第13話 サディストの大義名分?


 大輝と若手警察官の二人が難しい顔をしている横で、私は内心ホッとしていた。ハッシーが、犯人なんだ。作家になる前と後の夢で共通している女性の知り合い、しかも私と強いつながりを持つ人間なんて、母かハッシーしかいない。そもそも母が私を殺そうと考えるのは非現実的だし、彼女は齢六十一にして、どういうわけか私より力が強いし(日々の家事の賜物?)、身長もほぼ同じくらい。一方、ハッシーは体育の握力測定はいつも十キロ未満だったし、身長だって私とは十センチほど差がある。非力だったがために、私の後頭部に十分な打撃を与えられず、私は命拾いをしたというシナリオにぴったりだ。

 さて、ハッシーが怪しいと目星がついたところで、それを警察や周囲の人間に言うのはやや時期尚早だと思われる。私なりには理屈がついているとはいえ、それはあくまで自分の経験してきた、不思議な夢に基づいた推論であるから。物証もないのに「ハッシーを疑え」なんて、とてもではないが言えない。――探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならないのである。








 無事に退院の日を迎えた私は、私の担当編集者である大輝にを提案した。


「あの、大変厚かましいお願いで恐縮なのですが。当面の間、大輝……有馬さんの家で執筆をすることは可能でしょうか。泊まり込みで」

「え?」


 大輝は大変驚いた様子だった。当たり前だ、かつて自分を裏切った元カノの担当編集者として働くだけでもうんざりでしょうに、さらに自分の家で仕事と生活をさせてくれ、と。厚かましいにもほどがある。


「ほら、いつ何時、またファンだかアンチだかに襲われることがあるかもしれないし。だって、現場は私の家の近所だったんだよね? ……そうすると、今まで住んでいた場所にとどまるのはあまりに危険だと思う。一時身をくらますという意味でも、お願いできない?」

「それは、確かにそうですが」

「若い男性が一緒にいた方が私も安心なの」


 大輝は難しい顔をしていたが、やがて仕方ないといった様子で、


「分かりました。……期間限定であれば、こちらもどうにかなりますので」


 と、渋々ながら同意した。私に対して何の文句も言えない彼の姿を目にして改めて、自分がかなりの売れっ子作家だという歪んだ実感が湧く。

 私が大輝と居候をすることを提案したのには、大した意味はない。シンプルに、彼と一緒に暮らしたかったのだ。紆余曲折あり、今の私は共学の中高時代にいじめに遭い、大輝を裏切って田辺先輩と付き合い、『Trivial Matter』を自分の手で完成させ、売れっ子小説家の「中村遥香」となっている。しかし、本当の私は違う。こんな選択をしないからこその私であって、大輝と結婚していない自分なんて、自分じゃない。――もしどうしても、「大輝と結婚しなかった私」にしかなり得ないのだとしても、私は大輝との暮らしを知ってしまっている。彼との暮らしがどんなに心地良いものであったか。確かに刺激は少ないかもしれないけれど、彼の温かさや穏やかさを知ってしまっている私にとって、彼なしの人生を生きていくことは億劫だ。だから、売れっ子小説家の肩書を使って無理やりにでも、彼との暮らしを手に入れようとしたのだ。

 退院後、さっそく大輝の住む安普請のアパートに引っ越しをした私は、数日の休みをもらい、その間に自分が書いた(ということになっている)小説作品の数々をひたすらに読みふけった。小説家となってしまったからには、自分が書くべき作品の傾向は当然分かっていなければならない。この世界における私は何を考えていたのか? 私が書く何が読者にウケているのか? そもそも、デビューから十年近くも売れ続けているのはどうしてなのか? ――つまり、この世界での私は、何を書かなければならないのか?

 大輝が不意に、ページをめくる私に声をかけた。


「お休みの期間、まさかご自身の作品を一から全部読み返すとは思ってなかったです」

「勉強熱心だからね」

「そうなんですか? てっきり、ご自身の作品が好きだから読み返しているとばかり」


 確かに、趣味で小説を書いていた頃はよくそんなことをしていた。自分で読みたいものを書いていたからである。


「……失礼でしたら申し訳ないのですが、ご自身の作品の中で一番のお気に入りって?」

「それはもう」


 このとき、私は七冊を超える自作を読んでいたのだが、これは間違いなく断言できた。


「圧倒的にデビュー作よ」

「『Trivial Matter』ですかぁ」


 大輝は少し驚いたような顔をした。

 少し悔しいけれど大変面白い事実として、私が書いた『Trivial Matter』は最高傑作にはならなかったらしい。新島バージョンの『Trivial Matter』が新人賞で圧倒的な最優秀賞を飾り、長年の間彼の最高傑作として君臨していたのに対し、私が自力で書き上げたそれは、賞こそ受賞したものの、最優秀賞ではなく審査員特別賞。なんとかデビューにはこぎつけたものの、そこまで大きな話題にはならなかったのだ。

 私が書いたとされている物語の中で『Trivial Matter』はかなり異色。他の作品は恋愛小説がメインで、その大まかなストーリーは二パターンに決まっている。ひとつは、周囲からいじめられ、孤立している女子が、転校生ないしは先輩男子と急接近するお話。周囲のやっかみを受けながらも二人は愛をはぐくみ、いじめっ子たちを後にぎゃふんと言わせる、いわゆる「スカッと&胸キュン」系の物語だ。もうひとつは、実らない恋の話。うまくいっていたはずの恋人が、女性側の昇進や成功、夢の実現をきっかけに歯車が狂い始める。男性側が女性にモラルハラスメントを働くようになり、紆余曲折を経て二人は決別する。もちろんこちらも、スカッとするような復讐エピソード付きだ。いずれも、いじめやモラハラのシーンが妙にリアルで、読者が主人公に感情移入しながら、主人公の敵となる人物を憎み、復讐が成功したときには胸の中がすっきりするような工夫が凝らされている。一言でまとめてしまうとどうしても陳腐さをぬぐえないものの、エンタメ性に欠けるかというとそうではない。むしろ、「まあ、こういうの好きな人は多いよね」みたいな、そういうテンプレがキレイにハマっている。

 しかし正直、私は自分が書いたとされているこれらの作品が全く好みではなかった。――むしろ、趣味で小説を書くときに、この類の物語は意識的に避けていた自覚すらあり、今まで読んだ七作の中で唯一自信をもって好きだと言えるのは、結局『Trivial Matter』しかない。


「ねえ、私ってこれからもずっと、こういう感じの作風で行かなきゃいけないの?」

「こういうって? 恋愛小説以外も書きたいってことですか」

「恋愛は別に良いんだけど……なんか私、本当は全然好きじゃないんだよね、悪者が出てきて、なんやかんやあって最後には成敗! 勧善懲悪! みたいなの」

「どうしてですか、悪者は成敗された方がいいに決まってるじゃないですか。ファンの皆様も、そういう爽やかな読後感を求めていらっしゃるんですから」

「炭酸溶かしておけばただの砂糖水でもおいしいみたいなの、マジで趣味悪い」

「でも中村先生の売りって、そこじゃないんですか? 現実世界では必ずしも悪い人がきれいに成敗されるとは限らないけれど、中村先生の書く物語は、ちゃんと頑張っている人が報われて、意地の悪い人たちが成敗されるから最終的に心が晴れるって、ファンの方は口を揃えておっしゃいますよ」

「やだよお、そんなの。だってこういう作品が好きな人って、絶対『頑張っている人』とやらじゃないもん。こういうのが好きな人っていうのはね、誰かが痛めつけられているのを見て楽しみたいだけなんだよ。でも、ただのサディストだと思われるのが嫌だから、痛めつけられる側が悪人だっていう大義名分がほしいだけなんだ」

「そんなこと言わないでくださいよ」


 大輝は少し怒ったような顔をした。


「そんな穿った見方をしてはダメです。ファンレター、いつも読まれていますよね。今、いじめに遭っている高校生とか、パワハラに苦しんで会社を辞めた女性とか。皆さん、先生の作品を読んで救われたっておっしゃるんです。そういう方々の存在を無碍にして、そんな言い方をするなんて最低です」

「いや、確かにそういう人は一定数いるとは思うけどさ……」


 少し驚いてしまった。大輝が腹を立てるところを見たことがなかったから。――ただ、彼はやはり少し心が美しすぎるな、とも思う。

 ああ、でも、仕方ないのか。考えてみれば、この世界での私は、地元の共学に進学し、いじめを受けている。そういった経験をすれば、悪い奴が多少懲らしめられるような作品を書きたいと願うようになるのも無理はないのかもしれない。


「しょうがない、分かったよ。これからももう少し、この感じで続けてみるからさ」


 いけるのか? と少し不安になりつつ。

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