1-2 バカと合コンと森の怪
「この
「おいお前! 人の台詞をォ……!」
怪しげに声を潜め、身振り手振りを加えて説明するプリン頭。僕は早くなる脈拍と、背中を伝う変な汗を感じていた。春先、まだ夜の風は冷たい。それなのに、体の奥は妙に熱い。
「というわけで! 二次会、肝試し大会だ!! 男女ペアで森の中を歩く! 中央あたりの広場で写真を撮る! ルールは以上!!」
そんな宣言のあと、あたりはざわめきに包まれる。嘘くさいだの、怖いだの、思い思いに何やら言うが、皆心の底では「楽しそう」と思っているらしい。
双葉の森と呼ばれるこの場所は、四角の形になっている。北には川、街を分断する大きな川がある。西と東はそれぞれ住宅街、森とはフェンスで仕切られている。南にはこの「双葉の森キャンプ場」。公道の直ぐ側だが、かなり広い上に池の側にあるため、街の喧騒はなかなか遠い。
街中に、四角く残された森。それだけで何やら怪しいものがある。それは元々、この土地が処刑場であったから。
遥か昔から渦巻く怨念が、切り落とされた首を探して彷徨い歩く────などという話を、主催がおどろおどろしげに話していた。
どんなに怖い噂があれど、この森とキャンプ場が住宅街の真ん中にあるのは変わらない。恐れることはない、とみんな思っているらしい。
確かにそうだ、そのはずだ。それなのに、それなのになぜ、僕は──
「ユースケ大丈夫か?」
「……! あ、うん……平気……ちょっと、食べすぎ」
「……おう」
「ねぇ〜でもそれぇ、ホントに『出た』らどうすんの? あたし怖ぁい」
甘い声。茶髪を緩く巻いた女性が言った。その言葉に続いて様々な懸念が飛び交う。このまま解散の流れになってくれたらいい。
「それは大丈夫! みなさんが入る前に、『霊感持ち』のお方に入ってもらい、安全を保証してもらいます!」
ざわめきをかき消すように、プリン頭が声を上げた。霊感持ち、そんな言葉をみんな信じやしないだろう。そして彼は──僕と、目があった。
「あちらにいる
──ああ、なるほど。このため、だったのか。
周りから一切に注がれた視線に、気絶しそうになりながら僕は、小学五年生の夏を思い出した。
僕は自分に霊感なるものがあるとは思っていない。そんなもの、欲しいと思ったことはない。だが実際、僕は何度も
学校帰り、電柱の下で立つサラリーマンを見たことがある。その翌日、その場所で事故があって男性が死んだことを知った。
通ると決まって気分が悪くなる路地、そこでは昔人が刺されていた。
やけに大きな犬の鳴き声を聞いた家、そこの人がたくさんの犬を虐待して殺していたことを知った。
友達に話しても、変な偶然と笑われた。本当に変な偶然なら、良かったのに。
極めつけは、小学五年生のとき。宿泊学習で山の中の施設に泊まった夜だ。
たまたま、同じ部屋の四人で夜トイレに行った。ひとりが夜の施設が怖いと言ったからだったと思う。そのときだ。暗い廊下の奥──そこに、首を吊った影があった。
周りのみんなも「見える」人だったのか、僕が側にいたからなのか、それは今でもわからない。でもそこにいたみんな、同じものを見た。前々から相談をしていた友達のせいもあって、「結城が幽霊を見た」という話が広まった。小学生、噂は早い。
何も知らない生徒は、僕を馬鹿にして笑った。同じものを見た残りの三人はというと、「結城の側にいたから変なものを見た」と言って、僕を避けた。
集団生活において本当に恐ろしいのは、いじめなんかではない。いじめならまだ、「意識」されている。本当に怖いのは、干渉されないこと。クラスにいても、必要最低限以外は話さない。話しかけることはない。
無視をしているわけではないからいじめでもない。ただ、必要以上に関わらないだけ。それが一番、つらい。
中学校に上がっても、小学生の知り合いが僕の話を広めた。高校に進んでようやく馬鹿な噂を言う生徒はいなくなったが──その頃にはもう、僕は人と話すことを忘れていた。
「そんな霊感ボーイ結城君に『調査』してもらい、安全が保証されたら肝試し開始! どうです! 安心安全!」
プリン頭は、霊感少年と馬鹿にされていた僕を思い出し、ひらめいたのだろう。もし僕が何かを見たと言ってパニックになったところで、ビビりだと言ってみんなで笑えばいい。何もなかったと出てくれば、ほら安全と言って事は進められる。僕は前座の芸人のようなもの。人数合わせ兼パフォーマー。なるほど、なるほど。
「結城君お願い! いっちょ行ってきてくれ〜!」
芝居めいた態度で手を合わせる彼。全員の視線が痛い。「霊感だって」「小学生の頃って古すぎない?」ひそひそと声が聞こえる。吐きそうだ、頭が痛い、気分が悪い、心臓が早鐘を打つ、頭が痛い。
「んじゃおれも」
ぐちゃぐちゃな思考をかき消す声。隣を見れば、大皿に乗せられた最後の一切れを飲み込んだ夕善君が、まっすぐ手を上げていた。
「おれも行くぜ。
彼は箸を置き、にしし、と笑った。
「霊感、持ってるしな」
いたずらっぽく笑う彼の顔。「あれ誰?」「ゆうよし……?」「なんかちょっとかわいくない?」そんな声が聞こえる。茶髪とプリン頭を押しのけた赤頭が、おお! と声を上げた。
「
「おいお前……! 何だよいきなり!」
「うるせえ!! ……厄介なこと勝手に決めやがって!」
言い合いを始めた主催達。僕へ注がれていた視線は一気に散った。呆然と口を開く。
「その前に便所! 連れション連れション!」
「えっ、あっ」
「おうおう! 行って来い!」
「おれはデケェ方な!」
「黙っていけ!!」
夕善君は僕の肩を引っ張り歩き出す。赤頭とはよほど気心知れているのか、好き勝手なやり取りをしながら僕らは集団を離れる。キャンプ場の隅、公衆トイレの前で夕善君は長いため息をついた。
「と、トイレは行かないの……?」
「ん? ユースケいっとくか?」
「い、いや僕は……」
「ありゃウソだ。テキトーなウソ」
ポールに腰掛け彼はモスグリーンの上着、そのポケットからスマートフォンを取り出す。
「ユースケ霊感持ちかー」
「む、昔……ね。もうそんなの、信じてないし……誰も、信じてくれないし……馬鹿っぽいよね、そんなの」
人に否定される前に、自分で否定したほうが楽だ。まだ頭は痛い。側頭部を叩きながら僕は笑った。夕善君はじっと、僕を見つめている。
それからいきなりぱっと背を向けた。少し離れ、手にしたスマートフォンを触り、耳に当てる。電話だろうか。少しの間、ノイズ混じりの声が聞こえてきた。
「おう! ふたりとも一緒か?」
『ふたりでいるけどよ……今テレビがイイとこだ邪魔すんじゃねェ! バカ野郎!』
『風呂出たところだ。ドラマはどうでもいいがレポートがある。何の用──』
「今すぐ
『ハァ!? 何いってんだクソバカ!』
「じゃあな!」
『待ておま────』
騒がしい電話の後、目の前の彼はこちらを振り返る。頭の上で束ねた日に焼けた髪。月明かりで白く映える頬の絆創膏。春先の少し冷えた風に鼻を赤くしながら彼はにしし、と笑う。
「これでよし!」
彼の笑みを見て、僕はゆっくり息を呑む。それから、ずきずきと痛む頭を押さえ──彼と、向かい合った。そして、彼は口を開く。
「おれはユースケを信じるよ」
「え?」
彼はさらり、とそう言った。
「だっておれも
「ええ!?」
彼はポケットに突っ込んでいたと思わしき、ラップに包まれたおにぎりを取り出しかじる。まだ食べたりないのだろうか。
「いや……わざわざ、そんなこと言わなくても……」
僕に合わせてくれているのだろう。彼はきっと優しい人だ。
「おれが人に合わせてやるようにみえるかぁ?」
……思わない。
「見えるってんなら見えるんだろ。おれはそれを疑わねーよ。お前がウソつけるタイプにゃ見えねーしな」
半分ほどかじったおにぎりを、そのまま口へ放り込む。それから彼は僕に言った。
「これはじいちゃんが言ってた事の受け売りだけどよ。幽霊ってのは見えるやつに惹かれるらしい。だから見えても見えないふりをすりゃあいいんだ」
そういう話は聞いたことがある。見える者が呼ぶのだと。だからあの宿泊学習の夜、僕の周りにいた子達も「何か」が見えたのだろうか。
「こっちが感じれば向こうも気づく。姿が見えれば声が聞こえる。そんで、こっちが触れりゃ向こうは
頬の絆創膏を指で引っ掻く。
「お前は
それは、一体。
「まーいいけどな。何があっても何を見ても、見えてることを気づかれるな。そうさえしなきゃなんとかなる」
彼は上着の
「安心しろ! なんか見てもおれがいる。
おれら、その複数形は。疑問を投げる前に彼は人だかりへおおいと声をかけ、手を振った。
「わりー! 中々キレが悪くてな!」
「汚え話すんな喜!!」
「なんだーアマヒコー? 帰っちまったかと思ったかー?」
「お前に限ってそれはねえと思ったけどよ……」
赤頭と笑いながら話す。僕は身を縮めながら人だかりを抜けた。森に向かう夕善君の肩を、赤頭が組む。それから何かを耳打ちしていた。
「悪い喜……まさかあのバカがあんなとこ考えてたのは知らなかった……」
「謝るならユースケにな。……この場所決めたの、お前か?」
「ちげえよ……あいつが決めたんだ。安いしいいだろって」
親指で指し示すのはプリン頭。全部わかっていてやったんだ、やはり。
「他
「呼んだ」
赤頭は安堵の息をついたが、すぐに顔を青くした。
「助かる……けど、ここには連れてこないでくれよ!? いいな!?」
「代わりに今度飯おごれよー」
「うう……わかったよ」
そこまで話して赤頭を引き剥がし、その手から懐中電灯を奪い取った。それから夕善君は僕を見る。
「行こうぜユースケ! チョーサだチョーサ」
「う、うん……!」
物凄く怖いし、嫌だけど────彼となら大丈夫、そんな気がした。
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