第22話 サイン会、その前に?

「勉強熱心ですね? 来週のサイン会に向けて、ですか」


 自身のインタビュー記事を読んでいたら背後から大輝に声をかけられた。


「ああ……まぁ、自分が過去に答えたことを復習しておくのは大事だから。もしも何かしら質問を受けたときに、回答に矛盾が生じないようにね」

「矛盾、生じちゃダメですかね? 人間の考え方なんて、時間とともにどんどん移り変わるものだと思っていますが。――そのこと、先生が一番よく分かっていらっしゃるんじゃないですか?」

「どうして?」

「だって先生、すっごく変わりましたもん」


 大輝は全く澄んだ目で微笑み、そう言うのだった。


「……私、そんなに」

「ええ、変わりました。大学卒業後、先生がどんな人生を歩んできたのか、僕にはわかりませんが」

「……そう。あ、そういえば、大輝は明日のサイン会も来るんでしょ?」


 これ以上この話題を続けると、マジでぼろが出ると思ったのだ。


「いやそれがですね。本当に申し訳ないのですが、ちょっと別の企画で立て込んでおりまして」

「あぁ、みやこ先生のね。オカルトミステリーだっけ」

「おっしゃるとおり」

「すごいなぁ、私が全然書けないタイプのジャンルだ。――ところで大輝ってさ、今まで当然のように接してきたけれど、次から次へと有名どころの作家のプロジェクトに関わってるの、めちゃくちゃすごくない?」

「僕がというより、作家先生が皆さんすごいってだけなんですけどね。手前味噌ながら、弊社は業界No.1なので、そういう方々との関係性もしっかり構築できていたりしますし」


 家ではかなりおっとりとした様子しか見せない大輝が、ことごとく大物作家(私が大物作家であるかどうかは置いておいて)の絡む企画を無難に成功させているの、なんだか不思議なのである。――そう、今や大輝は、私だけの大輝ではない。彼と「仕事仲間」であるということは、つまり、そういうことなのである。自分にとって今回のサイン会は初めての試みで、実際「中村遥香」としても実に五年ぶりだという。そんなビッグイベントの日ですら、大輝は私を優先してはくれない。そしてそれが当然のこと、正しいことなのである。







 それから数日。朝起きると大輝がすでに出社していて、私は彼の作り残していったパニーニを食べながら、何となく原稿に取り掛かる。――そうだ、昨日はこの間書いたシーンの第二稿が戻される日だったはずだ。そう思い立ち、メールを開くが、まだ送付された形跡がない。おかしいな、忘れている? 原稿の戻しは大輝の上司にあたる編集者・朝倉さんから送られてくるはずだ。彼がメールを見落としたり、約束の書類を忘れたことは一度たりともない、と、大輝からいつも聞いていたのだが。



【○○社編集部 朝倉様

平素よりお世話になっております。中村です。


『私の明日はあの人のもの』の第三稿について、昨日戻しをいただけると伺っていたかと思いますが、その後いかがでしょうか。こちらとしては急ぎというわけではありませんが、念のため連絡差し上げた次第です(もしもすでに送付いただいていたら申し訳ありません、こちらでももう一度確認してみますのでその旨お知らせください)。


お手数おかけしますが、御確認のほどよろしくお願いいたします。


中村遥香 拝】


 ビジネスメールはとても苦手である。ある程度テンプレは決まっていると思うのだが、そのテンプレをそのまま当てはめると、どうも冷たい印象になったり、怒っていると勘違いされるような気がしてならない。特に今回のようなリマインドメール。誤解を恐れて、語頭や語尾にいろいろと装飾をつけてしまうと、今度はなんだか読みにくい文章ができあがってしまうのだ。読みにくいビジネスメールほど迷惑なものはない。そして残念ながら、私のビジネスメールは読みにくい。


「悩むんなら、こんなことじゃなくて本文で悩めってんだよなぁ」


 メール一本でうんうん言っているくせに、私は物語を書くときにはあまり筆を止めない。執筆は比較的早い方なのだが、その代わり、あまりその質は保証されていない。私が「共学出身、田辺先輩と交際し、作家となる」人生を歩み始める前までは、とにかく締め切りを守らないことで知られていたという。――私は決して、作家としての才能に満ち溢れているわけではないから、やはり、時間と質がどうしてもトレードオフになってしまうのだろう。でも、時間さえかければ良い作品が生み出せる分、それまでの「中村遥香」の方がよほどマシである。

 そうはいっても、今日の執筆はかなり好調だった。――やはり、多少なりとも「中村遥香」としての人生を追うことは、執筆の役に立つみたいだ。彼女中村遥香が忌み嫌うモラハラ気質の男性が、いったいどういうものなのか。この世界における田辺先輩の言動を多少なりとも反映させることで、最近は原稿の戻し回数が減っているような気がする。筆がノリに乗っているときの執筆は天国だ。その日の私は、お昼を食べる事すら忘れて、気づいたら夕方の六時ごろまでぶっ通しで物語を紡ぎ続けていたのだった。


「いけない、メール確認しなきゃ」


 通知の溜まったメールボックスを開く。――朝倉さんからの返信が来ていたが、つい先ほど届いたもののようだった。


【中村様

お世話になっております、朝倉です。

第二稿戻しの件、大変お待たせしており恐れ入りますが、今しばらくお待ちいただけますと幸いです。

取り急ぎ、連絡まで

朝倉 拝】


 予想以上のシンプルなメールに驚くとともに、「あ、なんか立て込んでたんだな」と察する。これはあまり頻繁にせっつくよりは、当面放置した方がよさそうだ。

 かなり長い間書き続けていたし、ここらで一度休むか、と、スマホを手に取った瞬間、大音量で着信が鳴る。なるべくメールかチャットで用を済ませがちな大輝が電話をかけてくるなんて珍しいな、と思いつつ、私は電話に出た。


「……すみません、先生ですか? 定時になったので今から帰ります。それまでに、Twitte○でご自身の名前をエゴサしておいてください」


 大輝の少しだけ怒ったような声色だけで、なんとなく用件を察した。







「『週刊誌には注意』って言った僕が甘かったです、今の世の中、誰もが有名人のスクープを狙う存在だって思っておいた方が良い」


 大輝がプンスカしているのは、某SNSに私と田辺先輩のデート(?)をしている様子の写真がアップされたからである。


≪中村遥香、男と歩いてた。めっちゃイケメンをこき使う感じ、一周回って推せる。彼氏かな? 結局、顔がそこそこに良くて、学のある女が優勝≫


 そんな言葉と共に、私と田辺先輩がアウトレットパークで買い物をする様子をキャプチャした写真が投稿されていた。


「しかもこの方、元婚約者の方ですよね。以前、ひどい目に遭わされたって伺ってますけど、いったいどういう……」

「えー、男性と二人で外歩いたらダメなの? それを言ったら、大輝と私が一緒に夕飯の買い物に行ったりするのはOK? それともNG?」

「それは、……万が一撮られても『仕事の関係』で済みますけれど」

「『元婚約者』はまずいってこと? でも私、別にアイドルじゃないしさぁ」

「そうですけど、仮にも注目されている方なんで! それに、元婚約者のモラハラの話は過去のインタビューでも回答されています、それなのにそんな人と復縁なんてしたら……ネタとしてさすがに美味しすぎます」

「あー、それは言えてるわ。どう? 上司はなんて」

「それはもう、結構な騒ぎになってましたよ」

「ふぅん、もしかして今後の仕事に影響が?」

「それは……いや、まぁ、朝倉さんなんてのんきなもんですから、どちらかというとサイン会の前に話題ができたって喜んでいましたけれど」


 大輝のトーンが一気に下がって、私はちょっと笑ってしまった。なんだ、言うほど問題になってないじゃん。あれだな、朝倉さんのメールの返信が遅かったり、第二稿戻しが遅くなったのは、多少はSNSの件が絡んでいたものの、尻ぬぐい対応というよりは、メディア対応とか、今回の投稿をどう上手く盛り上げに使うかといったところに労力を割かれていたのだろうな、と想像する。


「大輝、そういうときは素直に『心配です』って言った方がいいよ」


 そう助言すると、彼はキッチンに逃げ込んでしまった。今日の夕食は、ミートソーススパゲッティだった。うめー!







 サイン会当日。事前に整理券を配っていたとはいえ、会場はそれなりに大盛況だった。私のドラマ化した本を持ってきてくれた人々が順に並んで、サインを待ってくれるのだ。


「ありがとうございます! 先生の作品を読むと、いつも元気になれます」

「こちらこそ、ありがとうございます!」


「サインうれしいです! 大好きな先生に本当に会えるなんて……」

「泣くことあります?」


「おーっ、琴音! 来てくれたんだ」

「え、先生今私の名前……」

「……間違えました、知人の『琴音』って名前の子に激似だったもので。同じお名前なんです?」


「夜寝る前に先生の作品を読むと、いつもより睡眠の質が良いんです」

「褒めてます? それ」


 サインを書きながら、ファン一人一人と短い言葉を交わす。顔も知らない、赤の他人と交わることに恐れを抱いていたけれど、基本的には皆私のことが好きでやってきてくれる人たちだ、とても好意的な言葉に少し感動してしまった。普通に生きていると、こんなにも「好きだ」と言われることなんて、そうそう無いからさ。中には色目を使ってくる人も居たりして辟易したけれど、心の中で「でも本来私既婚者だからな」と唱えればそれなりにすぱっと躱すことができた。 


「……」


 四、五十代くらいの男性だろうか。私の作品のファンとしてはちょっと珍しい類だが、なにせ若かりし頃はアイドル作家として売り出そうとしていたくらいだから、いないことはない。

 ただ、ちょっと異様に感じたのは彼の眼の色……というと比喩的だが、目つきだとか、視線だとか、そういったものが普通のファンとは違うような気がしたのだった。彼は何も言わず、私のことを見つめていた。


「あ、文庫でも何でも……本をお渡しいただければ?」


 私はマジックペンを持った右手で、サインを書くそぶりを見せた。――その瞬間、彼は私の目の前の机に、複数枚の写真をざっと広げた。それは、インターネットや雑誌等に掲載されたものがほとんどだった。その中に、先日SNSに投稿された、私と田辺先輩のツーショットも交じっていた。


「ようやく会えたと思っていたのに。……俺が、あんたを守ってやるって言ったのに、どういうことだ?」


 周囲の人間の悲鳴やうるさい足音に気づき、私は顔を上げた。異様な雰囲気を放つ彼の手には、刃物が握られていた。

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