第19話 私はもはや、誰なんだ
私のインタビュー映像は朝の情報番組の一コマでちょっと流されただけだったけれど、SNSを見る限りそれなりに反響があったようだ。――そこで期せずして、大輝に「今までの中村先生らしくない」と言われた理由を察することになる。
「あれ? 中村遥香って『可愛すぎる~』売りの小説家だよね? こんな丸い性格だったっけ」
「ってか身体もなんかちょっと丸くなったなw」
「デビューしたての頃ってもっと尖ってなかったっけ? 部数で言えば今の方がよっぽど売れてるだろうに、なんだか腰が低くなった。これじゃあただの社会人上がりのおばちゃんじゃん」
「学生上がりだった頃は、『私の書く小説が一番! 理解できない人はついて来なくていいよ』みたいな感じだった気がするんだけれど、やっぱり厳しい世界を生きるうちにこうやって削られていくんだろうなぁ……良くも悪くも」
「正直、中村遥香のインタビュー見てがっかりしちゃった。制作陣になんであんなに媚びる必要があるの? そもそも実写化なんて簡単に受け入れるような人じゃないって思ってたのに、ひたすらスタッフに感謝、全力で協力していきますって、なんか寒い~」
「中村遥香、少し前までめっちゃ苦手だったのに、今日のインタビュー見て印象変わったかも」
「中村遥香、もしかしてこっそり結婚して子供とか居たりして? なんか、浮世離れしたウザさがいつの間にか消えてた」
「小説家もやっぱり社会人だしな。あれくらいの常識身に着けてくれてなんぼよ」
「中村遥香って、めちゃくちゃ性格悪いって言われてたけれど……全然そんなことなくない? めっちゃ謙虚じゃん!」
「中村遥香、優秀な大学出てあれだけ可愛くて(そりゃあ芸能人と比べるとかなり微妙だけど、作家なんだから充分だと思う)、性格が悪いのだけ玉に瑕、みたいな感じだったのに、あんなに大人になられてしまうと、もう誰も勝てなくないか笑」
etc.
所帯じみている、と言いたいのだろうか……。それとも、薬剤師人生を歩んで来ただけあって、私は作家・中村遥香と比べて社会に揉まれすぎているのであろうか。それにしても「こっそり結婚している」のくだりはちょっとびっくりした。美玖もそうだけれど、他人のちょっとした所作や性格から、生い立ちや人生経験を想像するのが上手な人というのは一定数居るようである。
まぁでも、大きな炎上を呼ぶことはなく、それなりにドラマの宣伝効果もあったみたいで、良かったんじゃない? と思っている。大輝も、
「最後の質問はどうなるかと思いましたけれど……中村先生もすごく適切にご回答されていたし、結局カットになっちゃいましたけれど、なんだかとっても安心しました」
と言いながらニコニコしていた。彼が私のメディア対応を心配していたのには、それなりの理由がある。――今までの私はケンカ上等、というスタンスでメディアに露出する度に強気な発言を繰り返し、一部のアンチからかなりヘイトを集めていたのだという。もちろん、話題性があるという意味では悪いことばかりではないのだが、先日の暴行事件のこともあるし、メディアミックスを控えた今、出版社さえOKであればOK、といったスタンスでもいられない。どちらかといえば守りの態勢に入っている出版社とテレビ局にとって、今の私の立ち居振る舞いは結構都合が良いらしい。
現在書下ろし中の小説の執筆に加えて、ドラマ化される小説の脚本チェック依頼が入り、てんてこ舞いの毎日である。――正直、脚本チェックの方はだいぶんおろそかになっている自覚がある。シンプルに、時間がないのよ! 一度完成している作品(しかも実質他人の)に割く暇はない、というのが私の本音。仮に原作とかなり違うものになったって良い、それはそれで、原作とは別物として楽しんでもらえれば良いのだから。
……なんて言っていたら、大輝に「さすがに仕事が適当過ぎます」と指摘され、まあ、仮にも好きな男からの指摘を無碍にするわけにもいかず、結局時間をかけざるを得ない状況になっている。
それから一か月ほど経っただろうか。大して紆余曲折もなく(というのは、私の周囲ではあまり事件が起こらなかったというだけの話である。ドラマ化にあたって、撮影現場で生じたであろう問題に、原作者である私はタッチしないスタンスを貫いた)放送は開始され、まあ、それなりの視聴率を稼いでいるというのだからなんら不満はない。とあるネットニュース記事を読んだところ、青春恋愛ものというと、今時あまり視聴率を稼げないらしい。しかし、私が書く作品は決して「爽やかな恋と青春!」といった子供騙し(あくまで記事内の表現。私自身は子供騙しと言われてしまうほどにシンプルな少女漫画のようなエンタメも大好物なのだが……)ではなく、いじめあり、事件あり、ちょっとした謎解きあり……と、それなりに刺激的な作品に仕上がっているため、視聴者を飽きさせない構成となっているという。SNSでは、#明日のあなたに恋してる #明日恋 #明日恋考察班 といったタグをつけた投稿が無数にされており、それぞれが謎解きをしたり今後の展開を予想したり、あるいは主人公への共感を示したりといった楽しみ方をしているようである。一部、原作ファンの怒りの投稿も見られるものの、俯瞰的に見れば順調、順調。
そんな状況下でじわじわと問題になっているのは、書下ろし中の小説(例の主婦と高給取り旦那のモラハラもの)の執筆がだいぶん不調なことである。当たり前だ、本当の私はドロドロ恋愛小説を執筆するのに向いていないタイプなのだから。大輝としかまともに付き合った経験がなく、しかもその交際期間になんの障害もなく、事件も起きず、「ほんならそろそろ入籍でも」みたいなノリで大輝からのプロポーズを受け、何となく結婚のゴールテープを切った私は、恋愛の美味しいところしか知らない。「主人公の心の動きにリアリティがない」「この状況下でこんなに冷静な言葉を吐く人間はいない」「これでは読者の共感を得るのは難しい」といった趣旨の修正命令がされることが増え、原稿が先に進まない。ダメ出しするなら代替案を挙げろよと思わなくもないが、それでは私が執筆したことにはならないから仕方がない。――それに本来、その部分こそが「中村遥香」が得意としていた分野なのだから、それを今の私が「書けない」なんてほざくことは許されない。
「……そろそろ、追加の取材を考えなきゃいけないのかもなぁ。時間、ねぇな」
まるで別人のように変貌した田辺先輩の、あの歪んだ表情を脳裏に思い浮かべながら、私はため息をついた。シンプルに、時間が足りないことに対するため息。田辺先輩と会うこと自体はそこまで嫌ではないのだ。今までの自分の人生の中に現れなかったタイプの人間を観察するのはとても面白い。そして、元の人生ではその片鱗すら見せなかった性格の悪さを、思う存分にさらけ出してしまう先輩の姿は興味深いというのもそうだが――おそらく私は、心のどこかで「この人生は、私のものじゃないし」と思っているのだろう。田辺先輩にどんな暴言を吐かれても、今の人生を仮住まいのように思っている私にはまったく響かないのである。響かないからこそ苦痛ではないのだが、その分、取材の意味は半減しているとはいえる。あのフレンチレストランでのデート以降も、私は定期的に彼とコンタクトを取っていた。彼はいつもつれない態度で、LIN○もそっけなく、会えば言葉は乱暴だったが、決して私から離れようとはしなかった。なんなら、半分くらいは彼の方から連絡を取ってきたり、会うことを提案してきたりしたものだ。彼は、私のことが嫌いなのか、好きなのか。私にはちょっと理解しがたい。
土日は休む、と決めていた執筆活動。忙しくなった今も、基本的にはそのスタンスを崩さないつもりでいたが、ゆっくりと取材タイムをいただくとなると話は別だ。本日土曜日、田辺先輩との約束を取り付けた私は、例によっておしゃれな服を身にまとい、髪の毛を巻く……のは自分ではうまくできないので、ビジューのたくさんついたピンクのバレッタで髪の毛をハーフアップにまとめる。――そういえば、先日のテレビ出演をきっかけに、SNSで太ったと言われたな。この世界に来る前、つまり棚ぼた垢抜け前の私と比べれば、今ですら大幅に痩せているというのに、「世間様の声」とやらはなんて厳しいのだろう。自分からすれば十分に可愛らしい、現在の私の顔。最後の仕上げに桜色のリップを塗り、鏡をのぞき込んで「お前も大変だなぁ」なんてうっかり口に出してしまう。
「いやいや、僕なんて全く大変じゃないですよ。やっぱり、実際に作品を執筆している先生に比べれば、僕の仕事なんて基本的には事務と調整の繰り返しでしかないので」
私の独り言を自身に対するねぎらいの言葉として誤って受け取った大輝が、機嫌よさそうに洗濯物を干している。特別に良いことがあったわけではない。ただ、彼はデフォルトでなぜか機嫌の良い人間だというだけの話である。
「仕事の大変さって、まさにそこにあるのでは? 大輝がいないと私が書いた作品はネットの海にタダで流れるだけだし、ドラマ化もされなかった」
「そう言っていただけると報われます」
ベランダの鍵を閉めながら、彼はそう呟いた。
「……そういえば先生は今日、ご予定があるようですね。この後何か召し上がるのなら、朝食は少なめの方がよろしいですかね?」
「ううん、大輝の朝食、食べたい。昼を軽くすればいいだけのことだから」
「承知しました。コーヒーも入れますね」
「ねえ、土日だけでも先生呼びと敬語、やめない?」
狭いキッチンに向かう大輝の笑顔を見送りながら、私はうしろめたさでいっぱいだった。――正直、結婚していたころとなんら変わりのない生活を送っている。家賃を折半し、家事は分担するが、料理は大輝がメイン。この世界に来てから、私と大輝はけっして付き合おうとも、好きですとも、結婚しようとも互いに言ったこともなく、あくまでビジネスパートナーという体をつらぬいている。もちろん、キスやらなんやら、恋人や夫婦らしいこともしない。しかし、この生活はいわゆる「内縁の夫婦」には当たらないのだろうか。このような状態で、私は大輝とは違う男と二人で会うのだ。
二人で囲む食卓はこんなにも温かい。私たち、夫婦にならない? そう言えたら、どんなに幸せなことだろう。しかし、今更すぎる。それに今夫婦になってしまえば、私は取材対象から遠ざからなければならない。どうしたものか。
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