4-1 バカと泊まりとアパートの怪



「────それで、閉鎖的な山村では独自の風習が伝わり、文化として根付いたわけですが」



 四十代くらいの男性講師が、教科書片手にゆっくりと話していた。その口調は昼食前の学生には、子守唄のように聞こえてしまう。午後ならもっとひどかっただろう。僕の眼前だけでも船を漕ぐ生徒が複数、講師は気にせず話を続ける。


 自分で選んで通っている身のくせに好き勝手言うが、この大学は変だ。学科は多いし変なサークルはあるし……。だからこそ怖いもの見たさの生徒が集まるのだが、八割は卒業までに一回は後悔するらしい。



 今受けている講義は文化人類学。進級直後、単位計算しながら選んだ授業だが、わりとすでに後悔している。教科書を読み込んで覚えればいいというものではない。おまけに普段の講師の先生は、あまり黒板を使う人ではない。たらたらと話す内容の中から、自分で情報を取捨選択せねばならないのだ。


 二週間ほど前から臨時で講義を担当している、各地の伝承や風習に詳しいという男性講師は、この大学のOBだとか。僕は幾度目かのあくびをこらえながら、腕時計をちらりと見た。まだ半分も過ぎておらず、寝不足の頭には厳しい。


 そのとき、隣の席から何かが飛んできた。広げて置いていたノートの上にちょこんと乗る、黒いシャー芯の先端。折れた芯が飛んできたらしい。隣に視線を向ける。

 シャープペンシルをかちかちと鳴らしながら、隣の彼は流し目を向けた。目の下にはっきりと刻まれた隈。


「悪い、結城ゆうき

「あっ、別に気にしないでいいよ」


 学年首席、法学部のエース。学内にファンも多い彼の名は透山とおやまさきがけ。ある一件から僕は彼と話をするようになったのだが……そうなってようやく気がついた。僕と彼は、意外と同じような講義を取っている。今までどれだけ周りに目を向けていなかったんだろうと、少し恥ずかしくなったが。


 数学、英語、中国語、西洋史。彼はそれらの講義ではほぼ寝ている。講義が始まり、ノートを広げ、シャープペンシルを握り──船を漕いでいる。それでも学年首席、意味がわからない。今日はまだちゃんと起きているらしい。


 ミステリアス、クール、かっこいい、不思議な人、冷たい人。この学校にいれば、透山魁という人間に対しての様々な評価を耳にする。

 実際の彼はマイペースだし、割と好き勝手するし、人を振り回す。彼やもうひとり・・・・・と接するようになって、僕は学んだ。


「続いて四国の山村についての研究報告を……」


 次の話に移るらしい。さてどこをどうノートに書いたものか……と、悩む僕を置き去りに講義は進む。透山君がシャープペンシルを走らせる音と講師の声が、とても心地よい子守唄に聞こえて一瞬意識が飛んだ。



 ──────



「お────っい!! サキー!! ユースケー!!」


 長い眠気との戦いを終え、講義室を抜け出した僕と透山君。昼休みに入って賑やかなキャンパス内、そこに響き渡る元気な声。辺りの視線が僕らに注がれる。

 そんなことにはもう慣れた。あまり目立ちたくない、とか注目されたくない、といった願いはもうとっくに諦めている。

 海を割るモーゼの如く、人混みを駆け抜ける影。後頭部でまとめられている日に焼けた髪。頬に貼られた白い絆創膏。あいも変わらず白いTシャツ──本日は中心に大きく「平日」と書かれている。


「メシ行こうぜっ!!」

「うるっせえよ夕善ゆうぜん

「はは、行こっか」


 今日もよし君は元気だ。彼らと一緒に行動するようになってひと月半ほど経つ。彼らは学内でも有名人なため、最初は「何だあいつ」みたいな目で見られることはあった。それを気にする度喜君に背中を叩かれ続けた結果、何かが僕の中で吹っ切れたらしい。


「今日の日替わりランチなんかなー!」

「白身のフライらしいぞ」

「よっしゃー!」


 はしゃぐ喜君を見て笑みが溢れる。笑みと同時に、あくびも溢れた。あくびをした間抜け顔を、喜君に真正面から見られる。


「どしたユースケ、寝不足か?」

「あ、えっと……うん」

「勉強してんのかー? おれと違って」


 今は試験前でもないし、そういうわけではない。言うべきかどうか悩みつつ、僕は言葉を濁した。バイトもそんなに遅くまで入れているわけではない。悩んだ結果、喜君のまんまるな目に負けた。


「うーん……最近、変な夢をみてさ……」

「夢?」

「うん……」



 安アパートの一室で寝ていたはずの僕は、何故か部屋の真ん中で座っている。目の前にあった窓、そのブラインドが開いていた。ブラインドの紐が揺れている。閉めようと思うけど、体が動かない。目線を動かして周囲を見ることもできない。そうこうしていたら、窓を叩く音がする。

 こんこんと響く音、窓ガラスの下から手が映る。二回、三回とノックをし、一言告げるのだ。



「お邪魔します……って」


 食堂までの道のり、僕の話を聞きながら喜君は渋い顔をしていた。透山君はふーんと興味薄げ。


「それってよー……いつぐらいからだ?」

「ええとたしか……二週間、くらい前?」


 同じような夢で、内容に変化があるわけではない。手が部屋に入ってきたり、変なことを言ったりはしてこない。起きたら正直記憶は曖昧だし、確かかどうかもわからない。ただ起きたあとも、あんまり寝たつもりにならないためしばらく寝不足なのだ。


「……ユースケ、お前、自分が霊感持ちってことを忘れんなよ」


 喜君の言葉にどきりとした。半月ほど前、キャンプ場での一件が脳裏をよぎる。


「ユースケはあのとき、あの場所に行っただけで頭痛がしたんだからよ。気をつけなきゃ駄目だぜ」


 そう言いながら、たどり着いた食堂。大きな声で日替わりランチを頼みつつ、彼はトレーを掴んで渡してきた。受け取り、僕も日替わりランチを頼む。安くて量も多いランチは、よく食べる大学生達にとっては助かる。

 透山君は注文の列から外れ購買へ。これもいつものこと。彼はパンなりおにぎりなりを買うのだ。


 湯気を立てるつやつやの白米、きつね色をした衣に包まれた白身魚のフライ、味噌汁にサラダ。トレーを持っていつもの席へ。窓際の中庭側、先に透山君が座っていた。その横に並んで座る。


「よーしユースケ、今日いつまで講義取ってる?」

「え、えぇ!?」


 さっきまでの話は完全に終わったと思っていた。油断しきって食事に移るつもりだった。だから僕は突然響いた喜君の言葉に素っ頓狂な声を上げてしまったのだ。


「おれは昼一で終わり。帰りにユースケの家見たいんだけど、駄目か? 駄目なら明日か、とにかく近日……」

「い、いや今日で、今日でいいけど……! 今日は昼一以降は取ってないし……でもどうしてそんな、急に?」


 今日はバイトもない。喜君は味噌汁を一気に煽ると、大きく頷いた。


「夢となると……嫌な予感するんだよな。なるべく早めに様子見しておきたいんだよ。サキ、行けるか?」

「俺も昼一まで」

「オッケー。よーしだいじょーぶだ、早めに終わらせる」


 そう言って喜君は笑い、白身魚のフライに箸を通した。柔らかな白身が吸い込まれるように喜君の口に消える。彼は僕を見、親指を立ててサムズアップ。


「おれらに任せとけ!!」

「う、うん!」


 そう言い放ち、食べるのに集中し始めた喜君を見──僕も自分の食事に取り掛かる。そんな僕らを透山君は、菓子パンを齧りながら静かに見ていた。




 ──────



「ここなんだけど……」

「ふーん、今のところフツーだな」

「怪異なんて信じちゃいねえが……いそうにねえな」


 昼一の講義終了後、僕は喜君達を連れて自宅のアパートへ来ていた。のりとさんは講義とバイトが入っていて来れないらしい。……あの人はあまり話したことがないので苦手だ。

 駅からそこそこ距離があり、歩いて五分で山がある、そんな立地。できたのは二十年と少し前らしいが、過度にぼろぼろでもなく、家賃も高くはない。ごく普通のアパートだ。喜君は全体をぐるりと周り、首を傾げた。

 ここに住み始めたのは昨年の六月頃、つまり大体一年前だ。だからアパートになにか変なことがあるとは思えないのだが……。今まではなんともなかったし。


「部屋見せてくれ」

「う、うん」


 見られて困るものは特に無い。外階段を登り、ふたりを部屋の中に入れた。一階に四部屋あるうちの、階段から二番目に僕の部屋はある。

 玄関を通り奥の六畳間へ。真正面の大窓から差し込む光を遮る、草が描かれたカーテン。外のベランダには何も置いていない。洗濯物は室内干しだ。

 角に置かれた三段のカラーボックス、あまり物は無く散らかってもいない。強いて言えば布団派なくらい。部屋の真ん中にはひとり用こたつ──今は布団を外して使っている──と座椅子。


「夢の中で、ここに座って窓を見てるんだな?」

「そ、そう……」


 喜君は部屋の中をきょろきょろと見回す。それから玄関で様子見していた透山君の方を見た。


「サキはまだ外にいてくれ」

「……俺に指示出ししてんじゃねえ」

「はいはーい」


 透山君がぶすっとしながら外に出る。それから喜君は僕に許可を取り、座椅子に座った。丁度僕が夢の中でいるあたり。目の前にはカーテンがかかった、ベランダに出る扉も兼ねた引き違い窓。


「窓の下から手が伸びてくるんだよな?」

「あ、そ、そうだけど……」


 そのときふと気がついた。部屋の中央から見る景色、覚えた違和感。



「これ、ベランダへの出口も兼ね備えた窓だろ? 下からどうやって手を伸ばすんだ?」



 夢の中で見た景色。ブラインドのかかった引き違い窓。その大きさ──窓は、壁の半分から上・・・・・にあった。


 自分の部屋が見えていたのなら、日々の暮らしで焼き付いた光景だから夢に出たと理由がつけられた。だがそうじゃない。僕は知らない部屋・・・・・・を見続けていた。



「うん、ユースケ。週末までうち泊まれ」



 喜君の言葉に、僕は無言で頷いた。正直に、怖い。


「おいいつまで外出てりゃいいんだよ」


 置いてけぼりな透山君の声が響くまで、僕は窓を見続けるしかできなかった。


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