第17話 奥様からの手紙


 エルド王子も王都へと戻り、スウミはやっと仕事に本腰を入れられるようになった。


 借金返済の期限は来年の春、桜の咲く頃だ。いま桜は青い実をつけている。ぼやぼやしていたら、さくらんぼはあっという間に赤く色づいてしまうだろう。


 経理の父とざっくり試算してみたところ、借金を完済するためには、夏までに社員を20人にまで増やす必要があった。いまは6人いる。あれから2人、デルファンの下町で暮らす中年女性の姉妹が通いで働いてくれるようになったのだ。

 マノとビビカも仕事に慣れてきたようで、大きなミスはしなくなってきた。

 おかげで3人を1班として稼働する態勢が整い、今では1日に2件の依頼を受けられるようになっている。ただ、社員の休暇も考えないといけないから、必ず毎日2件受けられるとは限らない。


 さらに14人を急いで集めなければならない。だが、それだけの人数を集めてやっていくためには、当然お給料を支払わないといけないわけで、売り上げも必要となる。


「最低でも1日に5件は依頼が欲しいね。あくまでも最低ラインだけど」と、父は言っていた。


 毎日5件も依頼を受けるだなんて、到底無理だ。

 客の数は限られているのに、メイドギルドという競合相手がいるから、仕事の奪い合いなのだ。


(ならば1件当たりの清掃代を上げればいいわけだけど。でも、現実には難しいだろうな)


 もしギルドより高い報酬を設定したら、客は全てギルドに流れるだけだろう。いま引き受けているお客さんには、もっと頻繁に清掃を依頼してほしいと頼んではいるが、だからといって月1回で依頼をしていたのが週1になるわけもない。それどころかメイドギルドを引き合いにだされて値引き交渉をされる始末だった。


(ならば、豪邸だけでなく一般の家庭にも営業をかけてみるべきか?)


 でも、清掃を外部委託するような一般家庭なんて、果たしてどれだけあるだろうか。


(どうすれば仕事を増やせるの?)


 手詰まりとなり、焦りだけが募っていった。

 社員20人、依頼1日に5件。それができないと愛人になるしかない……。




 そんなある日、一通の手紙が届いた。

 王都に住む女性からの手紙で、「清掃について話を聞きたい」と書いてあった。名前はアリージャ・ルステウス。知らない名前だ。夫の名前はゼオ・ルステウス。こちらも聞き覚えがない。住所を見ると、王都シトの東部、豪邸エリアに住んでいるようだ。


 面識のない人がどうしてうちに手紙を寄越したのかわからない。どこかで噂でも聞いたのだろうか。借金苦の訳あり貴族令嬢が清掃会社を始めたというので、おもしろ半分で依頼してくる富豪もデルファンにはいるが、そういった類いだろうか。


(手紙の主はどういうつもりなのかわからない。でも、一度話を聞きにいってみよう。もし仕事を受けられるのならば本当に助かるもの)


 ただ、見知らぬルステウス宅へひとりで行くのは正直心細かった。誰かに付いてきてほしいと思った。思ったけれど、どうにか口に出さずに飲み込んだ。自分は社長なのだから、そんな情けないことではだめだ。このところ、みんなも忙しそうだし。


「試したいことがあるんです」と、マノは言っていた。

「新しい薬を開発したいなって思うの」と、ビビカが補足した。


 二人は清掃用の薬剤を開発中らしい。それぞれ自室に鍋やら壺やらを持ち込み、いろんなものを煮たり焼いたりと実験してくれている。一体どんな薬ができあがるのか全然わからないが、二人のやりたいようにやってもらうことにした。前向きな気持ちで仕事に取り組んでくれているのが嬉しかったのだ。だから、いくら心細いからって、研究を中断して王都までついてきてくれとは言っちゃいけないと思った。




 そういうわけで、午前の清掃依頼をこなしたあと、午後からスウミはひとりで王都へ向かうことにした。

 サクランボ色の清掃服姿で馬に乗る。貴族令嬢として出かけるのではなくて清掃会社の社長として出かけるのだから、この清掃服こそが正装だ。


 混み合った街道をゆっくり走って、王都に到着した。手紙に書いてあった住所は高級住宅街のあるシト東部なので、いつもの南門ではなくて東門を通るため、王都の壁沿いをぐるりと回ることにした。こちらは馬車や騎乗した人ばかりで、歩いている人は一人もいない。徒歩で王都に入るような貧乏人は東門には用がないということなのだろう。商品を積んだキャラバンらしき一団も、南門を通る商隊に比べるとどこか身ぎれいだ。


 東門の前で馬をおり、裕福なエリアに用事がある人々に混じって東門を抜けた。門を守る兵士にまた止められるのではないかと心配したけれど、「赤い乗馬服、金髪、紫の瞳」と兵士たちがささやきあっているのが聞こえただけで、すんなり通してもらえた。


 人生で初めて東門を通り、レンガで舗装されたまっすぐな道を歩く。時折ひづめが路面を打つ音が近づいてきて、大きな馬車が隣を通り過ぎていった。


 しばらく歩き、目的の屋敷にたどり着いて、スウミは息をのんだ。

 かえしのついた背の高い鉄製の柵ごしに見たその屋敷は、まるで楽園だった。木漏れ日のさす庭園には小さな池がいくつもあって、黄色い睡蓮の花が浮かび、蝶が舞っていた。

 植木は剪定されて丸く整えられ、ガゼボの下に置かれたベンチも清潔そうだ。鉄製の長いアーチには薔薇が絡まり大輪の花を咲かせている。まるで絵画のような人工的な美しさだった。どこも完璧に手入れが行き届いていて、一点の汚れさえ許さない潔癖さを感じさせた。


 あまりにも完璧に整った庭に気圧されて、スウミは思わずつばを飲み込んだ。


 屋敷を訪問する前に馬をどうにかしないとと思い、門扉のあたりを調べてみると、少し離れたところの鉄柱に丸い輪っかがくっついているのを発見した。ひとまずほっとする。こんなに立派なお屋敷なら来客は馬車ばかりだろうから、馬用の円環なんて設置されていんじゃないかと不安に思ったのだが、杞憂だったようだ。

 円環に馬をつなぎ、あらためて門の前まで戻る。緊張から冷たくなってしまった指先で鉄製の門をそっと押し開けた。屋敷の玄関までのアプローチを歩きながら深呼吸する。甘い香りがした。薔薇だろうか。



(これから一体どんな話になるかわからないけれど、社長として、何かしら成果のある話にしなければ)


 ドアの前に立った。何度も深呼吸を繰り返してからようやくノックした。

 すぐに使用人があらわれて、スウミを折り目正しく招き入れた。案内されるまま屋敷を奥へと進みながら、床や家具などを観察してみたが、予想どおり汚れなど皆無だった。


「奥様、お客様をお連れしました」

 使用人の言葉にはっと意識を戻す。開けられたドアの向こう、小さな椅子に腰掛けていた華奢な女性は口元をほころばせると、スウミのほうへと駆け寄った。動きに合わせて腰のあたりまである長い黒髪がさらさらと揺れた。ほとんど厚みのない体にぴたりと張り付いたようなグリーンのドレス、そのスリットからのぞく白い足がなまめかしい。手紙の主は思っていたよりずっと若かった。スウミとそう変わらないように見える。だがスウミよりずっと美しく妖艶だった。


「来てくださって嬉しい。ずっと会いたかったの」

 息が掛かりそうなほど近くに寄られて、自然と腰が引けてしまう。

「ああ! 思っていたよりずっとかわいそ……可愛いわ。このまま帰したくないぐらい」

「え……ええと……?」

 赤い唇でうっとりとささやかれて、なんだか調子がくるってしまう。

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