4-2 バカと泊まりとアパートの怪
「泊まりが! 来るってンなら!」
響く水音、音をたてる食器。取り出した卵は手荒に割られ、ボールへ入れられた。がちゃがちゃとかき混ぜる音が響き、忙しそうに冷蔵庫とシンク周りを行ったり来たり。
「まともなメシの準備やら! 片付けやら! することあンだから!」
包丁がまな板を叩くリズミカルな音。鼻をつんと突く玉ねぎの香り。熱したフライパンの上で、かき混ぜられた卵の黄色が広がっていく。漂うのはネギとごま油の匂い。音を立てて開いた炊飯器の蓋、つやつやの白米が乱暴にフライパンへ放り込まれる。
「せめて昼に! 連絡寄越せクソバカ共!!」
ばらばらと投げ込まれるのは細かく切られたハム、ウインナー、かまぼこ。フライパンの中へ一緒くたに放たれたそれらは、一気に高めた火力でかき回された。
「ノリボシー腹減ったー」
「ちったァ待て
「まだか遅いな。客を待たせてんだぞ」
「うっせェぞ
ダイニングテーブルを叩き催促する
「早めに言われりゃァもうちっとマトモなモン作れたってのによォ……オラ!!」
カウンターの上に置かれたのは三つの皿。湯気を立てるのはこんもりと盛られたチャーハン。喜君がスキップ混じりに皿を取りに行く。透山君はそそくさと人数分のスプーンを取ってきた。三人で暮らしているはずなのに、ダイニングテーブルには四脚椅子がある。
僕と喜君、向かい側に祝さんと透山君が座った。時刻は十八時半、時計を見ている間に、三人が一斉に手を合わせた。
「いただきます」
僕も慌てて手を合わせ、声を合わせる。こんなにきっちりとしたのは中学生以来かもしれない。しかしそれが終われば後は好き勝手だった。
「水取ってくれー!」
「そっちに置いてる!」
「チッ、コショウの塊噛んだ」
「ざまあみろ透山ァ!」
「なんだとてめぇ……!」
「お前らー、メシぐらい静かに食えよーまったくー」
「テメェが言うなッ!!」
「お前が言うな!!」
「ノリボシー! 残りのかまぼこ食っていーか?」
「勝手に食えクソバカァ!」
「汁物が欲しい」
「おれもおれもー!」
「白ネギがもうそろそろだから使っちまえ!」
「手伝え夕善」
「おう!」
圧倒的な速度。目にも止まらない速さでチャーハンが消えていく。それに呆けている暇はない。僕もひと掬い口へ運んだ。
口に入れた途端、鼻まで抜けるごま油とネギの香り。粒までわかるほどぱらぱらで芯の残った米は、細かく切られた具材と相性がいい。塩コショウ、シンプルな味付けなのにがつんと美味しい! 僕も夢中で掻き込んだ。これはたしかに、食べるのも早くなる。
普段食堂でもそもそとパンを齧っている透山君でさえも、せっせと口に運んでいた。今はスープ作りに取り掛かっている。
「ゆっくり食えばいい」
「あ、ありがとう……ございます……」
祝さんはスプーンの上で山盛りになったチャーハンを、大きな一口で頬張った。彼が視線をやる方向、カウンターの向こうで透山君が白ネギを切っている。適当に放り込まれる中華スープの元、そこに刻んだネギを入れて蓋をした。
「ちゃんと計れよ」
「俺に指図してんな」
祝さんと透山君の舌打ちが同時に響く。喜君がかまぼこを咥えながら卵を割り、かき混ぜる。それを受け取った透山君は、さっと鍋の中に卵を注ぎ込んだ。あっという間にスープが完成する。それを見ている間に僕もチャーハンを食べ終わった。
四人でスープをすすりつつ、ようやく一息。垂れ流したバラエティ番組をぼんやり眺めること十分。
「ンで? 何が出るってんだよ」
祝さんが早速切り込んできた。僕は昼間に話した夢の内容を、再び彼に説明する。ゆっくり、詰まりながらの説明にはなったが、彼は急かすような真似はしなかった。眉間にシワは寄っていたものの、相槌を打ちながら丁寧に聞いてくれる。
「──それで、ふたりに家を見てもらったんだけど……」
夢の中の部屋と、現実の部屋は別物だった。僕の部屋にある窓は、ベランダへの出入り口も兼ねた大窓だけ。おまけにブラインドではなくカーテンである。
「明らかに怪異案件だよなー」
「そりゃそうだろ」
喜君と祝さんはうんうんと頷き、顔を見合わせる。透山君だけは興味なさそうな顔をしていた。彼は怪異を信じていない。
「しっかし夢となるとそりゃァ……どうすんだよ夕善」
「おー、まずい!」
そう自信満々に言いつつ、喜君は笑った。今、なんと? まずい? つまり、危険ということか?
「よ、喜君達でも払えない、の!?」
キャンプ場での一件、彼らはあっという間に恐ろしい怪異を祓った。あのときの怪異と比べたら、変な夢なんてちょろいように思う。あくまで怪異なんて関わったこともない一般人の意見だが。
「……奇妙な夢、そいつァ『
夢の中では体が動かなかった。視線すらも動かせず、覚めるのを待つしかない。
「前におれが言ったけどさ、怪異ってのは干渉できるほど干渉されやすい。強いほど食らったときがデカいんだよ」
そうだ、確かに彼は言っていた。
──こっちが感じれば向こうも気づく。姿が見えれば声が聞こえる。そんで、こっちが触れりゃ向こうは引っ張り込める。
「普通ユースケくらいの霊感なら、見えりゃ上等なんだけどよ。引っ張り込まれてる、そうなりゃ向こうを動けて触れるかっつったらそれもできねー、身動きもとれねーってことは……今回の相手はクソ強い。なんで今も襲われてねーのか不思議なくらいにな」
今回の怪異にとって、自分の領域に引きずり込むことは造作もないことらしい。通常ならば、そこそこの霊感を持つ相手でないと、そこまでの干渉は不可能だそうだ。
ごくり、と生唾を飲む。深く考えてこなかった昼間までの自分が恨めしい。
「逆にユースケくらいの霊感だったから、今日まで襲われなかったのかもなー。引きずり込めたのはいいものの、霊感が低かったから向こうもそれ以上踏み込めなかった……そーだったらラッキーだったな」
……全然嬉しくはない。寒気がしてきた。
「オレ達は霊感が高い。無意識でもヤツらが見え、触れるくらいにはな」
祝さんが立ち上がりコーヒーを入れ始めた。必要か問われたので、一杯頂くことにする。要求した透山君は却下されていた。すぐさま始まる悪態のキャッチボール、何故ルームシェアができているのか……。
「ンなオレらがテメェの部屋に行って寝るとする。夢の中でしか怪異に会えねェのなら、こっちから行くしかねェからな。……だがいざ夢の中、ヤツの領域に踏み込んだ後────無事でいられる保証がねェ」
彼らがそこまで言うほど、なのか。喜君がすっと手を持ち上げた。その手を重ねる。おにぎりを作るような手、間に空気を込めた手だ。
「怪異が見せる夢の中っつーのは、この手の中みてーなもんなんだ。ユースケの場合は何も感じないから、手を出すこともない。おれらみてーに霊感が高いやつらは、やつの手の中で跳ねる虫」
だから、と彼は両手を強く打ち鳴らした。ぱぁんと空気を裂く音と共に、彼の手はぴったりと合わされる。
「あっという間に潰されちまう。もちろん、そーならねー可能性もあるけど、賭けるには分が悪い」
だが、そんなことになったらどうすればいい? 怪異はあの家についているのか、僕についているのか。それはわからない。
「安心しろ、相手をよーく知ったら十分祓える! だから週末までユースケには泊まってもらうんだよ」
「知る……?」
そのとき、玄関からチャイムの音が響く。喜君がおっ、と声を上げた。透山君が立ち上がり、玄関まで来客を出迎える。
「しばらくユースケやアパート周りを調べて、怪異が何に憑いているのか、何が原因なのかを探ってくれる、スペシャリスト達だ!」
聞こえてくる賑やかな声。祝さんが眉間の皺を更に深めた。
「ひとつ言っておくぞテメェ……。スマートフォンにはロックかけとけ、せめてもの気休めだけどな」
彼の言葉に首を傾げたその時の僕は、その後に起こる悲劇を知りもしなかった。
──────
「ユースケ、わりーけどリビングで寝てくれなー」
「う、うん!」
喜君いわく『スペシャリスト達』がアパートへ向かった小一時間後、風呂を出た僕に喜君が言った。彼らの住む家は広く、二階には余った部屋もあるらしいが……ほとんど物置になっているそうだ。そもそも急に転がり込んできたので、床でも上等と思っていたから気にはしない。
「ホントは同じ部屋で色んな話したかったんだけどなー。今ヘタにおれの側で寝たりなんかしたらやばそーだし」
「そ……そうだね……」
たしかに、彼のどぎつい霊感に当てられて、いよいよまずいことになる可能性がある。せめてそれまで、とリビングでテレビを見ながら話した。今日はドラマがなくて良かったなと喜君は言っていたが、どういうことだろう?
時刻が十時を超えた頃、忘れかけていたが明日もまだ平日、学校がある。
「おれのカンじゃー、怪異はアパートに憑いてると思うんだよなー。住み始めてからじゃなくて、二週間前からってのが引っ掛けるけど」
「僕に憑いてるんじゃないの?」
「確かにユースケの家で、変な感じがしたんだよ。それがユースケにこびりついてる可能性もあるけどなー。でも、今夜はだいじょーぶだと思うぜ?」
「う、うん……」
夢の始まりは二週間前、その事実が謎を深める。何故か、理由がわからない。
そのままおやすみの挨拶をして、喜君は部屋に上がった。祝さんはとっくに部屋へ引っ込んでいる。僕は大きなソファの上に身を委ね、ブランケットを被り丸まった。
自宅ではない空気だが、なんだか落ち着く。今日は久しぶりによく────眠れそうだ。
部屋の中にいる。
ああ、夢を見ているのだと気がついた。やはり怪異は僕自身に憑いているのだろう。だが何が変だ。いつもの部屋ではない。
大きく開け放たれた縁台が見える。そこから見渡せる景色、青々と茂る草木、月日を感じさせる薄汚れた塀。赤い小さな実を無数につけた──さくらんぼの木。
僕は畳の上に座っている。昨日まで見ていた景色じゃない。何もかもが違う。首を回して辺りを見た。艶を放つちゃぶ台、低い戸棚、ふすま。奥にはすりガラスの戸、おや、今日は体が動く。昨日までの夢で感じた、重苦しい空気がない。
扉が開く音がして、僕は振り返る。人だ、何故か足元しか見えない。
「気をつけて」
優しい声だった。耳によく馴染む、暖かな声。その声で僕は────目を覚ます。
「……喜君」
「んー? 起こしたか、ユースケ」
朝、チャーハンの残りを皿に詰め込む喜君の背に、僕は声をかける。時刻は朝五時、着込んだジャージからしてランニングだろう。音を立てないように気をつけてくれたのだろうが、あいにく僕は寝れていない。
「僕に……憑いてるっぽい……」
喜君は口を開けたまま凍りつき、手からヘラを取り落とした。硬直すること二秒、三秒。彼は小さく「そっか……」と呟いた。
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