第17話 なんで恋バナ聴かされとんねん

 勢いに任せて店を出たは良いが。……私は美玖の後ろ姿を見つけて途方に暮れた。何も、こんな最悪のタイミングで声をかけなくても。一緒に店に来ていた男と何があったんだ? いずれにせよ、男女のいざこざを女友だちに目撃されるなんて美玖のプライドが許さないだろうし(これは決して彼女、ひいては女子校出身の女性のプライドが高い、という意味ではなく、誰もが当たり前にそうだと思う)、仮に目撃したとしても放っておいてほしいと思うのが普通の感情であって――でも、よく考えてみると、今の私と美玖は決して中高同期ではなく、友人同士でもない。赤の他人なのだ。それなら逆に声をかけてもセーフなのでは? ってか、そもそも美玖との関係が壊れることを心配する必要がないのだから、なんとでも言ってみれば良いのでは? そんなことより、彼女と再会するこんなチャンスをみすみす逃してしまうことの方がよほど後悔してしまうのではないか?


「あの、すみません!」


 私は背後から大きな声をかけた。彼女が立ち止まり、振り返った。友人同士だった頃なら、彼女はどんな反応をしていただろうか。いつものように、「遥香ー!」と叫んで腕を組んできただろうか。さすがにそれはないか。


「……どうかされましたか」

「えっと、」


 なんとでも声をかけてみたは良いが、続く言葉がない。


「失礼ですが……私たち、知り合い同士でしたっけ?」


 美玖がそう言って首を傾げる。こうなったらもう、私の知名度に賭けるしかない。


「私、文筆業を営んでいるものでして」


 そう言いながら、メガネを外す。


「どこかで見たことが――あ! 琴音が好きな人だ、こないだ土曜日のお昼の番組にも出てた……えっと」

「中村遥香、と申します」

「そうだ! 中村遥香さん、じゃなくて、先生、だ。作家先生、だもんね、思い出した。あれ? こないだなんか殴られてなかったでしたっけ? ニュースになっていたような」


 突然の有名人からのコンタクトに、美玖はちょっぴり動揺している。かつて中高同期としてしょっちゅう連絡を取り合い、遊びに出かけていた関係を知っている身としては何とも言えない、切ない気持ちになるとともに、私は名刺を一枚取り出した。丸の内でバリキャリOLをやっている彼女は、慣れた手つきでそれを受け取り、「私のことはミクと呼んでください」と自己紹介をする。名字こそ名乗らなかったものの、偽名を使われなかったことになんとなく安堵した。






 元々かなり社交的なタイプの彼女は、それなりに有名な作家と出会えたことがちょっと嬉しかったのか、それなりに話が弾んだ。一緒にレストランの最寄り駅に向かいながら、私たちはのんびりと語り合った。


「すみませんね、先ほど少し大きな声を出してしまったものですから、恥ずかしい……。聞こえていたんでしょう、私が男を怒鳴りつけているの。あ、先生のワンピ、めちゃ素敵です」

「いえ、こちらこそ聞き耳を立ててしまってというかなんというか」


 美玖は大きくため息をついた。


「あ、これ全然、物語のネタ? とかにしてくれてもいいんですけれど、本当に男って何考えているかわからなくてウザいですよね! その場限りで生きすぎだろっていうか」

「どうどう。それは人によりますよ」

「……さっきの男、実は医者だったんですけれど、マッチングアプリで半年前くらいに出会って結婚前提で付き合ってたんです」


 内緒だよ、みたいなトーンで話してくるけれど、私はこの世界ではあくまで初対面の女作家である。美玖がやすやすと内緒話をしていい関係性ではない。しかしなんというか、美玖って、とっても育ちの良いお嬢さんで、だから実はかなり他人に対する警戒心みたいなものが極度に薄いタイプなのだ。

 ちなみに、マッチングアプリで出会った医者の彼氏については、それこそ半年前の付き合うか付き合わないかの頃から彼女に話を聞いていたので知っている。「医者とかそういうステータスは割とどうでもいいんだけど、鼻がデカめの顔立ちだからなんちゃらの大きさも期待できる」とクソみたいな下ネタをぶちかまされて笑ってしまったのを懐かしく思い出す。


「そんで私、文系出身なんですけれど、自分で言うのもあれですが、まあ、それなりに良い大学出てはいるんですよ。まあ、少なくともアホではないっていうか」

「知ってる。……じゃなくて、そうですか」

「ええ。でも彼、なんて言ったと思います?」

「医学部にあらず者、人間ならず、みたいな?」

「うーん、直接そう言ったわけじゃないんですけれど、根本的にはそう思ってるんだろうなぁ」


 美玖は顎に手を当てて、首を傾げた。


「彼の実家が代々続く病院で、だから、彼が将来結婚して息子をもうけたときに、病院を継がせなければならないんです。でもほら、医学部って、理系の雄みたいなところあるじゃないですか。だから、その息子には、理系の才能みたいなものが必要なんですって」

「へえ、そもそも学力ってどのくらい遺伝するんでしたっけ……」


 その場で私はスマホをタップする。50%以上遺伝すると謳うサイトもあれば、「遺伝しない」と主張する記事もあり、なんだかよくわからない。結局こういうのは元論文をあたってどういう条件下で、どういう場合にどういう結果が導かれたのかチェックしないと……なんて思うのはある程度几帳面な人間だけ。私は理系出身だが、とてもおおざっぱな性格であり、こういうガールズトークにイチイチ「論文が」、「ソースの正しさが」、「有効数字が」、「エラーバーの大きさは」なんていうものを持ち出すのはイケてないし必要もないと思っている。スマホ、暗転。


「まあ、仮に遺伝の影響は小さいにしても、子どもの教育は母親の責任、って感じの古風な家庭なので、いずれにせよ、理系教科の教養は必要みたいです。だから、嫁をもらうときは必ず東大の理系もしくは任意の大学の医学部か国立大の薬学部を出ている女っていうふうに代々決まっているんですって」

「じゃあ私ギリセーフだ」

「は?」

「……すんません」


 美玖はため息をついた。


「まあ、各ご家庭には各ご家庭のルールがおありですからね、それ自体は私も否定はしませんよ。滑稽だなとは思いますけれど。問題は、そのルールを知りながらどうして私と半年も付き合ったのか、ってところなんですよねぇ」

「美玖さんが文系出身だということも知りながら?」

「ええ。しかも、何度も何度も、受験の話や大学の話は話題に上がっていたんですよ、だから知らなかった、忘れていただなんて言わせません」

「美玖さんに結婚願望があることも知っていた?」

「もちろん。何やら複雑そうなご家庭だなってことは分かっていたので、『私があなたの家に釣り合わないようなら、三か月以内に私と別れてね』って明言しました」

「そうか。じゃあそいつクソだな!」

「クソなんですよ、本当に」


 美玖は肩をすくめる。彼女は帰国子女で、幼い頃にイギリスに四年間住んでいたことがある。そのときからの癖らしい。


「三十路の女性、それも結婚願望のある女性の半年はとても大切です。自身の市場価値の乱高下におびえながら、私は彼のことを支え、いつかは彼の横でドレスを……って、夢を見ていたのですが、努力も希望も、全部ぱぁですよ。いや、ぱぁじゃないのか。元々そんなものは無かったのか」


 ねえ、先生、彼は一体どういうつもりで私と半年を過ごしたんでしょうね? 美玖はちょっと小悪魔ぽい笑みを浮かべながら、私の顔を覗き込む。


「まあ、私は彼のことをほとんど知らないのですが」


 私は言葉を切り出す。


「普通に考えるとやはり、現実逃避なんでしょうねぇ」

「現実逃避」

「ええ。いくら婚活目的でマッチングアプリを始めたとはいっても、目の前に素敵な女性が現れて、良い感じになったらお付き合いをしたいと思うこと自体は不思議なことじゃないじゃないですか」


 女子の相談事は、一般に共感を求めているのみであり、的確な回答や解決策などは求めていないという言説がある。――しかし、美玖の場合はあまりそれが当てはまらない。彼女が私を呼びつけて愚痴や恋バナをするとき、彼女はある程度理路整然とした回答や、そうでなくとも客観的な感想を求めていることが多い。


「まあ、不誠実な話ではあるのですが、少しでも長く美玖さんと一緒に過ごしたい、だからぎりぎりまで彼のご家庭のルールを秘密にした上で、将来のことからは逃げつつお付き合いを続けていたのでしょう」

「……私、やっぱり大切にされてなかったんだな。婚活のことは言っていたのに」

「もちろん、彼が彼自身の欲望を優先してしまったことに美玖さんが腹を立てるのは当然です。同時に、男性は、この時期の女性にとっての半年という時間の重みをそこまで理解していないことがほとんどなんですよね、だから必ずしも、大切にしていないつもりもなかったのじゃないかな、と推測できますけれど……いずれにせよ、浅はかではあります」

「そうか。そうだね。つまり、彼はシンプルに向こう見ずのバカだったと」

「まあ、そういうことになってしまいます……」


 私がそういうと、美玖は爆笑した。


「作家さんと恋バナして、結論が『あいつはバカだった』は流石に面白すぎるな」

「すみません、茶化すつもりもなかったのですが……美玖さんと一緒に居たいっていう気持ち自体ははとても可愛らしいものだとは思うのですが、なんだか浅はかで迷惑なやつだなっていう感想を抱いたもので」


 私の大事な高校同期に迷惑をかけやがって、という怒りを抱きつつ、美玖ならもうちょっと誠実でしっかりと将来のことを考えられるような人と付き合うことができるだろうと思ったのだった。


「ねぇ、中村先生。――もしかして先生って、じゃないかって思いました」

「こちら側って?」

「陰キャ」

「まあ、陰キャですけれど」

「きっと世間の人はそうは思っていないですよ? なんだっけ、可愛すぎる新人小説家っていってデビューした若手青春恋愛作家なんて、学生時代に死ぬほど恋愛して、めちゃくちゃキラキラした青春送ってて……ってイメージです」

「そうだったら良かったんですけれど」


 私はあいまいな笑みを浮かべた。


「あ、あとあれじゃないですか? 先生って、女子校出身でしょう?」


 美玖の確定診断的な口調に、私は驚いてしまったのだ。


「……ち、違いますよ。普通の、公立の共学の中高出身です」


 あくまでこの世界の私は、そうではないから。


「そっかぁ、違ったか。いや、口調とか、あとちょっとした仕草とか、細かいところに私と似たような育ちを感じたんですけれど、気のせいですかね?」


 美玖が小首をかしげているのを見ながら、私は私だ、と久々に思い出すのだ。


 ――私は、有馬遥香、三十歳。女子校で腐った輝かしい青春を送り、穏やかで優しい大輝と結婚して、薬剤師として毎日を送っていた、保守的でつまらない、だけど幸せな女。そんな私は変えられない。変えるわけにはいかないんだ。

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