2-3、石窟に眠る僵尸
やがて彼女は顔をあげる。鼻先をちょいと赤くして、妹妹により近づいた顔で、口を山なりに曲げてみせた。
「……じゃあ、今度はしっかりと記録しておけよ」
『承知した』
「よし。――あたしの名は
『
「そっか。蟲人ってのは、読んで字のごとく“混ざりものの人間”だよ。ここ数十年来、爆発的に増えてる……らしい。さっきあんたも言ってたけど、ここ龍盤では魂は三つ四つに分かれて……またくっ付いては
くるくると指先をまわすと賤竜は頷いてくる。
『死した
「そ。でも蟲人のばあいは、前世の魂が来世にくっ付いて生まれてくる状態なんだ。そうなる理由は、未練とか前世の
妹妹の場合は間違いなく未練だろうな、なんて。目の前のすました僵尸に一番に言ってやりたいのを堪え、冽花は続ける。
「人間と獣にかぎらず、人間と人間、人間と草花とかでも起きたりする。とくに人として生活できなかったり、人を襲うようになったやつらは別に“
『蟲人に蟲獣か』
「そう。で、あたしのなかにいる子は
『……仔猫の、妹妹』
なぞるように口にだし、冽花の耳や尻尾を見てくる。しばし顎に手をそえて考えた上で、賤竜は問いかけてきた。
『そうなる理由は未練と宿業と言ったな。この場合は?』
「間違いなく未練だろうな。妹妹は約束してるんだ、あんた達と。“戦場で
賤竜の目が
『猫がか?』
「まさかと思うだろ。でも聞いてたんだ、理解してたんだよ。それで……果たせなかった約束を果たすために帰ってきた。あたしはそれに協力してるんだよ」
掌を胸に宛がわせて告げると、再び賤竜は
『“あんた達”と言ったな? 歴史にのこる名義兄弟に……義兄弟とも言った』
「うん。
『王衛……』
眉を寄せて顎を擦る。賤竜は夢で王衛を呼んだ時とそっくり同じの、
『妹妹に関しやはり
「
『
口を開け放して冽花は
『
「老鬼が?」
そら恐ろしい身体能力と力を秘めた男を思い出す。妹妹が教えてくれた力がなければ、むざむざ
意を決して、冽花は賤竜を見つめた。
「さっきから言ってるな、契約者、それにフースイキョーシだっけ。詳しく教えてくれよ。あたしは貴竜にも会わなくっちゃいけないんだ」
『承知した。……だが、その前にこの場を脱出しよう。気付いておらぬかもしれないが、随分と消耗が激しい』
一瞬誰のことを言われているのか分からなかったが、賤竜が人差し指を伸ばして、ごく軽く冽花の額を突き押す。無論、傷口を避けてのことだったが――。
「……ッ!?」
軽く上向くと同時に、がくがくと体の力が抜けていくのに驚き、冽花は棺から転げ落ちかけた。その身が支えられて、抱えられるや肩に担ぎあげられる。
「っ、ちょっと、この体勢―― !』
『
片手で器用に
その場の空気を震わせる異音が響き始めたのは。
「ッ! は、なに!?」
『……やはりな』
「やはりって何!?」
『此を封じた者が、なんの対策も施しておらぬはずがない』
冷静に賤竜が告げる間にも、
《警告。凍結対象α‐1の
「……トーケツタイショー、アル?」
『凍結対象α‐1。状況から察するに、此のことだな。――む』
びちゃり、と湿った水音があがる。寸でで賤竜が後足を上げると、空をうねる赤い管が棺より伸びていた。そのまま数歩前へと跳んで振り返ると、蛇を思わせる動きでもって、どんどん
勢いよく伸びくる幾つもの管を
「うっげえ……」
『
明らかに棺の大きさより総量が多いのを見て、賤竜がきびすを返すのは早かった。
そして、後ろ向きに抱えられた冽花は、必然的に管の
「うっ、
石の通路を走りだした賤竜を追って、ほどなく
『落ち着け、契約者よ』
「これが落ち着いていられるかよ!」
『少なくともお前の身の安全は
「アレから!?」
その太さは通路の四分の三をゆうに占めるほどである。
二人を視界に収めるなり、蛇の首回りの筋肉が花開く。ねじれていた八本の管が伸びて、空を
「賤竜、管が!」
『少し動く。舌を
賤竜に頭を抱えられたので、冽花は自分の口元を押さえた。
賤竜の動きは本当に少しだった。なりは蛇のくせにきっかり時間差で叩きこまれる管を、最小限の動きで
最後の管をしゃがんで躱すや、冽花の頭から手を放す。ふと離れるその手に覚えのある冷気が
音高く間近の壁に拳が打ちつけられた。折しも淡く明滅する文字の上だ。
横ざまの一撃は、壁に丸く
「うひっ!?」
『耐えろ。行くぞ』
端的に応えて、賤竜が走りだした。
急な上下運動に耐えつつ冽花は視た。
先に開いた穴の“真横の壁が”、 間髪いれずに内側から弾けて石材を突出させるのを。
立て続けに起きる陥没と爆発。後ろの回廊が崩れだす。
「い、今のは……!?」
『《
もうもうたる土ぼこりを突き抜け、伸ばされる管を躱す。
『気が張り巡らされている。さながら
冽花はピンと張りつめた網を思い描いた。半ばで切断すると、網全体の糸は揺れつつ、切れた一部は勢いよく跳ねあがる。あの連続した現象は、気の波うちと縮れた気の連動とでもいうのか。
「風水僵尸……」
『お前が扱う、お前のための
「え?」
聞き捨てならない言葉が出た気がして冽花が
どうしたのかとまた問おうとして、冽花は行く手が途切れていることに気付いた。
近くには彼女が吐きだした小さい血溜まりも残っている。
来た当初に目覚めた場所だ。つまりは行き止まりだった。
「そうだよ……出口はなかったんだ! 奥に行くしかなかったから、あたしは――」
『いや、出口はある』
絶望しかける冽花の声を賤竜が
『ここが一等、気が集中している。先の比ではない。
「鍵ぃ!? そんなもん、鍵穴すらないのに……」
『よく思い出せ。ここにどうやって来た? どのようにしてこの場所への扉が開いたのか』
そこで賤竜は身をひねりざま管を片手で
『こやつは此が引き受ける。ゆえ、お前は鍵を探せ』
「え?」
ハッとして冽花が前を向けば、管蛇がもう真ん前にまで迫っていた。その身には石材が突き刺さり、ところどころ管がちぎれて痛々しい。が、声なき咆哮(ほうこう)をあげて、全身から管を射出してくる。
冽花は放り出された。痛いと言っている間などなく、反射的に “死んだ”と思った。
今度こそ死ぬと。ここまで
賤竜はなにやら、自分の身の安全は保障すると言っていたが――賤竜?
「っ、ジェ――……」
乾いた
先だって目覚めたばかりの
せめて一瞬、ひと目だけでも。へたり込んだまま、全精力を目と耳にそそぐ。
目の前に濃緑の
『怪我はないか? 大事なければ応答せよ、契約者よ』
「……っぁ」
小さく声をあげる。
いつの間に手にしたのだろう。手元の黒い
『言ったはずだ。お前を守りきってみせると。必ずここは抜かせない。ゆえ――』
棍をひと振るいして、管蛇と
『頼んだぞ。契約者、
「……っ、うん!」
傷ついた体になけなしの力を入れて立ち上がる。目前の開かぬ扉へと挑みかかっていく。
指先でその表面をなぞり、賤竜の言うように記憶を探ろうと試みた。
(つっても、いきなりだったから……それに、あの時は……)
(鍵? そんなもんあったか? そもそも、何がきっかけになったかなんて分かりゃしないのに!)
冽花は頭を
振り向けば、賤竜が管蛇の顔を棍先で突いていた。刺された先端を中心に、数か所で苦しげにうね
る管の
おおかた、先の“一本を切断する”とやらをやったに違いない。が、ジリ
くはもたないに違いない。
(
一番に思い出されるのは、
《アクセス完了。入場者の提示をお願い致します》
その声に応えたため、光の輪に体を消された。また、こちらの怒鳴り声に応じて、動きださんとした
回転する勾玉の間に口をひらく
《アクセスキー:『陰気』、『陽気』。両者ともに照合完了。ただいまより
照合完了? 何かを照らし合わせて、それが合っていたから開いた? この場合、何が照合されていた?
鈍い激突音が数度。そうして、ひと際大きな
振り向いて、冽花は悲鳴をあげかける。
管蛇がついに全身をかけて賤竜に挑みかかっていたのだ。
真っ赤な
賤竜の全身に濃く黒いもやが纏われた。もやは腕と両足に
その名を呼ぼうとして、冽花は踏み止まった。
脳裏に先ほどの彼の言葉がこだまする。
言われた……言われたんだ、『守る』って。だから、『頼む』って―― !
俯いて拳を握りしめると、そこでふと赤い血溜まりが目に留まった。
自身がこの場にやって来た折にできたものである。そうして、ふと様々な
なかで繋がっていることに気付いた。
賤竜に言われたこと。
『
『お前は
あたしはこう答えた。
“たぶん、刺された
陽の気。陽気。
そして、あの声はこう言っていた。
《アクセスキー:『
冽花はふらつく身体をおし立ち上がった。
もう賤竜は管にまみれて見えなくなりつつある。それでもだ。冽花は再び立ち上がり、壁に縋るようにたどり着いた。
妹妹は言っていた。
ならば、鍵はこれだ。老鬼が残した陽気に、自身の――真っ黒くて冷たい力。陰気。
壁に指をつけようとして、ふと、また頭をよぎる妹妹の言葉があった。
『冽花、やさしいから。うごいちゃう、から』
『やくそくできる?』
ごめんな、と笑う。さっそく破っちゃうよ、妹妹。
指に黒いもやをも
「っ……賤竜、やった!! やったよ、賤竜!!」
息をのんで見守る前で、管の塊が
淡々とまた、あの声が返された。
『よくやった。契約者、
「ぎりぎりだったけどね……っていうか、冽花でいいよ。
ぱちりと瞬き、賤竜は振り返った。物言わずに冽花を見つめ、ふと頷いて告げる。
『そうか。冽花よ』
「うん」
『行こう、外へと。人の身には冷えるだろう、ここは』
頷き返し、再び抱え上げられて外へと向かう。前へ前へと共に。
あの淡々とした声がその場を踏みだすまで、二人の後を追いかけていた。
《アクセスキー:『陰気』、『陽気』。両者ともに照合完了。ただいまより凍結空間へのアクセスを開始します》
……。
…………。
………………。
《――凍結対象α‐1の
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