5-4 バカと悪夢と霊園の怪



「流石山の中だなー」

「やっぱり夜に来ると不気味だね……」


 日も暮れ、時刻はすでに夜の八時半を超えている。僕は自宅アパートから徒歩五分、御霊みたま市北西に位置する裏山へ訪れていた。僕と喜君が持つ懐中電灯二本の明かりだけが頼り、悪い足場を慎重に進む。肩から下げたスポーツバッグの紐をしっかり握った。


 のりとさんからアパートへ到着したという連絡が来たあと、僕はよし君の走らせる自転車にくっついてこの山へやってきた。三人の家からこの山まで、バスで移動するくらいの距離はあるのだが……しかも僕とスポーツバッグを後ろに乗せて。改めて彼の体力は凄まじい。


 道は整備されているが、それも最低限のもの。足場はかなり悪い。茂った草が横から突き出し、好き放題伸びた木の根が足を引っ掛けようと地面から飛び出している。見上げたところで夜空は見えず、木々の枝葉が蓋をする。

 喜君が拾った枝を振って道を確保、僕は恐る恐る彼に続いた。最近は晴れが続いているものの、季節は梅雨頃。かえるの合唱が響き渡る。足元を雨蛙が飛んでいき、小さな声が出た。


「お、見えてきた」

「わぁ……」


 開けた視界、真っ先に視界に飛び込むのは四角い影。薄汚れた墓石が出迎える。花立てに刺さるのは枯れて茶色くなった元植物。ボランティアで掃除に来たのは半年前か。そこからほとんど放置らしい。


 お墓は死者の帰る場所、幽霊なんてものを見てきた僕からしたら、その考えは同意しかねる。生前にお墓へ思い入れがある人なんているだろうか? 人は思い入れのある場所、未練を残した場所にすがる。

 墓というのは残された人が死者を思う際のシンボルにしかすぎない。墓じまいという言葉もよく聞くようになった今、人々は死者にすがることも少ないのだろうか。


「どこだろうな……よーし」


 見たわず限り墓、墓、墓。刻まれた名前も掠れて読めない。喜君はすぐさまスマートフォンを取り出した。


「左! 場所は!?」

『そろそろかと思ってましたよ。今入り口ですね? そのまま真っすぐ三ブロック。それから右に八ブロック、そこの左奥に──』


 左吉さきちさんの案内に従い奥へ進む。欠けた石段の破片やコンクリートを突き破る草に遮られながら、目当ての墓を探

した。二十二年前の事件を引き起こした張本人、前野まえの智則とものりが死んだ場所。指示の場所はもうすぐだ。ブロック同士がぶつかる交差点、少しスペースがあるそこで喜君は肩をぴくりと揺らした。


「……っ! ユースケ! 止まれ!!」

「えっ!?」


 喜君が叫び、僕の行く手を遮るように手を広げる。眼の前が暗い。それは明かりが少ないせいだけではない。何かいる・・・・

 その時響いた着信音、喜君がすぐさまスマートフォンを取り出した。


「おう! ノリボシ! やったか!?」

『オレの名前はのりと暁星あけぼしだ!! こっちは終わらせた!!』


 お決まりのやり取り、喜君は笑って地面を踏みしめ、腰を落とす。


「りょーっかい! やるぞユースケ!!」

「あっ、うん!!」


 僕に向かって投げられたスマートフォンと懐中電灯、落とさないように慌てて受け取り、通話を切る。懐中電灯の明かりを消し、画面がすでにぼろぼろなスマートフォンと共にスポーツバッグへねじ込み、僕は一歩引いた。

 風がうなる。夏の訪れを感じる生暖かい風。あのキャンプ場のときみたいな頭痛はない。目を凝らす。


 暗がりのような黒いもや。懐中電灯で照らしたとて視界は暗いまま。生唾を飲む。それは少しずつ濃度を増し、ひとつの形を取る。喜君がじりじりと近づいた。靄の佇む位置は左吉さんに指示された場所。犯人の死んだ場所。

 靄は頭を、背中を、脚を象る。うなだれ頭を抱えた人影をとる。顔を手で覆うような体制。微かに耳へ届いた声。かすれたような、引っ掻くような弱々しいそれは、僕の耳に届く。苦悶の叫びか怨嗟の声か、それを振り払い僕は奴から少しずれた位置へ視線を送る。


 僕は怪異祓いなんてできないし、力もない。でもこんな僕が足手まといにならない方法はある。息を吸って、吐く。落ち着け、早鐘を打つ心臓を抑え込んだ。

 人の形をとった靄は頭部をゆっくり回した。押さえていた手のひらから顔があらわになる。真っ黒、クレヨンで塗り潰したような顔面に、深い闇の眼孔がふたつ。一切の光なく、一切の感情なく。その目は白木しらきさんの怪異を思い出す。

 ああ、あれがこの世の人ならざるものの目なのだ。その目と僕の視線が交差した。


「ビビんなよ! ユースケ!!」

「うん!!」


 怖がれば、それを態度に出せば、向こうもそれを察知する。向こうに認識されている・・・・・・・と知られたら終わりだ。怖がって、震えることも許されない。目があったのなら、目を離すな。目を離すという不自然な行為を許すな。僕はスポーツバッグをまるごと抱きしめ、両足を叱咤した。


 靄──前野智則はゆっくりこちらへ近づいてきた。迫る靄、その視界の端で喜君が動く。

 踏みしめた足、腰を落とし、上体をひねる。放たれたのは力いっぱい、腰の入った拳。それは靄の中央部──人体でいう鳩尾みぞおちを貫いた。


「もいっぱつ行くぞ!!」


 そう宣言し二撃目に移る。繰り出した右腕を引き戻し瞬きの刹那、脳天から穿つかのように、真下へ拳が繰り出された。頭の天辺から胸のあたりまで、裂けるように分断される。


「流石実像じつぞう型……! かてーな!」


 分散した靄が喜君の手を捉えようとうごめいた。彼は左手でそれを散らし、振り上げた脚で地面を打ち鳴らす。いよいよ靄は人の形を保たなくなった。

 飛び散った靄、喜君は短く切り込むように呼吸。足元の土や草ごと撒き散らす勢いで放たれた蹴り。地面に凄まじい軌跡を刻む。踏み締めた脚、それは靄を確かに捉えていた。


「まだ実態保ててんじゃねーか!!」


 頭部を掴み、持ち上げ投げる。落下地点、そこに向かって打ち込む肘。すっと鋭く息を吸う音。揺らいだ怪異の体、首に向かって叩き込む腕。俗に言うラリアット。

 怪異の体が吹き飛び、ブロックの境目、通路部分に倒れ込む。喜君はあたりを見回し、「うしっ!」と一言。それから助走をつけ、跳躍。

 いくら助走をつけてジャンプしたからとはいえ、人の足にバネはついていない。身長が高いほど高く飛べているが、あれは元々の高さがあるからであって、純粋なジャンプ力というものは、皆一定のラインをうろうろしていると僕は考える。


 だから僕は目の前の光景が信じられなかった。二メートルほどの助走を付けて地面を蹴った喜君の体。それは軽く一メートルを超えた高さへ至った。蹴り上げる瞬間、元々劣化しきっていたコンクリートが音を立てて割れる。破片を散らしながら、彼は飛んだ・・・

 舞い上がった体は空中で体をひねる。両足を伸ばし、ほぼ真っすぐに、落下。あれは、あの体制は!


 膝を曲げてクッションにすることもない、ほぼ百パーセントの一撃。それは怪異を貫き地面を叩いた。喜君の繰り出した────見事なダイビング・フット・スタンプ!!



「あ、が、え、がが、ぅあ……」



 怪異の苦悶の声が響く。喜君はその場から足を離し、怪異を見下ろした。靄が剥がれる。中から血の気を無くし土色をした皮膚が現れた。暗い眼孔、それが僕と交差する。


「あい、してた、あいしてた、んだ、私は、あの子と、あの子っ、あの、あの子も、あいして」


 弁解するように、訴えかけるように、彼は、前野智則は言う。喜君がしゃがみ込み、その頭を掴もうとする。その時だった、分断された下半身、頭部から剥がれた靄が集まる。それは鋭く、真っすぐに喜君を狙った。


 考えるより先に、体が動く。スポーツバッグから中身を取り出し、不要なガワを明かりがついたままの懐中電灯と共に地面へ投げ出した。取り出したのは、平安時代の人物画などで見かけるしゃくに似たもの。表面には札のようなものが無数に貼られている。


 ──これ持って行っとけ。オレの霊感でビビるから近寄られることはねェ。

 ──最悪夕善ゆうぜんのバカが油断してたら手ェ貸してやれ。



「愛だなんて……! 気軽に! 言わないで!! くださいッ!!」



 喜君に接近した靄へ、笏を振り下ろす。切断されるように消し飛んだ。

 祝さんからお守り代わりと渡された笏……のようなもの。あの人が武器として使う棒と同じように、彼の霊感が込められているらしい。怪異を捉え打ち払い、退ける力。僕は震える体に言うことを聞かせる。


「あなたのせいで……! ひとりの女性が恐怖に怯えて殺された!! 相手が嫌がることもわかってないのに……愛してたなんて言うんじゃっ、ありません!!」

「ユースケ……」


 驚いた顔をする喜君を置いて、二撃目。もう夢中だった。身勝手な理由で人を殺めて、残された者が納得できない罰を受けて、挙げ句に自殺して、被害者が還るはずだった土地にしがみつく。



「お還り、くださぁいッ!!」



 全力の殴打、その直後笏越しに感じる手応えが完全に消えた。肩で息をしながら目を開く。靄は完全に消え去っていた。


「ユースケ……お前、やっぱりすげーよ」


 喜君が僕を見上げて笑う。屈託のない、子供のような笑顔で。


「帰るか!」

「う……うん……!」


 どっと疲れた、僕は地面にへたり込む。それから喜君と共に笑うのだった。






 ──────





「ただいまー!」

「ただいま戻りました……」

「おうお帰り」

「……あぁ」


 喜君達の家に戻った僕らを出迎えるのは、風呂上がりの湯気を纏う祝さんと、ソファの上で伸びた透山とおやま君。


「サキどしたんだ?」

「半端に寝たからねみぃ……」

「あそっか」


 そんな会話をしながら喜君は、真っすぐ冷蔵庫へ向かって食べるものを探していた。家の明かりとテレビの音声にほっとする。僕はスポーツバッグを下ろした。


「みんな……本当に、ありがとう。明日の朝には、家に戻ります」


 そう言って、深く頭を下げる。僕を助けてくれて、何日も家に置いてくれて、感謝しかない。


「このお礼は必ず──いて」

「ンなことすんな」


 べちん、と頭を叩かれた。痛みはない。顔を上げれば祝さんがぶすっとした顔で見下ろしていた。その奥からチーズを咥えた喜君もすっ飛んでくる。


「いーんだよユースケ! ダチ助けるならなんだってするぜ! というか、結局祓ったのはユースケだしな!」

「……はァ!? テメェは何してたんだよバカ夕善!」

「おれもちゃんとしたっての!」


 僕を放り出して言い合いを始めた喜君と祝さん。一気に肩の力が抜ける。そんな僕の肩に透山君の手が触れた。


結城ゆうき、おそらく明日は一日つきあわされるぞ」

「えっ、ええ!?」


 そんな忠告の直後、祝さんのヘッドロックを躱した喜君がよし! と拳を上げた。


「明日のユースケ帰っちまうから、一日色んなとこ回るぞ!! ひとまず今夜、全員リビングで寝ようぜ!!」

「えっ、あ!? 晩!?」


 僕はさっき朝と言わなかったか!?


「ッざけんなこのバカ!! オレァ今夜見てェ映画が……!」

「じゃあみんなでその映画も見よう! ポップコーンまだあったよな!?」

「テメェがいると集中できねェんだよ! オイ! 聞いてんのかクソバカ!!」


 鼻歌交じりに祝さんの拳を躱す喜君は、僕と目が合うとにっこり笑った。透山君のため息、響く怒声とのんきな鼻歌。

 彼らには敵わない。僕はまた笑った。


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