第15話 カブのスープ
ユリの部屋は2階にあり、スウミの部屋とさほど離れていないから、スウミは自室に引き上げて、なるべく静かに過ごすことにした。
スウミは寝るわけにもいかず、定期的にぐあいを見にいったが、王子の熱は高いままで下がる気配はなかった。やはり医者を呼ぶべきだろうか。それとも、まだ待つべきか。悩みながら王子の苦しげな寝顔を見守った。
不安な気持ちのまま夜明けを迎えた。
高熱は相変わらずだが、ほんの少しだけ、朝日に照らされた王子の顔から苦しみが薄れているような気がした。顔の汗をハンカチでぬぐってやると、王子はうっすらと目を開いたので、肩の下にクッションを突っ込んで水を飲ませてやった。
「誰にも言っていないだろうな」
熱で弱っているのだろう。声も睨む目にも力がない。
「誰にも言ってませんよ」
スウミがそう言うと、王子は深く息をついて再び眠りに落ちた。張り詰めていたものがやっとゆるんだ、そんな穏やかな寝顔に変わっていた。
その日の昼頃、またもや何の知らせもなく王城から馬車がやってきて、荷物を届けていった。中身は王子の着替え、あと現金が少々。リオンからの手紙も添えられていた。
「エルド王子はミルン沖合での仕事を無事終えられたと伝令から報告があり、陛下は褒美に休暇を与えると仰せです。王子はデルファンに逗留したいと以前から希望されていました。どうか王子の休暇にお付き合いくださいますようお願いいたします。滞在中のお世話に必要なものはお送りしますので、足りないものがありましたらお伝えください。なんでも手配いたします。
追伸。わかりにくいかもしれませんが、王子はスウミ様をお気に入りのようです。どうぞ可愛がってあげてください」
追伸は冗談だろうとスウミは判断した。
それにしても熱が出た時にたまたま休暇をもらえるなんて、エルド王子はついているなと思って、ふと違う考えが頭をよぎった。本当にたまたまなのだろうか。こうなることを見越して、休暇をいただけるようリオンが陛下に頼んだのではないだろうか。デルファン滞在も、王子とリオンの間で事前に打ち合わせ済みだったのではないかという気がした。
エルド王子の熱は時間をかけて少しずつ下がっていき、4日目には平熱に戻った。スウミは心底ほっとした。だが、まだふらつくようで、起き上がれるほどには回復していなかった。父たちには、王子はひとりになりたいらしいとだけ告げて、熱のことは内緒にしておいた。
その日、みんなは庭の清掃依頼――つまり毛虫駆除の仕事に行っていて、スウミだけが屋敷に残って看病をしていた。
春から初夏にかけては毛虫が多く発生する。清掃の仕事をしていると、専属の庭師のいない屋敷からは害虫駆除もしてほしいと頼まれることが多く、さらに剪定や除草も……といったぐあいに、報酬をたくさんもらえる稼ぎ時なのだ。そんな時に家にいるのは辛かった。けれど、王子を放置するわけにもいかない。
その日の昼食は、街で買ってきた柔らかなパンとコールドチキン、春イチゴ、スウミのお手製カブのスープを用意した。はたして身分の高い方はカブを食べるのだろうか? 庶民の食べ物っぽいような気がする。どうしようかとちょっと悩んだけれど、汁物はあったほうが良いだろうと思い、とりあえず出してみることにした。
とくに不満を言うこともなくカブのスープを口にした王子を、あ、食べるんだあと眺めながら、スウミは自分の推測を確認するつもりで尋ねた。
「エルド王子はお体が弱いのですね?」
「ぐっ……!」
変な音を立てて咳き込んだ。スープが気管に入ってしまったようだ。
「だ、大丈夫ですか!」
「……どういう……そんな……聞くんだ……」
咳き込んでいるせいでうまく言葉が出ないでいる王子に、
「ミルン沖合でお仕事をされて、その疲れから熱が出たのかなと思ったんですが、違いましたか」と、はっきり尋ねた。
「……」
王子は咳がおさまると、口元をかたく結んで、顔を逸らした。窓のほうを向いたまま何も言わない。
「今回みたいなことはよくあるっておっしゃってましたよね。そのことを第二王子派の貴族たちが暴露しようとしているから、うまく誤魔化すために私を腹痛係として利用されたんですね」
重責を担う王家の人間として、体が弱いのは……何かと不利なことだろう。もし敵国に知られてしまったら、戦争でも交渉でも不利なことがあるかもしれない。たとえばランガジルなどは、わざと交渉を長引かせて疲れを誘うような手を使うことも考えられる。だから王子が隠したがるのは理解できた。最初からそう打ち明けてくれていたら、もう少し気持ちよく協力できたのに。もてあそばれているという設定はともかくとして。
再び腹痛係として呼ばれることがあったら、次はもっとうまくやれると伝えようと思ったのだが、王子に冷たく睨まれて、スウミは言葉を飲み込んだ。
「違う」
低い声色に、すっと空気が冷えた気がした。
「おまえの言っていることは全てでたらめだ。もし本当に体が弱いなら、ミルンまで馬で往復できるわけがない」
「だから、それだけ無理をされたということなのでしょう?」
「違うと言っているだろう」
睨まれたが、王子の顔はどこかこわばっている気がした。
「余計な詮索はするな。おまえはただ黙って看病していればいいんだ」
空になったスープ皿をベッドの端に放られて、あやうく落下しそうになったのを慌てて受け止めた。スウミは皿を両手で包むようにして持ち、王子を睨み返した。
「食器はもっと大事に扱ってください。陶器のお皿なんて王城ではありふれているかもしれませんが、うちでは貴重なんですから」
王子は顔を背けて、返事をしない。
もうこれ以上言い合ってもしかたがないだろう。そう考え、退室しようと立ち上がったら、王子はそっぽを向いたまま口をひらいた。
「今後食事を運んでくるときは、もう何もしゃべるな。おまえの馬鹿な言葉は聞きたくない」
「なっ! いくら王子だからって言っても良いことと悪いことがあります。看病してもらっといて馬鹿って、さすがにあんまりです」
スウミは衝動的に言い返していた。王子がいなければ、みんなと一緒に清掃の仕事に行けたし、それだけ多く稼げたはずなのに。そんな考えがつい頭をよぎってしまい、自分が情けなくなった。
ふう、と息をつく。自分はいったい何をやっているんだろう。命の恩人相手にこんな口論をして。
皿を持ち直すと、スウミは頭を下げた。
「申しわけありません。私はただ……王子のお手伝いできたらいいなと思ったんです」
誰にも弱みを見せようとせず、王子の仕事をこなしながら孤独に戦っている人を見てしまったら、誰だってそう思うのではないだろうか。
それに――
「私は第一王子派なので」
それだけ言って、部屋をあとにした。なんだか自分が情けなくて、顔を上げることはできなかった。
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