらった。これで今晩の宿代ぐらいは稼げるだろう。

 イスレイは部屋の隅でキーリルという弦楽器を調整すると、指ならしに簡単な練習曲を披露した。安酒で顔を赤くした人々は好奇心をそそられたようで、皆ちらちらと見慣れない吟遊詩人の動きに注目している。


「さて、今晩はどんな曲がいいかな」


 床はべとつき、木製のテーブルもぐらつくような、あまり品の良い店ではなかった。ただ客には若い女性や高齢者も多く、食事目当ての旅人もいる。酔っ払いが喧嘩騒ぎを起こすような下品な店でもなかった。下町の食堂が酒も出しているというような種類の店だ。

 イスレイは明るい曲を演奏することにした。弦を派手にかき鳴らすと、客たちは沸いた。


 3曲ほど奏でたところで、「お兄さん、歌は歌えないの?」と、女性客の集団が寄ってきた。


「歌えますよ。どのような歌をお望みですか」

「そりゃもちろん恋の歌よ」


 返事のかわりに微笑みを返すと、女性たちから歓声が上がった。


 かつてセラージュで流行った恋の歌の前奏を奏でる。離ればなれになった恋人たちの切なさと再会できた喜び、感情の高ぶり、もう二度と離さない、そんな歌詞の歌だ。


 イスレイは絵や楽器、ダンスに剣術等々、幼少期に一通りの教養を仕込まれていた。それも超一流の師範たちから指導を受けてきたのだ。おかげで何事もそつなくこなすが、中でも一番得意なのが歌だった。異国では吟遊詩人の真似事をして日銭を稼ぎ、旅をしていた。酔客は気前がいい。チップだけでなく、うまくやれば酒を奢ってもらえる特典までついてくるのだ。酒


――さて、今夜はどうだろうか。


 イスレイは食事中の客のかんに触らないよう、会話の邪魔をしないよう、声を張り上げるのではなく、静かに柔らかく歌い上げる。酒場や宿屋で歌うときにいつもイスレイが心がけていることだ。


 客たちが歌に耳を傾ける中、曲がもっとも盛り上がる場面にさしかかったときだった。


「た、助けてくれ! 連れが襲われた!」


 二人の男が酒場に駆け込んできた。荷物を肩からさげ、すねまで覆う革の靴からして旅人のようだ。二人とも外套には血が滲んでいるが、一人のほうがかなり重傷のようだ。外套の半分近くが血に染まっている。腹を切り裂かれたのか、腹部を抑えた手の隙間から鮮血があふれていた。


「メグマーコスにやられたんだ。外にメグマーコスが……!」


 客たちは震え上がった。イスレイも眉をひそめたが、それはメグマーコスを怖いと思っているからではない。イスレイはメグマーコスというモンスターをまだ見たことがなかった。なんでも馬車ほどの大きさのある毛むくじゃらのモンスターで、獰猛で貪欲、長くて太いかぎ爪の生えた前肢は民家をも破壊するパワーを持ち、一夜にして村一つ全滅させるほどの凶獣であるらしい。


「もうこのあたりもおしまいだわ」

「ああ、家には足の悪い父がいるの……」

「ここからどうやって逃げればいいんだ」


 不幸な知らせに慣れきった異国の人々は、パニックになることなく、ただ静かに絶望の中に落ちていった。イスレイはそれを悲しく見守った。この大陸の人々はあまりにも無力だ。

 数人の客が横たわる血まみれの男の手当をしようと集まったが、傷を確認するなり肩を落とした。酒場の亭主が手当に使うだろうと言って水の入った桶を手渡したが、客の一人がその水で布を絞り、男の顔や手を拭いてやっただけだった。もうそのぐらいしかしてやれることがないのだろう。


 イスレイはキーリルを布で包んで背負い、身支度を整えると店を出ていこうとした。すると酒場の亭主が引き止めてきた。


「あんた、今出ていったら殺されるよ!」

「いや、僕は大丈夫。心強い味方がいるから。そのメグなんとかを退治してくるよ」


 酒場の亭主は黙り込んだ。きっと頭がおかしいと思われたのに違いない。イスレイは構うことなく外に出た。




「さてと」

 イスレイは剣を抜くと、あたりを見回した。日没から大分経つ。宿の近くには森があって、川も流れていたはずだが、今はもう暗くてよく見えない。


「パルナエ、どこだ」

 イスレイは歌を歌って路銀を稼ぐとき、パルナエを外で待機させることにしていた。女連れより男一人のほうが、女性客からもらえるチップが増えるのだ。


「あっ、イスレイ様、お疲れさまです!」

 返り血で顔を赤くしたメイド服姿のパルナエが、茂みからひょっこりあらわれた。

「私、やることなくて退屈だったので、通りすがりのモンスターを倒してました!」

「……僕の出番はないみたいだね」

 イスレイは剣を鞘に戻して、パルナエに近寄った。無邪気に笑う彼女の足下には、毛むくじゃらの巨体モンスターの死体が三つ転がっていた。その爪は先の曲がった剣のように凶悪で、人の血と衣服が付着している。


「3匹いたので全部倒しておきました!」

「良くやったね、パルナエ」

「えへへ。あっ、そうだ、イスレイ様、このモンスターって結構美味しいんですよ」

「へえ……そうなんだ」

「召し上がりますか?」

「いや、僕はいい。全部パルナエがお食べ」

「えっ、いいんですか? でも私がひとり占めするのも悪いし、お裾分けしてあげますね」

「……そう」

 あまり食欲のわくものではない。できれば食べたくない代物ではあったが、イスレイは言葉を飲み込んだ。




 近くを流れる川でパルナエに顔を洗わせると、川岸で火を焚き、イスレイとパルナエは火を囲むようにして腰をおろした。


 パルナエは引きずってきたメグマーコスの皮をはぎ、四肢を手でちぎって、あっという間にただの肉塊にしてしまった。洗濯物を畳むのはめっぽう時間がかかるメイドなのだが、こういうことは手際が良いようだ。

 パルナエは適当な木の枝を折り、肉塊の一つを串刺しにして、たき火で炙りはじめた。ちりちりと表面に残った毛が焦げる音と、刺激臭があたりに漂った。


「私の炎のブレスで焼いたら消し炭になっちゃうから、たき火で焼くことにします。時間がかかってしまって申しわけないです」

「うん……いいよ……ゆっくり焼いて……」

 イスレイは頬杖をついて、肉が焦げて黒い煙が天に上がっていくのを眺める。


「イスレイ様」

「ん?」

「酒場では稼げました?」

「いや、今夜はだめだった。金をもらう前に店を出てしまったから」

「そ、そうだったんですか! それは残念で……あっ!」

 パルナエが肉をたき火の中に落としてしまった。

「せっかくのお肉が! 済みませんっ」

 パルナエは肉を拾い上げた。肉の表面が灰まみれになってしまっている。燃えている肉塊を手のひらで叩くようにして灰を払い落とした。小さな手は炎に炙られても焼かれることがなく、赤くもならなかった。ただ、服はそうもいかなかった。

「パルナエ、袖が燃えてる」

「あっ!」

 袖を見ようとして、また肉を落とした。

「パルナエ、川で袖の火を消しておいで」

「は、はい!」

 イスレイが肉を拾って、かわりに炙ってやる。表面はもうほとんど炭のようになってしまっているが、中は生のままだろう。今夜はこれを食べなければならない。イスレイとしては完食できるよう努力してみるつもりでいる。


「イスレイ様!」

 パルナエがじゃばじゃばと水浴びしながら声をかけてきた。

「ん?」

「なんだか楽しいですね!」

「……そうだね」

「私、実は以前からイスレイ様と旅行してみたいなって思ってたんです」

「そうなんだ」

「はい!」

 本当に楽しそうな声だった。

「私、これからもずっとイスレイ様のおそばにおります。ずっと、ずっとです」

「うん」

「イスレイ様がいつか誰かと結婚されて、お子様が生まれて、そのお子様が大人になって、また結婚して、お子様が生まれて……ずっとずっと、ずーっとおそばにおります」

「うん」

 結婚することも子どもが生まれることもないだろう、自分にはその資格がないとイスレイは思ったが、それを言うつもりはなかった。


 かわりに、「ありがとう、パルナエ」とだけ言った。





 その夜遅く、盛大な式が終わり、へとへとになって王の寝室に戻ってきたスウミは、式用のドレスのまま椅子にへたりこんだ。


「結婚式、おそるべし……」


 午前、伝統に則った厳格な結婚式を執り行った後は、王族とのおしゃべり、貴族とのおしゃべり、会食、パレード、おしゃべり、式典、おしゃべり、会食、おしゃべり……。今日だけで何百人の人間と話したかわからない。式の進行係からは急かされっぱなしで、慌ただしさに目が回りそうだった。


 スウミと同じく式用のスーツを着ているエルドも、ベッドに腰掛けて溜息をついた。

「さすがに一日がかりとなると疲れるな。その上、ドラゴンの襲撃まであって、盛りだくさんだった……」

「ドラゴン? ビビカさんのこと?」

 式の途中、二人は別行動だったことが何度かあったが、そのときに何かあったのだろうか。

 エルドは口の端を歪めて、ふんと鼻で笑った。

「ビビカではなくマノのほうだ。あれは嫉妬したドラゴンの八つ当たりだ。当然撃退してやったぞ」


 

「そういえば……」

 スウミも昼のことを思い出した。


 王城の庭でパレードの出発を待っているときのことだ。歓談している来賓をかき分けるようにしてビビカがあらわれたのだ。彼女はスウミの後ろに回り込んで、背中をとんと叩いた。その瞬間、体がぽうっとあたたかくなった。

「え、これってもしかして……?」

 呪術と口には出さずに目で問うたスウミに、ビビカはいつものにっこにこの笑顔で頷いた。

「そう! 初めてでも痛くないおまじないだよ」

「初めてでも……? それってどういう……あっ」

 おくれて意味を理解して、スウミは両手で頬を押さえた。手袋越しでもわかるぐらい熱くなっている。

「呪術ってのは、こういう良いことに使うのが本当なんだよ」

「良いこと……」

 確かに痛くないのは良いことなのだろうが、こんな人目もはばからずに堂々と解説してくれなくてもと、スウミは周囲を気にしてますます頬を熱くしてしまう。

「これが私からの祝福。結婚おめでとう、社長! じゃね!」



 スウミは自分の顔が赤くなっているような気がして、余計なことを思い出したことを後悔した。

「それより今夜のことだが」

 エルドからタイミング良く意味深な視線を投げかけられて、今度こそ間違いなく赤くなったとスウミは確信した。

「風呂はどうする。一緒に入るか」

「べ、別々で」

「そうか」

 エルドは苦笑すると、立ち上がった。

「俺はこの部屋の風呂を使うが、スウミの部屋には王妃用の浴室があるから今夜はそっちを使ってくれ。準備ができたら戻ってこい……待ってるから」


 スウミは言われたとおり自室――王妃の部屋に戻り、風呂に入ることにした。実家の水風呂とは違う、お湯を使った風呂だ。

 風呂から上がった後は……。また王の寝室に戻ることになるのだと思うと、自然と鼓動が早まった。



 湯上がりのローブを羽織り、洗った髪をなんども拭いて、やっと乾いた頃、ついに王の寝室に行く決心がついたスウミは、ドアを開けて薄暗い室内に入り、静かにベッドに忍び寄った。

 エルドはベッドに仰向けに倒れ、目を閉じていた。眠っているようだ。待たせすぎてしまったのだろう。

 その寝顔を見て、スウミはほっとしたような残念なような複雑な気持ちになった。


(きょうは疲れたもの。明日のためにも、このまま寝てしまうほうがいい)

 明日も仕事だ。エルドは王としての職務、スウミは王妃として、さらに清掃会社の社長としての仕事もある。


(寝顔を見ていたい気持ちだけれど、私も疲れちゃったな)


 王を起こしてしまわないよう、静かにベッドに上がり、隣に横になった。

 横顔を眺めながら、感情のままについうっかり「大好き」と呟いてしまったのがいけなかった。


 エルドが腕を伸ばし、スウミを引き寄せた。

「寝ていると思って油断したな?」

 喉の奥で低く笑う声。痛いぐらい強く抱きしめられる。

「もっと聞かせてくれ。スウミの思いを」

 ローブを脱がされ、外気に晒された熱い肌を唇が撫でるたび、さらに熱を帯びていく。


「愛してる」

 先にそう言ったのはどちらだったか。溶け合い、混じり合いながら、夜は幸せに更けていった。



 翌朝、二人して寝坊して仕事に遅刻してしまうこととなったが、誰もとがめなかった。むしろニヤニヤされてしまった。それがスウミは非常に気恥ずかしくて、もう二度と遅刻はしないと決意した。


 どんなに早朝の会議であっても、たとえ前夜に晩餐会があったとしても、決して約束には遅刻しない社長兼王妃は、こうして誕生したのであった。



 <後日譚 おわり>

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恋と野菜と清掃と【完結】 ゴオルド @hasupalen

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