2-3、石窟に眠る僵尸

 やがて彼女は顔をあげる。鼻先をちょいと赤くして、妹妹により近づいた顔で、口を山なりに曲げてみせた。


「……じゃあ、今度はしっかりと記録しておけよ」


『承知した』


「よし。――あたしの名は冒冽花マオ・リーホア。歳は十七の、見ての通りの猫蟲人ねこじんだ。蟲人こじんって言葉の意味は分かるか?」


該当情報データは存在しない』


「そっか。蟲人ってのは、読んで字のごとく“混ざりものの人間”だよ。ここ数十年来、爆発的に増えてる……らしい。さっきあんたも言ってたけど、ここ龍盤では魂は三つ四つに分かれて……またくっ付いては輪廻りんねするだろう?」


 くるくると指先をまわすと賤竜は頷いてくる。


『死した魂魄こんぱくは空と地気に溶けて流動し、再びり、命と変わる。それがことわりである』


「そ。でも蟲人のばあいは、前世の魂が来世にくっ付いて生まれてくる状態なんだ。そうなる理由は、未練とか前世の宿業しゅくごうだとか色々言われてはいるんだけど」


 妹妹の場合は間違いなく未練だろうな、なんて。目の前のすました僵尸に一番に言ってやりたいのを堪え、冽花は続ける。


「人間と獣にかぎらず、人間と人間、人間と草花とかでも起きたりする。とくに人として生活できなかったり、人を襲うようになったやつらは別に“蟲獣こじゅう”って呼んでるんだ」


『蟲人に蟲獣か』


「そう。で、あたしのなかにいる子は妹妹メイメイ。あんたが……あんた達が、生前、妹分いもうとぶんだって言って可愛かわいがってた仔猫こねこだよ」


『……仔猫の、妹妹』


 なぞるように口にだし、冽花の耳や尻尾を見てくる。しばし顎に手をそえて考えた上で、賤竜は問いかけてきた。


『そうなる理由は未練と宿業と言ったな。この場合は?』


「間違いなく未練だろうな。妹妹は約束してるんだ、あんた達と。“戦場でいさおしをあげて、歴史にのこる名義兄弟きょうだいになる、その証人になる”ことと、“あんた達のかっこいいところを目に焼き付ける”ってことを」


 賤竜の目がささほどにまで見開かれた。


『猫がか?』


「まさかと思うだろ。でも聞いてたんだ、理解してたんだよ。それで……果たせなかった約束を果たすために帰ってきた。あたしはそれに協力してるんだよ」


 掌を胸に宛がわせて告げると、再び賤竜は黙考もっこうに入った。しばらくして口を開く。


『“あんた達”と言ったな? 歴史にのこる名義兄弟に……義兄弟とも言った』


「うん。王衛ワンウェイだったかな、義弟おとうとは。あんたより年下で、童顔……っていうのかな、そんな感じの顔で、白い角が生えてたっけ」


『王衛……』


 眉を寄せて顎を擦る。賤竜は夢で王衛を呼んだ時とそっくり同じの、しぶい顔つきをしていた。


『妹妹に関しやはり該当情報データはないものの……義兄弟なら心当たりはある』


真的嗎マジでか!? ……って、まさか」


貴竜グイロンだ。あれは此を哥哥あにきと呼ぶ』


 口を開け放して冽花は絶句ぜっくした。次の探し人の情報がこんなにもあっさりと手に入ったのは無論のこと、義兄弟で僵尸になっているなど、何かしらの因縁いんねんめいたものを感じたのだった。


老鬼ラオグイだったか。貴竜の毒を用いたのなら、高確率でそやつが契約者だろう。此らは基本的に契約者にのみ従う責務をもつ』


「老鬼が?」


 そら恐ろしい身体能力と力を秘めた男を思い出す。妹妹が教えてくれた力がなければ、むざむざなぶられ果てていただろう。おのずと張りつめた面差しとなる。


 意を決して、冽花は賤竜を見つめた。


「さっきから言ってるな、契約者、それにフースイキョーシだっけ。詳しく教えてくれよ。あたしは貴竜にも会わなくっちゃいけないんだ」


『承知した。……だが、その前にこの場を脱出しよう。気付いておらぬかもしれないが、随分と消耗が激しい』


 一瞬誰のことを言われているのか分からなかったが、賤竜が人差し指を伸ばして、ごく軽く冽花の額を突き押す。無論、傷口を避けてのことだったが――。


「……ッ!?」


 軽く上向くと同時に、がくがくと体の力が抜けていくのに驚き、冽花は棺から転げ落ちかけた。その身が支えられて、抱えられるや肩に担ぎあげられる。


「っ、ちょっと、この体勢―― !』


有事ゆうじのために片手を空けておきたい。許せ』


 片手で器用にかぶとをかぶり直し、賤竜は棺の縁をまたぐ――その瞬間だった。


 その場の空気を震わせる異音が響き始めたのは。


「ッ! は、なに!?」


『……やはりな』


「やはりって何!?」


『此を封じた者が、なんの対策も施しておらぬはずがない』


 冷静に賤竜が告げる間にも、執拗しつよう鼓膜こまくにざらつく異音ブザー音は繰り返され、それに混じって事務的な音声が響き始めた。


《警告。凍結対象α‐1の逃避行動とうひこうどうを確認。速やかに拘束こうそく再凍結処理さいとうけつしょりに移ります。該当エリアで作業中の者は速やかに退避を推奨します。繰り返します――》



「……トーケツタイショー、アル?」


『凍結対象α‐1。状況から察するに、此のことだな。――む』


 びちゃり、と湿った水音があがる。寸でで賤竜が後足を上げると、空をうねる赤い管が棺より伸びていた。そのまま数歩前へと跳んで振り返ると、蛇を思わせる動きでもって、どんどん嵩増かさまあふれ出てきた。


 勢いよく伸びくる幾つもの管をって、また数歩と賤竜は飛び退る。管はなおも流出を続ける。


「うっげえ……」


三十六計逃さんじゅうろっけいにげるにかず』


 明らかに棺の大きさより総量が多いのを見て、賤竜がきびすを返すのは早かった。


 そして、後ろ向きに抱えられた冽花は、必然的に管の変容へんようを見届けるはめになり。


「うっ、じれてる。なにする気なの、あれ!? ――ッ蛇……でっかい蛇だ! こっちに来る!!」


 石の通路を走りだした賤竜を追って、ほどなく疾走しっそうしはじめた管蛇くだへびを前に、賤竜の肩をめちゃくちゃに叩くはめとなったのであった。


『落ち着け、契約者よ』


「これが落ち着いていられるかよ!」


『少なくともお前の身の安全は保障ほしょうするゆえ、あんずるな』


「アレから!?」


 その太さは通路の四分の三をゆうに占めるほどである。鎌首かまくびもたげた高さは、賤竜でも見上げるほどに高い。うねくる管を周囲の壁に刺し推進すいしんの助けとしながら、真っ赤な口をひらき肉薄にくはくしてきた。


 二人を視界に収めるなり、蛇の首回りの筋肉が花開く。ねじれていた八本の管が伸びて、空をいて突貫とっかんしてきた。


「賤竜、管が!」


『少し動く。舌をむなよ』


 賤竜に頭を抱えられたので、冽花は自分の口元を押さえた。


 賤竜の動きは本当に少しだった。なりは蛇のくせにきっかり時間差で叩きこまれる管を、最小限の動きでかわす。背に目でもついているかのようだ。


 最後の管をしゃがんで躱すや、冽花の頭から手を放す。ふと離れるその手に覚えのある冷気がまとわれていることに気付き、冽花が肩ごしに見た。その時だった。


 音高く間近の壁に拳が打ちつけられた。折しも淡く明滅する文字の上だ。


 横ざまの一撃は、壁に丸く大人半身おとなはんしんほどの陥没かんぼつ亀裂きれつを生じさせる。


「うひっ!?」


『耐えろ。行くぞ』


 端的に応えて、賤竜が走りだした。


 急な上下運動に耐えつつ冽花は視た。


 先に開いた穴の“真横の壁が”、 間髪いれずに内側から弾けて石材を突出させるのを。


 立て続けに起きる陥没と爆発。後ろの回廊が崩れだす。


 瓦礫がれきに打たれようがものともせず進み続ける蛇だったが、陥没したばかりの壁に差しかかり――次の爆発に呑まれた。石材が刺さり、さすがに反対の壁に叩きつけられる様が、土ぼこりのなか、うっすらと見えた。


「い、今のは……!?」


『《陰之断流型いんのだんりゅうがた風水僵尸ふうすいきょうし、此に搭載とうさいされし力だ。この壁のなかには――』


 もうもうたる土ぼこりを突き抜け、伸ばされる管を躱す。


『気が張り巡らされている。さながら緻密ちみつあみのようにな。此はその一本を切断し、その余波が現れたに過ぎん』


 冽花はピンと張りつめた網を思い描いた。半ばで切断すると、網全体の糸は揺れつつ、切れた一部は勢いよく跳ねあがる。あの連続した現象は、気の波うちと縮れた気の連動とでもいうのか。


「風水僵尸……」


『お前が扱う、お前のための器物きぶつだ。よく覚えておけ』


「え?」


 聞き捨てならない言葉が出た気がして冽花がたずね返した。が、そこで賤竜の足が止まる。


 どうしたのかとまた問おうとして、冽花は行く手が途切れていることに気付いた。


 近くには彼女が吐きだした小さい血溜まりも残っている。


 来た当初に目覚めた場所だ。つまりは行き止まりだった。


「そうだよ……出口はなかったんだ! 奥に行くしかなかったから、あたしは――」


『いや、出口はある』


 絶望しかける冽花の声を賤竜がさえぎる。賤竜は目をすがめて目の前の壁を見ていた。


『ここが一等、気が集中している。先の比ではない。かぎとなる何かが存在するのだろう』


「鍵ぃ!? そんなもん、鍵穴すらないのに……」


『よく思い出せ。ここにどうやって来た? どのようにしてこの場所への扉が開いたのか』


 そこで賤竜は身をひねりざま管を片手でぎ払った。


『こやつは此が引き受ける。ゆえ、お前は鍵を探せ』


「え?」


 ハッとして冽花が前を向けば、管蛇がもう真ん前にまで迫っていた。その身には石材が突き刺さり、ところどころ管がちぎれて痛々しい。が、声なき咆哮(ほうこう)をあげて、全身から管を射出してくる。


 冽花は放り出された。痛いと言っている間などなく、反射的に “死んだ”と思った。


 今度こそ死ぬと。ここまで絶体絶命ぜったいぜつめいもあり得ないだろう。


 賤竜はなにやら、自分の身の安全は保障すると言っていたが――賤竜?


「っ、ジェ――……」


 乾いた破裂音はれつおんがあがる。冽花は弾かれたように顔を上げた。


 先だって目覚めたばかりの僵尸きょうし安否あんぴを、せめて確かめようとしたのだった。


 せめて一瞬、ひと目だけでも。へたり込んだまま、全精力を目と耳にそそぐ。


 瞳孔どうこう肥大ひだいし、猫耳を細かくひらめかせた。そして、息を飲んだ。


 目の前に濃緑の鎧具足よろいぐそくの背があり。


 りんとした低い男の声が、耳を震わせたのだから。


『怪我はないか? 大事なければ応答せよ、契約者よ』


「……っぁ」


 小さく声をあげる。


 いつの間に手にしたのだろう。手元の黒いこんをひいて、賤竜は肩ごしに振り返った。龍を模したかぶとごしに彼女を見やるなり、再び前を向く。


『言ったはずだ。お前を守りきってみせると。必ずここは抜かせない。ゆえ――』


 棍をひと振るいして、管蛇と対峙たいじする。


『頼んだぞ。契約者、冒冽花マオ・リーホアよ』


「……っ、うん!」


 あふれる安堵あんどからだろうか。冽花はおもわず頷いていた。力強く。


 傷ついた体になけなしの力を入れて立ち上がる。目前の開かぬ扉へと挑みかかっていく。


 指先でその表面をなぞり、賤竜の言うように記憶を探ろうと試みた。


(つっても、いきなりだったから……それに、あの時は……)


 突然勾玉まがたまがうかんで、わけの分からぬ言葉を吐きだす声が聞こえたのである。


(鍵? そんなもんあったか? そもそも、何がきっかけになったかなんて分かりゃしないのに!)


 冽花は頭をむしった。と、ここで鈍い破裂音があがる。


 振り向けば、賤竜が管蛇の顔を棍先で突いていた。刺された先端を中心に、数か所で苦しげにうね

る管の断端だんたんのぞいていた。


 おおかた、先の“一本を切断する”とやらをやったに違いない。が、ジリひんである。到底長

くはもたないに違いない。


嗎的クソッ! 頭を働かせろ、冒冽花!! あたししかいないんだぞ! この場をどうにかできるのは! ……何かないのか、何か、あったかあの時……っ)


 一番に思い出されるのは、滔々とうとうと事務的に語られる声だ。


《アクセス完了。入場者の提示をお願い致します》


 その声に応えたため、光の輪に体を消された。また、こちらの怒鳴り声に応じて、動きださんとした老鬼ラオグイがいた。……いや、まだだ。もっと前だ。思い出せ。


 回転する勾玉の間に口をひらく石窟せっくつ。やはり鳴りひびく硬い声色。


《アクセスキー:『陰気』、『陽気』。両者ともに照合完了。ただいまより凍結空間とうけつくうかんへのアクセスを開始します》


 照合完了? 何かを照らし合わせて、それが合っていたから開いた? この場合、何が照合されていた?


 鈍い激突音が数度。そうして、ひと際大きな轟音ごうおんがあがった。


 振り向いて、冽花は悲鳴をあげかける。


 管蛇がついに全身をかけて賤竜に挑みかかっていたのだ。


 真っ赤なあぎとが彼の目前にまで迫り、かざした棍で受け止めている。が、棍をつたい、腕に、背に、肩に、と管が絡みついていく。


 賤竜の全身に濃く黒いもやが纏われた。もやは腕と両足に収束しゅうそくし、賤竜はつま先を擦らせて、少しずつ前進を始める。管の奥へと、管蛇の側へ。自身に注意を引き付けるために。みる間にその身が管へと呑みこまれていく。


 その名を呼ぼうとして、冽花は踏み止まった。


 脳裏に先ほどの彼の言葉がこだまする。


 言われた……言われたんだ、『守る』って。だから、『頼む』って―― !


 俯いて拳を握りしめると、そこでふと赤い血溜まりが目に留まった。


 自身がこの場にやって来た折にできたものである。そうして、ふと様々な事柄ことがらが自分の

なかで繋がっていることに気付いた。


 賤竜に言われたこと。


同胞どうほうの気を感じる。陽の気……これは貴竜グイロンか。お前、貴竜に喰らわれたのか』


『お前は何故なぜ、貴竜の気を纏っている?』


 あたしはこう答えた。


“たぶん、刺されたひょうにその毒が塗られてたからなんじゃない?”


 陽の気。陽気。


 そして、あの声はこう言っていた。


《アクセスキー:『陰気いんき』、『陽気ようき』。両者ともに照合完了》


 冽花はふらつく身体をおし立ち上がった。くずおれるように血溜まりの傍へと座りこむと、震える指を浸す。


 もう賤竜は管にまみれて見えなくなりつつある。それでもだ。冽花は再び立ち上がり、壁に縋るようにたどり着いた。


 妹妹は言っていた。


 老鬼おにーさんが使っていたのは、“白くてあったかい力”だと。冽花じぶんとは反対なのだと。


 ならば、鍵はこれだ。老鬼が残した陽気に、自身の――真っ黒くて冷たい力。陰気。


 壁に指をつけようとして、ふと、また頭をよぎる妹妹の言葉があった。


『冽花、やさしいから。うごいちゃう、から』


『やくそくできる?』


 ごめんな、と笑う。さっそく破っちゃうよ、妹妹。


 指に黒いもやをもまとわせて、冽花は壁へと触れた。すると、その手の力に呼応こおうするかのように、石壁が縦に割れて外の空気が吹きこんできた。


「っ……賤竜、やった!! やったよ、賤竜!!」


 わらをもすがる思いで声を張り上げると、蛇が内側から、ひと際大きく爆散ばくさんして散った。


 息をのんで見守る前で、管の塊がうごめく。濃緑の籠手に覆われた腕が突き出し、管を退け始めた。それを見て、冽花はもうにじむ眼前を隠すこともなく笑った。


 淡々とまた、あの声が返された。


『よくやった。契約者、冒冽花マオ・リーホアよ』


「ぎりぎりだったけどね……っていうか、冽花でいいよ。仰々ぎょうぎょうしいのは嫌い」


 ぱちりと瞬き、賤竜は振り返った。物言わずに冽花を見つめ、ふと頷いて告げる。


『そうか。冽花よ』


「うん」


『行こう、外へと。人の身には冷えるだろう、ここは』


 頷き返し、再び抱え上げられて外へと向かう。前へ前へと共に。


 あの淡々とした声がその場を踏みだすまで、二人の後を追いかけていた。


《アクセスキー:『陰気』、『陽気』。両者ともに照合完了。ただいまより凍結空間へのアクセスを開始します》


 ……。

 …………。

 ………………。



《――凍結対象α‐1の逃避とうひ行動こうどうを確認》

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