第11話 ハルカD ~共学出身、田辺先輩と結婚して小説家となった私~

 私が新島孝弘にプロットを渡したのは、このダイレクトメッセージのやり取りの流れだったと思う。「書きたいものがないのなら、私の代わりに書いてほしい物語があるんだけど」みたいな感じで話題を振ったところ、彼がプロットを読んでみたいというのでそのままテキストファイルを送り付けたと記憶している。プロットを練るよりも、それを物語として書き起こす方がよほど時間も手間もかかる。おまけに私としては自分のアイディアを文章にしてくれて、それを読むことができるのであればむしろ金を払いたいくらいだ、と思っていた。だから、『Trivial Matter』の原案が私だなんてどこにも書かなくてもいいし、仮にあなたがこの物語をコンテストに出し、万が一受賞したところで、こっちは何の権利も主張する気はない、作品は百パーセントあんたのものだと新島先生に押し付けた。実際、彼は出来上がった『Trivial Matter』をある新人賞に提出し、デビューした。私は国試の勉強時間を十分に確保し、余裕をもって薬剤師の試験に合格したという運びだったはずだ。

 私が割を食う分には問題ないだろう。当時は心の底からそう思っていた。しかし、今となっては決してそうは思わない。確かに、私と新島孝弘の間で争いは起き得ない。私は相も変わらず、自分の原案を素敵な作品として仕上げてくれた新島孝弘に感謝をしている。私さえ黙っていれば、『Trivial Matter』は完全に彼のオリジナル作品として世の中に流通し続けるのであろう。――しかし、二人の間ではそれで良くても、世の中の人々を騙していることにはならないだろうか? 新進気鋭の高校生作家が、少し大人びた目線で青春というものを考察し、それをミステリに落とし込んだ。世間は皆そう思っているのに、本当は全然違う人間が考えたものだと万が一にも知れたとき、多くの読者が落胆しないだろうか?


【今ってたぶん、結構後味悪い系の物語とか、伏線回収が見事なやつとか、そういうのが流行ってますよね】


 私はニージーにそう返信をした。


【イヤミス、ってやつですか】

【そういうの書いてみたらいいんじゃないですか? 私、ニージーさんの書いたイヤミス、めっちゃ読んでみたいです】

【難しそうですね……】


 イヤな感じのするミステリ、略して「イヤミス」。とても難しいジャンルである。――でも、彼なら書ける。スランプ中の今は正直分からない。しかし、彼ならいつかは書けるはずだ。


【寮のある男子校を舞台にしたイヤミスとか。めっちゃ読んでみたいです!】


 これくらいのヒントなら全然許されるだろう。


【ああ……なんかちょっとイメージ湧いてきたかも? いっそ舞台は日本じゃなくてイギリスとかにした方が雰囲気でそうですね!】


 やはり新島孝弘は天才だ。こんなしょぼいヒントから物語を作り出せるだなんて。

 私はTwitte○の画面を閉じた。あまり無駄話をしている時間はない。私はとにかく、『Trivial Matter』を完成させなければならない。――私はやっぱり、作家になりたい。たとえそれで、薬剤師になる目標をあきらめることになったとしても。






 『Trivial Matter』の正解――新島孝弘が完成させ、新人賞を受賞したバージョンを知っているだけに、それと決して同じものとはならないように物語を完成させるのは至難の業だった。私がこの夢の中で『Trivial Matter』を完成させれば、それはまごうことなく私の作品となるわけだから、今の私がその「正解」とやらをそのまま書きなぞったとしても特に問題は起きない。しかし、さすがにそれは趣味の物書きを何年も続けてきたプライドというものが廃る。というか、それはそれで似た類のジレンマが発生する。

 何かっていうと、彼の書いた『Trivial Matter』は決して私のプロットそのままではなく、いくつものシーンに変更を加えたものだったのだ。だからあの『Trivial Matter』のアイディアをすべて私のものと言うのはやはり語弊があり、どちらかといえば「原案は私と新島孝弘の合作であり、文章担当は新島孝弘」と言うのが一番正確なのだ。――私は、私の『Trivial Matter』を完成させなければならないのだ。





 それは長い、長い夢だった。私はそれこそ寝食を忘れ、ひたすら執筆に時間を注いだ。十五万字超の作品が完成したので、残りの時間はひたすら、無駄な描写を削り、誤字脱字のチェック、文章の吟味に充てた。

 完成した物語を、新人賞の応募フォームから電子媒体で提出する。後は野となれ山となれ、だ。薬剤師の国試は一週間後だった。――とりあえず仮眠を取ろう。PCを閉じ、私は目をつぶった。




* * *




 ゆっくりと目を開けた。見知らぬ天井。薬品の匂い。これは――


「……先生、目を覚まされましたか」


 病院だ。そして、目の前にいるのは、


「大輝」

「だから下の名前で呼ぶのは無しって言ったじゃないですか。何度言ったら分かるんですか? 担当のお医者様に『せん妄傾向あり』ってお伝えしちゃいますよ」


 大輝は少し呆れたような、しかし、とてもほっとしたような顔で、私のことを眺めていたのだった。





 短期間で二回も病院にお世話になるだなんて、三十路って厄年なのかしら? 私は自らの不運を呪いつつ、今日も今日とて情報収集に走る。

 医者、大輝、そして警察(!)の話を総合すると、私はどうやら何者かに背後から殴られ、道端に倒れているところを通行人に発見された。石頭過ぎたのかなんなのか、怪我自体はそこまで酷いものではなかったにもかかわらず、丸三日、目を覚まさなかったのだという。犯人はまだ見つかっていない。

 その間に見ていた夢の中で、私は『Trivial Matter』を完成させ、眠りについた。とにかくどうにかして未来を変えなければならなかったから。――それにやはり、自分が考えた物語を新島孝弘のものとして彼に書かせ、それを彼だけの作品として賞に応募することを許すというのは倫理的に問題があると感じたのだ。そもそも新島先生自身が全く喜んでいなかったではないか。彼は『Trivial Matter』を「読まなくていい」とまで言った。彼の華々しい経歴の中で、あの一作だけが大きな汚点になっているというのに、世間はその物語を「彼の最高傑作」と評する。このミスマッチは、決してそのままにしておいて良いものではないと思ったのだ。そういうわけで、私は自分が『Trivial Matter』を完結させ、コンテストに応募したのだけれど、受賞することは叶ったのだろうか。

 スマホでタイトルを検索してみる。最初に出てきたのは、Amazo○のページ。発売されている。ということは、私はあの一作で小説家としてデビューしたということなのか。著者名は新島孝弘ではなく、「中村遥香」――本名でデビューした私。現在の名前も中村遥香であるということは病院で名前を呼ばれたことで分かっていた。

 そして、どうやら私はデビューからかなりの年月が経つ今も小説家として活動しているようである。目を覚ましたとき、そこには大輝がいた。彼は私のことを「先生」と呼んだ。先生と呼ばれる仕事は限られている。医師、弁護士、教師、そして小説家。ほかにもあるとは思うが、私が学生時代に書いた小説が受賞していることや、大輝が出版社に勤めていることから、私は小説家として食っている、と判断してよいだろう。

 ――ああ、そんな未来があり得たんだな。ふいに、虚しくなった。理想を言えば、私はやっぱり夢を叶えたかった。人には言えない夢だったし、その夢を実現するために、何かを犠牲にして努力してきたかというと決してそうではない。安定した暮らしを選んで薬剤師を目指し、小説を書くのはあくまで趣味に留めておこう。二十四歳だった私は当時、そう考えた。そんな私に後悔する権利なんてないのかもしれない。しかし、「こういう未来もあり得たのにね」と、後出しで可能性を提示されてしまうと、とてもとても虚しい気持ちになるのだ。

 ああ、でも別にもう鬱屈とした気持ちになる必要がないのか、と思い直す。私は、自分の力で過去を変えた。そして今、私はちゃんと小説家になることができたのだ。不思議な事象が起きているとはいえ、小説を書いたのも、そうしようと決意したのも自分自身。別に「この人生は仮のものだから」なんて思う必要はなく、やはり単純に、「二十四の頃に小説を執筆し、それを機に小説家デビューした中村遥香」になることができただけ、と考えれば良いのである。






「殴られる直前、何か犯人の特徴を見たとかそういうの、無いんですか」


 退院直前、大輝は私にそう尋ねた。残念ながら、そういうのは全くない。ハッシーの家からの帰り道、誰かに殴られる直前まで私はスマホの画面に集中していたのだから。

 私の周囲の人間のアリバイその他の状況から、私を殴った犯人は私のアンチか、愛が暴走しすぎた熱いファンか、そのどちらかである可能性が高く、仕事や家族等、関係者である可能性はほぼゼロである、とされているらしい。――しかし、それはおかしくないか、と思う。

 夢の中で過去を書き換える経験はこれで三回目。たった三回の経験を一般化するのは難しいが、今までの経験上、不思議な夢を見る前後で、それなりに状況は繋がっていることが分かっている。一回目は、日曜の夜に寝て、月曜の朝に起きたら、とても自然な流れで「共学出身の私」になっていた。二回目は、夜の街でコンビニに行く途中に車にはねられて気を失い、目を覚ました時には「田辺先輩と結婚した私」として搬送先の病院で目を覚ました。田辺先輩が一緒に居たか居なかったかの違いはあれど、「車にはねられて病院に搬送された」ということには変わりがなかった。そして、今回。小説を自分の手で完結させる夢を見る直前、私は誰かに夜道で殴られたと記憶している。この世界においても、私はやはり何者かに殴られて病院に搬送されたということになっているし、目を覚ます三日前のLIN○の履歴を見ると、どうやらハッシーの家に遊びにいったという事実は変わらないようなのだ。


 それなら普通、私を殴った犯人も、夢の前後で同じ人間であるのではないか、と思うのだ。

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