第16話 愛の館

 夜、食事を持ってエルド王子の部屋に行くと、王子は眠っていた。ほっとした。もしかしたら王子も気まずくて寝たふりをしているのかもしれない。でも確かめようとはしなかった。机に料理と飲み物を置いて、早々にユリの部屋を出た。



 騒々しい一行がやってきたのは、その翌日のことだった。この日も皆は害虫駆除に行っており、スウミだけが留守番だ。


 昼というにはまだ早い、朝というには遅い時間帯に、屋敷の敷地内に数台の馬車が入ってきた。馬車は鋼鎧を着込んだ騎兵たちに取り囲まれるようにして警護されており、高貴な身分の人物が乗っているのは明らかだった。

 窓から外の様子を窺っていたスウミは、花畑が馬車と騎兵によって無残に荒らされてしまったのを見て、眉をひそめた。


 来客に対応するため屋敷の外に出たスウミの目の前に、刺繍飾りがたくさんついた大型の馬車がとまり、中から若い男がおりてきた。茶色い髪をした優男、イスレイ王子だ。スウミをナメクジの餌にしようとした憎い相手である。


 第二王子は腹が立つほど優しげに微笑んで頭を下げたので、しぶしぶではあるがスウミも礼の形をとった。

「海鳥とドラゴンの祝福を」

「イスレイ王子にも」

 お互い思ってもいない祝福を口にして、真っ正面から睨み合う。


「ちょっと聞きたいんだけどさ。兄上を見なかった? 僕の騎士たちとミルンに行ったんだけど、帰りにはぐれてしまったらしいんだよね」

「第二王子派の騎士様とミルンへ……?」

「そうなんだよ。兄上の騎士たちは城にいないことが多いからさ。そのせいで急用に対応できないなんて、情けないと思わない? せっかく僕の騎士を貸してあげたのに、彼らは<クリスタル>だけ持って城に帰ってきたよ」

 騎士と王子がはぐれるなんてあり得るのだろうか? おそらく故意に離れたのに違いない。イスレイがそう指示したのではないかとスウミは思い、余計に憎しみが増した。


「それで、兄上はどこ? どこかで寝込んでいると思うから確認したいんだけど」

 スウミはまばたきをした。第一王子派としてはどう答えるべきか。エルド王子の体調はだいぶ良くなったけれど、まだ病み上がりだ。体が弱いことを隠したがっているのだから、今は弟とは会いたくないだろう。そして、スウミとしても、イスレイ王子のためになるようなことは何一つ言いたくなかった。


「エルド王子でしたら、わが屋敷に滞在されています」

 この男はエルド王子がここにいることを知っていてスウミに聞いているに違いないから、嘘をつくほう方がかえって怪しいはずだ。


「そうなんだ。じゃあ、兄上に会わせて」

「それはできません」

 すっとイスレイ王子の目が細められた。

「……へえ。どうして」

「エルド王子はデルファンの街へ視察に行かれていますから不在なのです。お会いになりたいのなら街のほうへ行かれたらどうでしょう」

 もちろん嘘だ。王子は今屋敷の2階にいる。


「わざわざ街まで探しにいくのは面倒だな。この屋敷で兄が帰ってくるのを待つことにするよ」

「それはお断りします」

 スウミはきっぱり拒絶した。イスレイ王子の作り笑いがどんどん崩れていくのが心地よい。


「ご存じでしょうけれど、私とエルド王子は、その、いけない関係なのですわ」

 自分でも何を言っているんだろうと呆れながら続ける。

「屋敷にほかの男を招いたなんて知られたら、私捨てられてしまいます」

 イスレイ王子は鼻で笑った。

「僕は弟だよ。「ほかの男」には入らないから心配ない」

 屋敷に強引に入ろうする王子の前にスウミは立ち塞がった。

「だめです! その、私たちの愛の館に、あの、親族であってもダメなものはダメなのです!」

 自分でもなんでこんなことやっているんだろうと少々疑問に思いながら、両手を広げて通せんぼする。

「なんなんだよ、この女……」

 イラついているときのイスレイ王子は、結構兄に似ているなとスウミは思った。

「まあ、いいよ。ミルンに行くついでに寄っただけだし。兄上は女の趣味が悪くてほんとどうかしてる」

 とても感じの悪いことを言い捨て、イスレイ王子は馬車に乗り込み、街道を南下していった。もうミルン沖合の問題は解決したみたいなのに、いまさら何をしにいくのだろう。




 屋敷に戻ると、ちょうどエルド王子が階段をおりてきているところだった。

「もう歩いても平気なんですか」

「ああ」

 エルド王子はシンプルな黒のシャツとズボンに着替えていた。

「デルファンに行ってくる。一応そういうことになっているのだろう?」

「もしかして聞こえてましたか」

「わりと大声だったからな。窓を開けていたからよく聞こえた」

 エルド王子は1階ホールのソファに腰掛けると、スウミにも座れと指示してきたので、隣に座った。

「ミルン沖合の件について詳細を教えてやるから、よく聞け」

「は、はい?」

 戸惑うスウミを無視して、王子は語り始めた。

「ミルン沖合にいた船はランガジルのもので間違いなかった。民間人がこの国、セラージュに来ようとしていたようだ」

「えっ、民間人ですか?」

 この島に近づく船は、もれなく侵略船だと見なされるおそれがあるのに。

「珍しいことだが、ないわけじゃない。ミルンに上陸したかったようだ。だが攻撃されて沈没したくはない、というわけで、海上で立ち往生していたようだ」


 民間人がセラージュに来ようとするなんて、スウミはこれまで聞いたことがなかった。

 この国はランガジル人の入国を認めていない。今は停戦中だから貿易船は動いているけれど、船員でさえ絶対に上陸させないという話だった。


「彼らはセラージュに亡命したいと言っている。我が国にとって有益な情報も提供すると。<クリスタル>で検査してみたが、魔法や呪術を使える者はいなかった。しかし、だからといって油断はできないだろう。工作員という可能性もあるからな。しばらく監視下において様子を見ることになる。イスレイは彼らを迎えにいく途中でここに立ち寄ったのだろう」

「そうだったんですね。あの、なぜ私にそれを教えてくださるのですか?」

 スウミは王子の意図をはかりかねていた。

「そうだな、少しは政治的なことを勉強してほしかったからかもしれん」

「それって何のためにでしょう……?」

 わけあり令嬢が政治的なことを勉強して何になるのか。王子はソファの肘掛けに頬杖をついて、視線だけ動かして天井を見上げた。

「第一王子派として俺のそばにいるなら、政治に無関心では困るからな」

 なんだかよくわからない。腹痛係に政治的な知識が必要だろうか? 首をひねっているスウミを見て、王子はふっと笑った。


「では、行ってくる。その後はそのまま城に戻る」

 エルド王子は立ち上がり、振り返らずに言葉を続けた。

「看病をしてもらったことは礼を言う。あと、イスレイに俺を売らなかったこともな」

 王子の健康について言い争いになったことについては、王子は責めなかったし、スウミも嫌な話題を持ち出して穏やかなこの空気を台無しにしたくなかった。それでも言うべきことは言わないといけないと思い、勇気を出して立ち上がった。

「あのっ、出過ぎたことを言って、申しわけありませんでした」

「……俺も感情的にわめいたりして、みっともないところを見せた。これでは健康面だけでなく人格面からして玉座にふさわしくないと言われてもしかたがない」

 自嘲気味につぶやくエルド王子に、スウミはかぶりを振った。

「玉座にふさわしくないなど、私にはそうは思えません。だってエルド王子はいつも国のことを優先されているではないですか。だから熱が出て倒れるのも承知でミルンまで行かれたのですよね、それも第二王子派の騎士たちとだなんて、危険も承知の上で」

 王子は黙って耳を傾けている。


「お体のことを隠したいのだってそうです。ご自分の体面のためではなく、情報が敵国に漏れて、それが悪用されるのを警戒してのことでしょう」


 以前から考えていたことも、私は全部打ち明ける。


「王城でモンスターに殺されそうになった私を助けてくださったのだって、貴族が王城で第二王子に殺されるような醜態を避けるためでしょう? 兵士に助けさせるのではなくご自身が動かれたのも、このことが表沙汰になったとき、少なくとも王子みずから助けたとなれば、王家への批判が弱まると思われたからではないですか? いつまた戦争になるかわからない情勢ですから、国民を守るためにも、王家が信頼を失う事態は避けたいはずです」


 貴族は損得で動くが、それは王族だって同じだ。

 ではなぜ王子はスウミを助けてくれたのか。もちろん情けではない。自分が思わず助けたくなるほどの美女だなんて自惚れるつもりもない。よく考えれば答えは明らかだった。


「おまえは……思いのほか鋭いな。きちんと核心を見ている」

「国にとっての最善を考える人物こそが玉座にふさわしいと私は思います」


 自分の欲望を優先するのではなく、他者を優先するということ。それはきっと浮気だとか愛人だとかの正反対に位置するものだ。だからこそ尊いとスウミは思う。


 王子にまじまじと見つめられ、長々と演説した自分が急に恥ずかしくなってしまい、全身が汗ばむのを感じた。スウミは父と政治談義をするのだが、その感覚でしゃべってしまっていたようだ。


「あ、あの! ただの貴族に過ぎない私がまた出過ぎたことを言いました、申しわけありません!」

「謝る必要はない。確かにおまえはストレートに何でも言うが、そのままでいい」

 エルド王子は目を細めて笑った。

「やはりここに寄ったのは正解だった」



 王子とともに屋敷の外に出ると、どういうわけか踏み荒らされた花畑がもとどおりに復活していた。

「な、なんで……?」

 しかし、何も知らない王子は、あたりの花々を見て、

「たしかに愛の館という感じがしないでもないな」と、ぽつりと呟いた。

「恥ずかしいことを思い出させないでください! 早く忘れてください!」

「いや、無理だ。ここでのことは、きっと何もかも忘れられないだろう」


 王子は厩から自分の馬をつれてきて、デルファンへ続く坂道をくだっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る