5-3、湖畔の街

 夕刻ごろに差しかかって、続々と白墨党はくぼくとう同志どうしたちが虎浪軒(ころうけん)に姿をみせた。


 総勢二十名の大所帯である。都合のつかぬ者はあとで連絡を取るとのことで、集まった同志たちはみな、地下の会議場に集結した。


 そして、そこで彼らが見たものとは。一心不乱いっしんふらん書架しょかの資料を読みあさる男と、辺りに散らばるそれをかき集めて整理、新たなものを供出きょうしゅつ奔走ほんそうする冽花の姿であった。


 忙しなく走りまわる冽花に、同志の一人がおずおずと話しかける。


「あー、冽花?」


「あ、いらっしゃい! 久しぶりだね」


「ああ、久しぶり。無事で何よりだよ。……で、何やってんだ?」


「見ての通りさ。こいつがさ、“すべての資料に目を通す”って言って聞かないんだ。戦は情報が要だから、って」


 親指をたてて、書架の前で胡坐あぐらをかいて読みふける男を指さす。顔を上げもしないため、仕方なく同志が「彼は?」と水を向けてやると、「ああ!」と冽花は両手を打った。


「そうだな、紹介しないと。賤竜!」


『む』


「同志たちが来たから一旦いったんやめろ。こいつは賤竜、茶家(チャか)の一件から仲間にした僵尸きょうしだよ」


「ああ、彼が……」


「で、賤竜。彼らは右から沐宸ムーチェン浩宇ハオユー茗泽ミンゼァ奕辰イーチェンに、浩然ハオラン……」


「待って待って、そんないっぺんに言っても覚えきれないだろう」


「いや? 賤竜ならできるよ。なあ、賤竜」


『うむ』


「だって、こいつ、さっきから本の一頁いちぺーじ一頁から、竹簡ちくかんの一巻に至るまで、ほぼひと目でざっと見通して暗記してんだもん」


風水僵尸ふうすいきょうしだからな。これぐらいの規格スペックは当然だ』


 頷きつつ本を閉じた賤竜は、立ち上がってひき続き紹介をうけた。その上で周りを見回して、顎(あご)に手をそえて呟くに。


『少ないな……』


「他にも来てないやつがいるんだよ。それにうちは少数精鋭でやってんだ」


『戦は数だ』


「少数で大軍を破るってのもありだし、燃えるだろ」


『確実性をとるのが一番だと思うが……』


 ぽんぽんと小気味こきみよくやり取りがつづく冽花と賤竜に、両手をうって同志は静まらせた。


「はいはい、お二人さん。今は卓に集合して。作戦会議を始めるよ」


 めいめい返事をして卓につく。


 各人が集合すると、ざっと卓に地図が広げられた。


 福峰ふくほうの地図であり、家々の大まかな位置や水路まで描きこまれた優れものだ。


 ここで賤竜が「ほう」と感嘆かんたんをもらし、身を前にのりだした。


『ずいぶん詳細な地図だな』


「同志らで手分けして作り上げたんだ。最新版だよ」


 得意げに鼻の下をこする蟲人に、賤竜が頷きかえす。そんな二人のやり取りに咳払せきばらいが落とされ、会議は続行した。


「かねてから告げていた通り、茶家の作戦が成功し、僵尸が仲間に加わった。今こそ雌伏しふくから動きだす時期だ。同胞らを開放し、白墨党ここにありと世に知らしめるんだ」


 おおっ、とどよめきがあがり、みな大きく頷きあい、地図を睨(にら)みつける。


 都の湖と接している場所、波止場(はとば)ぶぶんに小石が置かれる。


「以前から話していたが……今回の作戦の要は船だ。福峰の同志たちは港湾地区こうわんちくとらわれ、働かされている。総勢二百名。陸路ではとても逃がしようがない。よって、港に停泊中ていはくちゅうの船をうばい、彼らを乗せて出港する流れをとりたいと思う」


 多くの異議なし、との声があがる。そのなかでちょいと冽花が片手をあげた。


「でもさ、船を奪うっつってもそう簡単にゃあいかないだろう? 港には兵士もいるし、この間の一件でもそうだけど……蟲人六人でもやられる時にはやられるよ」


 冽花はざっと先日起きた非常事態イレギュラーについて説明する。


 さすがにそう何度も老鬼ラオグイと出くわすこともないだろうが、蟲人のもつ能力への自負じふ――過信かしんにも繋がるそれを警戒したのであった。


 冽花の言葉に蟲人らは腕を組む。さきに発言していた者も重々しげに唸るなり、地図を見下ろし、続けた。


「だが、抱水ほうすいの件がある。僵尸を頭数あたまかずに加えても、戦力を分ける必要が――」


『その余裕はなかろう。船の奪取だっしゅと防衛、はては人質の先導で手一杯のはずだ。二百名はすべて働き盛りの男で構成されているのか?」


 ぐむっと押し黙る蟲人に、横からくちばしをいれた賤竜は肩をすくめてみせた。


『第一にして、如何(いか)にして人質らを行動させられるかが要だろう』


「どういうこと?」


 冽花が首をかしげると、賤竜は片手をもちあげて、その手に陰気を纏(まと)わせた。周りからどよめきがあがる。


『お前たちが此を計画に組み込まんとしている理由と同じだ。此の、この場合の有用性ゆうようせいを知るからこそ、抱水と相対あいたいさせんとする。対して、人質らの場合はどうだ? 此のことを知る由もない。反乱ともいえる此度の作戦に、果たしてこのまま乗るだろうか?』


 冽花はぱかりと口を開けた。その点については盲点だったからだ。


 一週間あまり過ごした上で、賤竜の強さについては並々ならぬ信頼があった。が、言われてみればそうだ。そうした時間を経ていない者は、賤竜を単なる人の男としか見ない。ムーがそうであったように。


「同志らに伝令でんれいはつたえてある」


『それでも。統率を欠く行軍ほど狙いやすいものはない。相手は抱水が擁(よう)した兵士、兵団だ。波状攻撃を得意としているはずだ』


 おもむろに賤竜の人差し指が地図へと載(の)せられる。


 全員の視線が集まるなか、福峰より後ろの山岳部分さんがくぶぶんに置かれた指は、山筋やますじにそって左に弧をえがき、福峰の中心部で止まる。再び山に戻り、右に弧をえがいて、福峰の中心部で止まり。最後に山の頂から、一直線に福峰の中心部に走らせられ止まった。


『要は此への信頼度を上げながら、抱水がいとう拠点を攻めればいい。今指したのは福峰に流れる龍脈の筋である。うねくる山の尾根おねを伝い、家々の屋根をこえて、ここ、喜水城(きすいじょう)に栄達をもたらす』


 龍脈について大まかな説明をはさみ、福峰の中央に位置する城、抱水の拠点ともいえるそこを指でたたく。賤竜は周りを見回した。


「抱水がなにより大切にし、育てるべく、区画整理くかくせいりをおこなったはずだ。畢竟ひっきょう、今の龍脈筋のなかに、いくつか奴が重要拠点とする建物があるはずだ。高く、象徴的なものがな」


「あ。ある。ここ、右翼楼うよくろう左翼楼さよくろう。それから連理楼れんりろうだ」


 ちょうど賤竜が指した道筋に沿う形で三つ、地図上にも大きな区画が築かれていた。


『これらを破壊する』


「……ちょっと待って」


 あまりに端的な物言いに、さすがに冽花も弁護べんごに困って制止をいれた。


「なんで?」


『港湾地区の人質らにも届くほどの陽動作戦ようどうさくせんを提案する。遠方からでも見られる建物を破壊されたとあらば、嫌でも此の力のほどは知れるはずだ。兵士らの混乱、加えて、抱水の行動範囲の限定だな。此の気を追い、確実に此のもとへ訪れるはずだ』


 あまりに前代未聞な囮作戦おとりさくせんに周囲がしんと静まりかえる。が、ふいとここで声をあげる者があった。それは周囲の声を代弁(だいべん)するかのごとく、よく通って室内を震わせた。


「おいおいおい。黙って聞いてりゃあ、好き勝手言いやがる。大口叩くのもそれぐらいにしとけ?」


 金色の髪をした金絲猴きんしこうの蟲人であった。若い彼は卓に頬杖ほおづえをついて、背中を丸めてそれまで話を聞いていたが、大規模な破壊構想はかいこうそうにさすがにどうかと考えたのだろう。周りを見回し、「なあ?」と同意を求める。それに周囲の者らは苦笑しつつ否定はしなかった。


「さっき自分で言ったよな? 戦力を分ける余裕はないって。どうやって三つも、あんなでけえ建物を破壊すんだよ?」


『此の能力を用いる。此の力は――』


「抱水と対抗しうるってんだろ? でも、それだけだ。抱水だって、せいぜいでけえ水の蛇を出すぐらいのもんだ。どんな力を持ってるかは知れねえけどよ。悪いけど、ンな不確実ふかくじつ極まりない力を当てにするわけにはいかねえ」


 冽花がおもわず顔をしかめると、青年はそちらにも顔を向ける。


「ちょっと、浩然ハオラン。ここまであたしらの都合で連れてきといて、そういう言い方はないんじゃないの? それに、賤竜は――」


「仲良しこよしは黙っとけ」


「あア!?」


 卓を叩いて立ち上がる冽花を、顎をつきあげ挑発ちょうはつしかえす浩然。一触即発いっしょくそくはつの空気になりかけるその場を、賤竜は静かに見やり、ついで周囲を見回した上で、低い声で告げた。


『では試してみるか?』


「は?」


 端的な言葉におもわず眉をよせる浩然へと、なおも賤竜は言い募る。


『先にも言ったが、統率を欠く行軍ほど狙いやすいものはない。この状態は危険だ。よって重ねて提案する。此の能力をまず、お前たちに示そう。これから右翼楼うよくろうを落とす』


「は……これからァ!?」


 素っ頓狂すっとんきょうな声をあげる浩然に「これからだ」と頷き、賤竜はさらに続ける。


『今、右翼楼を落とすことによって、お前たちの統率が上がる。さらには人質らへの喧伝けんでんにも繋がるだろう。加えて、今から敵側の戦力を分散させられる意にも繋がる。こちらは十、二十で攻め入るところを、相手は一で防ぐ形になるわけだな』


 ぽかんと口を開く浩然に、賤竜はなおも頷いて告げる。


「その目で確かめればいい、此の性能を。その上で、自身らの命運を預けるに足るか判断するといい』


 地図上の小石を拾うと、さきに示された三つの区画のうち、左側の空白へとそれを置く。


『今宵、右翼楼は失せる』


 賤竜は立ち上がり、冽花の肩をたたくと歩きだす。


『決行は夜更けだ。ついてきたい者は来るといい。遠目からでも実情は伺えるだろうが。――行くぞ、冽花。下見をしておきたい』


「え、あ、おう」


 先を切って歩きだす背中に、戸惑いまじりながら冽花が続く。その背が扉の向こう側に失せた後に、浩然の「ケッ」とつまらなさそうな声がその場に響いた。


 新参者(しんざんしゃ)の僵尸の扱いを図りかねていたのは、誰もかれもが同じであった。



 ※※※



 世をみそなわす大龍が、伏し目がちな太陰(つき)を輝かす頃。


 冽花と賤竜、それに浩然の三人は、家々の屋根を渡り歩きながら右翼楼うよくろうを目指していた。


 集合時刻になり、なんだかんだで現れた浩然は「俺が代表だからな。どんな結果になったとしても、きっちり仲間に報告してやるよ」とあごを突き上げた後に、賤竜の胸を突いてみせたものであった。


 そうして、三人はいよいよ右翼楼の膝元ひざもとへとたどり着く。


 見上げたその姿は八角型の九層から成り、全体を青く染め抜かれている。太陰つきのもとで神秘的な風情をかもしだしながらも、同時に泰然たいぜんとしたる陰影をも持ち合わせていた。


「やっぱり無理だろ、こんなん落とすの」


「無理じゃない。賤竜は地形すら変える力の持ち主なんだから」


「はァ?」


 こそこそと話す冽花と浩然をよそに、賤竜はぐるりと右翼楼の周囲を回る。


 下界では歩哨ほしょうが番を務めていたが、まさか襲撃者が上から来るとは考えもしない。未だ平和な時が続いていた。


 冽花らの前へと戻り、賤竜は頷きかえす。ごくりと生唾なまつばをのむ二人に背を向けながら、賤竜は冽花に指で招いてうながした。


『壊す前にこの場での地気の巡りを視ておけ。これは後のちお前も使える技術だからな」


真的嗎マジで? 分かった」


 目をつぶって意識を集中する冽花に、「何すんだよ?」と浩然が問うも、それをひじで追いやって、冽花は網の想起イメージをひろげた。


 そうして、息を飲んだ。世にも壮大で美しい光景が、そこに広がっていたからである。


「うわあ……すっっげえ」


 おもわず冽花がこぼす感嘆に、おのずと浩然が身を乗りだす。


「なあ、何が見えるんだよ?」


「でっけえ……でっけえ、光の川だよ。灰色に光って、黒と白の光の粒を吐きだす川が、この屋根から右翼楼をのぼって流れてってるんだ」


 巨大な滝を眺めているようなものだ。自分たちはその流れのなかにいる。

 これがまさしく、龍脈と呼ばれるものなのだろう。


『龍脈は地形に左右されると言ったな。あたかも水が流れるように、脈々と連なる山筋やこうした屋根をつたって、広き場で霧散するか水場で留まるかするまで流れ続ける。その様は、うねくる龍の背のごとし』


 両手に陰気を宿すや、賤竜はその場で拱手きょうしゅをとる。


『此が司るは“山の沈降”だ。ゆえにひくき竜の背を生みだすという意で、賤竜と呼ばれているのだ』


「凹凸のへっこみを造るってこと?」


『そうだ。そうして、《陰之断流型いんのだんりゅうがた》と呼ばれる所以ゆえんもまた、その名前通り』


「……まさか」


 細めた目を肩ごしに冽花へとむける。


「この龍脈の流れを断ち切ることにある。よく見ておけ、契約者よ。これが此の力であり、役目だ』


 賤竜は走りだした。射かけられた矢のごとく、真っ直ぐに右翼楼に飛びついていくと、まずは三階部分の八角を支える柱に拳を入れる。間髪かんぱついれずにぐるりと回り、四階部分に跳躍ちょうやくするや、同じく柱に拳を穿つ。


 その繰り返しをしていくにつれて、鈍い振動が右翼楼を揺るがし始めた。歩哨が驚いて顔をあげて、今しも六階部分に取りつく賤竜を見つけた。


 やりを突きだして制止を求めるが、構うことなく賤竜は柱を殴りつけた。


 冽花は目をこらし、賤竜の動向を追っていた。


 先ほどは龍脈の壮大さに目を奪われたが、賤竜は『お前も使える技術だ』と言った。ならば、目で見て盗めということなのだろう。


 じっと賤竜と右翼楼を見つめるにつれて、ふと冽花は、その図に重なるようにして存在する地気の網目にも“かたより”があることに気付く。


 あたかも、ちぢれよじれた網のように。それは些細ささいな一点だが、賤竜はそうした境目をえらび、拳を打ちこんでいるのだ。


「……弱いところ、ってこと?」


「なに?」


「賤竜は右翼楼の弱い場所を打って、倒そうとしてるんだ」


「そんな馬鹿な。建物だぞ?」


「でも……ほら、見てよ」


 八階部に拳が入れられた直後だ。音をたてて三階部分の柱が折れる。それを契機けいきとして、次々に柱が砕け、倒れていく。すると、自重で右翼楼はゆっくりと沈みこみ始めた。


 悠然ゆうぜんと頭上を流れていた龍脈が消え失せていく。


 下界の歩哨はもう混乱状態であった。たった一人が打ちこむ拳が、自身の守るべき塔を崩壊に導いているのだから。悪夢いがいの何者でもなかっただろう。


 九階部分の柱に拳をいれた後に、沈む屋根をつたって賤竜は冽花らのもとへと戻る。


 その背後では、轟音ごうおん土煙つちけむりをあげ、右翼楼が地面へと沈みこむ様が展開されていた。


 浩然は口を開け放してそれを見つめて、冽花は興奮気味に拳を握りしめていた。

 これが賤竜の力。これが、自分の頼るべき力なのだと知って、あらためて計画成功への自信を強めていた。


「すげえ。やっぱすげえよ、賤竜は!」


『お褒めにあずかり光栄だ。だが、そろそろ人目が集まる。退くぞ』


「おう!」


 冽花らはその場を後にしていく。


 残されたのは、辛くも崩壊からまぬがれた歩哨と、音と揺れを感知して目覚めた人々のざわめきだけだ。


 こうして右翼楼は倒壊した。その報せは瞬く間に人々の口にのぼることとなり、蟲人はもちろん、報せを受け取った抱水の竹簡をへし折らせることとなった。


 気の発生と龍脈の断裂から、犯人を賤竜と特定。これ以上の龍脈への被害を出さぬためにも、残り二つの塔にも警邏けいらが割かれることになった。


 このことで港湾地区の守りが薄くなったわけであるが、いずれも寡兵かへいには変わらない。


 戦いの時は刻一刻と近づいているのであった。

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