1-2、火事場でみる刹那の夢
ふわふわと
ふっくらした花で
そして、今しもその一枝からまた一枚、
ひらめき、ゆっくりと
風に乗って舞う花びらは予測のつかない動きをするため、ゆうに空振りしてしまう。
それでも諦めずに、自分としては鋭い
みゅっ――くしゅん!
そこで押し殺す笑いの音があがった。
見上げると、
伸ばされた手が、
「……
「おい」と慌てて腕ひく彼へ、放さない離れないぞとばかりに
「…………温かいな、お前は。っ、こら、
ゴロゴロふくふくと膨れる腹に手を
肩ごしに振り返るなり、唸るように笑いの主を呼ばう。
「
「っ、ごめんごめん。
ぱっと木の後ろから顔をのぞかせる青年の姿があった。
こちらも額に“白い角”が生えており、
もっとも、もれなく今はにやついていたのだが。
「…………仲良しじゃん?」
「
歩み寄って来るなり、これみよがしに見下ろす彼へと、ぴしゃりと男は言ってのける。途端に唇をとがらせて後頭部に手を組む青年だ。
「しょーがないじゃーん。親父殿に呼ばれたんだからさ」
「
「そう。まだ諦めてないの。『我が家は代々文官の家系。それを、跡取りたるお前が勉学を怠るとは何事か!』ってね。うるっさくて途中で逃げてきちゃった」
おもむろに眉をぎゅっと寄せては、肩をいからせて神経質に人差し指を振るう。王弼とやらの
男と同じ型の衣服のため、手を動かすごとに青年の
仔猫にとっては具合のよい
だしぬけに転がるや頭から突っこんでいったため、一度青年は言葉を切った。笑って、その場で組む足のあいだに膨れた袂ごと落としこんだ。
「
「なー、
「まあ、気持ちも分からんでもないがな。王弼殿の気持ちも分からぬでもなかろう?」
「……まあねー。女三人、男一人の
しばしの沈黙があった。が、ほどなく青年が動いたらしい。ちょっとばかし袂が
「そんなことより。ねえ、あのこと、考えてくれた?」
「む。そうだなあ……」
「なに? なんか気になることでもできた?」
「いや。ただ、実現の難しさをな、考えていた。ここ最近……戦はおろか
次の瞬間、大きく両手を広げたのだろう。袂が大きく跳ねる。
「つつある、だろう? 完全には成っちゃいないじゃん。なあ、哥哥、やろうよ。オレと誓おう? ともに戦場で、でっかい
袂ごと転げた彼女は、ようやく浮上を開始する。出たがる動きをする
再び見上げた青年は、顔を輝かせて男――
そんな器用な
「……では試みに聞くが、その誓いの名は?」
「! それはもう決めてある。碧青が桃園だから、オレたちはここ、
「杏園の誓いか。昔から慣れ親しんだ場だ。響きもよいな。……悪くない」
「!! よっしゃああ!」
両拳を突き上げる義弟。彼女がびっくりして体を跳ねあげると、そんな様子に気づき、ひと際あざやかに笑って、義弟は小さい身を抱えあげた。
「そうだ。
「妹妹も?」
「うん。オレたちの
ぱちりと彼女は瞬きかえした。けれど、ほどなく間延び声をあげる。
「……猫に告げるには難しくないか?」
「いいや! そんなことない。通じてるってオレは信じてるからな! 頼んだぞ、妹妹」
めぇい。
青年の言葉通り、確かにこの時、彼女は告げたのだ。
“承知しました、
つぶらな目をくりくり動かし義弟を見つめ、隣で静かに
「おっ、いーいお返事」と義弟は締まりなく笑い喜んで、義兄も鼻から息をもらしつつ淡く口元を綻ばせた。
幸せなひと時であった。そう、“見るからに”幸せな一幕だったのだ。
――ここで
視界にざらつく砂嵐が生じて、ふと冽花は瞬いて、自分が自分の体を持ってその場に
見れば、杏の花園は、灰色のもやがかる空間にぽっかりと浮かぶ
二人と一匹はいまだに
音もなく降りつづいていた花びらが、ふいと宙で静止する。それが皮切りだった。
ぱきぱきと
変化は周りの
最後はあの義兄弟も動きをとめて、色褪せては景色に溶けていった。
ただ一匹、仔猫だけをのこして。仔猫が
来たる衝撃にそなえるために。
それはすぐに訪れた。食いしばる歯がじりじりと音をたてた。
冽花の
「……ぅ、く……っ」
「……ぅ……」
暗転、明転。重々しく立派な石造りの廊下で、足元へと額をすりつけ背をまるめて
目の前の者から順に顔をあげて、次にもちあがる顔には黄色い
「うう……ッ」
暗転、明転。暗がりの中、
暗転、明転。朗々とひびく物悲しげな老人の声音。ざらつく雑音が邪魔して、ほぼ聞き取ることができない。暗転、明転。青年の
視覚と聴覚を奪われ、めまぐるしく移り変わる視点から膨大な情報が注ぎこまれてくる。
固く歯を食いしばっても、冽花の意識は、
両手にきつく力をこめて、固く歯を噛み締めて耐えるより他はなかった。そうしてやり過ごす以外に、この事象を乗り越える術などなかったからであった。
どれほどの時が流れたかしれない。少なくとも、冽花の体感でずいぶんと過ぎた後のことであった。
気付けば、少しずつ雑音が収まってきていた。目の前のちらつきも静まり、徐々にうっすらと明るくなってきているように思えた。
深々と息を吐きだした。ようやく終わりが――“終着”にたどり着いたのだと、知れたためであった。
被せた
何もなくなった灰色のもやがかる空間の中心。
そこに
「
呼びかけると、小さい肩が怯えるようにびくりと跳ねあがる。
おずおずと指がひらいて、泣き
そっくり同じ色の瞳を笑わせてやると、逆に
近くにしゃがんでやるもつかの間に、その身が飛びついてくる。
『冽花……っ、冽花っ』
「うん」
『ご……っめん……ね、冽花っ。っぃ、いたかったでしょう。くるしかった、でしょ』
「…………うん」
『わ、た、し……っ、みてるだけ……っしか……できなくって、ごめんなさい……!』
「……いいんだよ、妹妹。だって、あんたは」
『ぅっ。ぅぅぅ……うぅー……っ』
「あんたはもう死んでる。魂の
『…………ぅ、ん。わたし……なんにも、できない』
「だから、あたしが、あんたに代わって。あんたの心残りを晴らすために動いてんだろ? ……生まれてこの方付き合ってるってのに、今さら
ぐりぐりと頭をかき混ぜてやると、ようやく少女――妹妹は顔を上げてきた。盛大に鼻をすすって、泣き腫らした赤ら顔である。冽花は苦笑せざるを得ない。
「相変わらず可愛い顔が台無しだね。ああ、擦るなって。もっと腫れるじゃないか」
手拭などと上等なものはないため、袖で軽く目元を押さえてやると、彼女は再び冽花に体を預けてきた。
『……しんじゃうかとおもった。冽花も』
「……死にかけではあるけどな。毒をくらってるらしいし」
現状を思い出して、うんざりと冽花は半眼になる。
現実で自身の体を
『…………もし』
「ん?」
『ひとつだけほーほうがあるっていったら。冽花、やる? ……あの
「……あるのか。そんな方法が」
おもわず片膝ついた膝を進めると、その顔をじっと見た上で妹妹は顔をそむけてきた。
『やっぱりいわない』
「なんで」
『だって冽花……しんじゃいそうだから』
自分の尻尾を
「何を
『それでも。おしえたら、冽花しんじゃう』
「だからさ、なんで」
『冽花、やさしいから。うごいちゃう、から』
すん、と鼻を鳴らして尻尾を弄りつづける妹妹に、しばらく冽花は考えこんでいた。が、元来彼女もそう頭がいいわけではない。たたでさえにも言葉数すくない子どもの意図を理解することなど、早々できはしなかった。
結果、
「分かった分かった。じゃあ、“優しくしない、動いちゃわない”。これでどうだ?」
子どもの言葉をおうむ返しに応えるの巻であった。両手をあげてみせると、ようやく妹妹の目がこちらを向き直した。
「やくそくできる?」
「や、やくそくできる」
「…………やぶってもいいから、ちょっとはおもいだしてね。わたしとのやくそく」
あんまりにも真剣に念を押すものだから、冽花も神妙な面持ちになり頷き返した。
「おう。……それで、その方法ってのは、どうすればいいんだ?」
「こうするの。てをだして」
小さい掌が両方さし出されたため、それに被せる形で冽花も両手を出す。
夢の世界とは思えぬほどに暖かい妹妹の手としばらく触れ合った後に、ふとその手が徐々に冷たくなりだしたことに気がついた。
どころか、ぎょっと冽花は目を見開かせていた。
「め、妹妹っ、煙が……!」
『だいじょーぶ』
触れ合わせた手の隙間から、もうもうと“黒い煙”が溢れだしたのだ。
小さい妹妹の手が燃えているのだと思ったが、存外平気そうだ。自分も熱くない。どころか冷たい――幾分冷静さを取り戻し、あらためて煙を観察した。
すると幾ばくもせぬうちに、それは煙ではなく“黒いもや”であることが分かった。
あの老鬼が使っているものと似ていることにも。
「これ……!」
『“まっくろくてつめたいちから”。帅哥がつかってたのとは、はんたい。帅哥のは“しろくてあったかいちから”』
目を瞬かせてもやに見入った。仔猫の妹妹がこんなことをできるのにも驚いたが、それをこの場で見せてくるということは。
「……色々、聞きたいこともあるけども。これを、あたしに見せるってことは」
『冽花にもできる。ちょっぴりだけだけど』
「! じゃあ……!」
淡く芽生えた期待を肯定されて、一気に打倒・老鬼の期待が噴出しだす冽花に、ぴしゃりと妹妹は言い放った。
『ほんとにちょっぴりしかつかえない。ちょっとだけ、おおきくはねられたり、ちょっとだけ、はやくはしれるよーになるだけ。でも、帅哥のちからととけあうから、ちょっとはらくになれるはず』
「なるほどな」
『……あんまりつかわないでね。ひとのからだでつかいすぎると、もえつきちゃうから』
二の句にぎょっとした。
「燃え尽きる?」
『うん。ぜんぶ、ぜーんぶもえて、まっくろいちからにかえっちゃうから』
かえっちゃう、の意味が分からなかったが、とかく自分の生命が左右されることは分かった。
「肝に銘じておく」
神妙に深くふかぁーく頷く冽花に、妹妹も頷き返した。すっかり冷えた手で冽花の掌をそっと
『冽花のなかにもあるよ、くろくてつめたいちから。さがしてみて』
そんなことを言うものだから、生まれて初めての冽花の“自分の力探し”が始まった。これがなかなか難航し、さらに目覚めが遅れる理由となったのであった。
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