第39話 愛と憎しみ



第39話 愛と憎しみ

 スウミに向けられた剣の切っ先が、エルド王子が足を踏み出すのに合わせて揺れている。王子の動きはどこかぎこちなかった。まるで体が歩くのを拒否するかのように、ふらついたり、立ち止まったりしている。


「エルド王子、一体どうしたんですか!?」

 鎖を引っ張って、王子のいる方に向かって手を伸ばした。


「……殺してやる」


「えっ……」


「おまえを殺して……この島を火の海に変えてやる……」

 ひどく顔を歪め、目をぎらつかせている。ぞっとするほどの憎悪の感情をむき出しにしていた。

「呪術……」

 あの女が背中に触れたとき、呪術をかけたのに違いない。

「ええ、そうですよ」

 呪術師の女はあっさりと認めた。

「愛が憎しみに変わる呪いをかけてさしあげました。イスレイ王子のご依頼で」

 何がおかしいのか、言いながらくすくす笑っている。

「ここ最近の兄上はずいぶんと周囲を警戒していてね。ちっとも近づけなかったんだけど、おまえのおかげで助かったよ。警戒を忘れるほど頭に血が上ったみたいだ」

 こうしている間にも、エルド王子とスウミの距離は縮まっていく。


(このままだと、私は……)


 震える手で首輪を探ってみたが、外せそうになかった。無駄かもしれないがいちかばちか兵士たちに助けを求めてみようとして、彼らの焦点が合っていないことに気づいた。呪術で操られているのだろう。


「本当に運がない女。兄上に気に入られなければ死なずに済んだのに」

「どうしてこんなことを……」

「復讐だよ」

 視線だけで殺せそうな目をして、吐き捨てるように言う。

「両親は僕の恋人を暗殺した。兄上はそれを見て見ぬ振りをした。だからその復讐。両親は呪殺したけど、兄上には自滅してもらうよ」

「恋人を暗殺って……どうして……」

「彼女はランガジル人だったんだ。前々回の停戦交渉のときに僕たちは出会い、結婚の約束をした。それを知った両親がランガジルに暗殺者を送り込み、兄上はランガジルとの交渉を独占するようになった、こういう事情だよ。理解できた?」

 イスレイ王子は興奮気味に早口でまくしたてた。

「ついでだし、どうやって呪術師をこの国に呼んだか教えてあげようか。僕はランガジルから呪術師を呼び、船がミルン沖にやってきた。呪術師かどうか調べる<クリスタル>を僕の騎士が偽物にすり替えておいたから彼女は入国できた。僕が迎えに行って、ミルンで替え玉と彼女をすり替えた。それだけ。単純だろ? それじゃそろそろお別れだね」

 あと数歩のところにエルド王子がいる。剣先がまっすぐにスウミの心臓めがけて向かってきている。

「エルド王子……」

「殺してやる……」


――怖い


――エルド王子を怖いと思うことが、何より悲しい


「エルド王子、私の声を聞いて……。エルド王子!」


 何度も呼びかけたけれど。

 自分を見下ろす男は、憎悪で濁った目をしていて、まるで別人のようで。

 顔に触れられそうなほど二人の距離が近づいているのに。

 とても遠いまま。

 愛する人に手を伸ばした次の瞬間、


「エル……」

 剣がスウミの胸を一気に貫いた。


「……ぐっ……エ……ルド……」

 信じられないという気持ちと、諦めにも似た気持ちで、喉の奥がひきつれた。呼吸ができないのは、痛みのせいだけではない。


 再び体に衝撃を受けて、全身がびくりと震えた。

 剣の抜かれた跡から血が噴き出し、みるみる大きくなっていく床の血だまりに、流れ落ちた涙が混じった。

 痛みで全身がしびれ、手足に力が入らない。ゆっくりと膝をつくと、口から血がこぼれた。

 やがて視界が暗くなり、感覚も感情も全てがぼやけていった……。




★★★



 大量の血を流して倒れているスウミを、エルドは無感情に見下ろした。まだまだ殺さなければならない者はたくさんいる。この者だけにかかずらっているわけにはいかない。この島に住む全ての人間を皆殺しにしてやらなければ。剣についた血を払って、次に備える。


 どこかからか誰かの狂ったような笑い声がして、エルドはそれが憎い弟だったことを思い出した。


「ああ、兄上、これで僕と同じだね。愛する人を失った気分はどう?」

 笑いながら泣いている弟を殺してやらなけばならないとエルドは思った。

 しかし、体が思うように動かず、膝をついた。体が妙に重かった。原因はわからない。怪我でもしたのだろうか。


「これでわかったよね、僕の絶望が。そう、その感じだよ! 兄上がとめてくれたら、彼女は死なずに済んだのに!」

 弟が何を言っているのか理解できなかった。彼女とはなんだ。とめるとは何だ。


 そのとき、ランガジル人の女が高々と笑った。

「ああ、おかしい。本当にあなたたちセラージュ人ときたら、なんて愚かなんでしょう」

「サキ様……?」

「イスレイ王子の恋人を殺したのは、セラージュ人ではありませんよ」

「……はあ? い、いきなり何だよ、じゃあ、誰が彼女を殺したって……?」

 女は心底嬉しそうに微笑んだ。

「私です」

「なっ……!」

「ふふ、私が殺したんですよ。私はあの娘の姉です」

 驚愕で目を見開いた弟は、震える両手を女に伸ばし、よろめくように女に向かって踏み出したが、女が片手を動かすと兵士たちが動いて立ちはだかった。


「だって、あの娘は裏切り者ですもの。ランガジルを裏切って、セラージュの男なんかを好きだと、それも王子を好きだなんていうから殺すしかなかったのです」

「……それは……本当の話なのか……」

「嘘など言うものですか。それどころか私は全てが終わった後に、あなたに真実を教えてさしあげるのを本当に楽しみにしていたのですよ。私にとってセラージュ王家は親の仇です。私の両親はセラージュとの戦争で亡くなったのですもの。それもこれもセラージュ人がこの楽園を独り占めしているせいで! ランガジルでは毎年どれだけの人間がモンスターに殺されているか、恵まれているあなたたちは考えたこともないのでしょうね!」


「では両親は……暗殺してないし、兄上も……見殺しになどしていなかった……?」

 耳障りなほど歓喜に満ちた声で女は笑った。


「これは私の復讐なのですよ。可愛い妹をたぶらかしたあなたと、私の親を殺したセラージュ王家に対する、ね。あとは頼みますよ、エルド王子」

 女は背を向けた。


「ま、待て!」

 イスレイが追おうとしたが、兵士たちが立ち塞がって邪魔をする。


「ああ、そうそう。最後にもう一つ教えてさしあげますね。妹がセラージュの暗殺者に殺されたと、あなたに嘘の手紙を送ったのも、この私ですよ、お馬鹿さん」


 呪術師は愉快そうに笑うと、謁見の間から出ていった。イスレイは声にならない声をあげてがむしゃらに暴れて兵士たちを蹴散らし、女を追いかけて謁見の間を出ていった。兵士たちもイスレイを追いかけて出ていったため、謁見の間にはエルドひとりが残された。

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