第6話 ゼオ★ / ここから始める
★★★
数多くの王族や貴族が住む王都シト。
その東部には金持ちの邸宅が密集し、西部には庶民街がある。南部には市場や商店エリアが広がり、北には二つの塔が王城を挟むようにして建っている。それらをまとめてぐるりと巨大な壁で囲っているのが、王都シトである。
深夜、王都の南門を抜け、人気のない市場を馬に乗って駆け抜けた男は、噴水広場前の交差点を曲がって東部エリアに進むと、見事な庭園のある屋敷へと入っていった。
男が自室に向かって廊下を歩いていると、女が部屋から出てきた。
「まだ起きてたのか」
男――借金取りのゼオがそう言うと、妻のアリージャは夫を睨んだ。まだ若い、二十歳そこそこと言っていい年頃で、目鼻立ちのはっきりした美貌の持ち主だ。体にぴったり張りつくドレスを着ているため、薄い胸と華奢な体つきがあらわになっている。艶やかな長い黒髪をかき上げると、耳元のピアスがきらりと光った。
「あんたの足音で起されたのよ」
「そりゃまた繊細なこって」
ゼオは気にもとめず通り過ぎようとしたが、アリージャは先回りして夫にしなだれかかった。
「キルス伯爵の借金はどうなったの? もちろんあの貧乏貴族に返済なんてできっこないんだから、欲しいものは手に入れたんでしょう?」
「その件だが、返済は1年待ってやることにした」
「は?」
妻は身を離すと、まじまじと夫を見上げた。
「勝手にそんなことして、キルス伯爵になんて説明するのよ」
「そうだな、借金はひとまず俺が肩代わりするしかないな」
「あんた、私の命令に逆らうなんて、どうかしちゃったの? 何か悪いものでも食べた?」
「ふん」
ゼオは何も言い返さず、妻を押しやると、自室へと向かって再び歩き始めた。
「私楽しみにしてたのよ。だってあの子、とっても可哀想なんだもの。私のコレクションに加えて、可愛がってあげたくてたまらなくなるわ。今夜連れてかえってくると思って、お化粧してドレスまで着て待ってたのに!」
「俺のせいで起こされたなんて言ってたのは嘘かよ、本当は起きてたんじゃねえか」
「ねえ、待ちなさいよ。私はあの子を手に入れるためにキルス伯爵に話をつけたのに、返済を1年も待つだなんて勝手なこと……」
妻の声を無視して、ゼオは自室に滑り込むとドアを閉めた。
「お嬢さんは、おまえにはやんねーよ」と、ドアに向かって呟いたあと、何かを思い出したように腹を抱えて笑い出した。
★★★
翌朝、スウミはデルファンの街へ行くため屋敷を出た。
西への街道を徒歩で進む。朝日が背中に当たって心地良かった。屋敷は街の東に建っているから、午前中に都市部へ行くなら朝日を背負っての出発となり、夕方に帰宅するときは、夕日を背負うことになる。
きょう目指すのは、いつも清掃の仕事をあっせんしてくれているメイドギルドだ。自分が会社をつくるなら清掃会社しか思いつかず、清掃の会社をつくるなら、お世話になったギルドに一言挨拶しておくべきだと思ったのだ。
街の中心部へと続くなだらかな坂道は人々でごった返しており、スウミは荷車を押す人や馬車に混じって坂をくだっていった。屋敷は小高い丘に建っているから、行きは下り坂になるのだ。
デルファンへの下り坂を歩いていると、いつもスウミは学習所に通っていた幼い頃の悲しい記憶を思い出してしまう。
「貴族のくせに寺子屋に来るな」
「おまえの父ちゃん、浮気者なんだってな」
「清掃なんてやって、愛人の子はみじめね」
寺子屋では友人は一人もできなかった。母親が愛人なんかじゃなければ、こんな思いをせずに済んだのだろうか。しかし、その愛人の母がいなければスウミはこの世に生まれていない。父が浮気したおかげで生きている自分は何だろう。ガロワ様に顔向けできないのは確かだ。
スウミは、自分は絶対に浮気したり愛人になったりしないと幼いころから心に決めていた。
(だって愛人はみんなを不幸にするから)
街道を進むにつれあたりのざわめきが大きくなり、沿道の建物も増えていった。
さらに進むと、さまざまな店や粗末な住居が建ち並ぶエリアへとたどり着いた。この下町エリアにある学習所の一つにスウミは通っていた。デルファンは庶民でも教育を受けられるから、住人の文化レベルは高い。したがって劇場や美術館もあるし、図書館だってある。デルファンは王都シトより先進的、いや、おそらくこのセラージュ島で一番の都会と言ってもいいだろう。
だからこそ、スウミは己の名前に複雑な思いを抱く。
スウミ・デルファトル。デルファンを代々支配してきた貴族の名を受け継ぐ令嬢。
愛人の子であり、貧乏な自分がデルファトルを名乗ることに負い目があった。
そして、活気のある街を見るたび、父が失ったものの大きさを思い知るのだった。いまやデルファンはガロワ様のものだ。デルファトル家はもはやこの都市に対して何の権限も持たない。
混み合う表通りを抜けて、中央市場の近くにある煉瓦造りの建物にたどり着いた。
ホウキのシルエットの鉄製プレートが入り口にかかっている。ここが今日の目的地、メイドギルドだ。
メイドギルドでは、さまざまなメイド業をあっせんしてくれる。清掃に料理に洗濯、裁縫に子守等々。依頼主はおもに貴族やお金持ちで、事情があって家事を外注したいときに単発の求人が出るのである。
スウミたち親子は清掃の依頼だけをギルドから請けていた。二人が得意なのは清掃で、だからこそお金を稼ぐ方法も、清掃以外に思いつかなかったのだった。
ぴかぴかに磨かれた木製のドアを開けて中に入ると、顔なじみの受付係がスウミに向かって軽く手を上げて挨拶した。スウミも挨拶し、事情を話すと、すぐにギルド長を呼んできてくれた。
恰幅のいい50代ぐらいの女性で、ギルド長であることを示す星形のバッジを上着の衿に付けている。スウミが幼い頃からお世話になっている人だ。
「清掃で2000万ギル稼ぐ、ねえ……」
スウミから事情を聞いたギルド長はカウンターに両肘を突いて、両手を組んだ。
「そんな大金は1年じゃ難しいと思うよ」
「そうですよね……」
ところがギルド長は「でも、やりようによっては不可能ではないかもね」と言う。
「あんたたち親子は清掃のスキルはあるわけだし、ギルドを通さずに独自に顧客を掴めれば、そして従業員をたくさん雇ってフル稼働できればいけるかもしれないよ」
「独自に客を取ってもいいんですか?」
それをお願いしにきたにもかかわらず、先にそう切り出されて、スウミは驚いて尋ね返していた。
「そりゃ、うちを通さずに仕事をされたら紹介手数料がもらえなくなるわけだから迷惑だけどね。でも禁止されてるわけじゃないし、やりたいならやればいい」
「あ、ありがとうございます!」
スウミは何度も頭を下げた。別にギルドから反対されたとしても実務上の問題はないのだが、気持ちの問題というのがある。通せる筋は通したかった。
「よしとくれよ、そんなに感謝されるようなことでもないさ。だって、うちを通さないってことは自力で集客しないといけないんだからね。自分で仕事が取れなければそれでオシマイなんだよ。そこはよくわかっているのかね。実力が試されるんだよ。簡単にうまくいくとは思わないほうがいい」
「はい、おっしゃっていただいたことを肝に銘じて精進します」
もう一度頭をさげた。
「それに<会社>ってのが何だかわかっているのかい? 貴族でも会社をやっている人はいるけど、そういう人ってのは大金持ちだと聞いてるよ」
基本的に会社というのは庶民がやっていることなのだが、貴族でも会社を持っている人はごく僅かだが存在する。王家の許可を受けて貿易船を走らせたり、鉱山を所有していたりするような富豪貴族がそれだ。「社員」という呼び名の使用人を雇い、仕事をやらせて、給料を払う。貴族自身は何もしなくても儲かる仕組み、それが貴族流の会社だ。
「私は貴族流の会社じゃなくて、一般の会社をやろうと思っています。社長っていうんですか、社長と社員が一緒に汗を流すような会社です」
「まあ、清掃の会社だからね、そういう小さい会社にするしかないんだろうけど」
ギルド長は頬に手をあて、首をかしげた。
「でも本当に大丈夫なのかねえ。あたしは心配だよ。ああ、そうだ、独立して稼ぐんだったら税金とか帳簿とかいろいろ面倒なことがあると思うけれど、そっちも大丈夫かい? ま、あんたのところは貴族なんだし、国に対して収支の報告義務もあるんだから、そういうのは慣れているだろうね」
慣れていないし全然わかりません、とは言えず、曖昧に頷いて、もう一度礼を言ってギルドを後にした。
屋敷に帰ったらさっそく経理の勉強も始めよう! 必要なら、やるしかないのだ。
ギルド長への挨拶を終え、坂道を上って丘の上の屋敷に戻ると、妙な違和感があった。いつもと違う……どこかがおかしい、そう思って建物をよく見つめると、玄関の大扉が開いているのに気づいた。長年封鎖されていた大扉だ。
扉の前に立っていた父は、「この屋敷で会社を始めるわけだから、玄関が閉まりっぱなしもマズイかなと思ってね。知り合いに手伝ってもらって開けてみたんだ」と明るく笑った。
スウミたち親子は何年ぶりかに開いた大扉の前に立ち、水で乾杯した。
「掃除会社、本日オープンだね。目指せ、借金返済!」
水を飲みながらギルドでのやりとりを父に説明すると、「経理関係は僕がやろう。慣れているし」と立候補してくれた。
「腐っても貴族ってことかな」
「お、お父様は腐ったりしてないよ」
というわけで、父は経理兼清掃員となることが決定した。
「スウミは社長兼清掃員だね」と言って、父は悪戯っぽい笑みを浮かべて、紙の包みをスウミに手渡した。開けてみると、中からカサの閉じた松ぼっくりが出てきた。手のひらより大きい。よく見たら松ぼっくりではなく、木彫りの像のようだ。
「亡くなられたグジ子爵のお宅に清掃に行ったときに、ごみとして捨てられそうになっていたのをもらったんだ。スウミの社交界デビューのお祝いにしようと思っていたんだけど、社長デビューのお祝いにもなったね」
捨てられそうになったものを……。それも遺品を……。スウミが反応に困っていると、父は申し訳なさそうに頭をかいた。
「本当はちゃんとしたものを買ってあげたかったけれど、いまは1ギルだって惜しいだろう。こんなもので悪いね」
「こ、こんなものだなんて言わないでお父様、私この松ぼっくりの像、気に入ったよ! よく見たらとっても可愛いもの!」
正直あまり可愛いとは思えない。けれど、まじまじと見つめていたら、だんだんと愛着が湧くような気もしないでもないかもしれない。
「うん……可愛い……可愛いと思う……うん……」
スウミが自分に言い聞かせるようにそう呟くと、父はぱっと顔を輝かせた。
「そうだろう、実を言うと私もなんて可愛いんだろうって一目で気に入ったんだよ!」
父は本当に心から木彫りの松ぼっくりを可愛いと思っているようだ。
「うん、そのとおりね、お父様。とっても可愛い松ぼっくり……」
そのとき、松ぼっくりが一瞬光った気がして、スウミはまばたきした。手の平で包むようにして持つと、ほんのりあたたかいような気もする。昼の日差しのせいだろうか。
スウミが首をかしげているのとはまた別の理由で公爵は首をかしげて、うーんと唸った。
「伝説野菜もグジ子爵のところでもらってきたし、不思議な屋敷だったな。グジ子爵ってどういう人だったんだろうねえ。もらいものばかりなのはスウミには悪いけど。あ、そうそう、プレゼントではないけど、これも渡さないといけないんだった。ついさっき届いたばかりだよ」
父が一通の封筒を懐から取り出した。翼を広げた海鳥の印章が押してある。
「海鳥って王家が使うシンボルだよね。ということは、王様からの手紙?」
「いや、王様の印は向かい合う二羽の海鳥だ。これは1羽で飛んでいる印だから第一王子のものだろうね」
王家の人たちは個人の印を持つらしい。貴族ならそれぐらいは覚えていないと恥ずかしいかもしれない。スウミは教わったことを記憶にとどめることにした。
それにしても、第一王子からの手紙か。あまり読みたくないなとスウミは思った。
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