幕間1、敗れた者の末路
時を少し送らせて、それから四日後。
早馬をつかって国都にまで舞い戻った老鬼は、その足で此度の依頼人である
無論、
ただいまは客間まで通され、人払いをされた上で、家主の
国有数の大家だけあり、名実ともに肥やした私腹が目の前に広がっていたが、顔色一つ変えずに老鬼は低い声で言い放った。
「――以上が此度の
「ふむ、宜しい。さすがは
「恐れ入ります」
首を深くうなだれさせて辞儀をくれる老鬼にたいし、自慢の
「茶家の至宝と黙される“陰陽の勾玉”は見つからなんだか?」
「は。処理を完了した頃には、すでにその手で
「ふぅむ……確かにあれは意志の力だけは人一倍あったからな。でなければ、蟲人どもの
再び今度は
趙の細目が見開かれて、ふと面白そうに含み笑うや老鬼を見た。
「“我らが龍”がお呼びだそうだぞ、
「……なるほど。然らば、今日のところはこれにて失礼いたします。後ほど改めて使いを送りますゆえ」
隠しようもなく
「よい。“我らが龍”に宜しく伝えてくれ」
そんな鷹揚な言葉を最後に、老鬼――
※※※
再び馬をつかい、王城、
これから会う待ち人を思えば、万全の体調を整えておきたいと判ずるのは当然だった。
が、城に
城の
ゆっくりと車輪が
そうして、まもなくそれは訪れた。
「ほう。これはこれは鄭大人。ここでお会いするとは……薬が入り用ですかな?」
頭の先からつま先まで、
彼はねっとりとした声と口調で問いかけてくる。
「
呼ばれて、包帯の隙間から覗く唇を笑わせた。下女に押させる車輪付きの椅子を止めて、身を乗りだすなり、
「傷は両腕ですか。貴方ともあろうものが珍しい」
「不覚をとってな。これから鎮痛薬を貰いにゆくところだ。失礼」
「まあ、待ちなさい。先日、ちょうど新しい
下女が
一見して、王侯貴族が好む、
やはり顔色一つ変えずにきっぱりと首を振る義敢に、瑗匣は喉を鳴らし笑った。
「
「ひゃっひゃっひゃっ。さすがは大人、目も耳もお早いことで」
「もう行っていいか。……
「ああ」
言われてようやく気付いたというように瑗匣が声をあげ、下女が入れ物をしまう。
「これは失礼を。……そういえば、来る折に部屋の付近を通りましたが。
盛大に舌打ちをしそうになり、義敢はごく軽く唇を結んだ。
その状態の待ち人を知りながら声をかけてくるとは。自分がどんな目に遭わされるかを知った上で、行く手を塞いだのだろう。
これだから、この
「薬が入用のときにはいつでもお声がけあれ」
性根がねじ曲がっていた。
一挙に
※※※
そして、ようやく待ち人のまつ部屋へと到着することができたのは、
薬の効きもそこそこに早足でむかうと、閉めきられた扉の前で、手に手をとって震える
義敢を見ると一様にほっとした顔で、涙を浮かべてすらいる者もいる。彼女らは口々に言い募ってきた。
「
「お帰りをお待ち申し上げておりました」
「
状況の
皆まで言うなと義敢は片手をもちあげた。深いふかい溜息をつきながら。
「分かっている。私がいいと言うまで誰も部屋に近づけるな」
そう言って、下がりゆく侍女らをしり目に扉へと向き合った。
“えらくご立腹らしい”部屋の主だったが、今は不気味なほどに静まり返っていた。
「
断わりにも返事はない。
扉を開けるなり目に入った惨状に、義敢は片方しかない視界を
ぼろ布同然に破られた
花瓶の水が、打ち砕かれた
これを
「戻ったぞ、貴竜。またえらく……やらかしたようだな」
そう言って首を
雪のように白く荒れ果てた髪をもつ青年だった。自分の膝に顔をうずめたまま動こうとしない。
溜息まじりにもう一度、その名を呼ぼうとしたその時だった。
「貴――」
『失敗したんだ』
ぴくりと肩を揺らす義敢に、かまわずに青年――貴竜は続ける。
『失敗した。
「……なぜ、それを」
『
義敢はおもわずと目を見開かせた。別の契約者、と聞いて、思い当たる人物がいたからである。生きていたのか、などと――言う暇は
目の前で貴竜の首がぐらりと持ち上がったからだ。降りた前髪の隙間より、
『っっへええ~~、それに怪我して帰ってきたんだ? 成果も得られずに怪我して帰ってくるなんて』
「っ、これは――」
『言い訳は聞かない』
その足が一息に牀で折り畳まれ、前のめりに身が乗りだされた。
義敢はハッとし後足をひくも、貴竜の
『お仕置きが必要だな』
一息に飛びかかってきた。その
「ぐ、ぁあ!」
『良い声で鳴くじゃん? でも、まだまだだね』
ぺろりと舌なめずりするなり、義敢の襟元に手がかけられる。
音をたてて
ぞくりと背筋を総毛だたせ、おもわず顔そむけて義敢が声を絞る。
「落ち着け。すぐにでも食事の準備にかかるゆえ。報告もその折――」
『だから言い訳は聞かないって。それにオレは今食いたいの』
はあっと冷たい息がかけられ、本能的な
最後の望みをかけ、義敢は声をはりあげた。
「よせ、貴竜!!」
『――……』
ぴたりとその動きがとまった。貴竜は口をひらいて噛みつく寸前で、義敢を上目に見上げている。
じっと見つめ合った後につめていた息を吐きだした。
風水僵尸は契約者にのみ従う責務をもつ――契約者のみが風水僵尸に命じる権利をもつ。その原則を突いたわけであった。
が。権利はあくまで権利に過ぎず、また主従の在り方も風水僵尸個々で異なってくる。
義敢と貴竜の場合は――現状、組み敷かれる側とそれを捕食せんとする側だ。どちらに力の比重が傾いているかは、火を見るより明らかだった。
黙って言うことを聞く玉かどうか、まずそれを考えるべきだったのだ。
油断した義敢を前に、ふいと貴竜は目元を笑わせてみせた。そうして、ゆっくりと見せつけるように牙を刺しこんだのであった。
安堵したところからの急転直下である。さすがの義敢も、堪らずに身をのけ反らせて、抑えきれぬ叫び声をあげた。
「ヅ、っぁあ!?」
『……ふふふ、良ーい反応。ソソるじゃん』
「ぅッ……ぐ……っ!」
ふるえる喉仏の横、太い
しきりと目を瞬かせながらなんとか衝撃から脱し、堪えるべく拳を握りしめた。歯をくいしばって痛みをやり過ごそうとすると、察したかのように牙がぬけて――平たく尖った人の前歯で傷がこじ開けられる。
「っぐぅ、あ……ッ! ぅ、ふ……ぁ、う! っ、く、ふ――」
慣れぬようにか、
まるで捕らえた獲物を
指を反らせこじらせ腕を抜かんとするも、掴まれた腕はぬけない。どころか、そうした抵抗を楽しむがごとく、一度だけ
おもわず舌をうつと、ひときわ深く牙が
涙でにじむ視界をとざし、ただひたすら責め苦が終わるのを、待つより他はなかった。
やがて、さんざん
びくりとまた力なく身を強ばらせるものの、反面やっとつぶっていた目をこじ開けた。
瞬き涙の粒を潰すと、
『ひっでえ面。色男が台なしだ』
「っ……だれの、せいで」
『んー? そもそも、誰かさんがオレを怒らせんのが悪いんじゃないの?』
歯列を
『まあ? といっても、理由の一つぐらいではあったんだけどね。なんだかんだ失敗したとはいえ、やっぱり
手の甲をひと舐め、悪びれた風もなく笑う彼に、遅れて義敢は肩の力を抜いた。そうだ。そうだった、こいつは、と安心と得心がいく心持ちであった。
《
「っ、おい」
「ん?」
途端にまた微笑みが返されたため、完全に抵抗する気を失くした。義敢は溜息をつくなり、したいように任せて牀に転がされる。
筒袖をまくりあげ、腕を片方ずつ検分して
その感覚は暖かく、湯に浸かっているのにも似て、義敢の意識は急速に
『で?
「ああ。契約者側の身元はほぼ割れている。
『白墨党ねえ。あれだろ? 蟲人たちの自由と権利を主張するだなんだ~ってやつ。そのくせ、手口は荒っぽくて盗みも
「誰から聞いた」
『
先ほど会ってきたばかりの
深ぁい溜息をついて、額に片腕をのせて天井を見る。
「そういうことだから、数日過ごした後また出てくる。……あまり妙な
『はぁい』
「そうだ。お前の毒をまたよこしてもらおう」
『なに、使ったの?』
「冒冽花にな」
『げ。女の名前だろ? 冽花って。女相手にえっぐいことするなあ」
言葉のわりに興味津々に
「猫の
『なにそれ。まさか陰気?』
貴竜がぐっと身を乗りだしてくる。
『哥哥と契約して……ってわけじゃないよな? それなら辻褄が合わない』
「そうだ。俺は奴を確実に眠らせて、勾玉を手中に収めるまでいった。そこから目覚めた後に、
『……わけが分かんねえな』
「本当に」
男二人で謎の猫娘への不思議に首をひねる。
『でも、蟲人だったら、前世の魂が~云々もあり得んじゃないの?』
「む……」
確かに、と唸らされる説得力が貴竜の言葉にはあった。「どこでその力を」と尋ねた折に、彼女自身も言っていたではないか。
“可愛い
それに――ふと、左目の眼帯に触れる。義敢の瞳が遠くなる。
思い出すのは、灰色のもやがかる空間。腰までの長い髪を
黙り込んだ義敢に気付いたのだろう。しばらく黙していたものの、貴竜が話しかけてきた。
『義敢、義敢ってば』
「……ん。……ああ」
『ぼっとしてるぜ。疲れてんじゃねえの? このまま寝ちまえよ。傷のことは――今侍女呼ぶからさ』
ぼんやり瞬いていると、笑って額を
この青年はこういうところがある。ひどく気まぐれで、乱暴を働いたかと思えば、こうして酷く甘やかしてくることもあるのであった。
そのこともまた、義敢にとある風景を思い出させる。
よろつく足取りを
意識がじょじょに遠のきかける――これで眠りに落ちられたなら、どれだけ幸せだっただろう。が、寝入る寸前だ。ふと頭をよぎる言の葉があった。
『義敢ってば。ぼっとしてるぜ』――“ぼっとしてるんじゃないよ、
「……ぐい、ろん」
『ん?』
額から手が離れ、今しも牀わきから気配が遠のく。そんな時機であった。
義敢はあがいた。重たく体をくるむ
『どうしたの? 何かまだ言いたいことでもあるの?』
そっと近くに顔が寄せられたため、回らぬ舌を
「きえ、たんだ」
『消えた?』
「あのとき……まお、りーほあ、は。ひかりのわに、まかれて」
消えた。
「いきていたのか、と……おまえの、さきの、ことばによって。かのうなのか? いんき、ようきの……ことわりのなか、ならば。ひとをけして、ふたたび――」
義敢には恐ろしくておぞましくて仕方なかった。
いまだに耳に残っているのだ、あの女の悲鳴が。消されゆく
無駄だと分かってもあがき、最後におのれへ
あの技術は
ゆえに、この世界の理ともいえる陰陽に通じた貴竜へと、否定してほしかったのだ。
そんなことはあり得ない、と。あってはならない事柄なのだと。
否定されたところで存在はする。また“どこからあの技術が供されたか”という疑問が生じるのだが、それには目をつぶって。
貴竜は黙って受け止めていた。考えこんでいるようにも見え、あまりにも黙りこむので、いい加減、義敢の意識も途絶えかけた。だが、ふと口を開いた。
『可能だよ』
貴竜は応えたのである。義敢の思いとは
『理論上は、だけどね。死んだあと……魂は空と地気に溶けて流動し、固まって、また形を得て命に変わるだろう? 蟲人がいい例じゃないか。一部ではあるけど、自分を残したまま新しい形を得てる』
「……っ、ぅ」
『だから、理論上は、人を消して同じ人をまた生みだすってのは可能なんだよ』
おもわずうなって半ば
『それってすごく奇跡的な話だぜ? 蟲人や蟲獣を見てみろよ。あいつらは龍脈んなかでごた混ぜになった最たる例だからな。その人を、同じようにまた生み出すのなんざ、それこそ、神様でもない限りあり得ないことだから』
肩をすくめるなり義敢の肩を叩く。やんわりと安心させるよう親しみをこめて。
『だから、それが叶ってるっつーんなら、なんかカラクリがあるはずだ。オレたちでも理解できる理屈がな。なんせ、すべての事象は陰陽に通じてる。陰陽で説明できないことなんて、何一つないんだからな』
そう言って笑う貴竜に、予想を裏切られた義敢は白い目を向けざるを得なかった。
結局、その答えは『理論上は可能だが実際には難しい。できてるんなら、相応の陰陽が働いてるんだろう』という
「お前、は……」
『んん?』
「
少しばかり語気を強めて告ぐ義敢に、瞬いたのちに貴竜は微笑みを深めた。
『それもまた陰陽だからね、仕方がない』
そう言った彼の
『ただ……』
「ん?」
『そういったことができそうな人に、一人だけ心当たりがあってね』
「なんだと?」
眉をひそめる義敢に、言うべきか迷った風だったが、貴竜は口にしてきた。
『オレ達の開発者だよ』
「……っ」
今度こそ、今こそ義敢は、溜まりにたまった
「…………俺は寝るぞ、貴竜」
『うん』
「後のことは起きてから考えることにする」
『うん。
また額をはずむ冷たい掌があり、今度こそ貴竜は立ち上がって廊下へ出ていく。
その場に静寂が訪れる。義敢は深い溜息をついて額に腕をのせた。天井をみあげる。
「まったく。まったく……荷が勝ちすぎて堪らない」
忌々しい未知の技術が、よりにもよって『宿敵』の手によるものかもしれないなんぞ。
疲れた体で考えるには、あまりにも重い議題すぎた。
溜息まじりに目を閉じる。
いつしか義敢は眠りに落ちていた。気を使ったことも含めて、負傷、数日の
目覚めた折にはまた戦いが始まるのだろう。彼が求め、彼が欲する結末を目指すために。その折までのしばしの安息だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます