第18話 メディアミックス、待たれる



 帰宅後、大輝は部屋のソファの上でひっくり返ってすやすやと寝息を立てていた。電気もつけっぱなしで、布団も着ずに寝っ転がっている姿を見るのは、かなり久しぶりなような気がする。――薄々気づいていたことであるが、仮に大輝が独身でいる場合、彼は結構ズボラな生活を送りがちだ、ということがよく分かる。


「ただいま戻りました」


 家主に対するせめてもの気遣いで小さく声をかけると、寝ぼけ眼で反応する。


「おかえりなさい、先生」

「先生ってのやめてよ」


 美玖にしても大輝にしても、マジで先生呼びは慣れないからやめてほしいのだが、これが礼儀というのなら仕方がないのか?


「おいしいもの、食べられましたか」

「ええ、なんとか」

「なんとか?」

「いえ、こっちの話」


 最後は慌ただしかったな、今度もうちょっとゆっくりと食べたいな、なんて思いながら今日のご馳走を思い出したのだ。


「フランス料理でしたっけ。僕、もう何年も食べてないかもです」

「へぇ! じゃあ今度一緒に行こうよ、今日のお店は結構おすすめかも。高いけど」

「うーん、よほどいいことがあったときじゃないと勇気がでませんねぇ。それこそ勤続二十周年記念とか、昇進したときとか」


 慎ましい男……今の私の貯金なら、こいつを無理やり連れだして、おしゃれなフレンチや、超人気高級イタリアンの一つや二つ、連れて行っておごってあげることくらい、なんの抵抗もない。


「楽しかったですか、お食事」

「もちろん」

「高級レストランって、テンション上がりますもんね。会話もどんどんはずむっていうか。そうですね、お仕事の話も然り、プライベートや趣味の話も然り……」


 大輝が訊きたいことは、なんとなく分かる。――「誰と行ったの?」「誰とどんな話をしたの?」。大輝は慎ましいが、決してプライドの低い人間ではないため、こういったことを素直に聞き出せない面がある。結婚生活を送っていた頃、私は彼のそういった感情を察して(もちろんこちらにも疚しい部分はないので)、友人や職場の同僚との飲み会があったときは彼の気が済むであろう範囲まで、余すことなく5W1Hを語ってあげたものだった。


「あのね、実は小学校時代の友人カップルと集まってたの。三人でね。まぁ、その場で別れ話が始まってこちとら、どうしようっておろおろするしかなかったわ!」


 田辺先輩の名前を出す必要はないと判断し、私は九割嘘、一割本当みたいなエピソードを語った。――私には、苦手な嘘と、得意な嘘がある。YESかNOかで答えさせる質問に対して虚偽の答えを出し、それを相手に信じ込ませるのは難しい。しかし、ありもしないエピソードをあたかも本当にあったかのように作り出し、さほど矛盾の無い様に語ることはとても得意なのだ。それは、長年にわたって物語を作ることを趣味としていたから、というのもある。しかしそれ以上に、友人にウケるエピソードトークをするために、事実をちょっと盛って語ったり、友人との寄り道で学校からの帰りが遅くなった際、親に怒られるのを回避するために、学校で友人に物理を教えていただとか、委員会の用事で先輩に呼び出されていただとか、そういう正当な言い訳を話すために具体的な出来事を時系列で編み出すことに慣れているからである。往々にして私は周囲の人間から「遥香は性格がいいから」「遥香は嘘のつけない性格でしょ」なんて知ったかのように言われることがあるが、こういうタイプの嘘を息を吐くかのようについてしまう癖があることを、彼女たちはちゃんと分かった上で発言しているのだろうか、なんて不思議に思うことがある。


「……それでさ、結局その友人の彼氏さんはさ、将来的に海外に行くことを隠して付き合ってたんだって」


 美玖に聞かされたエピソードをそっくりそのまましゃべっても良かったのだが、それはなんだか気が引けたのだ。


「ひどい話だと思わない? ってかさぁ、不毛だと思わなかったのかな? 結婚できないことが分かっている、つまりいずれさよならすることが分かっているのに付き合うだなんて悲しいだけで何にもならない――」

「そうすると、先生的には実らなかった恋は無意味、ということになるのでしょうか」


 ふいに割って入った大輝は、少し微笑んでいたけれど、その姿がとても寂しそうだった。そんな彼の表情を見て初めて、彼を傷つけてしまったことに気が付いた。そうだ、少なくともこの世界において大輝は一度大きな失恋をしている。相手はもちろん、田辺先輩を選んで大輝を振った私だ。


「先生は、思い出を作りたいとか、そういうお気持ちは……あんまりピンとこられないですか」

「……そういうことじゃないよ」


 私は大輝の顔を見つめた。


「普通、別れたいと思いながら付き合い始める人なんていない。できることならずっと一緒に居たいと願い続けながら相手と向き合うのが普通の誠実な恋愛じゃん、ただそれだけのことだよ」


 小さな祈りを込める。







 翌日は、午後からメディア対応があった。というのも、私が過去に執筆した(ということになっている)青春恋愛小説がどうやら連続ドラマ化されるらしく、その関係でインタビューを受けるのだという。小説家人生を歩むにあたって、一応自作品は全部読んでいるものの、今日のメディア対応の話を三日ほど前に受けた私はあわてて当該作品を読み返し、さらにはPCに残されていたプロットや、編集部とのメールを漁った。私は、私の書いた作品について一番よく知っていなければならない。

 しかし、自身の書いた物語を連ドラ化されるなんて、どんなに幸せな気持ちだろうか。私はぼんやりと思いを馳せた。今回ドラマ化された物語は、残念ながら今の私自身は一切ノータッチであるため、その誇らしさはおあずけ。――しかしもし、今後私の携わった作品が世に出て(それだけでも飛び上がるほど嬉しいことではあるが)、それがメディアミックスされるだなんてことがあったら、私はちゃんと正気を保つことができるだろうか。

 芸能人を生で見る機会は案外少ないもので、朝の情報番組で今年から見るようになった新人アナウンサーを間近で見た私は、あまりの輝きに気圧されそうだった。こっちだってもちろん、プロにヘアセットやメイクをしてもらって、私なりに万全の状態なのだけれど、さすがに顔の小ささからスタイルの良さといい、細かいパーツの整い具合といい、別の生き物感がすごいよなって思う。


「『可愛すぎる小説家』としてデビューされてから七年ですが……」


 そんな彼女が口にする『可愛すぎる』という言葉の薄っぺらさよ。お前絶対そんなこと思ってないだろ! 私は内心毒づきながら、彼女の質問に耳を傾ける、ふりをした。というのも、元々話すのが苦手な私は、予め質問内容を聞いておいて、こちらで想定問答集を作る準備期間をもらったのだ。そうすることにより、不用意な炎上や、無用な沈黙を避けたかった。回答案は大輝にも添削してもらった。「なんだかちょっと今までの中村先生っぽくないですけれど、変なことは言っていないし、意外性があって良いかもしれません」とのこと。今までの中村先生っぽくないって何? 怖いんだが。

 青春小説を書き始めたきっかけ。七年もの間、フレッシュな恋愛小説を書き続けることができる秘訣。今回ドラマ化する小説で伝えたかったメッセージは? 主演を務める新人女優へのメッセージをお願いします。それらの質問に、私は台本通り、テンポよく答えていった。

 最後の質問まで回答が終わり、ようやく解放される! と思ったそのときだった。


「すみません、最後にもう一つだけ」


 アナウンサーがちょっとだけ申し訳なさそうな顔をして、私を呼び止めたのだった。


「え?」

「今回、中村先生の作品で初の実写ドラマ化と伺っております。――今までの中村先生は、メディアミックスに対して少し否定的だった、という話も聞いておりました。しかし、今回のドラマ化に際して、どのようなご心境の変化があったのでしょうか」


 ああ、このパターンね。私は、目の前の彼女の、勝ち誇ったというか、やってやった! という表情を見て確信した。別に彼女は私のことを困らせたくて予定外の質問をしたわけではない。明らかに見た目も若さも自分より劣るしがない作家に嫉妬する理由もないだろう。彼女は単に、「取材対象が困ってしまうような鋭い質問を繰り出す、尖っていて有能な自分」をアピールしたいのだ。しかしそんな彼女の思惑とは裏腹に、局の偉い人(誰)は彼女の自分勝手な行動に呆れている様子だったし、私のことを見守っていた大輝も、とても難しそうな表情をしていた。


「あ~、そうですねぇ。そうですかぁ」


 まあ実際私はちょっぴり困ってしまったわけで。――私自身はメディアミックスにめちゃくちゃ肯定的なのだ。自身の書いた物語が映画化・ドラマ化・漫画化することを夢にまで見ていたわけだし、好きな小説がドラマ化すると聞けば秒で録画予約するようなタイプ。人気のある作品のメディアミックスは、常に賛否両論だということは、長年オタクをやっていれば知っている。「原作の世界観を壊すな」派と「いろんな層に作品を知ってもらういい機会、嫌なら見るな!」派は常に論争を繰り広げている。


「……正直、そんなにメディアミックスが嫌だった記憶もないんですけれど」


 あいにく、YESかNOかの嘘は苦手なので。


「まあシンプルに、やっと多くの皆様にある程度自信をもってお見せできるものが書けるようになってきた、ということでしょうかねぇ」

「一般にメディアミックスは原作の世界観を十分に反映しきることができていない、という批判をされることが多いですが、その辺り先生はどのようにお考えですか?」


 大輝が何やら局の人に文句を言っている様子が目に入る。――彼のあんな姿、初めて見た。いや、元々二年に一回くらいは本気を出す子だなとは思っていたけれどさ。局の人は大輝に頭を下げ、インタビューを中断させるために割り入ろうとする。


「いやぁ、それこそが面白いんですよ、作者的には」


 私はひらりと片手を振り、アナウンサーの女性に少し顔を近づけた。


「もちろん、自分が作品を執筆するときは世界観だとか、メッセージ性だとか、いろんなことを大切に、大切にしながら書いております。でも、他人がそれを読んだときに、自分の意図がそっくりそのまま伝わることって、まず無いんですよ」

「ああ……皆さん、バックグラウンドや価値観が違いますからね」

「そうなんです。――ここで例えば、今回私の作品をドラマ化するよってなったとき、そこには何十人、いや、百人単位の人間がかかわることになりますよね。脚本家の方、役者の方、それに照明さんや音響担当の方……多種多様な方が、多種多様な読み方で私の作品に関わってくれる。それ自体がとても尊いことだなって思うんですけれど、そういういろんな価値観を合わせて作られた作品が、いったいどんなものになるんだろうって……それはそれで、新しい作品を待つときみたいにワクワクしないですか?」


 自分の作品がドラマ化するにあたって、世間の反応をSNS上で調べたりもした。喜ぶ声。アイドル売りの作家の作品には興味ないよ、とわざわざ豪語する声。それらに紛れて、「せっかく大好きな小説だったのに、イメージを破壊しないでほしい」「そもそもメディアミックス自体、悪」「実写化は悲劇しか呼ばない」「作者が可哀そう」という声があった。今回のドラマ化は、そういう方々には本当に申し訳ないことをしたな、と思う。しかし少なくとも、私はそんなに嫌な思いはしていないよ、と安心させたかったのだ。





 結局、不意打ちの質問とその回答は番組で放送されることはなかった。収録後、私はテレビ局の人から結構しっかり目の謝罪をされたし(大げさだとは思うけれど、ここで私がへそを曲げてドラマの制作許可を取り消す、などと言い出したら困るからだろう)、大輝も「中村先生を詰めて、あのアナウンサーの方は何がしたかったのでしょう?」とぷりぷり怒っていたけれど、どちらかといえばその場で編み出した自分のメディアミックスへの想いを採用されなかったことに、ほんのり寂しさを感じていたのは、自分の心の中にだけ留めておこうと思った。――まあ、そういうこともある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る