1-3 バカと合コンと森の怪
森の中へ足を踏み入れる。多くの人達の声が聞こえてきたが、それもすぐに遠ざかる。暗い森、住宅街の中にあるにも関わらず、空気が違う。どしりと背中にのしかかるような重み。
「ユースケ、大丈夫か?」
「うん……」
踏みつけた枝が割れる。その音が静かな森に響いた。それだけでも飛び跳ねるほど驚いてしまう。情けない。
「二十分ぐれー歩いたところに開けた場所があるらしい。そこで写真、ルートもねーのかよ……」
事前にそんな場所があるという確認もしていないらしい。
「
酷く興味なさげに彼は言う。頭痛が再発し、僕は思わず顔を歪めた。
「元処刑場、殺された人達の怨念が渦巻く場所……。変な話だよなー」
「な、なにが……?」
彼はスマートフォンの電源をつけ、何かを確認した。すぐに仕舞う。
「誰かが死んだ場所が呪われてるってんなら、この世界に呪われてねー場所はねーよ。地球ができてから何十億年経ってるんだって話だしよ」
その何十億の歴史の中、どれだけの人が生まれて死んでいったか。それを考えれば確かに、ここだけが呪われた場所ということは言い切れない。
「そうすりゃこの地球全部が呪われた場所だ。笑えねーよ」
「笑えないね……」
ならば何故、この世界はあちこちに「心霊スポット」があるのだろうか? 何故僕は、幽霊なんてものを見てしまうのか。
「それはまー、そこが
「そういう……?」
彼はうんと頷いた。懐中電灯の頼りない明かりだけが頼りの森の中、言いようもない不安感と重圧が押し寄せてくる。
「どこに飯を放置しててもいずれ腐っちまうけど、水場や腐ったものが多いところに放っとくと、それよりずっと腐りやすいだろ? そーいうもんだよ。霊を集めやすい場所ってのがあるんじゃねーのか?」
何故食事で例えたのか。それはわからないが、何が言いたいかはなんとなくわかる。環境が整えば、なんでもない場所でも「そういう場」になり得るということだ。
「物事にゃー何事もきっかけがある。ここが元々処刑場で、他の場所より人死が多かった。そこでなにかのきっかけがあり、怨念やら恨みやら……そしてなにより、『そういうものがあるんじゃないか』という噂が形を成した────」
踏み出した一歩、その瞬間今までで一際激しい痛みが頭を襲う。背にのしかかるような重圧、重い空気、それが万力のような力で頭を痛めつける。その場に倒れ込みそうなほどの激痛、何が起こったのかわからない。込み上げる吐き気、脂汗が出るほどの嫌悪感。夕善君は急いで引き返し、僕の体を支えてくれる。
「大丈夫か!?」
「あた……ま、が……!」
もう取り繕いようが無い。彼はやはりなんともないのだろう。
「見ろ」
彼が指差す方向を、なんとか見る。痛みで視界が霞むが、どうにか見えた。古く、小さい、なにかの台らしきもの。
「
事故ではなく、事件で。そうなれば、「きっかけ」には充分だ。
空っぽの献花台。もう随分と時が経ったのだろう。この双葉の森キャンプ場に、客足がないわけも納得がいった。住宅街に近いから──ではなく、昔事件があれば、無理もない。
そのとき、だった。献花台の影、そこから、手のような影が僕の目に映る。奇妙だった。何故そんなところに手が? その手はやけに細く、骨ばった、痩せた手だ。
「────ェ、りタイ」
ずるり、と手が動く。細長い糸のようなもの……長い髪を振り乱し現れた、あれは頭部? 微かな声、確かに聞こえた。聞こえて、しまった。
「カえリ、タ、い」
帰りたい、そう言った。腕、頭部、そして姿を現す胴体部。地面を這うように動くそれから、僕は目が離せない。
無数の人間を捏ねくり合わせた形状、とでもいうべきか。首から上がない何人もの体が、ひとつの肉体へ絡みついている。脇腹から伸びる痩せた脚、腕と一体化した無数の脚、指、奇怪な虫のような見た目。いくつもそれをぶら下げて、細く痩せた腕二本で引きずりながら動いている。
「イ、えに、カエら、せ、テ」
かすれ、ツギハギで、奇妙な抑揚のある声。僕はようやく、自分の見たものが受け入れられた。
あれは、人ではない。
「────────ッ!!」
思わず叫びだしそうになった僕の口を、夕善君が押さえて塞ぐ。
「お前は何も感じてない、お前は何も見ていない、大丈夫、大丈夫だ」
そのままそんなことを言いながら、木の幹へ叩きつけられる。彼の手と、木の支えがなければその場で崩れ落ちていただろう。彼は再度スマートフォンの電源をつけ、何かを見るが眉間に皺を寄せてすぐに切った。
「何を見ても、目を合わせるな。何を言われても、答えるな。何があっても声を出すな」
食事をしていたときのようなへらへらとした顔はもうない。彼は酷く冷静で、落ち着いていた。何度も首を縦に振る。彼は横目で献花台を見た。
何やらうめき声を上げながら、
何も見ない、聞かない。わかっている、理解はしている。それでも、それでも──
「はな、シ、テ、かエ、して」
長い髪の隙間、白い皮膚、暗く淀んだ眼光。深い深い池のような、闇の底。その瞳と────目が、あった。
「あ────あ、ああぁぁぁぁぁ!!」
声を止めることが、できない。口の端から漏れた声は次第に叫びになる。響いた声は森の外へ聞こえていないだろうか? 茹で上がる頭でそんなことを考えた。
「───!! ご、ごめん……!」
「しゃあねぇ! 大丈夫だ!!」
正気を取り戻し謝罪する。夕善君は構わず、そう言って笑った。彼にも見えたのだろうか、見えたのなら、何故こんなに落ち着いている?
献花台、そこから引きつったような笑い声が上がる。地面を叩く音、這い回る音。
「ダせ、ダセ! だセだせダせセセせセだせ!!」
「! ひぃっ……!」
何度も何度も細い腕で地面を叩き、髪を振り乱しながらこちらに迫る。なにが幽霊伝説だ、なにが噂だ。そんな生ぬるいものじゃない。これは、本物だ。そいつはこっちに迫ってくる。僕だけじゃない、夕善君も危ない!
「────うるせぇ!!」
目の前で起こった光景を受け入れるのに、少々時間がかかった。
迫ってきた化物、そいつの顔面に、夕善君が拳を打ち込んだのだ。素手、腰の入った一撃だった。それは化物の顔面にめり込み、かすかに上体が浮き上がる。そのまま吹き飛ばされた。
「え!? え!! えぇ??」
「っしそのままじっとしてろよ! ユースケ!!」
「ええ!?」
何故化物、いや、幽霊を!? 素手? なんで殴れ、いや、そもそも触れ、え?? 理解が追いつかない。しかも、彼自身が言っていたではないか。
こっちが感じれば向こうも気づく。姿が見えれば声が聞こえる。そんで、こっちが触れりゃ向こうは引っ張り込める。
触れたら引っ張り込まれるのでは? しかも触れるなんて、よっぽどの霊感だ。
混乱しきった頭に、奇妙な音が届く。どんどんと地面が揺れるような、音。化物はもう地面を叩いていない。僕の脈拍でもない。この音は、風に交じるこの匂いは。
「────おっせーよ! お前ら!!」
上着を脱ぎ捨てた夕善君が叫ぶ。その瞬間、激しい音と共に木々の隙間から眩しい光が飛び出してきた。
黒の車体に赤いライン、大型のバイクだった。
整った顔立ちではあるものの、眉間に深く皺が刻まれた男性。彼は地面に座り込んだ僕を、ちらりと
「いきなり呼び出しといてひでぇ言い様じゃねえかおい……!」
「これでも全力だァ! クソバカ野郎!!」
ふたりはバイクから降り、ヘルメットを脱いだ。
大柄な体をしたハンドルを握っていた方、ヘルメットの下から現れたのは見事な金髪。染め方が上手いのだろう、プリン頭など比にもならない。人を射殺しそうな視線の強さ、彼は首から下げたヘアバンドを持ち上げ、前髪を上げた。黒の上着の前を開け、荷物入れから取り出した長い筒、更にそこから出した棒を肩に担ぐ。
後ろに座っていた男性が、脱いだヘルメットをハンドルに引っ掛ける。大柄な彼と同等、いや、それ以上にキツい目つき、目の下に刻まれた隈。紺色の上着、スキニーパンツに覆われた脚は細く長い。
「オイコラ夕善! 相手はコイツかァ?」
「おう! 手伝え『ノリボシ』!」
「テメェの指示なんぞ誰が聞くかよ!」
ノリボシ、そう呼ばれた金髪が怒鳴る。それだけで僕は萎縮してしまうが、夕善君は構わぬ様子で言い放った。それから、黒髪の方へ視線をやる。
「『サキ』! ユースケと一緒にいてやってくれ!!」
サキと呼ばれた彼はキッと歯噛みし強く睨みつけた。
「サキって呼ぶんじゃねぇ! 俺の名前は『
「知らねーよ!!」
「あと俺に指図してんじゃねえ!」
「いいから側にいてやれ!!」
緊張感のないやり取り、黒髪──サキさんは舌打ちをしながら僕の方へずんずんとやってくる。まずい、霊感持ちに引っ張られるというのなら……彼も僕の側に来ることで、なにやら嫌なものを感じてしまうのでは?
距離を取ろうとしたが体が動かない。そうしている間に、サキさんはすぐ横に来ていた。思わずぎゅっと目を閉じる。
「チッ、不甲斐ねぇ野郎だな」
そんな声、目を開ける。彼の背後、献花台の側にいたはずの化物、その姿が──薄れている? 先程まではくっきりと見えていたのに、今は膜が張ったようにぼんやりとして見える。頭痛も弱まった。キャンプ場に来たときからずっとしていた頭痛が。
その前で、上着を脱ぎ白のTシャツ姿になった夕善君と、なにやら怒った様子のノリボシさんが立っていた。拳を鳴らす夕善君、棒を背負ったノリボシさん。
「……みなさんは、何者──なん、ですか」
思わず溢れた声。それに夕善君とノリボシさん、僕を見下ろすサキさんは振り返った。
「見てわかんねーか?」
夕善君はそう言って、にっ、と笑う。
「怪異祓いってやつ?」
──怪異。実際にはあり得ない不思議な現象やその様子を指す言葉。
空を機械の塊が飛び交い、見えない電波が張り巡らされ、夜の闇さえかき消す明かりが灯るこの時代にも──
そして、それが存在し続けるなら、それを祓う者もいる。
それこそがきっと、彼らだ。
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