2-3 バカと焼肉とサークル棟の怪



 サークル棟の怪異。それは、今年の三月頃から大学内で広まった噂である。


 サークル棟には、開かずのロッカーと言われるロッカーがあった。近隣の小中学校で不要になったロッカーは集められ、この大学で使われるようになっている。ある中学校で使われていたものが、「開かずのロッカー」であるとされている。


 かつてそのロッカーにいじめられっ子が閉じ込められ、その生徒は絶望からロッカーの中で自殺した。怨念がまとわりついたロッカーは中学校内で使い回された挙げ句、本校へと回ってきた。それが二十年ほど前。

 二十年前、夜サークル棟に残っていた生徒が人影を見た。それが始まりだとされる。何か濡れたものが這い回るような音が響き、窓の外に影があったと。


 人影の噂とともに開かずのロッカーの噂は広まった。そして、霊が入っているとれるロッカーはどこかの空き教室へ運ばれ──扉の前に多くの荷物を積み上げられ、封印された。扉が開きさえしなければ、夜な夜な影が外に出ることはない。



 そしてこの春、何も知らない生徒が空き教室の中を掃除した。扉の前に置かれた荷物をどかし、扉を開けた。────そして、怪異は解き放たれた。



 三階北奥にある空き教室、その側で活動していたオカルト研究会、後輩の所属するサークルが真っ先に被害にあった。それから少しずつ範囲は広がり……今、怪異は二階まで降りてきている。









 ────などという説明を右太郎ゆうたろうからのメールで受け取り、俺は夜の廊下でため息をついた。

 噂も噂、嘘もいいところだ。小中学校からロッカーを寄付してもらうなんて話は聞いたこともないし、そんないじめ事件も聞いたことがない。だからといって、怖くないわけではないが。


 先の一件のあと、俺はおとりとしてふらふら歩き回らされている。怖いし、暗いし、最悪だ。霊感自体は低いのに、やけに取り憑かれやすい憑依体質ひょういたいしつをいいように使われている。

 なんかやばいのが出るんですよ〜と泣きついてきた後輩の憎たらしい顔を思い浮かべながら、俺は暗い廊下を歩く。あの野郎マジで覚えとけ!!


 歩き回って十分ほど経った。このままでは歩く俺の姿こそが怪異と間違われるかもしれない。警備員に見つかるのも嫌だ。

 いつまでこんなことを、と半べそ状態になりながら階段を降りる。踊り場に立ったその時。



 背後で、濡れたなにかが落ちる音がした。地面へ尾を引くように、ずるりぺたりと音がする。思わず呼吸を止めて息を呑む。構うな、歩け。


 怪異は気づいたと悟られたら終わり。気づいたとして、見えたとして、「そこにいない」ことにすればある程度は大丈夫。ある程度は。

 それをわかっているからこそ、怪異というのは見ている側を驚かせ、声を上げさせるように仕向ける。怯えるな、足を早めるな、走るな、振り向くな。


 階段を降りる。一階、ここまで来たのか。俺はよし達が待ち構える場所まで歩く。向こうの移動速度は遅い。追いつかれることはない。だが一定の距離を保ち後を追ってくる。俺に狙いを定めたな。

 今は音だけ、姿は確認していない。大丈夫、早る鼓動を抑えるのももう慣れた。高校時代からの二年で俺は学んだ。


 目指すのは東奥の空き教室。鍵が空いているのを右太郎が教えてくれた。なんでそんなことまで知ってるんだ。

 俺は何気ないふうを装い、戸を開けて中に入る。物置部屋になっているようで、いろんなもので溢れかえっていた。


 怪異とは元となった噂に従うものだ。夜の廊下をさまようならば、けして教室の中・・・・へは入らない。

 扉のそば、物陰に身を潜める。耳を澄ました。しっとりと濡れたものが床の上を這っている。壁を撫でる音もした。呼吸音をできる限り殺し、それを聞く。

 奴が通った後にはきっと、濡れた軌跡が引かれているのだろう。溢れる声とも呼べない吐息は、きっと生暖かいのだろう。そうありありとイメージさせる音の数。俺は沸き立つ鳥肌を必死で抑えた。


 ちらりと覗く窓ガラス。廊下に差し込む月明かりに照らされた小柄な影。本当に影しか見えない。俺の霊感ではそれが限度だ。確認できる限り、おおよそ人の形ではない。首をぐにゃりと横に曲げ、片足を引きずるように進んでいる。

 何も知らない状態であれと相対すれば、そりゃあ悲鳴を上げるだろう。憎たらしかった後輩が少し憐れに思えた。


 俺の前を通り過ぎる音、一歩、二歩、三歩と通り過ぎた。そこで怪異が動きを止める。何かに気づいたように。──今だ!!



「捕まえたぞ!!」

「逃がすかよ!!」



 この教室の前扉と、隣の教室から飛び出すふたり。前からよし、後ろからのりと、間に怪異を挟む形。俺が潜んでいた教室の前側には、祝が潜んでいたのである。


 目の前においた憑依体質エサに、思うように引っかかった。こうなれば俺は隠れるだけだ。夜の廊下でふたりと一体が向き合う。祝は矢筒から、無数の札が貼られた棒を抜き取った。


「ずっとロッカーの中で隠れてりゃァよかったのによ……」

「噂で生まれたのは同情するぜ。でもな」


 棒を構えた祝、足を開き床を踏み、拳を固める喜。


「新入生怖がらせちゃ駄目だろうが!!」


 上体を低く保ち前へ踏み出す喜の拳。

 振りかぶり横に薙ぐ祝の棒。

 それは怪異の頭部とどてっ腹に命中した。体が分断され弱々しくかすれる。上胴体だけになった奴は天井へ逃げ、攻め手を逃れる。


「待てコラァ!!」


 祝が腰を落とし、力いっぱい床を蹴った。靴裏が擦れて跡が残る。喜もそれに続いて駆け出した。……焦げる匂いは流石に気の所為か?? 床についた焼跡から目を背けて俺も後を追った。ひとりでいるほうが怖い!!


 喜の全力疾走は地面に跡を残す。一歩の踏み込みと蹴り上げの力が尋常ではないからだ。姿はなくとも足跡を探し、追う。二階、三階、北奥。全身あるときはゆっくり這うような速度だったのに、身軽になったら早いらしい。


 オカルト研究会と紙の貼られた扉の前を通過し、北奥。空き教室の前にふたりはいた。開かない扉の前で歯噛みしている。


「こんのクソ!! 逃げ込みやがった!!」

「でーてーこーい! おい!!」

「やめろやめろ!! ドア壊れる!!」


 祝がイライラしたように戸を蹴る。それに続いて喜がバンバン戸を叩いた。ふたりがやれば壊れかねない。流石に壊すのはまずい!


「ここがロッカーがあるとかいう部屋だろ? 多分ロッカーの中に逃げやがった」


 昼間なら鍵を借りれるだろうが、昼間には奴は出てこない。鍵を返さず夜まで待つわけにもいかず……どうにかするしかない。開いている窓はないかと三人で壁を這ったが何もなく。


 最終的に悪態をつきまくりつつ、三人で猿のように戸を叩きまわった。なんの変化もありゃしない。


 無駄に体力を使ってバテきった俺達の耳に、足音が響く。それは階段から、まずいと思えどもう遅い。廊下に隠れ場所なんてない。

 懐中電灯の明かり、人影。警備員か? どう言い訳する、俺や喜はともかく他校の祝は────!


「何をやってる! 君達!!」


 光が顔に当てられ、目がくらんだ。眩しさに目を細め、開いた次の瞬間。


「お困りかい?」


 目深に被ったキャスケット帽。無地のTシャツにジーパン姿、ひらひらと振る手の指には揺れる銀色の鍵。なにより、その軽薄な声。


右太郎ゆうたろう!?」

「困ってると思って〜。はーい、お届け物」


 なんて心臓に悪い……というか、なんでここの鍵がいるってわかったんだよ!!


「それはまあ……企業秘密? あ、あとなんでこんなに早かったかって言うと……実は電話中からこっそり大学のトイレに隠れてたんですよねー!」

「はぁ!?」

さきがけさんから連絡が来た段階でここまで来てたんですよ〜。調べる傍らこの教室になんかあるなーと思って鍵とって、三人が来るのを待ってたってワケ! 魁さんの頼みならこの程度ヨユーヨユー!!」


 ……この人もこの学校の生徒ではないよな?? どうなってるんだうちの大学は。いえーい俺お手柄と調子に乗る右太郎先輩の頭を祝は鷲掴みにした。痛みにもがく彼の手から鍵を奪い取り、速攻で扉を開ける。


 中は本当に物置で、様々なもので溢れかえっていた。祝は迷いなくその奥に進み、目的であったロッカーの前に立つ。扉に手をかけ、躊躇なく戸を開けた。


夕善ゆうぜん!!」

「おう!!」


 喜の拳に合わせ、祝はロッカー内部へ棒を突き立てる。逃げ場はなく、逃す隙もなく。怪異は跡形もなく消滅した。


「やっぱチョロいな」

「面倒かけさせやがって」


 そんな話をしながら祝は矢筒へ棒を戻す。そのまま矢筒にぶら下げた容器をとり、中から塩を取り出した。ロッカー内部へぱらぱらと振りまき、扉を閉める。


「これでよし」

「ありがとうなぁ〜祝〜! 喜〜!」


 礼は必ずする。後輩が!!


「ひっつくなひっつくな! ほら、早く帰るぞ!!」

「うっひょう撤退ですねー? 逃げ道は任せてくださいよ!」

「うるせェ」


 にやにや口角を上げて笑う右太郎先輩の帽子を引っ張って視界を奪い、祝さんは舌打ちをした。


「アマヒコも帰ろーぜ!」

「おう!」


 俺も喜の後を追う。先の焼肉であまり食ってなかったせいか、なんだか腹が減ってきた。まだやっている飯屋はあるだろうか? 喜達と別れたら覗いてみよう。


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