1-4 バカと合コンと森の怪
化物が起き上がる。無数に絡み合った脚が地面を踏みしめ、その長大な体を立てらせた。異様に胴体が長い、というべきか。いや、脚部分と胴体の境目がわからない。ただひとつ、そいつを構成する無数の肉体の中、首があるものはとても少ない。
肉の中に埋もれて、頭骨のようなものが見えなくはないが……それも、少ない方だ。おそらくあの肉体を構成するのは、処刑場で殺されたという罪人達だろう。みな首がなく、首を持つ者──かつてここで起きた事件の被害者とやらに、縋り付いているのだ。
見上げる高さになった化物、声も出ない僕と対照的に、三人は酷く落ち着いていた。……いや、化物と対峙するふたりは、奴を視界にすら入れてなかった。
「テメェコラクソバカ!! 人の上着盗っといて、なァに投げ捨ててんだ! 高かったんだぞ!!」
「いーじゃねーか! どーせ着てなかったんだからよー!!」
「よくねェよ!! テメェも
「うるせェよ!!」
「取り込み中だ!!」
夕善君の拳とノリボシさんの殴打が、化物の胴体へ炸裂した。
ノリボシさんの握った棒、長さは一メートルほどか。なにやら紙みたいなものが無数に貼られた木の棒、それが思いっきり化物の胴体を薙ぎ払ったのである。それは夕善君の拳も同じ、化物の長大な体が爆散するように消滅した。
「えぇ!?」
「うるせえな」
隣に立ったサキさん──いや、ノリボシさんの発言からして
相手は幽霊の
「やっぱりこの付近はやわいな!」
そう夕善君は笑っていた。彼は先程化物の顔面を殴りつけたが、そこが消滅することはなかった。その部分と胴体の部分は異なるらしい。
「ガンガン潰すぞ!」
「テメェに言われなくてもやるってんだよ!! クソバカ!!」
ノリボシさんは手の中でくるくると棒を回し、持ち変えると思いっきり振る。暴力に慣れた手付きだった。あの見事な金髪、よく知らない人に向かってあまり言いたくはないが……人相の悪い顔立ち、大柄な体格。不良と呼ばれるような人だし、納得がいく。
化物の体がどんどん弾けて小さくなる。残すは長い髪を持つ頭部と肩、腕、それから胴体部三分の二程度。
鼻の頭を指で引っ掻く夕善君。棒を肩で担いで長く息を吐いたノリボシさん。素知らぬ顔でスマートフォンを触る透山さん。
「みなさんは……一体……」
僕の漏らした言葉に、透山さんがその鋭い目を向ける。
「お前は
「え……は、はい……」
僕の返答に、透山さんは深くため息をつく。彼はスマートフォンの電源を消し、ポケットに仕舞って顔を上げた。
「俺は
へ、という声が口から漏れた。それを裏付けるように、彼の視線は化物の頭の上をすり抜け──献花台へ向けられている。普通、あの化物から目をそらすことなんてできない。
「俺は見えねえものしか信じねえ。幽霊だの怪異だの俺は信じやしねえが……あいつらは違うらしい」
あいつら、とふたりを指差す。
「俺からしたら、あいつらは妙なパントマイムをしてるようにしか見えねえ。お前には何が見えている?」
化物が起き上がる。もう随分と小さくなっていた。
「……僕には、化物と戦ってるふたりが見えます」
「化物なんていねえよ」
彼はそう一蹴すると、またスマートフォンを触り始める。夕善君の腰の入った拳、ノリボシさんのヒット、二発が化物を吹き飛ばす。
「カエ、か、かえ、かエり、カエり、タ、い」
長い髪に覆われた顔、その白い口から溢れた声。帰りたい、その言葉。
無数の体に絡みつかれたような姿、頭部、
余計な体が全て消え、その下から現れたのは細い体。四つん這いになり、地面を引っ掻きながら何かを呟くその姿は──若い女性だった。
「テメェが原因か」
ノリボシさんが棒を地面に突き立て地面に這いつくばった女性に言う。女性は未だぶつぶつと何かを言っていた。
「どんな恨みを持っていようがよ、森ごと汚しちゃ駄目だろうが」
彼はポケットから何かを取り出した。何枚かの札、小さな容器。一歩ずつ前に踏み出す。
「とっとと諦めて
容器を開き、中身を手へ出す。現れたのは一掴みの塩、それを札に揉み込み握りしめた。
女性の髪、その隙間。そこから覗く深淵のような瞳。それとまた、目があった。透山さんの側にいたおかげでぼやけていたその姿が、ピントが合ったように明瞭に映る。そして、白く薄い唇が動いた。その動きさえ捉えられる。一言一言、言葉が見える。
──家に、帰りたい。
僕は震える脚を
「なにを────」
「彼女をっ! このまま、消さないでください!!」
自分がこんなに声を出せるなんて、思わなかった。人生で一番かもしれない。喉の奥が痛むほどに叫んだ。
「テメェ、コイツにビビってたんじゃねェのか」
「彼女は、家に……帰りたいだけだと、思うんです! このまま消したら……かわっ、可哀想っ! です……!」
本当に怖かった。幽霊より、生きた人間の方が怖かった。ノリボシさんが僕の首を掴んでちょいと捻れば、この森の事件はひとつ増えるかもしれない。それでも、それでも構わなかった。
「そんな消滅させるなんて……どうにか! じょ、成仏させることはできないんですか……?」
消すのではなく、
「ユースケ」
目を瞑る僕に降りかかる夕善君の声。彼なら、彼ならきっとわかってくれるはず。顔を上げる。そこには、少しだけ顔を伏せた夕善君がいた。
「どんな道理があろうともよ、死んだ人間はこの世にいちゃいけねーんだ。可哀想とか、酷いとか、そーいうのは関係ねー」
それでも、それでも! このまま消すなんて、そんなの、僕には。
「おれらがするのは成仏させることじゃない。
夕善君はノリボシさんの手から札を奪い取る。ノリボシさんはきっと険しい目つきに一瞬なったが、彼はそれに構わない。
「優しさだけじゃ人は救えねー。帰りたいってんなら還してやる。それがおれらで、それがこの世のルールだ」
彼が伸ばした手は僕の横を通り過ぎる。そして握った札を女性の頭部に押し付けた。ぼろぼろと、女性の頭部が崩れていく。粒子状に削れて、空に溶ける。思わず悲鳴に近い声が漏れ出したが、彼女の崩壊は止まらない。
──り、がトウ。
耳の奥、脳裏の奥に響いた声。張り付いていた頭痛が、尾も引かず消えていく。
「────よし、除霊完了!」
大きく伸びをした夕善君。彼が見上げる空、女性が昇っていったその後へ視線をやり──僕は思わず、手を合わせた。
「なァにいい空気っぽくまとめてんだテメェコラァ!!」
「人を無理矢理呼び出しといてすっきりしたツラしてんじゃねえぞ夕善……!」
ノリボシさんと透山さんの殴打が夕善君を襲った。
「無事終わったんだからいーじゃねーか!」
「見損ねたドラマは戻んねェんだぞクソバカ責任取れ!!」
「寒ぃ。早くバイク出せ
「オレに指示してんじゃねェぞ透山ァ!!」
ぎゃいぎゃいと言い合いを続ける三人。さっきまでの雰囲気はもう欠片もない。
「わっざわざ西から来いってよォ……フェンスの鍵無理矢理開けて来たんだぞ! ぜってェなんかで返せよ!!」
「返す返す! その代わりにもうちょい付き合え!」
「ハァ!?」
語気を強めるノリボシさんに構わず夕善君はその肩へ腕を回し、バイクに向かった透山さんの上着を引っ張った。
「ユースケ!」
「えっ、あっ」
いきなり向けられた声に動揺する。僕はまた腰抜けになって座り込んでいた。そんな僕にも手を伸ばされる。
「帰るぞ! にししっ!!」
快活な笑顔、薄淀んだ雰囲気を吹き飛ばすようなそれに──僕は震えを忘れ、立ち上がった。
──────
「おおー! お前らぁ! おせぇから心配────」
「うっす! ただいま!!」
森を出た僕らを迎えたのは、主催連中の赤頭。彼は僕と夕善君、それから後ろの
「のののののののの
「あァ? なんだテメェ、久しぶりじゃねェか」
「うるせえな……」
森の西側、住宅街からバイクで突入してきた彼らはそのまま同じ箇所から帰ろうとしたのだが、無理矢理夕善君が止めたのだ。一通りの説明を済ませた夕善君は、何故かキャンプ場へふたりを連れて戻っていたのである。
赤頭は顔を青くしながらふたりを見ていた。怯えに近い顔である。
「こ、今回はありがとーございます……へへ」
「うっせェ。それより場所決めたバカ連れ出せ」
すごみながら言われた言葉に、赤頭は直様プリン頭を連れてくる。ノリボシさんは押していたバイクを夕善君に押し付け、前に出る。
体格も良く見た目も怖いノリボシさんに見下されたプリン頭は酷く情けなく見えた。ノリボシさんは夕善君のスマートフォンを取り上げ、その画面を見せる。森の開けた場所、献花台の写真。
「なァにが肝試し、だァ?
「え、え、えぇ!?」
彼は本当に知らなかったのだろう。酷く驚いて動揺していた。人殺し、その言葉にあたりの人達がざわめきの声を上げる。
「幽霊云々より先に、ここらは治安が悪ぃってこった! いいな!!」
「はっ、はい!!」
ノリボシさんの
「そんのくせに調査だなんだと気弱な野郎を行かせてよ……んなに調べたきゃテメェひとりで行って来いボケェ!!」
その場の皆は全員姿勢を正して一連の出来事を見ていた。夕善君と透山さんを除いて。それだけ言ってノリボシさんは背を向けた。バイクを夕善君の手から取り返し、舌打ちをする。あたりは静まり返ったまま。
「帰るぞ、透山」
「俺に指示出すなつってんだろ」
「うっせェじゃあ歩いて帰れ」
「仕方ねえな……乗ってやるよ」
「うるせェ」
ノリボシさん──いや、
「テメェはひとりで帰ってこいよ」
「おー! 鍵はまだかけんなよ!」
「気が向いたらな」
そう話してバイクは走り去った。しばしの沈黙の後、ざわめきが戻る。肝試し、などという空気も消え去った。事件が起こった森のキャンプ場、そんな場所に呼び出されたことに対する不満が募る。
あっという間に解散し始めた。主催陣はそんな彼ら彼女らを見送ることしかできない。元々バーベキューは終わりを迎えていた、後片付けも終わっている。夕善君は赤頭の肩を叩いた。
「今度焼肉奢れ。三人」
「はい……」
寂しい夜の森に風が吹く。頭痛が晴れた頭によく通る涼しさ、僕は深く息を吸った。心の奥で手を合わせる。名も知らない女性がどうか──安らかに眠れるように。
──────
「あ」
「お!」
月曜日、賑やかな大学の食堂。席を探してうろつく最中、覚えのあるふたりと鉢合わせた。
先日と変わらぬ白のTシャツを着た夕善君。不機嫌そうな顔をした透山さん。祝さんはいないらしい。そういえば、別の大学とか言っていたか。
「元気かーユースケ! 一緒に食おうぜ!」
「えっ、あ……」
無理矢理引っ張られて三人並ぶ。周りの視線が、痛い!
「具合は? 問題ないか?」
「だ、大丈夫です……」
「飯食えよちゃんと!」
ばしばしと叩かれる背中。相変わらず力が強い。透山さんは構わぬ様子で食事を続けている。
「ゆ、夕善君達って……結局、何者……なの?」
恐る恐る投げかけた問いに、夕善君は目を丸くした。辺りに視線をやり、小声で僕に教えてくれる。
「ノリボシ……
「ぜ、零感??」
「おー、霊感持ちが一般人を引っ張り込むのと同じように、こいつが側にいたら霊が見えなくなるんだよ。すげーだろ」
祝さんが祓い屋の息子……失礼だが、なかなか似合わない肩書だ。そして透山さん、マイナスレベルの霊感とは……。
「俺は霊なんて胡散臭いもの信じねえ」
「あんだけ目の前であってもこれだぞこいつ」
思わず笑いが漏れる。透山さんはぶすっとした顔で焼き鮭を突いた。
「それで……夕善君は?」
「ん? おれ?」
彼は箸を咥えたまま、Tシャツの前を広げて見せた。先の合コンと同じ、真ん中に漢字が書かれたそれ。その文字。
「寺の息子」
でかでかと書かれた「寺」の文字。なんだか面白くて、笑いが吹き出した。僕が笑う理由がわからないのか、ふたりは揃って首を捻る。僕は手で気にしないでと示し、ひとしきり笑い続けた。
拳を振るって除霊を行い、経のひとつも唱えられない彼に、寺という肩書は似合わない!
「あー、そーいやよ、夕善なんて名字で呼ぶなよ」
ようやく笑いが引いた僕に向かって、夕善君がそう言った。
「
瞬きを、ひとつ、ふたつ。テラスの窓から光が照らす。
「あ……う、うん! 喜君!!」
「写真もまた見せてくれよな!」
「わかった!」
今日僕に、友達ができました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます